第16話 余命二ヶ月

 百合坂ゆりさか弥太郎やたろう仏頂面ぶっちょうづらを崩さぬまま、これ見よがしにもう一度舌打ちした。


「茶なぞれんからな。それで良ければ話くらいは聞いてやろう」

「くふふ。わたくしとてお茶を飲みに来たわけではありません。お話さえ聞いて戴ければ気にしませんわ」


 弥太郎は視線を外し、青姑せいこに背を向けて屋敷へと戻っていく。その数歩後ろを軽やかに、それでいて足音も足跡もなく青姑はついていった。


 開けっぱなしになっていた玄関に入る弥太郎に続いて、青姑が玄関の敷居をまたいだ途端に、思いも寄らない場所から小さな音が鳴る。

 マッチを擦ったような音は青姑の袖の中と、束髪シニヨンを飾るリボンの結び目から聞こえた。

 三和土たたきに靴底が触れる寸前で足を止めた青姑に、既に家の中に上がっていた弥太郎が振り返りもせずに言う。


「儂ぁ壁に耳あり障子に目ありってのが好かんのでな。どういうものかは分からんが、禁じさせて貰ったぞ」


 弥太郎が自らの屋敷に仕込んだ術は、灰河童はいがっぱの手による機巧からくり仕掛けの金属球にも及んでいた。しかも袖の中の金属球は青姑の術によって隠されており、例え服を探られても青姑以外には取り出す事も出来ない。

 それにも関わらず、弥太郎の術は容易たやすくそれらの機巧を破壊した。

 もし機巧仕掛けの鴉を連れていようものなら、敷居を跨いだ時点でばらばらになっていたやも知れない。


 灰河童の鴉は数日前から屋敷から少し離れた電線の上に待機させ、ずっとこの屋敷を見張っていた。

 鴉はどうした技術を用いているか分からないが、建物の壁越しに人の会話や動きを感知出来る性能を持っている。ただし万能とは言えず通じない場所もあり、それには一縷いちるの事務所があるビルヂングと弥太郎の屋敷も含まれる。

 その妨害が弥太郎の術によるものならば、青姑の持っていた機巧仕掛けが破壊されたのも納得がいく。


「くふふ……わたくしも盗み聞きは好みません。無粋な邪魔を除いてくださり、ありがとうございます」


 屋敷に何らかの術がかかっているのは分かっていた事だ。

 わざと音を立てて三和土を踏みしめ、青姑は弥太郎の――たぐまれな陰陽師の住処すみかへと足を踏み入れた。

 その背に一縷の事務所を訪ねた時にも感じなかった、冷え冷えとしたものを感じたが、青姑はそれを思い過ごしと断じた。




 青姑は屋敷に入ってすぐにある十畳ほどの和室――掛け軸などの調度品からすれば応接間だろう――に招かれた。

 置かれていた座布団は、天然木と思しき一枚板の座卓を挟んで二つのみ。

 座布団の数から一縷と十蔵を招いた部屋とは別なことと、弥太郎は事前に一人の来客がある事を見越していたのだと推測する。


 弥太郎が座るのを待ち、仕草で下座を勧められた青姑は衣擦れの音も殆どさせずに正座をすると、まずは深々と弥太郎に頭を下げた。


此度こたびはこのような機会を与えて戴き、ありがとうございます。わたくし達の目的、それに手段については先ほどの方からお聞き及びと思いますが――」

「あの探偵もどきに仔細しさいなんぞ聞いちゃおらんよ。大凡おおよそ知ってるからな」


 事も無げに言ってのける弥太郎に、青姑は話を遮られたのも気にせずに顔を上げて微笑みかけた。

 癖の強い人物である事は事前の調査で分かっている。


 百合坂弥太郎。

 生まれは黒船来航より更に前。十代半ばながら激動の幕末の裏でうごめく妖物怪物を調伏ちょうぶくしていたとの噂もあり、一時は大陸に渡って様々な動乱の中で腕を磨いたとも言われている。

 その頃からの繋がりで今でも政財界に顔が利き、今では知る人ぞ知る御意見番として卜占ぼくせんだけではなくその知啓ちけいを頼りにする者も多い。

 青姑が無情の傀儡と成る前に、父親から話を聞いた事もあったが、まさか自分が交渉に赴くとは只の少女であった当時には想像も付かない事だ。


 青姑は背筋を伸ばし、緊張などおくびにも出さないようにしながら言葉を続ける。


「わたくしが外法様より仰せつかったのは、この世にこれ以上無用の戦乱を引き起こさぬよう、争いへと向かう世界を呪うが為に、貴方をわたくし達の仲間として迎え入れる事でございます。勿論、貴方の技量にふさわしい報酬や立場をお約束出来ますわ」

「あの探偵擬きが駄目なら次は儂か。見くびられたものよの」

「いいえ。探偵さんはわたくしの一存でお伺いしただけのこと。元より市井の術者では貴方のみお誘いする手筈でございました。ご挨拶が遅れましたのは、その……武雄たけお様がこの案件に関わられた為です」


