魔人薄命

第13話 鉄見機関

「先生。今回はやけに素直ですね。てっきりいつもみたいに一暴れして追い返すのかと思ってました」


 武雄たけおは横を歩く一縷いちるささやいた。

 淨見探偵事務所に訪れる者には、依頼人だけでなく招かれざる客も多い。割合としては後者が七割ほどだ。

 人間、妖怪、悪霊、それらが昼日中ひるひなかから、または夜闇に乗じて一縷に襲い来る。

 そして一人残らず蜘蛛の巣に掛かって、這々ほうほうの体で追い返されるかその場で滅される事になる。

 その現場を幾度も見てきた武雄は、銃口まで向けた相手に付き従うとは思ってもみなかった。


「決まっているだろう。本当の帝国軍人であれば逆らう理由はないし、もし偽者であればそのような不埒者は捕まえて憲兵に突きだそうと思ってね。でもここに入れたとなれば偽軍人ではあるまいよ」


 二人が車で連れてこられたのは、三宅坂にある陸軍省。探偵事務所のある神田小川町から宮城きゅうじょうをぐるりと回った反対側だ。

 夜も九時を過ぎているというのに、門前で警備をしている兵士だけでなく敷地内、ひいては建物の中も少なくない数の兵士や将校が行き来していた。その全員が一縷と武雄だけでなく取り囲んだ男達にも、奇異と蔑みの視線を向けるだけで挨拶一つしていない。

 先を歩くロイド眼鏡の男は、肩越しに振りかえるとわずかに苦笑を浮かべた。


「済まない。我々は確かに帝国軍人であるが難しい立場にいる。理解してくれると助かる」

「そうだろうね。真っ当であれば僕のようなしがない探偵はお呼びじゃあないだろう。かの岩井三郎氏にでも話を持ち込むさ」


 二人が案内されたのは、応接室と思しき部屋であった。

 洋風の調度品は簡素な作りで、余計な装飾は廃されている。吸い殻の詰まった陶器の灰皿に描かれた、鮮やかな牡丹の絵柄だけが部屋の中で浮いていた。

 そこで待っていたのは四十がらみと思しき一人の将校だ。白髪が交じり始めた髪を後ろに撫でつけて整髪料で固めている。

 髪型と言えば丸刈りが基本の陸軍では、一縷達を連れてきた男達共々極めて珍しい。周囲からの視線が厳しいものであったのも納得がいく。

 指に挟んでいた煙草を吸い殻の中に突っ込んで揉み消すと、鋭い視線を一縷へと向け長椅子ソファから腰を上げずに口を開いた。


「初めまして。良く来てくれた。おれは帝国陸軍中佐、鉄見てつみ和郎かずろうだ。陸軍特務機関、鉄見機関の長を拝命している」

「実に実に穏当なご招待だったよ。いきなり銃を突きつけられては、僕としても従うしかない。婦人を招待する時には拳銃を向けるべしと、ほまれ高い帝国陸軍で教えているとは初耳だ」


