第四章すれ違う想い

セール期間前日。

売り場内には緊迫感が漂う。

売れ筋商品が入荷した場合、他のお客様の目に留まらないように即、商品名を隠して倉庫へと運び検品作業をする。

閉店後に目玉商品を陳列する棚を作り、売れ筋商品は陳列する棚を広げて商品を並べる。

POPを普段のPOPからセールPOPに貼り替え、セール対象外の商品の補充も行う。

それぞれが慣れた感じでテキパキと作業を行い、売り場が華やかな感じに変わる。

「柊、ツリーの飾り付けしとけ」

階段を上がってすぐにある、普段は催事をやっている売り場が12月まではクリスマスツリーやクリスマス関連を飾る売り場に変わる。

杉野チーフが黙々と見本のツリーを飾っているので、私は自分の仕事を終えて杉野チーフの隣に並ぶ。

「じゃあ、その小さい奴を飾ってくれる?」

指さされた小さな箱を開けて、ファイバーツリーを出して陳列して行く。

しばらくして森野さんもやって来て

「じゃあ、俺はこっちやりますね」

と言うと、180㎝のツリーを開けて飾り始めた。

テキパキと飾られるツリーだが、片側しか飾らない。

「あれ?なんで片側だけなんですか?」

何も考えずに思わず口にすると

「阿呆!お客様が見るのは片側だけだろうが。

 装飾を全面に飾るより、片面だけに装飾した方が豪華に見えるだろう!」

手を止めず、森野さんがテキパキとツリーを綺麗に飾り付けながら答える。

思わず『上手いもんだな~』って関心して見ていると

「何ぼんやりしてる!さっさと他のを飾れ!」

と怒鳴られてしまった。

私は細かく仕切られた売台に小さなファイバーツリーや、すでに飾り付けられているツリーを並べて行く。

「杉野チーフ。そっちは俺やるんで、こっちの飾り付けをお願いします」

大きなツリーを売台に乗せようとしていた杉野チーフに、すかさず森野さんが手を出して飾り付けられたツリーを杉野チーフから受取り売台に飾っている。

色とりどりのツリーが綺麗なのに、私の心はどんよりしていた。

どんなに杉野チーフから「他に好きな人が居る」と聞いてはいても…それは杉野チーフの気持ちであって、森野さんの気持ちは分からない。

自分の醜い感情を振り払おうと立ち上がった瞬間

「危ない!」

と叫ぶ杉野チーフの声。

驚いて固まっていると、森野さんの身体が私の前に立ちはだかった。

「え?」

その瞬間、ガシャンという音と共に売台が倒れ込んで来た。

どうやら私がまだ固定していない壁掛け型の売台を踏んでしまったらしく、売台が倒れ込んで来たのだ。

間一髪で森野さんが売台を支えてくれて、私も森野さんもケガをしなかった。

杉野チーフとお手伝いに来ていた先輩が売台を戻して固定した瞬間

「馬鹿野郎!お前何やってるんだよ!やる気あるのか!」

そう怒鳴られた。

「最近のお前、ぼんやりしてばかりでやる気が感じられないんだよ!

 やる気がないなら、他の売り場へ異動しろ!」

吐き捨てるように言われてショックだった。

「すみませんでした」

頭を下げた私に

「森野君、怒りすぎだよ。柊さんも今後は気を付けてね」

必死にフォローする杉野チーフに

「大体、杉野チーフが甘やかすからこいつがつけあがるんです!

 あなた、チーフの自覚あるんですか?」

森野さんの怒りの矛先が変わる。

「私だって、考えてやってます!大体、森野君は怒鳴ってばかりじゃない!

