お嬢様の必殺シュークリーム

外宮あくと

お嬢様の必殺シュークリーム

「さあ、座ってセス」


 にっこり微笑むマリーお嬢様は、菓子とティーセットが並び、花に飾られたテーブルに俺を誘った。

 真新しいクロスも、お嬢様の趣味で揃えられた花柄の茶器も、先日お供した買い物で購入した品だ。かなり値が張ったもので、それを早速こんな私的なお茶会で使用して良いのかと眉をしかめた。招待を受けているのは、使用人である俺のみなのだから。

 甘い紅茶の香りが、鼻をくすぐる。お嬢様は楽しそうに、俺の腕に両手を絡めて、早く座るように勧めてくる。柔らかいぬくもりが、スーツの上から伝わってくるのが、心地よいのか辛いのか。俺の眉は更に歪む。

 目の前のテーブルとマリーお嬢様。俺にはそれが危険な甘い罠にしか思えない。動揺を隠し無表情を装いつつ、答えるのだった。


「……私のようなものが、お嬢様と一緒にお茶を頂くわけには……」

「どうして? この頃ちっとも遊んでくれないし、冷たいのね!」


 お嬢様はムムっと口を尖らせ、ギロリと俺を見上げる。

 はっきり言って、この頃口をきいてくれなかったのはお嬢様のほうなのだが、そんな事は忘れたようで、いじわるいじわると繰り返して俺を困らせるのだ。

 怒る顔も可愛くて思わず鼻の下が伸びそうになるが、執事である俺としては仕事をほっぽり出して、お嬢様とティータイムを楽しむわけにはいかないのだ。

 やんわりお断りしたつもりだったのだが、やはり少々声に険が篭ってしまったらしい。


 しかし、それは仕方がないと言うものだ。つい半月前の悪夢を俺は忘れることなんてできないのだ。

 そう、あの時も、お嬢様は俺をお茶に誘ったのだ。お友達の為にケーキを焼いたから、試食して欲しいのだと言って。

 今まで料理など一度もしたことないマリーお嬢様が、なんとお一人で作られたというのだ。一体どういう風の吹き回しかと驚いた。

 誰にやるつもりだったのか知らないが、綺麗な包装紙やリボンやメッセージカードなんかも用意していて、かなり浮かれた様子だった。包装紙の色や柄などから、男性に贈るものと思われる。

 お嬢様の初手料理を、どこぞの馬の骨に食われてしまうのかと思うと無性に悔しくてならなかった。そして、贈られる男よりも先にお嬢様のケーキを食べてやる、という意味のない対抗意識が湧いてきた。

 俺は多分恐らくケーキっぽい見かけの、もしかしたらケーキかもしれないものを、一気に口に押し込んだ。

 即、後悔した。食うんじゃなかった。くっそ不味かったのだ。


――申し訳ありません、お嬢様。食物兵器かと思いました。俺を暗殺なさるおつもりなのかと。


 苦い上に酸っぱくてエグミのある複雑怪奇な味、更に後から振りかけたと思しき香料の匂いがきつく、めちゃめちゃ硬かった。何をどうすればこんなものが出来上がるのか。

 見た瞬間から嫌な予感はしていたが、これ程とは思わなかった。

 あまりの不味さに思わずその場で吐き出してしまい、「酷い!」と泣き叫ぶお嬢様に、思い切りひっぱたかれた。

 最悪だ。

 そして、お嬢様はしばらく目も合わさず、一言も口をきいてくれなくなってしまったのだ。

 最悪の最悪だ。

 試食なんかせずに、適当に煽ててさっさとプレゼントさせておけば良かった。そうすれば、絶対お嬢様は相手に振られておしまいになっただろう。そして、うちしひがれたお嬢様を、俺は優しく慰めて差し上げることができただろうに。



 ああと、ため息をついた。

 今テーブルに乗っているクッキーだって、誰かにプレゼントするつもりなのだ。皿に並べたものの他に、可愛らしくリボンで飾った瓶に詰めたものも用意しているのだから。レースのカーテンの陰に隠しているつもりかもしれないが丸見えだし、直射日光は当てない方がいいと思う。知ったことではないが。

 すねていたお嬢様は、不意に表情を和らげ、もじもじしながらおねだりしてきた。その顔が何とも可愛い。


「ねえ、セス……食べてみて。今度は上手にできたと思うの」

「…………お味見はなさったのですか?」

「いいえ、全然」

――なぜ、俺を毒味役にするぅ! ちくしょー、どうせその程度の存在ってことだろ。分かってるさ!


