第10話
「長かった名君双六も、これでとうとうお終いか」
それがたまらなく嫌だというように、リューズは顔をしかめて嘆息した。
「つまらん。何か他の、新しい遊びを考えよう。誰かいい案はないか……イェズラムが激怒しない範囲で」
とってつけたような条件を最後に加えて
シャロームはそれを
リューズはぼんやり煙を吸ったが、一瞬伏し目になっていた目を
「久しぶりのせいか、シャローム、お前のはあまりにも強い」
そう評して、リューズはシャロームに煙管を返した。そして、くらりと来たのか、
「なあ、イェズよ。お前らはいつも、強烈なのをやりすぎではないのか。本当にここまでの、脳天に来るようなのが、石を
内密の話のように、そう訊ねてくるリューズの視線は、微かに浮ついた上目遣いだった。よっぽど脳天に来たらしい。酔ったような顔だ。
「それは人による。早い時期から強いのを吸い付けた者や、頻繁に使った者は、だんだん効かなくなってくるので、晩年には相当に強いのが必要になる」
「頭がおかしくなるのではないか。こんなものを、毎日ずっと吸っていたら。シャロームを見ろ、とても正気とは思えん」
軽口と思われることを、リューズはぼんやりした口調で、
「俺は正気だ、こん畜生が」
シャロームは苦笑して毒づき、返された煙管を
その言葉が真実かどうか、怪しかった。仮にも族長冠をかぶった者に、その悪態はないであろうし、それに、そんな悪態を許す族長に付き合って、
「仕方がないよ、族長。
けらけら笑い、ヤーナーンが言った。それを聞く三人の魔法戦士たちは、こらえきれないように、腹を振るわせて笑った。リューズはぽかんとし、イェズラムは渋面になり、ジェレフはどこか呆然として座していた。
「そうなのか、イェズラム」
教えてくれという顔で、リューズはかすかに眉を寄せ、こちらを見た。
「なんの話だ。頭痛のことか。それとも気が狂う話か」
「いや、なんというか……お前ら魔法戦士は、実は狂人の群れなのか」
驚いたというふうに、リューズは訊ねていた。その点について、これまで考えたことがないらしかった。
「
苦笑して、イェズラムはそう答えた。皮肉のつもりだったが、リューズは真に受けた。
「まずいぞ、それは。お前たちは英雄でないと。民が
詩人たちの
結局その夢は全て叶わず、族長になってしまったが、リューズは今でも、英雄たちを深い憧れに似た感情をもって愛している。
その英雄たちが、
リューズは苦い顔をしていた。
「エル・ジェレフ。お前は何歳だ」
「十五です、閣下」
急に話を向けられて、ジェレフは座ったまま飛び上がりそうになり、上ずった声で答えた。リューズはそれを、深刻な顔で見返した。
「お前も、もう頭がおかしいのか」
「いいえ、俺はまともです、閣下」
青い顔をして、ジェレフは追い被さるように、慌てて答えている。
その様子が
いったん笑うと、なにかの発作のように
「なぜ笑っておられるんですか、
悲鳴のような裏返った声で、ジェレフが聞いていた。
それはもう、駄目押しのようだった。
笑うのを済まなく思って、お前に非はないと、イェズラムは首を横に振ってみせたが、ジェレフはそれをどう受け取ったのか、ますます悲壮な顔になり、イェズラムを追いつめた。
「どうしたんだ、イェズ。お前まで発狂したのか」
リューズが面白そうに、頬杖をついたまま、こちらを覗き込んで聞いてきた。
「いや、ジェレフはまともだ、リューズ。魔法戦士に煙管を吸わせるのは、古来から初陣の祝いで、こいつはまだだ」
イェズラムが教えると、リューズは頷いて感心していた。その習わしについて、まだ知らなかったのだろうか。
「だけど変ではないのか、イェズラム。俺の憶えている限り、お前はこいつよりも若い時に、もう煙管を吸っていた」
「俺の初陣は十二の歳だったからだ」
答えると、リューズは微かに眉をひそめた。
「なんでそんな、ちびっこいうちから、戦に行ったんだ」
イェズラムが初陣のころ、リューズはまだ乳母に抱かれた舌足らずな子供だった。やがてその乳母が死に、行き場がなくなると、リューズはイェズラムのところに入り浸るようになった。