そんなんじゃ、柊さんが委縮しちゃうでしょう!」

「萎縮?こいつが委縮するタマですか?」

「何でそういう言い方するの?大体、森野君は冷たいのよ!」

私の事で二人が言い争うのが耐えられなかった。

「もう、止めて下さい!全部、私が悪いんです。だから、二人が言い争わないで下さい」

二人に叫んだ瞬間、杉野チーフと森野さんが口を噤んだ。

「はいはい~。三人ともそこまで~」

険悪な空気が流れた瞬間、店長ののんびりした声が響く。

「もう、三人とも今日は帰りなさい。疲れてるから、喧嘩するんやで」

やんわりとした口調だったけど、それは有無を言わせない威圧感を漂わせていた。

「わかりました」

最初に口を開いたのは杉野チーフだった。

店長はにっこり微笑んで

「杉ちゃん、柊ちゃんも連れて帰ってな~」

と言うと

「ほら、森野君も帰りや~。」

そう言って、森野さんの肩を軽くぽんぽんっと叩いた。

「でも、明日売り出しなのに…」

と言い掛けた森野さんに

「俺の言ってる事、分からへんの?」

店長の笑顔がすっと消えた。

その顔は、入社してから初めて見る怒った顔だった。

森野さんはしばらく黙り込んでから

「わかりました…」

とだけ言い残し、私達に背を向けて歩き出す。

森野さんが階段を下りる音が遠くなった頃

「ほら、二人も帰りや~」

そう言って店長が微笑む。

私はバツが悪い気持ちのまま、杉野チーフと一緒に店長に背を向けて階段に向かって歩き出した。

丁度、階段に辿り着いた時

「柊ちゃん、森野君の事を嫌わんといてな」

と、店長がぽつりと呟いたのだ。

驚いて振り向くと、店長はいつもの笑顔で微笑んでいる。

この言葉の意味を、この時の私は知らなかった。

ただ、職場の雰囲気を案じての言葉だと思っていたのだ。

でも…この後私は店長の言葉に隠された本当の意味を知る事となる。



翌日お店に行くと,、売り場は綺麗に装飾されていた。

念の為に早めに出勤したのが無駄となった。

「店長、やる時はやるからね~」

杉野チーフが私の背後で呟く。

「え?これ、全部店長一人で?」

驚いて尋ねると

「幾ら俺が天才やからって、一人じゃ無理やねん」

杉野チーフと話していると店長が現れた。

「おはようございます」

私と杉野チーフが挨拶すると

「おはよう~」

と、関西なまりの挨拶が返って来る。

「という事は…」

杉野チーフが匂わせて質問すると

「俺には協力な助っ人がおんねん」

と、店長がにやりと笑って答えた。

「やっぱり…。身重の奥様に手伝わせたんですか?」

呆れた顔をした杉野チーフに

「ちゃうで!あいつは口を出しただけ。俺と山岸チーフで動いたんや」

「嫌々、あのツリーの並べ方や飾り、展示センスは絶対に奥様でしょう?」

杉野チーフが見破ったりっという顔で笑う。

「ちぇっ!これやから杉ちゃんは苦手や」

二人のやり取りに疑問の視線を投げていると

「ああ、柊さんは知らなかったわよね。

 店長の奥様、元このお店の契約社員さんだったのよ。

 とにかく、ディスプレイに関しては抜群のセンスでね~」

うっとりとクリスマス関連売り場を眺めている。

確かに、温かみがあって思わず立ち寄りたくなるディスプレイがしてある。

「店長の奥様にお会いしたかったです」

私が呟くと

「事務所におるで~。さっきまでこっちに居たから、入れ違いやったんやろうな」

満面の笑顔で答える店長に、思わずつられて笑ってしまう。

このお店に配属されてから、色々な売り場へ研修に行く度に店長がかなりの愛妻家だとは聞いていた。

すると、物凄い勢いで階段を駆け上る足音が聞こえて来る。

「来た来た」

店長と杉野チーフが顔を見合わせて笑っていると

「ああ!俺達が帰った後、やっぱり園田さんがディスプレイしたんですね!

