6.Over The Rainbow.

 PMIは、人の手続き記憶を複写するためのものだ。

 けれど、人の脳は僕たちが思うほどシステマチックにできていない。そもそも僕たちの身体は、「こうあるべき」とデザインされた形ではなく、「こうしたらうまくいった」という結果から引き継がれていった形の集合体だ。

 僕たちはそれを解きほぐして、手続き記憶のみを抜き出す方法を見出そうとした。

 でも、それは間違いだった。個人の経験や行動の蓄積として得られる手続き記憶は、個人の人生のどこかとつながっていたのだ。人生における行いの全てが記憶となり、その記憶の全てが人の意識を形作る。ならば、手続き記憶も、人の意識が介在しうる。その技術が、人類にとって偉大と呼ばれるほどのものであればなおさらだ。

 僕たちはもっと敬意を払うべきだった。

 偉大なる技術に、

 偉大なる先人に、

 偉大なる人生に。

 バグとして消し去る方法を探すのではなく、敬意を払うことが必要だった。

 ピアノを弾く祖父の脳をナノマシンが走査し、そのネットワークとシナプス発火パターンを読みとり終えた数週間後、祖父は燃え尽きた蝋燭の炎のように、静かにこの世を去った。

 僕は最後まで「シロウ君」として、祖父と共にいた。

 僕たちは長く長く話をした。祖父と話した言葉の数々はどれも音楽にまつわるもので、僕は疎遠になっていた十数年の月日を取り返すように、祖父は僕に聞かせられなかった十数年分の音楽の全てを伝えようとするかのように、沢山の話をした。

 祖父の葬式の日、父に僕と姉さんの名前の由来を尋ねた。僕たちの名前をつけたのは祖父だった。祖父は空にかかる七色の虹になぞらえて、僕たちの名前に色を入れたのだと。

 ここにも、祖父の虹があった。

 祖父にこれほど思われていたということを、いやというほど思い知った。

 僕は父と話をした。話をしたかった。

 僕が祖父のピアノを愛していたこと、

 けれど姉さんこそ、誰よりも祖父のピアノを愛していたこと、

 そのために、姉さんがとても苦しんでいたこと、

 家をでていった姉さんを引き留められなかったあの日のこと、

 僕たちは声が枯れてしまうまで話をし続けた。

 僕はこれまで、家族との縁を断ち切ることに努めてきた。姉のように音楽に没頭できず、祖父の跡を継ぐことから逃げてきた僕に、家族であり続ける権利はないと思い込んでいた。

 けれど、それは勘違いだった。家族であることに、そんな難しい道理は必要なかった。それに気づくことができたのは、おそらく多くの偶然が重なった結果で、僕も、父も、祖父も、誰も予想していなかったけれど。僕は、誰も予想しなかった最高の形で、僕は祖父に報いることができた。


 僕は、祖父が最後の日まで弾いていたという病院のアップライトピアノに向き合い、PMIを作動させる。脳に流れ込むナノマシンが形成する疑似神経伝達回路が、補助脳からの指令にしたがって、ピアノに向かい合う祖父の脳波を再現する。

 ピアノが見える。

 白と黒の鍵盤が脳裏に浮かぶ。何も考えずとも、何も見ずとも、自分の指がどこを押さえているかがはっきりと見える。

 手が動く。どこに手をおき、どの音から奏でるべきか、何も考えずとも指が動く。

 背筋をぴんと伸ばし。

 肩はすとんと落とし。

 腕は鍵盤と並行に、

 指は鈎爪のように、

 けれど全身の力は、驚くほどに脱力している。

 最初の一音。

 音楽が始まる。

 どこかに、祖父の気配を感じる。

 ピアノと向き合い、その一鍵一鍵を叩くたび、

 祖父の胸裏を満たしていただろう、幾多ものイメージが去来する。


 音を鳴らす、


 初めて白鍵を叩いた幼い手、

 子供の頃は到底届かないように思えた1オクターヴ、


     音を鳴らす、


 失敗だらけだった初めての演奏会、

 手癖になるまで繰り返したバガニーニの練習曲、

 初めて受賞したあの日の課題曲、

 スポットライトにかざした掌、


                           音を奏で、


 指だこも気にせず練習し続けた青春時代、

 初めて訪れたジャズハウスに染み付いた甘い香り、

 忘れもしない花形だったベヒシュタインのピアノ、


         音を歌い、


 音楽の理論、

 譜面のない演奏会、

 悪態をつかれたニューヨークBlue Noteの洗礼、

 憧れたサクソフォニストとの掛け合いコール・アンド・レスポンス

 

     そして、音楽が動きだす。

  脈動する、

                         指が踊る、

        万雷の喝采、

             躍動する、

                全身が高揚する、

  指が踊る、

        指が踊る、

              踊る、

                   歌う、

                        踊る!