 後ろで武雄が何かを呟いたようだったが、一縷は敢えて聞こえない振りをした。 脱皮直後でいつもの力は発揮出来ずとも、普段の態度がなりを潜めるような一縷ではない。

 二重回しを脱ぐこともせずに大股に部屋を横切り、勧められる前に鉄見中佐の前にある長椅子に腰を下ろして足を組む。

 あまりに堂々としていたものだから、一縷達を連れてきた兵士も、武雄ですらも止める事を忘れてしまっていた。


「だが誉れ高い帝国陸軍が、僕なんてしがない探偵を呼び出すのはよっぽどの事だろう。報酬は請求させてもらうが、話を聞く準備はある」


 不遜ふそんとも言える一縷の振る舞いに、鉄見中佐は気色ばむでもなく逆に破顔して膝を叩いた。


百合坂ゆりさか翁に聞いた通りの御仁ごじんのようだ。そうでなくては君に頼む理由がない」

「お爺様をご存じなのですか?」


 急に祖父の名が出て、武雄は裏返った声を上げた。

 武雄を見やる鉄見中佐の目は、幾分か年若い者への優しさを帯びる。


「知っているとも。己が鉄見機関なんぞ作ろうと思ったのは、己の父が百合坂翁と同郷だったからってのもある。武雄君、君も座り給え」


 勧められるまま武雄が一縷の隣へ腰を下ろすのを待って、鉄見中佐はゆっくりと口を開く。


「君らにはもう周知の事だろうが、この帝都で何らかの……心霊的としか表現出来ぬ何某なにがしかの企みが動いている。その企みは我が国に仇なすものに相違ないと己はにらんでいる。それについて君らに話を聞き、場合によっては協力を頼みたいと思って、不躾ぶしつけでもここに招待をしたんだ」


 一縷達に投げかける視線は力強い物だったが、わずかに言い淀んだ。傍らに立てかけた軍刀の鞘を指先でなぞると、意を決するように唾を一つ飲み込んだ。


「己が鉄見機関を創り上げたのは、内地もしくは諸外国での租借地、そしてシベリアを初めとした戦場において、それら現実的とは思えない事象に対処するためだ。しかしまさか、内地で一等危険な企みが動いているとは思いも寄らなかったがな」

「よく陸軍内部でそんな無謀な事が出来たものだ。経歴に大きな傷がつくだろうに」

「更迭降格は覚悟の上さ。大陸で起こった幾つかの事件――あれらの裏で、どうにも腑に落ちない事が起きていたのは、参謀本部も把握している。それに符合する答えとして最も……いやさ、唯一のものが君のような存在の暗躍だ」


 自嘲気味に言う鉄見中佐に、一縷は苦笑を返す。

 確かに一縷のような妖怪に類するものは世界各国にいる。

 それらが起こした事件は一般人に解決出来るものでない。そんな事例は古今東西山のようにある。

 例え一次大戦を乗り越えた世界であっても、それは変わらない。

 昔と比べれば力を失ったにせよ、まだまだ妖怪は人の世の物差しで測れる存在にまでは落ちていない。


 ふと、一縷は青姑との会話を思い出した。

 秋津島あきつしまを起点として世界を呪う。

 その時には、かつて世界にあふれた人死にが、世界各地でくすぶる争いが、味方になってくれると。

 その為の仕込みは、日本以外では既に始まっていたのかも知れない。

 本当に世界を呪うというのならば、日本だけに拘ってはいないのだろう。


「裏付けというには少し弱いかもしれんが、己は夏頃に百合坂翁に個人的に占って貰った事がある。それらの案件に、常識以外の存在が関わっているか、と」

「お爺様の答えは、でありましたか」

「ああ。流石は政財界に顔の利く百合坂翁の占いとなれば、堅物揃いの陸軍でも早々無視は出来ない。別口で伝え聞くところによれば、お伊勢様の託宣でも似たような話が出たらしい。そっちは己の立場じゃ推測するしかない、上の方の話だがね」


 お伊勢様となれば陸海軍大元帥でもある、やんごとなきお方に所縁ゆかりの場所だ。軍部と言えども無下に扱える話ではなくなってしまう。


くして、己は妄言とも取られかねない事を基軸とした、鉄見機関なんて物が作れた訳だ。心霊的、いやさ妖物怪物を扱う機関なんぞおおっぴらには出来やしない。表向きは内地での諸外国の諜報活動を探るための機関だが、シベリア出兵の最中でもかつての戦勝国と浮かれる同期は、ついに己が閑職に回されたかと喜んでいるよ」