 ちくしょう!やっぱり帰らなきゃ良かった!!!」

森野さんは売り場を見るなり叫んだ。

「森野君はね、店長の奥様のディスプレイが大好きなの。

 店長の奥様とは売り場が一緒にならなかったから、クリスマス時期だけ

 お手伝いに来てくれると、その度に色々質問しまくってたわね」

クスクスと笑う杉野チーフに

「余計な事を教えなくて良いですから!」

って子供みたいに口を尖らせて文句を言った後、森野さんは子供のようにキラキラした目で売り場を見ている。

「やっぱすげぇな、園田さん。

ちょっと手を加えただけで、田舎のスーパーがお洒落なショップになったくらいに違うもんな」

広い売り場を歩き回り、ツリーの飾り方のちょっとした違いや商品の陳列を見ては、まるで子供のようにはしゃいでいる。

「やっぱり惜しい人材ですよ。店長、何で手を出したんですか!」

「手ぇ出したて…人聞きの悪い事言わんといてや」

昨日のあの険悪なムードが嘘のように、和気あいあいとしている。

店長はこの通り終始穏やかで優しいから、独身時代はかなりモテていたと噂には聞いていた。

奥様になられた方は店長が一目惚れで好きになって、追い掛けて追い掛けてやっと結婚したと聞いている。

森野さんまで一目置く程の人ってどんな美人なんだろう…。

胸の奥がザワザワし始めた時

「亮君、もう帰って良いかな?」

大きなお腹を抱えた、恵比寿様のようにふくよかな方が現れた。

「由美~、危ないからここまで来なくてええのに~」

私の知らない、奥様に鼻の下を伸ばした店長がその人に走り寄る。

「大丈夫だよ。もう、安定期だし。亮君は心配しすぎ」

『あははは!』って豪快に笑うその人は、私を見るなり

「あ!あなたが有望な新人ちゃん?」

そう言って近づいて来た。

全体にふっくらしていて優しいオーラを纏ったその人は

「玩具売り場大変でしょう?特に森野君の下じゃね~」

と、本人に聞こえるようにわざと言っている。

「園田さん!」

怒って叫んだ森野さんに

「私、もう和田ですけど~」

って言いながら笑っている。

(この人…凄い…)

