しあわせへ向かう足音は、一人分ではない

 毎日が、なんとなく退屈だった。理由なんてわからない。わからないうちに、学校をサボりがちになって、何をするのも億劫になって。

 ――レッドと出会わなければ、きっと俺は、そのまま死んでいたんじゃないかとさえ思うのだ。





 肝試しをした翌日も、俺は屋上のドアを開けた。いつもどおりに俺を迎えたレッドは、しかし表情を曇らせた。


「ブラック、なんかあった?」


 察しの良さにぎくりとする。


「別に、なんも」

「うっそだぁ。気まずい、って顔してる」

「なんもないって」

「へぇ……」


 何も変わってはいないのだから、何もなかった、というのも嘘にはならないだろう。

 ……何かあった、といえば何かあったが。クラスメイトの女子になぜか告白されたという、一応好きな相手であるレッドにはやや言いづらいことだった。


「そんなことより、今日はオセロしようぜ」

「わたしのご機嫌取りしたいんだ」

「……違うって」

「だってブラックがわざわざオセロしようって言ってくるのって、わたしを気持ちよく勝たせて機嫌取りたいときじゃん!」

「今日はオセロの気分なの」


 むっすー、と若葉色の目で睨みつけてきたレッドは、しぶしぶオセロの準備をしてくれた。いつも俺が黒石、レッドが白石だ。とはいえ後攻のほうが有利らしいので、ハンデとして黒石でも後攻で戦わせてもらっている。

 ぱち、ぱち、と石を置いていく。序盤はいつも、俺の方が有利に見える。けれどいつの間にか打てる場所がどんどん少なくなって、レッドによって盤上が白く染まっていく。四つ角もすべて、白石だ。


「……チェックメイト!」


 最後の一マスに白を打って、レッドはドヤ顔を披露した。黒石は両手で数えられる数しか残っていない。


「いやチェックメイトっつーかそれでもう終わりだし。しかもチェスじゃないし」

「細かいことは気にすんなだよ」

「細かくはないけど、まあ気にするようなことでもないな」

「ということでブラックくんに罰ゲームです」


 何それ初耳、とぎょっとして彼女の顔を見れば、さっきのドヤ顔はどこに投げ捨てたのかと訊きたくなるくらいの無表情だった。


「今日何があったのか、正直に、ほんっとーに正直に教えて。ここに嘘発見器があるので」


 なんでだよ。

 差し出された嘘発見器はヘルメット型だった。普通の嘘発見器ならその信憑性に疑わしさが残るが……この世界で、レッドが創ったものなのだ。百発百中で嘘を当ててくる、厄介な代物だろう。

 仕方なくそれを装着すると、「それで?」と話を促された。


「……朝起きて、授業ちゃんと四時間受けて、ここに来たのは昼休み」

「午前の授業は全部受けたんだ? 偉い偉い。ではもっと細かく」

「細かくっつっても、そんな細かくは覚えてねーよ……」

「じゃあ、昼休みのいつ頃ここに来たの?」

「……終わる十分前くらいだったかな」

「いつもなら?」

「始まって五分でメシ食って、そんですぐ来てる」

「今日は何してたの?」


 もはや答えがわかってて誘導尋問してんじゃないのか、とまで思う。質問が的確すぎて怖い。

 嘘発見器が反応しない範囲の答えを返そうと、頭を巡らせる。


「クラスの奴と話してたんだよ」

「……何話してたの?」

「あー、恋バナ、的な?」


 嘘発見器は音を立てない。嘘ではないという判断をしてくれたらしい。

 こいばな、とたどたどしく繰り返したレッドは、眉間に浅い皺を寄せた。


「その相手は、女子ですか?」

「……イエス」

「恋バナとは、つまり、その子がブラックのことを好きだとかそういうこと、ですか」

「……」

「ブラック告白されたの!? クラスの女子に!? モテなそうなのに!?」

「うっせーわ。俺だってびっくりだったんだよ」


 全然覚えてないが、いつだったかに俺が何か親切なことをしていたらしく、それがきっかけで好きになってくれたらしい。真っ赤な顔で、震える声でそんなことを言ってくれたその子は、ぶっちゃけ可愛かった。レッドと会っていなかったら、付き合うのとかめんどいけどまあいっかな、と軽い気持ちで告白にうなずいていただろう。

 けれどそんなのはイフの話であり、リアルの俺は即断った。答えを出すのがあまりに早かったせいか泣かれた。そのせいで、今日の昼休みは予想以上に時間を食うことになったというわけだ。