 ヤケクソになって、俺はクッキーを口に放り込んだ。もうどうでもいい。どうせ、お嬢様が俺に振り向くことなんてないのだし。


「ど、どうかしら? お、美味しい?」

「…………うう!!」

「セス?!」


 俺は感動していた。お嬢様の成長に感動していた。食べられるものに仕上がっているではないかと。

 小麦の味がするのだ。色々と足りない感じがするが、色々多すぎて兵器と化すよりよっぽどいい。これは泣ける。


「美味しいです……お嬢様」

「よ、良かったぁ」


 満面の笑みを浮かべ、頬を染めるマリーお嬢様があんまり愛らしくて、俺は嫉妬で狂いそうになる。一体誰にそのクッキーを贈るつもりなのかと。

 きっと、そいつはこのクッキーを不味いと言うだろう。世間一般的には、その評価は間違っていない。

 しかし、俺には至高の天の味だ。

 なんといっても、マリーお嬢様が焼いたクッキーなのだから。しかも食べられるものになったのだ。なんの文句があろうものか。お嬢様に差し出されたなら、喜んで全て平らげよう。なんなら、あの食物兵器も、もう一口だけなら食べられると思う。

 だが、世の男はきっとお嬢様の手料理なんぞ食えたものかと、ボロクソに言うに違いない。ああ、なんて可哀想なお嬢様。そんなクソな男どもには、さっさと振られて早く戻ってきてもらいたいものだ。

 俺なら、お嬢様が作ってくれるものなら、なんだって食べてみせる!

 お嬢様への思いは誰にも負けはしないのだ。決して口に出すことはできないのだが。


 お嬢様は、俺が無表情の下で内心のたうち回って居ることなど知らず、可愛らしいもじもじを倍増させて言うのだった。


「あ、あのね、セス……もう一つ味見して欲しいものがあるの……」

「………………は?」


 何か幻聴がしたような気がする。


「え、えっと、あの、シュークリームも作ったの」

「………………」


 これはヤバイかもしれない。クッキーよりも数段に。

 しかし、お嬢様への愛を心の中で高らかに宣言した俺は、もう勇者にでもなった気分だ。お嬢様の作ったシュークリームだ。それがどんなものであったとしても、俺なら必ずや飲み下す事ができるはずだ。

 本来俺のものではないそのシュークリームも、己の為に作られたのだと思いこめば、至福を感じることさえできるだろう!






 厨房に到着すると、むわんと甘い香りが立ち込めていた。

 部屋の内部には激闘の跡が随所に見られ、粉やら卵やらが飛び散っていたが、作業台には美しく焼きあがったシュー皮が既にスタンバイしていて、鍋にはツヤツヤのカスタードクリーム入っていた。

 かなり期待できそうな雰囲気に、思わず俺の目が見開く。

 ああ、マリーお嬢様はやっぱりやればできる子なのだ。


「あのね、シュー皮は料理長に焼いてもらったの。何度焼いても失敗しちゃって……」


 ゴミ箱に目をやると、黒焦げの残骸が山を作っていた。

 なるほどそういうことか。まあ、これで皮の味は保証された。


「でも、カスタードクリームは一人でつくったのよ!」


 不安が激増する。なぜ料理長、側についていてやらなかった。

 いやいや、お嬢様がお一人で頑張られたのだ。それでいいじゃないか。やればできる子、それがお嬢様なのだから。

 期待と不安に目を潤ませて、お嬢様が俺を見ている。手にはもうスプーンを握っていた。

 お嬢様は、クリームを一すくいすると、あーんと言って俺の口に持ってきてくれる。間近に迫る、お嬢様の白い指。

 この夢にまで見た甘いシチュエーションに、舞い上がった俺は待ったをかけることもできずに、アホ面であんぐりと口を開けてしまった。

 差し込まれるスプーン。口の中に広がるクリーム。


――甘っ! くっそ、あんまぁーー!