私は驚いて見ていた。

店長の奥さんが居るだけで、店内が明るくなったように感じる。

ひまわりのようなその人に店長が惹かれた理由が分かった気がする。

「色々大変だろうけど、みんなあなたに期待してるのよ。

 森野君も口は悪いけど、あなたの事を真面目だって褒めてたし」

にっこり微笑んでそう言った。

私が驚いていると

「園田さん、余計な事を言うなら帰って下さい」

そう言い残して、森野さんは怒った顔でストック置き場へと歩き出してしまった。

「さて!帰れと言われたので帰りますか」

店長の奥様がそう言い出した時

「あの!」

私が必死に声を絞り出した。

「ありがとうございました。」

深々とお辞儀した私に、店長の奥様が驚いた顔をした。

「こんな素敵なディスプレイを見せて頂いて、勉強になりました」

私の言葉に、店長の奥様は笑顔を浮かべると

「あ~、残念。こんな可愛い新人さん。私が育てたかった~」

そう言って私を抱き締めた。

人に抱き締められるなんて何年振りだっただろう。

「色々あるだろうけど、頑張ってね。あなたは素敵な販売員になれるから」

何故か分からなかったけど涙が溢れそうになった。

「はい」

笑顔で答えた私に、店長の奥様は笑顔で答えてくれた。

「素敵な人でしょう?」

店長に連れられて帰って行く奥様を見送っていると杉野チーフが呟いた。

「はい」

返事をした私に

「私の目標なの。園田さんはいつも大きな心で私達を包んでくれた。

私はね、柊さんを甘やかしているんじゃないの。

あなたは絶対に、このお店にとって大切な人になるって思ってるんだ」

杉野チーフはそう言って微笑んだ。

この時はまだ、この後に来る凄まじい戦いが待っている事を私は知らなかった。



「し…死ぬ……」

 お昼休みになり、私は休憩室でぐったりしていた。

嫌ね、クリスマス一か月前とはいえ、お父さんとお母さんの子供へのプレゼントに対する思いは凄かった。

特撮ヒーロー物の人気商品は、開店と共に階段を駆け上る音と共に奪い合いが始まる。

人気のアニメキャラクターグッツに至っては、奪い合いすぎて売台が倒れて来て、裏で私達が支えるという始末。

ほぼ、開店間も無くで人気商品が完売した。

午前中はあっという間に終わり、私は食堂で倒れ込んでいた。

「玩具売り場凄かったね~」

新生児売り場の菊池さんが笑いながら隣に座る。

「階段を駆け上る音、こっちまで聞こえたよ」

クスクスと笑う菊池さんが

「どう?クリスマスの玩具売り場の洗礼を受けた気分は…」

と、手でマイクを握る真似をして私にマイクを向ける。

「驚きました。凄いです~」

溜息交じりに呟いた私に、菊池さんは苦笑いを浮かべて

「でも、本当の闘いはこれからだよ~」

って、意味深な笑みを浮かべた。

なんだか食欲を失くして、軽く食事をとった後に私は倉庫の屋上へと向かった。

倉庫はお店から5分位の所にあり、建物の裏側から屋上へと続く階段がある。

今日は天気が良いので、私は携帯を片手に屋上へと向かって階段を上り、屋上のど真ん中で大の字に横になった。

真っ青な空に白い雲が流れている。

耳にイヤホンを差し込み、携帯に入れてあるBlue moonの曲を流す。

楽器の音にカケルさんの歌声を乗せただけの、まだ未完成の楽曲が流れて来る。

見上げた青空のように青く澄んだ歌声が流れ込んでくる。

どこまでも抜けるような青と、白い雲の流れるようすを黙って見上げていた。

その時、幼い頃には分からなかったBlue moon唯一の恋愛ソングが流れて来る。

CDには楽曲が5曲入っていて、4曲が応援ソング的な感じのアップテンポの元気な曲になっている。

そんな中、たった一曲だけ切ないラブソングが入っていた。

まだ幼いカケルさんの声が、切なく愛する人への想いを歌い上げる。

『君の笑顔が見たくて 僕はいつもおどけてばかり

 でも、君の心は今も他の誰かを思ってる

 隣に居るのに…君の心はずっと遠くにいるんだね

 だからせめて、今は友達でも良いから傍にいさせて…』

思わず、小さく口ずさんだ。

そして雲へと手を伸ばした時、森野さんの顔が現れた。

慌てて起き上がると

「すげぇ恰好で寝てるな、お前」

森野さんがお腹を抱えて笑っている。

お店には制服があって、青いシャツと赤いネクタイ。

紺のセーターとベストは会社で支給されるが、下は紺か黒であればスカートでもパンツでも女性は自由。

男性は紺のパンツのみの指定をされてはいるが、その分上下が会社から支給される。

私はキュロットを巻きスカート風に見せている物を履いていた。

だから下着が見える事は無いけれど、慌てて膝をくっつけてアヒル座りする。

「何で森野さんが此処に居るんですか?」

驚いて呟くと

「此処は俺の休憩所」

そう言うと、ポケットから煙草を取り出した。

森野さんはタバコを咥えると、何処かぼんやりと遠くを見ている。

「森野さん、タバコ吸いました?」

思わず尋ねた私に、森野さんはハっとした顔をして

「たまにな…」

そう言ってタバコに火をつける。

この一連の流れが綺麗だと思って見つめて居ると

「さっきの歌……」

と、森野さんが口を開いた。

「聞いてたんですか!」

真っ赤になって叫んだ私に

「人聞き悪いな…。聞いてたんじゃなくて、聞こえたんだよ」

ムっとした顔で森野さんが私を見た。

ふっと真剣な表情で私を見詰めた森野さんにドキリと心臓が高鳴る。

切れ長の凛々しい目の中にある漆黒の綺麗な瞳が、何かを訴えるように揺れたような気がした。

森野さんの瞳に魅入られてしまったかのように、私は視線を外せなくなる。

どの位見つめ合っていたのだろうか?