 頭にあったヘルメットの重さがふっと消える。もう嘘発見器はお役御免ということだろう。

 よかった、と安心したのもつかの間、今度はレッドが泣きそうな顔をしていた。


「え、待て、一日で二人の女子に泣かれるとか俺のメンタルがむしろやられんだけど」

「……泣かせたんだ」

「……泣かせましたね」

「かわいそ」


 吐き捨てるようなかわいそ、だった。誰に対して吐いた言葉なのかも、よくわからない。普通ならあの女子に対して、なのだろうけど、それにしては憎々しげだった。


「ブラックは、彼女、欲しい?」

「……まあ、欲しいっちゃ欲しいな」


 レッド以外の女子に、今はこれっぽっちも興味ないけど。


「彼女ができたら、ここに来なくなる?」

「ん? それは……どうだろな」


 もし万が一レッド以外の彼女ができたらそうなるかもしれないが、まあまずありえないだろう。だからはっきりとした答えは返せなかった。


「……わたしを、一人にする?」

「それはない……ってレッド? おい、なんかすっげぇ怖い顔してるぞ?」

「ブラックは、行っちゃうの? もう、こないの?」


 激怒しているような、それでも泣きそうな顔で、レッドは首をかしげる。怖い。めちゃくちゃ怖い。やっべ、なんだこれ、なんかレッドのトラウマスイッチ押したとかか?