 武雄の名が出ると弥太郎は眉根に皺を寄せ、深々とため息をついた。

 一目で年齢にそぐわない程の活力を感じさせる老陰陽師が、年相応の憂いを帯びた事に青姑は少しばかり驚き、内心で口が滑ったかと舌打ちをした。

 聞けば弥太郎の血縁は武雄のみ。跡継ぎ息子もその嫁も武雄が幼い頃に亡くしているとなれば、孫への執着は如何ばかりか。

 しかし弥太郎は苦々しい片笑みを浮かべると腕を組んだ。


「武雄の奴ぁ、あの探偵擬きに懐いておるからな。だが武雄の信念がどうあれ、儂は儂の考えってもんがある。お前さんの話を聞いてどうするかに、孫がどうのこうのは関係無い……続けてくれ」


 安堵を見透かされぬよう、青姑は唾を一つ飲むと柔らかく微笑みながら話を続けた。


「具体的な報酬と致しましては、今確約出来ますのは金銭としては五万円。それと外法様やわたくし達が所有する呪物や法具等も、お望みのものがございましたらお渡し出来ます。無論、こちらで使用しない物か使用後のものとなりますが……」


 五万円は破格の報酬ではあるが、それよりも金に換えられない価値を持つのが様々な呪物や法具だ。量産されるような物でもなく、唯一の機能を持つものも少なくない。

 外法様が率いている者達は、歳経た妖物怪物の常としてそれらの物品を幾つも所有している。その中には逸話が伝説にすらなっている物もある。


「儂に出来るのは当たるも八卦当たらぬも八卦の占いだけだ。そこまで金や資産をつぎ込むような物じゃない。それにお前さんらにもその手の術者はいるのだろう。馬込の一件はそう言う動きだ」

「わたくし達にも卜占に長けた者は居りますが、とても貴方様に比肩しうるものではございません……わたくし個人としましては、その性根が信頼出来るものではござませんし」


 青姑は雪琳シュェリンのにやつく顔を思い浮かべた。

 様々な術に長じ、幾つもの金に換えられぬ品々を持っているが、どうしてもあの性格が好きになれない。

 向こうも青姑達に好かれようとは思っていないのは一目で分かる。

 いけ好かないが多少の分別はあるアスミナよりも、青姑としては雪琳を一番に警戒していた。


「貴方様は直にその目で、様々な戦乱を見ておられるはずです。あのような事は、もう繰り返してはなりません。外法様も世界を巻き込んでの戦争の勃発に、大層心を痛めておいでです。次にあのような戦争があれば、今度はこの秋津島あきつしまもただでは済まないと外法様は思っておられます。わたくし達はそれを避けるべく、動いているのです」

「だから世界を呪う、と」


 青姑は弥太郎の相づちに首を縦に振った。

 外法様以外の者はアスミナにしろ雪琳にしろ、それどころか外法様に次ぐ力を持つと言われるマモンですら、それぞれ腹に一物あるだろう。

 しかし外法様の掲げた大義に沿って動いている事に相違は無い。

 弥太郎はふぅ、と息をついて天井を見やる。細められた目は白熱電球の明かりによるものか、それとも何かを憂えているのか青姑には判断しかねた。


「儂の見立てじゃあ、しばらく間を置くがこのままいけばもう一度、今度はもっと大きな戦が起こるだろうな。多分次はこの国も大きな傷を受けるだろう。当たらなければいいが、そうもいくまいよ」


 軽く言うが、稀代の予言者と言われる百合坂弥太郎のげんだ。

 外法様の予想と同じ事を予見しているのなら、的中する可能性は極めて高いだろう。

 そしてその声音から、弥太郎も世界の流れに憂いを感じていると確信した。


「今すぐにご返事をとは申しません。よくお考えの上で色好いろよいお返事を――」

「力は貸せんよ。今でも後でもそれは変わらん」


 落ち着いた声で、きっぱりと拒絶する。

 逆に青姑はと言えば思わず声がうわずってしまう。


「どうして、です?」

「儂とてこの世の行く末に思う所はある。だがそれも含めて、この世に生きる者達が成すべき事を成した末に、世界という物が形作かたちづくられる。思い、憂う所があるのなら真っ当な方法で世界を変えるように動けばいい。世界を呪うなど剣呑けんのんな方法ではなく、な」

「今の世の中でそれが出来るとでも? わたくしのような女では、世に物申す事も不自由だというのに」


 この時代、日本における女性の地位は高くなかった。政治的・社会的権利も制限され、政府だけでなく世間の反発も根強い。

 平塚らいてうや市川房枝と言った女性運動家が、女性の政治的権利獲得のための婦人団体を設立したが、その前途は青姑から見ても難しいものに映る。

 そんな中で平素は一人の女学生に過ぎない青姑が、真っ当な方法で世界を変えるなど、ただの夢想としか思えない。

 そしてそれが次の大戦にまで間に合うとは、どう贔屓目ひいきめに見ても思えるものではなかった。

 しかし弥太郎は真っ直ぐ青姑を見つめながら続けた。


「例え今がそうでなくても、将来を変えていくのは男女問わず、未来ある若者の力だと儂は思う。例え一代で成せぬ事でも、誰かのいしずえとなり何代も積み重なっていって、人の世は変わりながら続いているんだ。その若者の……お前さんらのような娘っ子の体を、好き勝手に弄り倒して手駒とするやり方、儂には到底看過出来ぬ。だから儂は外法様とやらに力を貸せぬ。これがこの話を断る理由だ――それに、な」