多分、時間にしたらほんの何秒かなのかもしれない。

でも、この時の私にはとても長い時間に感じた。

ふっと森野さんの表情が緩むと、ゆっくりと森野さんが私から視線を外して

「お前、歌が下手だな」

そう呟いた。

「ぎゃ~~~~!!!!!!」

森野さんの言葉に顔から火が噴出したようになり、思わず悲鳴を上げた瞬間

「馬鹿!声デカい!」

そう言われて、森野さんに後ろから口を塞がれた。

その時、初めて森野さんの手の感触を唇に感じる。

男の人らしい長くてゴツゴツした指に大きな手。

思ったより冷たい手が、どれだけ長い時間外に居たのかを教えてくれる。

口を塞がれて黙り込んだ私に、森野さんはそっと私の口から手を外し

「あ…悪い。此処までバレたら、居場所なくなるからさ」

ポツリと呟き、森野さんは再びタバコを口へ咥えた。

横顔が遠くて、隣に座っているのに遠くに感じる。

「休憩室は?」

疑問に思って尋ねると、森野さんは

「外野がうるさい」

とだけ答えた。

森野さんは容姿とスタイルがモデル並みに良いので、お店の女の子達が狙っている。

だから森野さんの行く所に女性ありと言われる。

「あ!って事は、私も邪魔ですね」

慌てて立ち上がると

「バ~カ。お前が先客だろう?それに、邪魔なら声掛けねぇ~よ」

と答えて小さく笑う。

その笑顔に胸がギュッと締め付けられるように苦しくなる。

思わず手で胸元を握り締めた時

「お前、本当に好きなんだな」

ポツリと呟いた。

「え?」

思わず聞き返した私に

「それ、聞いてる時のお前の顔。凄い良い顔してたから…」

私から視線を外し、森野さんはそう言ってタバコを携帯灰皿へと押し込んだ。

「悪かったな…」

黙って森野さんを見つめて居る私に、森野さんは遠くを見たまま呟いた。

「お前がそんなに大切にしているとは知らなくて、けなして悪かった。

 きっと、その歌ってる奴も…お前がそんなに好きでいてくれて喜んでるんじゃ

 ねぇか?」

誰に言うわけでもないような…そう、まるで独り言のように続けた。

「そうですかね?だと嬉しいですけど…」

照れて笑う私に、森野さんは小さく微笑んで頷いた。

私はこの時に見た森野さんの…まるで消えそうな笑顔が忘れられない。

悲しそうな…切なそうな…何かに耐えるような笑顔。

 杉野チーフや木月さんの話では、森野さんはクラシック音楽以外は全く聞かないらしい。

一時期お店で邦楽を流していたら

「仕事に集中出来ない」

と文句を言っていたという。

なので、カラオケに誘っても行く筈もなく…。

一度店長と奥様、杉野チーフと一緒に森野さんもカラオケに行ったらしい。

でも人の歌を聴く専門で決して歌わない。

一度、童謡の「ふるさと」を唄ったらしいけど、全く音が取れていなくて壊滅的な歌声だったそうだ。

「勿体無いよね…、あんなに良い声してるのに…」

杉野チーフが残念そうに呟いていたっけ…。

「でもね、あの森野君に弱点があるっていうのも親しみが湧いたけどね」

杉野チーフの言葉に、私はいつの間にか「カケル」さんと森野さんを別に考えている事に気が付いた。

私はきっと、森野さんがカケルさんに似た声で無くても好きになったと思う。

今なら自信を持って言える。

「そんな…。私こそ、森野さんに失礼な事をたくさん言ったのでお互い様です」

必死に吐き出した言葉に、森野さんはフッと微笑み視線を元の場所へと戻した。

何も映していないような…、私には見えない何かを映しているような瞳は、