 ガチャリ、と何かの音がした。ドアのほうから。反射的に振り返ってみても一見何も変わっていない、が。それはつまり。


「…………えっ、ここ、鍵閉まんの?」


 アホっぽく響いた俺の声に、レッドはただ、うつむいた。真っ赤な髪の毛が、その表情を隠す。


「ブラック」


 縋るように。

 レッドは、俺を呼ぶ。


「いかないでよ、ブラック」


 どんな顔をしているのかはわからなかった。

 でも、その声は、泣いていた。

 体が固まる。視線が、レッドに固定される。目を離したら、彼女が消えてしまいそうな気がした。


「ここでずっと、一緒にいて」


 ――ついに言われてしまった、と思った。


「だっていいじゃん、ブラックだって、どうせあっちが楽しくないんでしょ。逃げたいんでしょ。だから、ここに来れたんだよね」


 顔を上げたレッドは、ぼろぼろ涙を流して、下手くそに笑っていた。


「ここを、ブラック帰る場所にして」


 ずっと言いたかったのだろう。

 我慢して、くれていたのだろう。


「ひとりぼっちはもう、嫌だよ」


 彼女は本当に、寂しがり屋なのだ。


「ブラック」


 願いを込めたその声が、俺を呼ぶ。


「――わたしを、たすけてよ」




「うるさい」


 え、とかすかな声が返ってくる。


「……あ、間違えた」

「何をどう間違えたらそうなるの!? レッドさんは悲しい……」

「悲しいレッド」

「……ぷんぷんレッド!」

「可愛いレッド」

「喧嘩売ってる!?」


 レッドは「ほんとに怒るぞ!?」とむっとした顔で睨んでくる。可愛いレッドって呼んでもいいって言ったのはお前じゃん。

 ともあれ、さっきまでの消えてしまいそうな雰囲気はすっかりなくなっていたので、胸をなで下ろす。


「……で、何と間違えたの。レッドが、ヒーローが、助けてとまで言ったのに。なんにもしてくれないブラックさん」

「少なくともヒーローではないだろお前……こんな情けないヒーロー認めねーよ」

「ひどい!」

「まあでもブラックさんは、レッドさん限定でヒーローやってやるつもりはあるけど、どうする?」


 わざとらしく腕組みをして尋ねると、彼女の顔が輝く。


「それ、」

「言っとくけど俺、ここにずっといるつもりはないからな」

「なんで!?」

「なんでも何も、俺はお前がここにずっといるのが許せない。けどお前と一緒にいたい。なら連れてくしかないだろ」


 目が、見開かれた。まだ残っていたらしい涙が、ぽろっと落ちる。


「連れて、く?」


 そんな選択肢、考えもしなかったと。

 レッドの様子がそれをありありと伝えてくる。


「助けてって言うんなら、ずっと一緒にいてって言うんなら、こんなつまんないとこ捨てちまえ」


 助けの求め方が違えば、俺はすぐにでもその手を引っ張ってやれたのに。こいつは、を選びやがった。

 それなら俺は従えない。うるさい、こっち来いって言ってやる。せっかく、助けを求めてくれる段階まで来たんだ。


「こういう押しつけ、お前は好きじゃないかもしれないけど……それでも言うよ。お前には、レッドには、もっと明るくて賑やかなとこが似合う」


 なあレッド、と彼女に笑いかける。



「好きだ。お前も俺のこと好きだろ? 俺がいれば、もう、怖くないだろ? だから――こっから出よう。一緒に」



「……傲慢な、ヒーローだなぁ」


 また、レッドは泣きそうに笑って。

 俺の差し出した手を、取ってくれた。

 ガチャリ。今度の音は、鍵が開く音だった。二人してそっちを見て、二人してぷっと吹き出す。


 もうちょっとだけ座ってから、と彼女が言ったので、二人がけのソファに腰掛け、少し話を聞くことにした。


「わたしね、親が嫌いなの」


 レッドは語る。

 悪い人間ではない、と。子供は自分の所有物、だから自分の言うことを聞くのが絶対で、誰から見ても完璧でなければならなくて、女の子ならこうであるべき。そんな思考の、それなりによくいる親。

 戦隊ものは、二人の弟のおかげで見ることができていたらしい。


「明るくて優しくておしとやかで、勉強も運動もできて、皆から好かれて、憧れられて。ほんとのわたしは、ブラックと一緒にいるときみたいな適当な奴なのにさ」


 だから、と彼女は言う。


「だから、逃げたの。屋上から、飛び降りた」


 数ヶ月前に、屋上から飛び降りた生徒。

 それが、レッドだった。


「たぶんわたしは、死ねなかった。逃げられなかった。だからここにいて、誰かが助けてくれるのを待ってたんだ。うん、わたしはヒーローなんかじゃない。ヒロインでもない。助けられるだけのヒロインなんて、今時時代遅れだもん」


 皮肉げに微笑んで、でもすぐにその微笑みの色を変えて、俺の手を握る。


「それでも、きみがわたしのヒーローになってくれるなら。いつかはわたしがきみのヒーローになりたいなぁって思うんだ」

「……実はもう、なってたりするんだけどな」

「えっ!? いつの間に!?」

「まあ、しいて言うなら、会ったときに、かな」


 レッドとの出会いが俺を救ってくれたし、支えてくれたのだ。それならもう、レッドは俺のヒーローと呼んでも過言ではない……はずだ。


「……情けないヒーローなんて認めないって言ってたじゃん」

「俺限定のヒーローなら、別に情けなくたっていいんだよ」

「ふーん」


 ちょっと頬を染めて、どことなく嬉しそうに無表情を装ったレッド。

 数秒後、彼女は立ち上がるのと同時にぐいっと手を引っ張り、俺を立ち上がらせた。

 ドアの前で、二人立ち尽くす。繋いだ手から、震えが伝わってきた。


「大丈夫だ、レッド。俺がいる」

「……うん、きみがいる」


 深呼吸をするレッドに合わせ、俺も深く呼吸をして。

 ドアノブに、手をかけた。回す。開ける。開いた先に、学校の階段が見えた。隣のレッドが息を呑む。「大丈夫」手に力を込める。

 そして一歩、踏み出す。

 繋いだ手から、感触が、体温が、消えた。隣にはもう、誰もいない。



「……わたし、留年確定だろうなぁ」


 かすかに聞こえたのは、世にも情けない、とあるヒーローの言葉だった。



     * * *



 数ヶ月が経ち、学年が一つ上がった。今日は始業式だ。

 掲示されているクラス名簿から自分の名前を探し、記された教室へ向かう。探したのは自分の名前だけだった。だって俺は、レッドの名前を知らないから。

 彼女の名前はきっと、学校の先生にでも聞けばすぐにわかったのだろうけど、俺は誰にも聞かなかった。彼女が嫌うその名前を聞くとしたら、本人の口からがよかった。


 教室に入ると、中にいたのは女子一人だけだった。……始業式の一時間前に、他にも人がいるとは思わなかったな。

 教卓の真ん前に座るその子の後ろ姿をぼんやり見ながら、適当な席につく。椅子を引いた、ギィ、という音に、彼女が振り返った。


 黒い髪の毛。まん丸になったその目は、遠目にも到底若葉色には見えない。

 けれど、それでも、その顔は。




 ふわり、ほころぶように彼女が笑う。立ち上がって、軽やかな足音を立てながら、俺に近づいてきた。俺は椅子に座ったまま、それを呆然と見ていた。

 足音が止まる。

 間近に見るその顔は、やはり――。


 内緒話をするような表情で、彼女は得意げに口を開く。


「――やあブラック。きみのレッドが、クラスメイトになって参上だよ! びっくりした?」


 びっくりしたのはお前もだろ、となんとか返せば、彼女は「バレてたか」と照れくさそうに微笑んだ。




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空谷の跫音 藤崎珠里 @shuri_sakihata

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