 毒殺レベルの甘さだった。

 しかし、甘さが尋常じゃないだけで、滑らかで舌触りもいいし、かなり上出来だと思われる。多分。

 ふと厨房の隅をみると、焦げた鍋がいくつも積み上がっていた。失敗しても何度も何度も作り直したのだろう。

 俺の目にじんわり涙が滲んできた。


「とても美味しゅうございます。お嬢様、一生懸命に作られたのですね。良くわかります」


 うんうんと頷くと、お嬢様の顔が真っ赤にそまりうつむいてしまわれた。


――ああ、くそっ。羨ましい! 羨ましいぞ、シュークリームの男め!


 お嬢様から、思いのこもったシュークリームをプレゼントされるであろうクソ男に殺意すら湧いた。

 この懸命に頑張ったいじらしいお嬢様の思いを、ソイツが踏みにじるのかと思うと、殺しても飽き足らない。しかし、まさかのまさかで受け取りでもしたら、親類縁者末代まで呪い殺してもまだ足りない。


――ああ、神様、あんまりです。俺のお嬢様が、クソ男にシュークリームを作るなんて……。どうか、お嬢様をいかず後家にして下さい。


 自分勝手な願いを胸に、天井を見上げていると、お嬢様はそそくさと絞り袋にクリームを入れ始めた。そして緊張した顔で、シュー皮を掴む。どうやら、今からクリームを注入するつもりのようだ。

 お嬢様の手がぷるぷる震えている。とんでもなく不器用な方なので、恐らく1個目は、クリームを入れすぎて破裂させるのではないかと思う。

 そっと少しづつ入れた方が良いですよと、言おうしたときには、ブスリと絞り袋の先端が皮に突き刺さり、むぎゅうぅっと勢い良くクリームが押し出されていた。


「…………あ、あ、セ、セス。ど、どうしましょう」


 出来栄えは、予想した通りだった。お嬢様はオロオロと助けを求めて、俺の一番好きな角度で見上げてくるから、堪らなく愛おしくなってしまう。なんて罪作りな人なのか。クリームでベトベトになったお嬢様の手から、シュークリームのなれの果てを受け取る。


「味が変わるわけではありませんから」


 俺はがぶりとシュークリームに食いついた。

 やはり、くっそ甘かった。エスプレッソを煮詰めて飲みたい。


「嬉しい……セスが喜んでくれて」


 耳まで赤くして、お嬢様が呟いた。


――……ん?


 何やら妙なことを仰っている気がする。

 もじもじと指を絡ませるから、お嬢様の手は更にベトベトになっている。


「セスにあげたくて……。大失敗だったけど、この前のケーキもセスのお誕生日のお祝いのつもりだったの……」

「……………………」

――なんだってぇ?! クソ男は俺だったってことかぁ?! まさかの両思い? いやいや、まさかだ。ただの誕生日祝いだ……ただの。


「大好きなセスに喜んでもらいたくて……クッキーもセスの年の分焼いたのよ。シュークリームは気にいってくれた?」


 お嬢様の目が潤みきっていて、なんとも艶めかしい。唇の端のクリームをチロリと舐めて、えへへと笑った。


――今、大好きって言った。確かに言った! スーパーナチュラルにさらりと告白された?!


 頭の中で、何かがスパークした。

 脳細胞がイカれたような気がする。


「……は、はは、はいぃぃ!!」

「きゃっ」


 可愛らしい悲鳴を上げて、両手で頬を包むものだから、顔までクリームだらけになるマリーお嬢様。

 鼻のてっぺんにクリームをつけて、恥ずかしそうにはにかむマリーお嬢様。


「食べて、ね」


 今にも、俺の心臓は爆発しそうだ。

 シュークリームじゃなくて、もうお嬢様を食べてしまいたい。


「いただきます!」


 思わずお嬢様に手を伸ばしかけたが、辛うじて残っていた理性が引き止める。代わりに、手の中の食べかけを、再びがぶりといった。


――くぅーー、甘い! 甘いぞ! このくっそ甘いの、最高だぁぁ! ああ、お嬢様の鼻についたクリームも舐めちまおうか。そう、横を向いたスキに……。

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