これ以上私を森野さんに近付けさせないようにしているかのようだった。



 お昼休みが終わり、まさに怒涛の午後が始まる。

クリスマスの売り出し(セール)を経験するのが初めての私には信じられない光景だった。

人気商品はオープンして1時間で完売し、その後はひたすら謝罪。

「申し訳ございません。そちらの商品は完売致しました」

呼び止められる度、この謝罪を口にする。

人気のある玩具は集中するので、一瞬にして消えていく。

が!謝罪しても許さないお客様はいらっしゃるわけで…

「チラシに書いてあるのに置いてないなんておかしい!」

「本当は倉庫にあるんでしょう!さっさと出しなさいよ!」

等々…。

まぁ……お母様方が目くじら立てて怒鳴り散らす。

そんな中、店内の廊下に謎の水たまりを発見。

お客様が多い分、お客様のお子様のおもらしが頻繁に発生する。

ゴミ袋とトイレットペーパー。除菌のウエットティッシュを抱えて店内清掃。

処理が終わったらゴミ捨てをして、手を洗ってダッシュで売り場に戻る。

そんな中、店内放送で

『3F玩具売り場の方、3F玩具売り場の方。内線15番お願いします』

のアナウンス。

この時期にストック置き場に人気は無く、売り場か倉庫。

又は偶然、ストック置き場に商品を取りに戻る程度なのだ。

丁度、内線電話の近くに居たので電話を取ると、小さな男の子の声で

「〇〇(特撮ヒーローモノの玩具名)ありますか?」

と、明らかに泣き声っぽく電話してくる。

「申し訳ございません。

 本日は完売いたしまして、明朝、本部より商品が届きます」

そう答えると

「どうしても無いの?」

と、これまた泣き声。

「ごめんなさい。明日の朝、入荷致します」

そう伝えた瞬間

『お母さ~ん、やっぱり明日の朝だって~!』

と叫ぶ泣き声だった筈の少年の元気な声。

「あ!電話切ってから言いなさい!」

のお母さんの声と同時に通話が切れる。

「ツーツーツー」

規則正しい電話が切られた音が響く。

「演技かよ!」

って突っ込んでいると

「柊!ボケっとしてる暇あるなら、そこの商品出しとけ!」

森野さんの怒号が飛んで来た。

言われた商品を抱え、売り場へと走り商品の補充。

本当に目が回るとはこの事だと思った。

そんな売り出しの洗礼を受けていると、店内放送が蛍の光に…。

「終わった……」

ヨロヨロしながらストック置き場に戻ると、杉野チーフが

「お疲れ様~」

と、笑顔で迎えてくれる。

「疲れました~」

一日中、走り回った足は棒の様になっている。

椅子に腰かけた瞬間、コツンと頭に何かを乗せられた。

「?」

疑問に思って見上げると

「お疲れ様。本番は明日からだけどな」

そう言いながら、森野さんが缶コーヒーをくれたのだ。

そして杉野チーフにも缶コーヒーを投げると

「本当は飲食厳禁だけど…」

と言いながら、商品が置いていない場所へ椅子を移動させて缶コーヒーを開ける。

木月さんはパートさんなので15:00上がり。

なので15:00以降は三人での戦いだった。

「毎年思うけど、クリスマス時期は本当に凄いな」

「本当にね…。

 でも子供が可愛いから、必死になるお父さんやお母さんの気持ちもわかるけど 

 ね…。人気商品は仕入れられる数にも限りがあるからね」

なんとなくブレイクタイムの中、私は声も出せずにぐったりしていた。

「なんだ?柊。

 こんな程度でへばってるのか?