 アレグロ、

        スタッカート、

                       アラルガンド、  

ヴィーヴォ、 

 プレスト、

 プレスッティモ!

 自由自在に踊り回る、

 トリルの連続する譜面を月面のようにジャンプして、

 階段を駆け上がるように足早にアルペジオを刻み鳴らす。


                   La Campanella,


                       Drown in My Own Tears,


       Fly Me To the Moon,




                              Walz For Debby,


Stella By Starlight,



                         Cleopatra's dream,

                   Round midnight,



 Blue Bird,


                 Memory,



                             Caravan,

 Yesterday Once More,






               Over The Rainbow,







 音楽が次から次にあふれてくる。

 感情があふれだして止まらない。

 ああ。

 そうだ。

 これがそうだ。

 これが祖父の音楽だ。

 僕は今、祖父が僕に聞かせてくれた曲をこの手で弾いている。祖父が愛した音楽を奏で、祖父が生みだしてきた曲を奏でている。

 ああ。

 なんてことだ。

 僕は本当に大馬鹿者だった。

 これだけ全身全霊をかけて音楽に向き合っているのに、平静フラットでいられるはずがない! 等価値フラットなんてくそくらえだ。このピアノが祖父にとってどれだけ大切なものだったか、この精神に敬意を示さずして、どうして技を受け継げよう!

 感情がとめどなくあふれてくる。

 指が飛び跳ね、

 腕が踊り、

 体が浮き上がり、

 心がぐちゃぐちゃになるほどかき乱されていく。

 僕は虹を見ている。言語化できない幾音もの記憶の奔流がまるで虹のように僕の心をかきたてる。僕は音楽ミューズに触れている。音楽に触れ、それを形とする祖父の技にただただ涙を流している。

 今ならわかる、僕にもわかる。これはまさしく祖父の人生だった。生涯を音楽悪魔に奉げた求道者が見続けた世界だ。人並みであることを諦めた人間にしか到達しえない極致、祖父が虹の彼方Over The Rainbowと呼んだ場所。

 祖父はこれを僕たちに託してくれた。

 僕たちが祖父より先にいけると信じてくれた。




 けれど、僕の力ではここまでだ。

 僕では祖父を再現できても、祖父よりも上に行くことはできない。

 祖父は虹の先へ越えて行けと言った。

 祖父の虹の先へ超えて行けと言った。

 なら。祖父の技術を引き継ぐべきは、僕ではない。

 僕はそれにふさわしい人を知っている。




 ◇◆◇◆◇




 演奏を終えたその日、僕は数年ぶりに、姉さんに連絡をとった。

 ソーシャルメディアを辿ればいつでも連絡を取り合えると思っていたけれど、そう思っていたからこそ連絡を取ることができなかったんだと思う。後ろめたい感情がわだかまりとなって、こういう機会でもなければ、最後まで連絡をとることもなかったかもしれない。

 祖父の葬儀が終わって、ちょうど一か月後。姉さんは僕のもとにやってきた。実家ではなく、僕の職場の方に。

 姉さんに出会って、僕は安堵した。数年の月日が流れてもなお、姉さんは僕の知る姉さんのままだった。僕のもとに訊ねてきた姉さんは、夢に挫折して絶望した彼女ではなく、どこまでも音楽に対して真摯であり続け、あの日見た音楽から逃げることなく、ひたむきに挑み続けた彼女だった。

 だからこそ、僕は確信できた。

 今の姉さんなら、祖父の音楽を引き継ぐことができる。

 僕はプロジェクトリーダーにかけあって、被験者として姉さんを推薦した。数年前、日本の音楽界から消えた若き秀英によるリサイタルコンサート。そのピアノは、惜しくもこの世を去った祖父の生き写しだ。そのコンサートがうまくいけば、PMIそのものの宣伝としても高い価値を持つ。

 一部には反対意見もあった。PMIが個人の文化的土壌や感情や記憶を除去できず、あらゆる価値観に対して等価値フラットなものとして提供できないのであれば、そもそも世に出すべきではないという議論だ。