 歯を見せずに笑う鉄見中佐は新しい煙草に火をつけ、天井に向けて紫煙を吐く。ため息を煙草で誤魔化しているのは、どこか遠い目をしている仕草で分かった。


「中佐殿。君は僕らのような者と相対した事は?」

「ある。大陸で一度だけだがな。子供の身なりだったが己を含めて二部隊ばかりがそいつにやられた。その生き残りだよ、己もそいつらもな」


 鉄見中佐は自分の部下達を見回した。

 直立不動で立つ男達は、頷く事も口を開く事もしない。沈黙こそが何よりの肯定を現していた。


 妖怪は見かけの年齢なんて当てにならない。

 もし歳経た妖怪が――例えば一縷のような――害意をもって襲いかかったとしたなら、小銃を携えた兵士の一部隊でも薙ぎ払われてしまう。

 大陸の妖怪は歴史が古いものも多い。広大な土地はまだまだ人の手が入っていない場所も多く夜闇も濃い。そこに潜んだもの達に襲われたとしたら、生き残れただけで僥倖ぎょうこうだろう。


「これに見覚えはあるだろう?」


 鉄見中佐は、ポケットから出した小さな布包みを洋卓テーブルの上で解く。そこには赤黒い染みのついた三枚の金貨が包まれていた。

 つい昨日、一縷の腕を引き裂いた金貨に相違ない。こびり付いた染みは一縷の血だ。

 予想よりも鉄見機関なる組織は、事情を察しているようだ。

 首肯しゅこうする一縷に鉄見中佐は続ける。


「こちらで調べた所、全てが本物。数百年前に伊太利イタリアで鋳造されたものであるらしい。汚れはあれど、ここまでの美品は珍しいそうだ」

「そんな貴重品であれば、少々持ち帰っておくのだったなあ。これは失敗した」


 大げさに嘆く一縷だが、そもそも持ち帰らない事を決めたのは一縷自身だ。

 十蔵じゅうぞうの鼻でも武雄の瞳でも金貨に異常は無く、特に十蔵は売り払う事を主張したが、一縷は言いようのない自分の勘に従ったのだ。


「これは一部だけだが、輸入されたにしろここまでの枚数が揃う事はないらしい。普通ならばの話らしいがね」

「そう。普通ならばそうだろう。でも僕ら……人でないものと関わり合うなら、話は違ってくる。その金貨にしろ、持ってきてもらった刀にしろ、ね」


 一縷は流し目気味に、自分達を案内してきた男の一人を見やる。

 男の手にはさらし・・・に包まれた棒状の物――昨日手に入れた【刀】だ。

 事務所においていく訳にもいかず、さりとて一縷や武雄が持ち歩く訳にもいかない。

 持って行けないのなら同行しないと言い張る一縷の言を、渋々ながら了承させたのだ。


 男が洋卓に【刀】を置くと、一縷はその包みを解いた。露わになった刀身の美しさは鉄見中佐の目を奪う。

 一縷のような門外漢ですら見惚れるような作り。

 改造した日本刀を軍刀として携えている鉄見中佐は、刀剣にも精通しているのだろう。しばらく息をのんでいたが、唾を一つ飲み込んでから口を開いた。


「詳しい話を聞かせてもらって構わないかね?」

「僕らを呼んだのはその為だろう。探偵としての守秘義務に反しない所であれば、志を持つ君たちには知っておいてもらいたい」


 一縷はかいつまんで事情を説明する。

 だが十蔵や典治てんじの名前は出さず、武雄の活躍も可能な限り秘した。他にも余人に鉄見機関の目が向くような情報は出来るだけ伏せる。

 代わりに自分の活躍を大きく盛って、彼等の注目を自分へと誘導する。

 自分だけならば本調子であればどうとでもなるが、知らぬ場所で友人が軍部の目にとまるなど冗談では無い。


「ふぅむ……世界を呪う、君をして常識外れの存在か。その外法様とやらに心当たりは?」

「あったらすぐにでも手を打ってるさ。こんな物まで作れるような奴、そうはいないはずだがね。金屋子神かなやごかみのような鍛冶の神まで手勢としているなら分からんが」


 一縷の細い指が、洋卓に乗った【刀】を気怠げに指し示す。

 神の手によるものではないかと疑いたくなるくらいに、【刀】は美しく眺めているだけでもその切れ味を容易に想像出来た。

 それについては鉄見中佐も、神仏に詳しい武雄も異論は唱えない。

 人の手による物でない事は、実際に【刀】を振るった武雄が初めに言い出した事だ。


「人を斬るのではなく、人でないものを斬るために拵えられたものだと思います。細かなところは僕では分かりませんが、幾重にもかけられた術法は並みの妖物怪物なら一太刀ではらえるものです」