 そんなんじゃ、明日と明後日の休日の闘いに負けるぞ」

森野さんが苦笑いしている。

「明日は整理券が居るかもしれないわね」

「あぁ、早めに並んでいる人がいそうですよね。

 じゃあ、商品は売台に乗せずにストック置き場から出しますか?」

「開店時間と共に整理券を出して、お一人様一つにしましょう」

「クレームになりませんかね?」

「ん~。でも、せっかく足を運んで下さっているお客様に、一つでも多く売りたい じゃない?」

杉野チーフと森野さんの会話を、あんぐりと口を開けて聞くしか出来ない。

今日でも凄かったのに、明日はもっと凄いのかと茫然としていると、森野さんが腕時計を見て

「あ、こんな時間だ。じゃあ、俺は倉庫から明日の商品持ってきますね」

そう言って走って階段を下りて行った。

「さて!私達は売り場の整理をしますかね」

杉野チーフは立ち上がると、売り場へと歩き出す。

私も何とか立ち上がり、売り場へ向かうと……凄まじい光景が目に入る。

人が居ると分からないけど、誰も居なくなった売り場に残された様々な残骸。

色々な売り場の物が、見るも無残な姿で置かれている。

おままごとのサンプルの中に、開封予防のテープを強引に剥がした挙句、箱がビリビリに破かれて酷い状態で置き去りにされたガラガラの玩具だったり、2Fのチャイルドで売られている靴が、ビニールから出された状態で置かれていたり。