戦に疲れ果ててタンジールに戻ると、押し黙ったリューズが、出陣したときの姿より幾分育って待ち受けており、生きて戻った
それでも無口な渋面になるのはやむを得ず、黙って
その目で見られると、イェズラムはいつも、幼い
リューズには生母もなく、乳母も死に、宮廷で寄る辺がなかった。後見人の兄アズレルは、助けになるよりむしろ、リューズを陰湿に
しかし、そう頼られても、イェズラムはいつも困った。従軍するのは義務であったし、その間の長い不在は
そして疲弊して王都に戻されている間は、他の者がそうするように、部屋にひとりで
しかしリューズがいると、そうもいかず、遊んでくれイェズラムとうるさく
それでも王都で待つ者がいてくれたお陰で、自分は他の者よりましに生きてこられたと、今では思う。
「俺たちの頃は、元服したら従軍するのが普通だったですよ。俺たちの
ヤーナーンが言うのに、魔法戦士たちは笑っていた。それを眺め、リューズはまだ、ぽかんとしていた。それからゆっくり、眉間に皺を寄せて、悩む顔をした。
ヤーナーンの話は乱暴だったが、嘘ではなかった。敗色の濃かった当時、魔法戦士は成長を待たずに次々と戦線に投入され、
長老会はそれを渋ったが、魔法戦士が足りないと玉座からせがまれては、未完成の在庫を放出する以外に手がなかったのだろう。軍に魔法戦士を供給するのが、長老会の責務だからだ。
しかし軍団に割り当てられた英雄が、まだ生っ白い顔のちびだと知って、兵の士気が上がるわけはなく、むしろ
同族殺しは部族の者にとって最悪の罪だ。その罪の恥辱にまみれて英雄が死ぬとは、これ以上堕ちようもない悲惨な穴の底だった。
もはや玉座に従うことはできぬと、長老会が決断するのには、十分な理由だっただろう。
シェラジムも長老会の一員としての決断を求められた。すでに、
先代は生来の虚弱のうえ、煙に中毒して死にかかっており、シェラジムはそんな
そしてイェズラムに
これは誰にも秘密の話だが、私は今でも、我が君は名君になれるのではないかと、期待している。確かに気の弱いお方だが、頭脳は明晰であられた。だから誠心誠意お仕えすれば、いつかきっと、まぶしく輝く星におなりだと、そういう考えに
だが何が違ったというのだ。ほかの王子たちと比べて、ご幼少の頃より聡明だった我が君の、どこがそんなに、劣っていたのか。
無念だと、そう話したシェラジムに、イェズラムはなにも答えられはしなかった。先代が暗愚な族長であることは、誰の目にも明らかだったのに、シェラジムにはそれが、見えていなかったのだ。
可哀想だから助けるというなら、貴方は私となにも変わらないと、シェラジムは
だけど貴方は、名君の射手になるといいよ。
それはシェラジムからの、一生を費やした金言であっただろうが、彼はリューズをよく知らなかった。本人を見れば、また別の言葉を残したかもしれない。
先代にはなく、当代にあるものが、幾つかあるはずだ。それが
俺は信じたいのだ。がらくたではない、本物の星を得て、それを闇に放ったのだと。
だから、リューズに必要なのは、不戦の人形遣いではなく、大魔法を振るう英雄だ。たとえそのために俺と道半ばで別れることになっても、リューズは困りはしない。なぜならこいつは、人形ではないからだ。一人でも立派に、歩いていける。高貴な血の匂う、名君の顔をして。
「禁煙しろ、イェズラム」
唐突に横から言われて、イェズラムは真顔になり、隣に座しているリューズのほうを見た。
「なんだって?」
「お前が発狂すると困るので、禁煙しろ」
リューズは本気で言っているようだった。それが命令じる口調だったので、その場にいた他の者が皆、押し黙った。
「名君双六」カルテット番外編 椎堂かおる @zero
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。「名君双六」カルテット番外編の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます