第二章 似てるけど世界で一番嫌いな奴

「……ぎ……らぎ…」

CDから流れる歌声に、何度救われただろう。

あの日の彼の歌声は、いつしか私より歳下になっていた…。

「ひ…い…らぎ……ひいら…ぎ」

そう…こんな感じの綺麗な声…

微睡まどろみの中、『バシ!』っと何かに頭をはたかれた。

は!と目を覚ますと、大嫌いな顔が私を見下ろしている

「げ!」

思わず口から出た言葉を隠すように、慌てて手で口を塞ぐ。

すると切れ長の整った目が私を見下ろし

「いつまで寝てるつもりだ?もう、昼休憩は終わってるんだけどな!」

腕時計を見せて叫ばれる。

「すみません!」

慌てて立ち上がり、透明バックを手に自分の配属された売り場へと走って行く。

従業員用の階段を3Fまでいっきに駆け上る。

「すみません!遅くなりました!」

肩で息をして戻ると

「え?遅れてないよ?」

バックヤードで売り場に出す商品の箱にテープで封をしていたパートの木月さんが、苦笑いを浮かべた。

「え?」

驚いて売り場の時計を見上げると、時間は14時25分

私が休憩に入ったのは13時30分

休憩時間が1時間だから……。

(やられた…!)

悔しさに地団駄踏んでいると、

「何?また、森野君にからかわれたの?」

くすくす笑いながら、杉野チーフがPOPを仕分けしていた。

「杉野チーフ!聞いて下さいよ~!」

私が唇を尖らせて叫ぶと

「はいはい。よしよし可哀想にね~」

と杉野チーフが頭を撫でて来る。

「もう!何で私の教育係が森野なんですか!」

「こらこら!呼び捨てにしないの!一応、先輩なんだから」

「私、杉野チーフが良いです!」

私が文句を言ってると、パートの木月さんが笑いながら

「でも…正直、森野君があんなに面倒見るとは思わなかったわよね」

と話しに加わって来た。

「え?面倒なんか見てくれてないですよ!」

私はそう叫ぶと、指で両目を吊り上げてつり目を作り

「柊~、さっさと仕事しろ!柊~」

って真似を始めてみた。

すると最初は笑っていた二人の笑顔が一瞬にして固まった。

二人の表情に私が固まった瞬間

「へぇ~、俺ってそんな顔してんだ…」

地の底から這って来たような声が背後から聞こえて来た。

私が固まったままゆっくり振り返ると、怒り心頭の顔をした森野さんが立っていた。

「ひ!」

思わず息を飲んだ私に

「遅刻しそうなのを助けてやったのに…良い度胸だな」

ニヤリと恐ろしい笑顔で私の腕を掴んだ。

「さて、悪口言う元気があるんなら力仕事してもらおうか」

森野さんはそう言いながら、私の腕を掴んで歩き始めた。

「い~~やぁ~~~」

涙目で叫んだ私を、杉野チーフと木月さんがお祈りポーズで見送っていた。



森野さんとは、出会いから最悪だった。

私は小学校に上がる頃に両親が離婚し、母親に引き取られた。

母親の実家に身を置く事になり、あの日もらったCDを持ってあちこち転居を繰り返した。

どんなに辛くても、苦しくてもCDの歌を聴いていれば乗り越えられた。

母親が再婚したのを機に、私は都内の短大に入学して一人暮らしを始め、関西に本社がある赤ちゃん用品を扱う量販店に入店した。

全国に店舗がある中、私は従妹のお姉ちゃんの家がある場所へと配属された。

伯母さんやお姉ちゃんは下宿して良いと言ってくれたのだが、私はお店の近くにアパートを借りて一人暮らしを継続している。

研修期間中は配属された店舗の売り場を全部回り、適正を店長が見極めて配属売り場を決められる。

最初はサービスセンターからだった。

ラッピングをした事が無かった私は、ラッピングやらレジ打ちを必死に覚え、やっと覚えたかと思ったら新生児用品売り場。ベビー雑貨、マタニティー売り場、ギフト売り場から催事と渡り、最後に玩具、文具、ファンシー売り場と研修に来た。

「今日からうちの売り場で一週間研修する柊 明日海さんです」

杉野チーフから紹介され、挨拶をしていた時だった。

「じゃあ、一人一人自己紹介していって。まず、森野君から」

杉野チーフが指名した時、一瞬ドキっとした。

スラリとした長身に、短く切りそろえた髪の毛が顔立ちの美しさを際立たせていた。

切れ長の涼し気な瞳と凛々しい眉に、スーと通った鼻筋。

引き締まった薄い唇。

芸能人かと思う程、綺麗な顔をしていたその人に思わず見とれていると

「森野です」

と発した声が、CDをもらった時の声よりも大人びていたけど…聞き間違える筈が無い!

「その声…カケルさん?森野さん!歌、歌っていませんでしたか!」

思わず叫んでしまっていた。

すると森野さんはムっとした顔をして

「それ…嫌味?」

そう返したのだ。

「あ!こら!森野君、すぐ喧嘩売らない!

 ごめんね、森野君は酷い音痴なの。だから、歌は絶対に歌わないのよ」

困った顔をして言う杉野チーフに

「でも…」

思わず反論しそうになった私に

「誰と間違えてるんだか知らないけど…、俺と声が似てるなんて致命的に歌が下手くそなんだろうな」

って、鼻で笑われたのにはカチンと来た。

「何も知らない癖に、馬鹿にしないで下さい!」

「馬鹿にするも何も、お前が勝手に間違えたんだろうが!」

大好きな「カケル」さんと同じ声が私を馬鹿にする。

「大体、その何だ?お前の好きな奴。カケルとかいう奴?名前も聞いた事無いわ」

森野さんの言葉に、私はグっと息を飲む。

「もう解散したアマチュアバンドのボーカルです。間違えてすみませんでした。

 私、顔もちゃんとした名前も知らなくて……。

 バンドの方々が「カケル」って呼んでいた名前知らないんです。

 でも…今まで誰も間違えなかったのに…」

そう呟いた私に、森野さんは鼻で笑うと

「アマチュア?結局プロにもなれない下手くそなんだろう?くっだらねぇ!」

そう吐き捨てるように言い放ったのだ。

その言葉に、私の中の堪忍袋の緒が切れる音がした。

「何も知らない癖に馬鹿にしないで下さい!

 そりゃ~、私が出会ったのは10年前ですし、それ以降にライブさえも行ったこと ないですよ。

 でも…カケルさんの声が…歌が私を救ってくれたんです。

 だから、馬鹿にしないで下さい!」

森野さんを真っ直ぐ見て言い切った私に、杉野チーフが慌てて

「へぇ~。でも、そんなに大切な人と声が似てるなんて…。森野君の親戚とかじゃないの?」

とフォローに入った。

すると森野さんは冷めた目で私を見たまま

「アマチュアアバンドの歌が心を救う?馬鹿じゃね~の?

そんな素晴らしいお方が、俺と同じ声?たかが知れてるな」

って、再び馬鹿にしたのだ。

私は完全に頭に血が上り

「なんであんたみたいな嫌な奴が同じ声してる訳?本当にムカつく!」

「悪かったな!俺は生まれてこの方、この声で生きて来てるんだよ!」

「あ~嫌~!カケルさんの声で汚い言葉使わないで!」

「はぁ?知らねえよ!お前の都合を押し付けんな!」

とまぁ…、私と森野さんは、出会い頭で言い争いをしてしまったのだ。

…たしかに、私も悪かったとは思う。

思うけどさ…、ずっと大切にしていた人を馬鹿にされたら誰だって怒ると思う。

お蔭で、研修期間中に私と森野さんが口をきく事は一切なかった。

で、私は絶対に玩具売り場には配属されないだろうと思っていた。

…思っていたのだが。

「柊さんは、玩具売り場ね。で、教育係は森野君だから」

店長が笑顔で辞令を手渡した。

「う…そ…」

目の前が真っ暗になる私に

「いや~聞いたで~。出会い頭に喧嘩したんやって?」

店長が楽しそうに笑うと、私の肩をポンっと叩いた。

「店長…せめて教育係を杉野チーフに…」

「ダメ!森野君と仲良くなってな~」

そう言い残し、店長が笑いながら去って行った。

それから…鬼…もとい、森野さんの教育が始まった。



「柊さん、これ特売で出すからPOP書いてくれる?」

玩具売り場に配属されてからすぐ、杉野チーフに言われて生まれて初めてPOPを書いた。

が、翌日。

私の書いたPOPが無くて森野さんの書いたPOPが貼られている。

疑問に思ってPOPを裏返すと、私の書いたPOPの裏に森野さんがPOPを書き直していたのだ。

カチンと来た瞬間、森野さんが品出しの商品を抱えた状態で背後を通りすがり

「あ、汚いから書き直しといた」

と言われたのだ。

カッチーン!

汚いから書き直した?

はいはい、すみませんね!

こちとら、POPの書き方なんか全然知りませんよ!

今や全部パソコンで出しますからね!

たまに出す手書きPOPの勉強してなくてすみませんでした!

私は腹が立ち、すぐに図書館へ行って「POPの書き方」という本を借りてPOP字の勉強を始めた。

そして、何気無く置いてある売り場のペンにも意味があった事に気付き、

「なるほど~、極太ペンが値段を書くのね…。

 それで、商品名が角ペンで、この丸ペンが商品説明を書くのね…」

家で画用紙に何枚も何枚も書き方を研究して、いつPOPを書いても大丈夫な状態にしておいた。

でも、不思議と準備していると中々POPを書く仕事が来ないのよね。

そんな出来事が忘れ去られた頃

「あれ?本部から送られて来たPOPが間違えてる…。

 ごめん、柊さん。間に合わせにPOP書いてくれる?

 森野君には、この間みたいな失礼な事をさせないから…」

と、杉野チーフからお願いポーズされて頼まれた。

「はい、わかりました!」

私は数か月、自主練した成果を発揮した。

「あれ?柊さん。POP上手くなったね~」

私がPOPを書いていると、杉野チーフが目を丸くして呟いた。

「これなら、パソコンじゃなくても良いかもね」

「かえって温かい感じがしますよね~」

木月さんと杉野チーフが話していると、森野さんが現れた。

「ほらほら、森野君。柊さん、POPが上手になったよ」

と、杉野チーフが私のPOPを見せると

「ふ~ん」

とだけ答えて、売り場へ行ってしまった。

でも、嫌味は言われなかったので「勝った!」っとばかりに、勝手に私はガッツポーズしていた。

品出しのやり方からカッターの使い方。

森野さんは細かい事まで注意をしてきて、その度に私の負けず嫌いが発動されて3か月が経過した頃には、同期の子達の中で一番評価されるようになっていた。

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