第10話

「長かった名君双六も、これでとうとうお終いか」

 それがたまらなく嫌だというように、リューズは顔をしかめて嘆息した。

「つまらん。何か他の、新しい遊びを考えよう。誰かいい案はないか……イェズラムが激怒しない範囲で」

 とってつけたような条件を最後に加えてたずね、リューズはこちらの顔色をうかがあいながら、シャロームのほうに指で差し招いて、煙管を貸せと求めた。たぶん、他人が横でふかす煙が、うらやましくなったのだろう。

 シャロームはそれを躊躇ためらったが、結局リューズに煙管をとられ、脇息きょうそくにもたれた族長が、自分の煙管を一息ふかすのを、ただじっと見つめていた。

 リューズはぼんやり煙を吸ったが、一瞬伏し目になっていた目をつむり、眉間に皺を寄せて、強い酩酊めいていの顔をした。そして胸一杯と思われる長い息とともに、白い煙をシャロームのほうに、ふうっと吐きかけた。濃密な白煙が細くたなびき、シャロームの肩口にとりついて霧散した。

「久しぶりのせいか、シャローム、お前のはあまりにも強い」

 そう評して、リューズはシャロームに煙管を返した。そして、くらりと来たのか、すがるように脇息に戻り、麻薬アスラの匂う息で、イェズラムのほうに顔を寄せてきた。

「なあ、イェズよ。お前らはいつも、強烈なのをやりすぎではないのか。本当にここまでの、脳天に来るようなのが、石をなだめるのには必要なのか」

 内密の話のように、そう訊ねてくるリューズの視線は、微かに浮ついた上目遣いだった。よっぽど脳天に来たらしい。酔ったような顔だ。

「それは人による。早い時期から強いのを吸い付けた者や、頻繁に使った者は、だんだん効かなくなってくるので、晩年には相当に強いのが必要になる」

「頭がおかしくなるのではないか。こんなものを、毎日ずっと吸っていたら。シャロームを見ろ、とても正気とは思えん」

 軽口と思われることを、リューズはぼんやりした口調で、気怠けだるげに言った。

「俺は正気だ、こん畜生が」

 シャロームは苦笑して毒づき、返された煙管を憮然ぶぜんくわえた。

 その言葉が真実かどうか、怪しかった。仮にも族長冠をかぶった者に、その悪態はないであろうし、それに、そんな悪態を許す族長に付き合って、末期まつごの瞬間まで戦場を駆け抜け大笑しようというのも、正気の沙汰と思えない。

「仕方がないよ、族長。素面しらふであんたに付き合ったら、それこそ気が狂いそうになる。デンを見ろ、毎日頭が痛くて、うんうん言ってる。せめて一発きめなきゃ、やってられないんだって。葉っぱで狂えば、素っ裸で玉座の間ダロワージを走る勇気が湧いてくるってもんさ」

 けらけら笑い、ヤーナーンが言った。それを聞く三人の魔法戦士たちは、こらえきれないように、腹を振るわせて笑った。リューズはぽかんとし、イェズラムは渋面になり、ジェレフはどこか呆然として座していた。

「そうなのか、イェズラム」

 教えてくれという顔で、リューズはかすかに眉を寄せ、こちらを見た。

「なんの話だ。頭痛のことか。それとも気が狂う話か」

「いや、なんというか……お前ら魔法戦士は、実は狂人の群れなのか」

 驚いたというふうに、リューズは訊ねていた。その点について、これまで考えたことがないらしかった。

穿うがった見方として、一理はあるな」

 苦笑して、イェズラムはそう答えた。皮肉のつもりだったが、リューズは真に受けた。

「まずいぞ、それは。お前たちは英雄でないと。民があがめる、部族の英雄なのだぞ」

 詩人たちのかなでる英雄譚ダージは、リューズにとっては、幼い頃からの見果てぬ夢だった。その心躍る物語に甘く酔い痴れ、こいつは自分も英雄になりたかったのだ。それが無理なら、英雄譚ダージを編む宮廷詩人か、あるいは英雄たちを演じることができる、仮面劇の俳優になりたいと、子供のころには本気で話していた。

