生きるための器用さ。その基準はどこ?

 上手に生きるとは、どういうことを指すのだろうか?
 そして、その基準は誰が決めたのだろうか?
 それらを問いかけてくる作品だ。最近は「空気が読めない」ことを「KY]と言って、それを「生きるための器用さ」の基準みたいに言う。しかしその一方で、「殻に籠るな」とか「個性を出せ」とか、言われている。これらを聞くと、どこか矛盾しているような気分になる。
 社会に出て、社会人として生きるようになれば、きっと誰もが壁に当たっていて、挫けそうにもなるだろう。しかし、誰かが決めた「普通」のせいで、生きることさえ辛くなる人も多いはず。心が敏感な人なら、なおさら辛いだろう。
 しかし心が敏感な分、きっと何かを表現した時に、人間の普遍性を描ける可能性があるのではないだろうか。生きたい。そう願うことは、正しい。

 自分が不器用であると感じている方に、特にお勧めです。

 是非、御一読下さい。

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