 例えば多数派言語である英語話者のPMIは多くの日本人に受け入れられるだろう。けれどその結果として、日本文化に対する愛着は希薄化していくかもしれない。あるいは反対に、国粋主義的に伝統芸能を信奉する者は、それを受け継ぐ人間の愛国主義や排斥主義に感化されてしまうかもしれない。ならばその先にあるのは、ごく一部の個々人の感性が複製され模倣され、他文化への不寛容が極大化するディストピアだ。

 僕は違うと考える。

 それは違うと、考える。

 僕はあの時計技師が作品にかけた思いを知っている、祖父がピアノに托した思いを知っている。

 祖父はピアノにその全生涯を捧げた。喜びを、法悦を、情愛を、信念を、妄執を、激情を、挫折を、屈折を、絶望を、希望を、愛情を、友情を、感情を、感謝を。

 ならばその記憶は技術と強く結びついていて然るべきだ。それを解きほぐすことは、本来記憶を持つ個人の尊厳を損なうことに他ならない。

 だから、僕が言うべきことは一つだけだ。僕たちに必要なことはただひとつ。先人に敬意を払うことだと。

僕は反対派を根気よく説得していき、やがてANMTEC僕たちの名前を出さないことを条件に、ようやく姉さんの――姉さんとお爺さんのコンサートの実現させることに成功した。


 僕は今、コンサートホールの最前列に座っている。そこは500人程度しか入れない小さなホールだったけれど、長らく消息を絶っていたアカネ・ムジカの復活公演の噂は風よりも早く広まって、会場には収まりきらないほどの人が押し寄せた。

 皆が、姉さんの登場を待っている。

 けれど僕は知っている。今の姉さんは、皆が知っている姉さんじゃない。

 柔らかな髪。

 華奢な体躯。

 細く、長く、しなやかな指。

 何かに触れれば、触れた指がはらはらと崩れてしまいそうなほど繊細な、白い指。

 僕の姉さんは、ほぼ全ての女性が羨むであろう、可憐な少女として生まれ育った。そのために姉さんのピアノは常に何かが足りなかったし、その容姿とその血筋ゆえに、才能を直視してもらえなかったことも事実だった。

 でも、今は違う。姉さんは幼少期に望み、そして叶わなかった全てのものを手に入れてこの舞台に帰ってきた。今の姉さんをみて、軽んじ、侮る者など一人もいない。

 舞台袖から姉さんが現れる。赤いドレスを靡かせて、壇上にあがる姉さんの姿を目にして、一斉に会場がどよめき立つ。

 皆が目を見開いている。

 その異形に目を見開いている。

 ああ。最初はやはり驚くかもしれない。

 僕も最初は同じような反応だった。

 どよめき目を見開く観客席で、僕は一人目を閉じて、半年前のあの日に思いを馳せる。

 姉さんと再会したあの日のことを。




◇◆◇◆◇




「すごいでしょう。これが、今の私の手よ」


 そういって姉さんが見せてくれた腕は、まるで巨人の腕のようだった。

 それは僕の記憶よりもずっと太く、長く、大きかった。フルートのように繊細だった二の腕はコントラファゴットのように厚く、その長さは88鍵の鍵盤の端から端までゆうに届いた。元々の背が低いためか、常人であればせいぜい腿に届く程度の両腕、だらりと伸ばせばふくらはぎにまで達していた。肩や腰回りは、肥大化した腕を支えられるほど強靭な筋肉で支えられ、華奢という言葉からはあまりにも遠く、肩口で切り揃えた、柔らかな栗毛色ブルネットの髪だけが、幼き日の彼女の面影を残していた。