 結局その夢は全て叶わず、族長になってしまったが、リューズは今でも、英雄たちを深い憧れに似た感情をもって愛している。

 その英雄たちが、麻薬アスラに狂った病人にすぎないなどという考え方は、到底受け入れがたいのだろう。

 リューズは苦い顔をしていた。

「エル・ジェレフ。お前は何歳だ」

「十五です、閣下」

 急に話を向けられて、ジェレフは座ったまま飛び上がりそうになり、上ずった声で答えた。リューズはそれを、深刻な顔で見返した。

「お前も、もう頭がおかしいのか」

「いいえ、俺はまともです、閣下」

 青い顔をして、ジェレフは追い被さるように、慌てて答えている。

 その様子が可笑おかしく、イェズラムは苦笑した。この席でいちばん、挙動がおかしいのはジェレフだったからだ。

 いったん笑うと、なにかの発作のように可笑おかしさが湧いてきて、イェズラムは眉間を揉んで、堪えた低い笑い声をたてた。

「なぜ笑っておられるんですか、デン

 悲鳴のような裏返った声で、ジェレフが聞いていた。

 それはもう、駄目押しのようだった。

 笑うのを済まなく思って、お前に非はないと、イェズラムは首を横に振ってみせたが、ジェレフはそれをどう受け取ったのか、ますます悲壮な顔になり、イェズラムを追いつめた。

「どうしたんだ、イェズ。お前まで発狂したのか」

 リューズが面白そうに、頬杖をついたまま、こちらを覗き込んで聞いてきた。

「いや、ジェレフはまともだ、リューズ。魔法戦士に煙管を吸わせるのは、古来から初陣の祝いで、こいつはまだだ」

 イェズラムが教えると、リューズは頷いて感心していた。その習わしについて、まだ知らなかったのだろうか。

「だけど変ではないのか、イェズラム。俺の憶えている限り、お前はこいつよりも若い時に、もう煙管を吸っていた」

「俺の初陣は十二の歳だったからだ」

 答えると、リューズは微かに眉をひそめた。

「なんでそんな、ちびっこいうちから、戦に行ったんだ」

 イェズラムが初陣のころ、リューズはまだ乳母に抱かれた舌足らずな子供だった。やがてその乳母が死に、行き場がなくなると、リューズはイェズラムのところに入り浸るようになった。

 戦に疲れ果ててタンジールに戻ると、押し黙ったリューズが、出陣したときの姿より幾分育って待ち受けており、生きて戻ったデンに安堵するふうだったので、イェズラムは石から受ける苦痛を、表に出すことができなかった。

 それでも無口な渋面になるのはやむを得ず、黙って麻薬アスラを使うこちらを、リューズはいつもじっと眺めて育ってきた。

 その目で見られると、イェズラムはいつも、幼いジョットに非難されている気がした。なぜ自分を置いて戦に行くのかと。なぜもっと早く、戻ってこなかったのかと。

 リューズには生母もなく、乳母も死に、宮廷で寄る辺がなかった。後見人の兄アズレルは、助けになるよりむしろ、リューズを陰湿にいじめてばかりいたし、幼いながらに、イェズラムのほかに頼れる相手はいないと思っているらしかった。

 しかし、そう頼られても、イェズラムはいつも困った。従軍するのは義務であったし、その間の長い不在は如何いかんともしがたかった。

 そして疲弊して王都に戻されている間は、他の者がそうするように、部屋にひとりでもり、苦痛に身悶みもだえる時には心おきなくもだえ、煙に巻かれて酔い痴れ、ひたすら眠っていたかった。

 しかしリューズがいると、そうもいかず、遊んでくれイェズラムとうるさくそでを引かれて、苦悶の寝床から幼髪の顔を恨めしくうらんだことも度々たびたびある。

 それでも王都で待つ者がいてくれたお陰で、自分は他の者よりましに生きてこられたと、今では思う。

 自棄やけのように英雄譚ダージを求め、自ら魔法を濫用らんようするようなことは、一度もしなかった。うまく立ち回って、生きて戻ってやらないと、誰も戻らない部屋で、リューズがいつまで待っているかと、哀れに思えて、気がとがめたのだ。

「俺たちの頃は、元服したら従軍するのが普通だったですよ。俺たちの先輩デンは、がんがん戦って、がんがん吸って、がんがん死んでたんです。なんせ麻薬アスラで酔わされて、相当な前後不覚で、殺すなら殺せみたいな、無茶な気分にさせられてたからね。生きて戻るは恥みたいな、そんな奴までいましたよ」