1Fレジ横で売っているお菓子が玩具の陳列棚の中に置かれていたり…。

玩具売り場の商品で破損した商品と、他の売り場の商品とを分けてかごに入れて回る。

売台の下に箒を掛けると、万引きした残骸の箱が落ちて居たりもする。

溜息着きながら売り場を整理し終えた頃、森野さんの声が店内放送で流れて来た。

『3F玩具売り場、3F玩具売り場。商品上げました。お願いします』

私と杉野チーフがエレベーターの前で待機すると、ドアが開きパンパンに詰められた商品が崩れて来る。

「うわ!」

っと慌てた瞬間、階段の駆け上る音と共に森野さんが落ちかけた商品をキャッチした。

「柊、商品を絶対に落とすな!」

ギロっと睨まれて「すみません」と謝るのも聞かず、森野さんが段ボールをどんどん荷下ろしをしてまた駆け下りて行った。

私と杉野チーフは、取り敢えず来た商品を売り場へと運んで行く。

その頃には、他の売り場の社員も手伝いにぞろぞろと現れる始める。

「じゃあ、俺達は荷下ろしやるから、杉ちゃん達はどんどん品出しして」

2Fチャイルド担当の山岸さんが指示すると、私と杉野チーフは売り場へテープを持って走って移動。

段ボールを開けてテープを貼る。

貼り終わったら売り場へ出す。

この繰り返しを何度かしている間にも

「3F玩具売り場、荷 物上がります」

の森野さんの声が聞こえる。

声のすぐ後には、階段を駆け上る足音が近づく。

森野さんは一体、何往復してるんだろう?と思っていると

「森野、こっちは俺達がやるからお前は荷物全部上げて!」

山岸さんの声に「分かりました」と答える森野さんの声。

荷下ろし用のエレベーターが到着して、段ボールがどんどん売り場に積まれて行く。

「3F玩具売り場、最後の商品上げます」

の森野さんの声が聞こえて、お手伝いの人達もほっとした息を漏らす。

普段、一緒に作業しない人達と黙々と作業をしながら時間は過ぎていく。

開封防止のテープの音と、時々聞こえる少ない会話。

売台へ商品を並べる音があちらこちらに聞こえ始める。

私は小間物のクリスマスツリーの飾りを箱から出し、売台のフックにひたすら掛ける作業をしていた。

玩具売り場と少し離れたツリーの特設会場で黙々と作業を続ける。

「じゃあ、先に帰りますね~」

一段落着いたらしく、お手伝いの人達が一人、また一人と帰って行く。

私は品出しして空になったダンボールを潰しては、新しい箱を開けてひたすら商品を並べていた。

「柊さん、そろそろ終わらせるよ~」

杉野チーフの声が聞こえて

「は~い」

と返事をしたものの、動き出した手が止まらない。

「あとこれを出したら帰ります。先に帰っててください」

大きな段ボールに、畳んだ段ボールを差し込みながら答える。

「手伝おうか?」

心配して顔を見に来た杉野チーフに笑顔を向けて

「大丈夫です。あとこの二箱ですから」

そう答えて作業を再開した。

どの位の時間が過ぎただろう?

時計を見たら10時を回っていた。

ツリー売り場の物は小間物が多く、段ボールの中にたくさん入っていたので時間が掛かってしまったみたいだった。

気付くと売り場には私一人で、シンっと静まり返っていた。

私は十分に補充された売り場を見て

「よし!ばっちり!!」

と独り言を言って空元気を出した。

広い売り場で一人だと気付いたら急に心細くなった。

潰した段ボールをまとめた箱をズルズルとストック置き場へと移動させる。

一人だと思うと段ボールがやけに重く感じる。

すると

「やっと終わったか?」

引き摺ってた段ボールが軽くなり、森野さんが段ボールを片付けてくれている。

「え?森野さん?何でいるんですか?」

驚いて尋ねると

「女の子一人にしたら危ないでしょう!って杉野チーフに言われたからな」

杉野チーフの口調をまねて森野さんが答えた。

「すみません…」

待たせてたんだ…って落ち込んで謝ると

「何で謝るんだよ。

 俺も明日メーカーに流す発注書を書いてたから、

 別にお前を待ってた訳じゃないし」

そう言って小さく微笑んだ、

本館には既に人は居なく、森野さんはセコムを作動して鍵を掛けている。

「じゃあ、柊さんは着替えて来て」

鍵を閉めている状態で言われ、私は「分かりました」と返事をして着替えに更衣室へと向かう。

事務所の電気も消えており、更衣室で着替えながらまさに二人きりな事に気付いてしまった。

着替えを終えて下に降りると、森野さんは外の喫煙所の椅子に座って空を見上げていた。

「すみません」と声を掛けようと口を開きかけた瞬間、微かな声が聞こえて来た。

それが声では無く、歌だと気付くのに時間はそんなにかからなかった。

呟くような…囁くような…本当に小さな小さな声。

それは懐かしくもあり、私の心を捉えた歌声だった。

ただ違うのは、今聞こえる歌声はまるで悲鳴を上げているかのような悲痛な歌声だった。

誰に歌う訳でもなく、ただ空くうへと消えていく歌声。

月夜に照らされた森野さんの後ろ姿を、私は黙って見つめる事しか出来ずに居た。

どの位、森野さんの後姿を見つめて居たのだろうか?

森野さんの唄はすぐに消え、夜空を黙って見上げていた。

声を掛けるタイミングを失って困っていると

「あれ?いつの間に居たんだ?」

森野さんが私に気付いて驚いた顔をした。

「い…今です」

きっと、歌を聴かれたと知られたくないだろうと思い嘘を吐く。

「じゃあ、帰るか」

森野さんはそう呟くと、ポケットからセコムのカードキーを出して事務所を施錠した。

私は心の中で、少し前を歩く森野さんの背中に

(やっぱり…カケルさんなんですか?それとも…似てるだけなんですか?)

そう問いかけていた。

バクバクと鳴り始めた心臓。

やけに遠く感じる森野さんとの距離。

もし…森野さんがカケルさんだったら……

私の気持ちは変わるのだろうか?

失望する?それとも「やっぱり!」って納得する?

それとも、他人のそら似?

何も聞けないまま、私は森野さんの背中をただ黙って見つめて居た。

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