 「中国にいってきたの。あそこは生体模倣技術バイオミメティクス生体改造技術サイバネティクスの最先端だから」


 姉さんは、音大を卒業してからの数年間を僕に語ってくれた。

 コンプレックスであった身体を変えるために中国へ渡ったこと、

 そこで義手や義足を生まれ持った身体のように、いやそれ以上に自在に扱いながら生活する人々に出会ったこと、

 若き日の祖父のようにジャズバーを転々としながら自分の夢を語り、多くの人と出会い、信頼と賛同を得ながら資金を貯めていったこと、

 腕を切り落とす前の日、わけもわからないほど悲しくなって泣いたこと、けれど泣いた後、びっくりするぐらい肝が据わったこと、

 新しい腕はなかなか馴染まなくて、やっぱり何度も泣いたこと、

 そして今年、ようやくその調整を終えることができたこと。


「今の義手はね、意識で動かすよりずっと早く動かせるの」


 姉さんは、祖父のように長く大きなその指で、皮膚を一枚めくってみせた。そこにあったのは肉の花弁ではない、アクチュエータとシリンダが複雑に駆動し連動し望む動作を伝える鋼鉄の機構だ。指先には人工筋肉繊維が用いられていて、神経系統と血流を通して交換される生体電流によって、生体のそれとほぼ変わらない動作を行える。姉さんは試しにその場でピアノを演奏してみせた。羽の舞い落ちるかのようなpppピアニッシシモ、八十八鍵を縦横無尽に走るアルペジオを経てfffフォルテッシシモ。その音色は澱み一つなく、演奏はかつてのそれよりもなお完璧だった。


「疑似神経伝達回路を、運動領野を中核とする運動系ネットワークに接続して、私の意のままに動かせるだけじゃなく、本来の肉体と同じ、無意識と反射で動かすことだってできる。ピアニストである私にとって何よりも重要な、無意識の運指を100%再現できるように、何十回も何百回も、何千回も調整を重ねたわ。

 これが私。この手が、この体が、今の私。

 今の私は、本来の私よりずっと、自由なのよ」


 姉さんは自分の腕を誇らしげにかかげ、笑ってみせた。僕は随分久しぶりに、姉さんの笑顔をみた気がした。姉さんは鍵盤に指を躍らせる。祖父が愛したあの歌を、昔と変わらない美しい声で歌い上げる。

 

 数年ぶりに会った姉さんは、すっかり変わってしまったその手を恥じることなく、堂々と僕にかざしてくれた。

 新たに手に入れたその翼を、誇らしげに語ってくれた。

 だから。それが答えだった。

 その腕が、その身体が、姉さんの誇りそのものだった。




 ◇◆◇◆◇




 姉さんは颯爽と舞台に現れ、その長い腕で優雅に礼をしてみせた。薔薇を模した可憐なフリルが壊滅的に似合わない。次からはフリルのないシンプルな赤いドレスにした方がいいだろう。その方がずっと格好いい。

 会場のどよめきは収まる気配がない。その異様な姿形を嫌悪したのか、会場から出ようと席を立つ人間すらいた。

 姉さんの形は確かに異形だったし、人によっては、それを人間の尊厳に対する冒涜だと考えるだろう。

 けれど、姉さんが冒涜したとすれば、それは生まれついての人間性というものに対してだけだ。人の可能性に枷するそれを、姉さんは下らないといって投げ捨てた。

 姉さんは音楽に真摯であり続けた。

 かつて自らが出会った音楽ミューズに至るために、あらゆる手を尽くしてここまできた。

 それが間違いなんかであるはずがない。

 虚飾も傲慢も怠惰も、そのピアノには何一つ存在しないのだから。

 さあ、やってしまえ、姉さん。

 僕は一人目を閉じる。天上の音が、会場を静まり返らせる瞬間を黙して待つ。

 暗闇の中に、祖父の姿をみた。

 目を瞑り、闇に背を預けるようにしてたゆたう祖父の姿を。

 祖父も、その演奏を心待ちにしているのだろう。

 ピアノは祖父にとっての全てだった。

 ピアノを通してのみ、僕たちと祖父はわかりあえた。

 見守っていてくれ、と僕は願う。姉さんの中にも、僕と同じ祖父の姿が見えていてくれ、と僕は願う。




 虹の彼方の何処かに

 青い鳥は飛び行きて

 鳥が虹を越えるなら

 私にもいつか叶うでしょう




 どこからか歌が聞こえてくる。祖父が奏で、父が歌い、姉さんが口ずさんだあの歌が。

 僕たちは知っている。例えどれだけ姉さんの姿が異様であったとしても、その演奏は、その信念は、間違いなく本物ヴィルトゥオーサであることを。

 姉さんなら、あの日みた虹を越えられるということを。

 だから僕は待つ。僕たちは待つ。その指が驟雨の如く黒白を叩き、柔らかな陽光の如く鍵盤を撫で、虹の如くその音色が、僕らの頭上にきらめくのを。




 やがて音色が響く。

 万色の音色が響く。

 僕たちの頭上に、大きく美しいアーチがかかり。


 僕たちは、万雷の喝采を送る。






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虹の彼方の何処かに 雪星/イル @Yrrsys

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