第7話

 桃の木が蕾をつけ、少し色付いている。宿屋「縁」にも、春が訪れた。

 宿屋の裏にある池では蝶が舞い踊り、幻想的な空間を作り出している。猫達が蝶を追い駆け回り、その風景に和みを生み出した。また別の猫は暖かな陽の光を浴びており、艶やかな毛並みがより映えている。今日も宿屋は平和である。

 そんな麗らかな日、女将さんは倉庫の整理を行っていた。

 木箱や帳簿の埃を払っていく。舞い上がった埃が、気管に入った。思わず咳払いをした女将の目に、これまた埃を被ったアルバムが飛び込んできた。


 そのアルバムを広げると、薄茶けた白黒写真が、所狭しと貼り付けてある。中には先代当主の写真もあった。

 初代、曽祖父。二代目、母。

 既に両者は亡くなっている為、懐かしさと共に寂しさを感じる。また、曽祖父の事をよく話してくれた祖父の事も思い出した。早くに父親を亡くした女将さんにとって、祖父は父親代わりだったのだ。そのため、とても慕っていた。

 祖父も、店の手伝いを率先して行う女将さんを気に入っており、次代当主になれるように、大事に育てていた。その延長線上で、昔話をよく聞かせてくれたのだ。この宿屋の成り立ちなどを。


 江戸時代初期、曽祖父はこの土地で小さな料理店を経営していた。主に魚料理を扱うお店だ。然し客足は伸びず、それは曽祖父にとって、大きな悩みの種であった。

 やはり客の少ないある日、旅人が町を通りがかった。宿屋を探しているようだ。店を閉めようとしたところを通りがかり、曽祖父はどうにも気になった。声をかけるとにこやかに応じた旅人に、好感を持った。立ち話をしているうちに気に入り、母屋に招き入れることにした。

 旅人は、一番奥の客間に泊まることになった。

「ありがとうございます。お陰で雨風が凌げます」

 翌朝。陽の光を浴びようと、窓を開けた旅人は、そこから見える風景に、目を奪われた。

「なんと美しい光景だろうと思いました。何度でも見たいほどです」

 旅人の言葉に曽祖父は機嫌を良くして、朝食に、少し贅沢な魚料理を振る舞った、という小話まである。

 旅人が去った後、開店したが客は少なく、静かなものだった。そこで、寂しさを感じる曽祖父は次のように考えたという。

「母屋を解放すれば、客足も伸びないだろうか。当たり前になっていたが、確かに綺麗な風景だ。出し惜しみは損だろう」

 そして、母屋を解放すると徐々に噂は街に広がりだした。町から少し離れているが、足を伸ばす客も増えてきて、思惑通り、繁盛するようになったのだ。

 ある客が、「夜の池は、月が写って綺麗だろうなぁ。今度、見せてくれやしないかね」と言う。

 同意見を述べる客も大勢いた。要望に答えるべく徐々に営業時間を延ばし、気づいたら宿屋になっていたという。何とも不思議な話である。


 女将さんは、亡き母がよく「まずは行動するのよ」と言っていたことも思い出す。それは、曽祖父の行動力から学んだ言葉なのだろう。

 初心に帰ったような気分になり、女将さんは着物の帯をしっかりと結び直した。

 倉庫を立ち去った女将さんは、今日も宿屋の経営に奔走するのだろう。

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陽の当たる宿屋 帳 華乃 @hana-memo

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