 一度言葉を切った弥太郎は、口調を和らげた。


「お前さんら三人の寿命は長くて三年。だがこのままでは誰も年は越せんよ。誰もな」


 弥太郎が言っているのは、青姑だけでなく血姑と白姑も含む無情の傀儡全員の事であろう。

 しかし三人は、命が縮まるのを知った上で無情の傀儡と成った。

 例え二十歳を迎えられずとも、自分達が外法様の元で成した事はこの世に残る。だからこそ外法様に仕える者として、寿命を差し出すような真似も喜んで選んだのだ。

 青姑は片笑みを作りながら、桜色の唇を開く。


「……脅しですか?」


 弥太郎は首を横に振ると少しばかり目を伏せ、半ば呟くように、哀れむように言葉をつづる。


「ただの事実に過ぎん。自分でも分かっているのだろう? まともな人間が耐えられるような術ではないのに、それをどういう手段か無理に耐えられる体にされている。うちの孫も言っていただろう。命を縮める術がかかっている、と。どんな目的であっても子供にやっていい事じゃあない。本来お前さんらには、儂にも分からぬくらいに多様な未来が開けているはずなんだ。それを自ら閉じる事ぁない」


 弥太郎が言い終えると、しん、と痛いほどの静寂が訪れる。

 青姑は桜色の唇を固く閉じ、女袴おんなばかまの上に置いた手を強く握りこむ。

 言いたい事は幾つもある。

 だが今口を開けば感情のままの言葉しか出てこないのは、青姑自身分かっている。


 青姑達が無情の傀儡と成ったのは、幾晩にも渡る熟慮の末だ。

 外法様に話を持ちかけられてから考え、悩み、この世界に対して自分達が出来る事を話し合った上で、三人の少女は無情の傀儡となった。

 そんな自分達の覚悟を、子供に言い聞かせるようにたしなめられる。

 普段は無情の傀儡を率いるのもあり、努めて冷静さを保っている青姑とて、許せない事の一つだった。


 しかし青姑は無情の傀儡としての矜持と責任感を持って、それが表情に出るのを抑えている。

 外法様の使いとして無作法は事をしてはならない。交渉が決裂したとて、感情のままに相手をののしるなどあってはいけない。

 表情に僅かでも余裕を見せながら、視線を外すこともなく青姑は弥太郎を見つめる。今目を伏せてしまえば、弥太郎の言葉を認めた事になると思ったからだ。

 だが知ってか知らずか、弥太郎の次の行動は青姑の余裕を消す物だった。


「まあ……お前さんらを惑わせ術をかけたのがこれ・・なら、納得のいく話ではあるがな」


 弥太郎は座卓に指を這わせると、つらつらと文字を綴る。

 その指が描いた文字を見て、青姑の顔から血の気が引いた。


「当たりだったようだな」


 外法様とは仮の名だ。

 マモンと青姑しか知らぬはずの本当の名を、弥太郎は書いて見せた。

 かまをかけたのもあったのだろうが、秘されている名前をぴたりと当てられては青姑とて動揺を隠しきれるものではない。


「お嬢ちゃんや。今ならまだ間に合うぞ。これ・・とは手を切れ。今なら儂が何とかしてやる。少しばかりは短いやも知れぬが、人並みの寿命に戻してやれる」


 弥太郎の言葉は、父親からも聞いた事がない位に優しいものだった。

 だが逆にそれが青姑に交渉の決裂を判断させた。

 そして外法様からたまわった言葉に従い、稀代の予言者たる百合坂弥太郎の殺害を決意させる。

 味方にならぬのならば、百合坂弥太郎の存在は外法様にとっても見過ごせるものではない。これまで尋ねる機会を計っていたのは、弥太郎の力量や立ち位置を考えて、動くに動けなかったのもあるのだ。


「そうですか……仕方ありません。あのお方に仕える無情の傀儡が一騎として、百合坂弥太郎様。貴方を討ち取って帰ると致しますわ」


 言い終えるが早いか、すぅと青姑は右手をかざす。

 銃身を切り落としたソウドオフ上下二連散弾銃。元は青姑の父が持っていたものを加工した銃は、手首に沿うように袖から滑り出る。そして寸毫すんごうの間もなく弥太郎へ向けられる十二番口径の銃口。

 しかし八芒星を宿す青姑の瞳に映る弥太郎は、確かに青姑の動きを見切っていながらも、嘲笑あざわらうように頬を歪ませ声も無く呟いた。

 阿呆あほうめ、と。

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化け蜘蛛探偵、帝都の夜を忍び歩く 椚屋 @kunuginya

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