第7話 世界を呪うもの

「わたくし、探偵さんのお仕事場へ来るのなんて初めてですわ」


 警戒すらせず事務所の中に入ってきた青姑せいこは、物珍しげに辺りを見回す。

 一縷いちるを蜘蛛の眷属と見抜いておきながら、その巣とも言える事務所に足を踏み入れるとはよほど自信があるのか、年頃の少女そのものの楽しげな表情からは読み取りにくい。


「やっぱり探偵さんは本も沢山読まれますのね。白姑はくこはとても酷い事を言ってましたけれども、わたくし達を退けるだけあって腕っ節だけではないのでしょうね」


 青姑の視線は洋卓テーブルに積まれた本の山に注がれている。一縷は山と積まれた本を脇にどけながら、口角を上げた。


「人間と同じさ。学ばなければ進歩しないのは妖怪も一緒だ。君のような学生なら分かるだろう?」

「そうですわね。勉強はとてもとても大事な事。先達せんだつの残してくれた知識や経験を身に付け、今後に生かしていくのがわたくし達の務めだと思います」


 じぃ、と一縷を見つめる瞳には八芒星の赤い輝きが瞬いている。まだあどけなさを残した少女の面差おもざしに、不釣り合いな異形の証。

 返ってきた答えは、学生としては実に模範的とも言える。

 ただしそれが普通の学生なら、だ。

 瞳に赤い輝きを宿した少女が口にするのは、一縷から見ても違和感がある。


「そんな所で立っていないで座りたまえ。ここへ来たのはただ挨拶というだけではないのだろう?」

「確かにご挨拶だけではありませんわ。ではお言葉に甘えさせて戴きます」


 勧められるままに長椅子ソファに腰を下ろした青姑は、鞄から封筒を取り出して洋卓の上に差しだした。

 よくある茶封筒ではなく、和紙を使った高級なものだ。


「五百円、ございます。少額ではございますが迷惑をおかけしましたお詫びと、これからお話し致します依頼の対価としてお納め戴ければと思います」


 五百円と言えば大卒者の年収にも相当する大金だ。

 それを休日に、しかも一晩で用意出来るとなると、かなりの資産を自由に出来る立場なのが分かる。

 昨夜の白姑のように最新の軍用兵器を使えるのも、数百円をぽんと出せるだけの資産があれば納得がいく。

 しかし一縷は封筒に手を伸ばす事もせず、ちらと一瞥いちべつしただけで視線を青姑へと戻した。


「迷惑料なら受け取れるが、依頼料では受け取れないな。僕は依頼をひどくえり好みする探偵でね。気に入らなければ、誰がどんな窮地に陥っていようと依頼を受ける事はない」


 金で片が付くような安い相手と思われているのなら、それは間違いであると身をもって教えてやらねばならない。

 僅かばかりの怒気をはらんだ口調に、青姑は小さくかぶりを振った。


「あなた様のようなお方にとっては、わたくし達の目指すところを聞けばお考えを改めて戴けるかと思います」


 背筋を真っ直ぐに伸ばして長椅子ソファに座る青姑の姿は、どこか武雄を思い出す。背丈や見かけの歳も近いが、何よりも雰囲気に近い物があった。

 一縷は片手を細い顎に当てて、少し思案してから指先で続きをうながす。


「あなた様は本当に、人の世が今のまま進んで行っても良いとお考えですか? 先の大戦では全世界で一千万を超える人死にが出たとのこと……もしまた大きな戦争があれば、今度はどこまで被害が出るか分かりません。勿論、この秋津島あきつしまが戦場になる事もあるでしょう」


 青姑は少しばかり目を伏せ、形の良い唇から憂いを帯びた言葉をつづる。

 額面通りに捉えれば、先の大戦における犠牲者をいたみ、若いながらも世界の行く末に不安を感じているのだろう。

 先の大戦では日本――青姑は秋津島と呼んだ国――は連合国側として戦い、幾つもの遺恨と引き換えに列強諸国に比肩する国へなろうとしている。

 戦勝国となったからと、単純に浮かれる訳にはいかないのが今の日本だ。


「わたくし達を初めとする、さるお方・・・・に仕える者は、次の大戦を起こさないため、何万何十万もの人間が愚かしく命を散らさぬ為に、この秋津島を起点として――世界そのものを呪う事を決意致しました」


 青姑は物静かに、淡々とした口調で言った。そこに狂おしいような熱意は見えず、ただの事実として語っている。

 大言壮語と一笑に付すのは簡単だ。

 その為の手段が、たかが辻斬り――相手が妖怪であってもだ――というのが、どのような意図があるにせよ迂遠うえんな方法にしか思えない。

 しかしそこに気がつかぬ相手ではあるまい。

 少なくとも目の前の少女は、計画の矛盾や稚拙なズレがあろうものならいち早く気づくであろう知性を感じさせる。


「中々に大きな話だが、君らが仕えている相手はそれほどの力を持っているというのかい? 例えどんな妖怪……いや、今の世では何某なにがしか神の一柱ひとはしらであってもそこまでの力はないだろう。洋の東西南北を問わず、僕らのような存在は力を失いすぎた。それが世の流れであって、呪詛もかつてのような力は持つまいよ」


