長い地下鉄のエスカレータ上で思い出すような、「今」と地続きのSF。

 SFについて「リアルさ」を問う時、通常最初に考えるのは科学的考証でしょうか。ですがこの作品の「リアル」は似ているようで少し違う。もし「今、この時代、ここに」地下都市と月面基地があったなら。それを想像させるような空気が魅力の作品です。
 その「リアル」を構築しているのは、とても細やかで、失礼な言い方をすれば「地味」な描写の積み重ねです。主人公の「母親」としての小さな悩みや、小さく擦れあう完璧でない人間関係、益体も無い噂や風評。私たちの「日常」に聞こえてくる細かなノイズが丁寧に拾われています。

 そして、現実には存在しない「月面基地」や「地下都市」という巨大な構造体。これは大きな「フィクション」になりますが、「もし、今ソレが存在する」ならば、どんな景色なのか。誰がどう暮らしているのかが丁寧に語られており、それこそ物語の「核」となっています。
 組織は? 仕組みは? 維持管理は? 暮らし方は? 価値観は?
 決して「夢」としてでなく、ただの舞台背景の書き割りでなく、物語の世界に「実在」しています。実在すれば、不具合も起こるし、維持管理にはコストがかかるし、それらを巡って人の意見は割れるし組織の力関係は出来上がる。
 たとえば、地下鉄のエスカレータの上で、たとえば道路パトロール中の黄色い回転灯の車とすれ違った時に、このお話を思い出すんじゃないか。そんな空気感を持っています。

 そして終盤。題名の意味を知って震えます。
 是非、その場所まで。

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