 ヤーナーンが言うのに、魔法戦士たちは笑っていた。それを眺め、リューズはまだ、ぽかんとしていた。それからゆっくり、眉間に皺を寄せて、悩む顔をした。

 ヤーナーンの話は乱暴だったが、嘘ではなかった。敗色の濃かった当時、魔法戦士は成長を待たずに次々と戦線に投入され、乱費らんぴされていた。慣例では初陣は十五歳となっていたが、そんなことは無視され、元服したら大人だという理論がまかり通った。

 長老会はそれを渋ったが、魔法戦士が足りないと玉座からせがまれては、未完成の在庫を放出する以外に手がなかったのだろう。軍に魔法戦士を供給するのが、長老会の責務だからだ。

 しかし軍団に割り当てられた英雄が、まだ生っ白い顔のちびだと知って、兵の士気が上がるわけはなく、むしろ窮状きゅうじょうに察しがついて、返って不安になるだけだ。中には魔法の制御がとれず、悲惨な落ちを見せる者もいた。時には自軍を巻き込んでの、派手な最期だった。

 同族殺しは部族の者にとって最悪の罪だ。その罪の恥辱にまみれて英雄が死ぬとは、これ以上堕ちようもない悲惨な穴の底だった。

 もはや玉座に従うことはできぬと、長老会が決断するのには、十分な理由だっただろう。

 シェラジムも長老会の一員としての決断を求められた。すでに、御意ぎょいのままにと答えてよい時期は過ぎたと。

 先代は生来の虚弱のうえ、煙に中毒して死にかかっており、シェラジムはそんな傀儡かいらいを生き延びさせて操るよりは、早逝するにまかせ、自分も殉死という形で、引責して自決するほうを選んだ。

 そしてイェズラムに介錯かいしゃくを求め、自ら命を絶つ前に、シェラジムは話した。

 これは誰にも秘密の話だが、私は今でも、我が君は名君になれるのではないかと、期待している。確かに気の弱いお方だが、頭脳は明晰であられた。だから誠心誠意お仕えすれば、いつかきっと、まぶしく輝く星におなりだと、そういう考えにすがり付いてきたのだが、そんな私の、人を見る目のない愚かさが、あくだったのだろうな。

 だが何が違ったというのだ。ほかの王子たちと比べて、ご幼少の頃より聡明だった我が君の、どこがそんなに、劣っていたのか。

 無念だと、そう話したシェラジムに、イェズラムはなにも答えられはしなかった。先代が暗愚な族長であることは、誰の目にも明らかだったのに、シェラジムにはそれが、見えていなかったのだ。

 可哀想だから助けるというなら、貴方は私となにも変わらないと、シェラジムはあざけるでなく、どこか哀れむ口調で、イェズラムに言った。

 だけど貴方は、名君の射手になるといいよ。秘訣ひけつはおそらく、御意のままにと答えぬことだ。たとえ傀儡かいらいであっても、暗君になるよりは、名君であるほうが、お心安らかだ。戦いを避けて、一日でも長くお仕えし、名君の御代をお支えするがよかろう。

 それはシェラジムからの、一生を費やした金言であっただろうが、彼はリューズをよく知らなかった。本人を見れば、また別の言葉を残したかもしれない。

 先代にはなく、当代にあるものが、幾つかあるはずだ。それが上手うまい方へ賽子さいころを転がしてくれれば、リューズは名君になれる。魔法戦士のいかさまが必要か、それは思案のしどころではあるが。

 俺は信じたいのだ。がらくたではない、本物の星を得て、それを闇に放ったのだと。

 だから、リューズに必要なのは、不戦の人形遣いではなく、大魔法を振るう英雄だ。たとえそのために俺と道半ばで別れることになっても、リューズは困りはしない。なぜならこいつは、人形ではないからだ。一人でも立派に、歩いていける。高貴な血の匂う、名君の顔をして。

「禁煙しろ、イェズラム」

 唐突に横から言われて、イェズラムは真顔になり、隣に座しているリューズのほうを見た。

「なんだって?」

「お前が発狂すると困るので、禁煙しろ」

 リューズは本気で言っているようだった。それが命令じる口調だったので、その場にいた他の者が皆、押し黙った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「名君双六」カルテット番外編 椎堂かおる @zero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説