 口から出た言葉に、僅かながら懐旧が混じるのが一縷自身にも分かった。

 一縷という絡新婦じょろうぐもがこの世に出でて数百年経ったが、妖怪としての最盛期は江戸城が築かれた辺りだと感じる。

 文明開化と共に、日本を初めとした世界の進歩を感じるにつれて少しずつ、ほんの少しずつだが自分の力が衰えていくのが分かった。


 それは人間の老いとは似て非なるものだ。

 人以外のもの・・、人が神秘という枠に押し込めていたもの、それら全てが人の英知に照らされて衰えていく。

 それが世の流れならば、武雄のようなこれからを生きる者の未来が明るいものとなるのならば、少なくとも一縷は衰退をも享受する腹づもりだ。


「その点でしたら、ご心配には及びません。世界に溢れた何万何十万もの死が、世界を巻き込み未だくすぶり続ける争いの火種が、事を成すにあたって味方となってくれるでしょう。わたくし達の手のものには、それらを利する術を持つものもいますわ」

「ふん……この世の理でも歪めようというのかね」

「呪って歪めて、砕いてもくれましょう。もう二度と、あのような大きな戦争を引き起こさない為ならば」


 ここまで聞いて、一縷は青姑の言葉に少し引っかかるものを感じた。

 無情の傀儡と自称する少女達は十四から十六、七という年頃に見える。そして持てる技術や能力はさておき、彼女たちの言動は外見相応だ。

 数年前に終わった大戦を、まるで見てきたかのように言うのには違和感がある。


 それが少女達の背後にいる何某なにがしかの意図や入れ知恵によるものか、それとも少女達が異常な力を持つに至った事に関係しているのか、今の段階では判断がつかない。


「あなた様も、この帝都に仲の良い方もおられるかと思います。わたくし達の側について戴けるのであれば、その方々も特別にさるお方・・・・の恩情をたまわり、世界が呪われようとも変わりない生活が送れることを、わたくしの名において確約出来ますわ」


 青姑は努めて柔らかく、一縷にとっての利点を説明したのかも知れない。しかしそれは、武雄を初めとした知人を人質に取ると宣言したに等しい。

 一縷は整った顔に、咲いた花のような笑顔を浮かべて口を開いた。


「殺すぞ」


 表情と裏腹な短く冷たい一言と共に、隠す事のない殺意を青姑に叩き付ける。

 そして殺意にあぶり出されるように、長椅子ソファ洋卓テーブルに寄せ木風の床に、たった今まで触れることすら出来なかった蜘蛛の糸が現れる。

 糸は青姑の体に触れてこそいないものの、身じろぎ一つすれば即座に小柄な体を捉えてしまえるだろう。


「わたくしが無事に戻らない場合、わたくし達の動かせる全ての虚舟うつろぶねがこの周囲に殺到し、一帯を焼け野原にする手筈となってますわ。勿論、それだけに留まるつもりはございません。わたくし、ご挨拶だけに伺ったつもりではありませんが、殺されるために伺ったつもりでもありませんの」


 命を握られるに等しい状況であっても、青姑の口調は穏やかで動揺の影も見えない。

 殺気を放ったまま笑顔で青姑を見つめる一縷と、周囲を蜘蛛の糸に取り囲まれたままで、じっと一縷を見つめる青姑。

 柱時計の振り子が揺れる規則的な音だけが、探偵事務所の中に響く。

 そのままややあってから、一縷は笑顔を消して長椅子ソファの背もたれに体を預けた。それと同時に青姑の周囲に張り巡らされた糸は、全て見えなくなる。


「君の立場は分かった。そしてやはり、僕から答えられるのは、君らとは相容あいいれる事は出来ない。金をちらつかされようと脅されようと、君らの考えや目指すところは、到底僕には許せるものじゃあない」


 そして細い指で小さく空中に円を描くと、洋卓テーブルの上に置かれたままの封筒が宙を舞い、長椅子ソファに座る青姑の膝の上に乗った。


「それを持って帰りたまえ。今日だけは見逃そう」

「迷惑料として受け取って戴ければと思ったのですが――」

「術の気配こそないが、仕掛けを入れるのならもう少し上手くやりたまえ。その封筒、見かけより僅かだが重いし、その重さに偏りがある」


 一縷とて手で受け取っていたのであれば、重さの違いに気づく事はなかった。しかし自分の巣である事務所の中でなら、僅かな違いも糸によって増幅されて感じ取る事が出来る。

 青姑は仕掛けを見抜いた一縷に小さく笑みを向けながら、言い訳もせずに封筒を鞄へとしまった。


「流石は蜘蛛の眷属。巣の中こそが本領という訳ですね」

「言っておくが僕の巣はここだけではないし、ここら一帯を焼け野原にすると脅そうとも僕一人で防げる自信はある。今日、君を帰すのはただの気まぐれと思ってくれ――例えこれからをにな若人わこうどであっても、敵対するのであれば、殺すのに躊躇はしない。狐面を被った友人達にもそう伝えておくことだ」


 一縷が言い終えるのと、事務所の扉が蝶番ちょうつがいの小さな軋みをあげて開くのは同時であった。

 退去を促された青姑は立ち上がると、深々と頭を下げる。


「またお伺い致しますわ。次にお会いする時は、色好いろよいお返事を戴ければ幸いです」

「次からは僕も容赦なく先手を打たせてもらうよ。君らが如何に危険かは昨日今日でよく分かった」

「……昨日今日でお目にかけたものなぞ、わたくし達の手からすれば爪の先ほどのものですわ。それでは失礼致しますわ」


 青姑が場を辞して一人だけとなった事務所の中、一縷はほんの数分思案してから立ち上がる。

 向こうの口ぶりからすれば、相手は十や二十では効かなかろう。

 負ける気はしないが打てる手を打っておくに越したことはない。

 壁掛け式電話機に手をやると、受話器を耳に当てて電話局の交換手を呼び出した。


「日曜日に済まないが、一つ繋いで欲しいのだが――」

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