「僕ならどうなる?」

「先生でもこれに斬られてはただでは済まないと思います」


 口を挟む一縷に武雄は言い淀む事もなく答える。

 身も蓋もない冷静な答えに、一縷は大きく肩を竦めた。

 百合坂翁に様々な知識を仕込まれた武雄が言うのだから、その評価に大きなズレはないだろう。


「この刀、己達に預けられないか? こっちには剣術に長けた者が己を初め何人もいるし、昼夜を問わず見張る事だって出来る」


 鉄見中佐の切り出した提案に、一縷は目を細めた。

 ぐるりと視線だけで鉄見機関の男達を見回した後、横にいる武雄を見やる。

 武雄は口を引き結んだまま、じっと一縷を見つめ返す。その視線には一縷への強い信頼があった。

 一縷は武雄に微笑むと、ふぅと息を吐いて鉄見中佐に向き直る。


「有り難い申し出だけれど、これは僕が預かるよ。外法様とやらは鉛玉で勝てる相手ではないし、その手勢たる娘っ子達も人を超えるように体を弄られている。お国を守る君たちを矢面に立たせるのは心苦しい。まずは僕が相手をするさ。何より相手は思惑があってこれを僕らに預けた。その思惑から外れた事をすれば、即座に奪い返しにくる可能性もある」


 やんわりと、だがきっぱりと一縷は提案を断った。

 返答を聞いて鉄見中佐は眉間に皺を寄せたが、「分かった」とだけ答えてそれ以上【刀】に拘る事はなかった。

 そして長椅子の背もたれに体を預けながら、鉄見中佐は真っ直ぐに一縷を見つめる。


「改めて聞くが、己達に協力してもらえるか? もしそうであれば、依頼料は明日にでも届けさせる。もし無理だとしても、今回の情報料は届けさせる用意がある」

「君たち鉄見機関への出来る限りの協力は約束しよう。だけれど……あまり僕や友人を嗅ぎ回るのはやめてくれ。それが条件だ。これを呑んで貰わねば協力は出来ない」

「良いだろう。己としては無用に虎の尾を踏むつもりはないさ。まずは目の前の企みを潰さにゃ始まらん」


 鉄見中佐の言に一縷は大きく頷いた。

 全幅の信頼をおける相手とはお互い思っていないだろう。それでも当面は味方が増えるのはお互いに損の無い話だ。

 迫る脅威の規模も分からない状況では、人手は多くて困る事は少ない。


「さぁて、夜も更けた。僕らはそろそろお暇したいのだが良いかね? 僕はともかくこの子は明日も学校だ。若くても寝不足は体に悪い」


 話が一段落したと判断し、一縷は武雄の頭を撫でながら言う。壁にかかった時計の長針はもう十一時を過ぎている。

 いつもなら武雄はとうに寝ている時間だった。

 緊張している事もあって欠伸をするような事はないが、我慢しようのない眠気は来ていたのを察しての提案だ。


「ああ、それは済まなかった。車で送らせよう。事務所より武雄君の下宿が先で良いかね?」

「いや、二人とも事務所でいい。武雄、今日は泊まっていきたまえ。久々に朝飯くらいは作ってあげよう」


 眠気も飛ぶような提案に、武雄は小さくなって頷いた。

 その様子を小さく笑いながら見ていた鉄見中佐は、手を一つ叩くと直立不動を崩さない部下へ命令する。


「坂下、お前が運転して二人をお送りしろ。他の者は玄関まで送ったら宿舎へ戻って良し。平戸は宿舎へ戻る前に一度ここへ戻れ」

「了解致しました。お二人とも、こちらへどうぞ」


 男達は一斉に敬礼すると、中でも階級が上らしいロイド眼鏡の男が二人を誘った。

 その男の名が平戸なのだと、一縷達は別れ際になって初めて教えられた。

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