第4話
作法に
立ち上がった時に見えるリューズは、居間の真ん中に運び込ませた、
独裁権を与えられた族長だからといって、家臣を
まして俺はお前の
先触れをやったのに、リューズはとんでもない格好をしていた。
普段着なのはまだしも、髪も結わない乱れた垂れ髪で、しかも肩からなぜか、侍医の着る薄紫のお仕着せの
叩頭礼が済んだので、イェズラムは怒りながら、向こうが声をかけてくるのを待った。それが慣例だった。向こうが名前を呼んでくるのが。
しかしリューズはぼけっと黙ったままだった。
こちらが来たのに気づかないはずはない。侍従には、中に招き入れるように返事をしたのだから。
リューズがなぜ黙っているのか、イェズラムには直感できた。こちらが焦れて、典礼を破り、先に声をかけてくるのを、待っているのだ。
そして、その非礼でも咎めようというのか、リューズ。
くだらんことをと、イェズラムは苛立ち、さらに押し黙った。
しばらく、目も合わさぬ睨み合いが続き、どれくらい経ったか、イェズラムがもう限界だと思う頃合いで、リューズは燃えるまま放っていた煙管から、一息ふかし、ぷかりと丸い煙を吐いた。
「いたのか、エル・イェズラム」
いかにも本当に気づかなかったかのように、リューズは言った。そして、
「久しぶりだな、我が英雄よ。今日はなんの説教だ。ずいぶん色々溜まったか」
とっさに何から言い出したものか、イェズラムは整理が付かず、ただじっと、リューズを睨み返した。
そうして押し黙っていると、リューズが突然、侍従の名らしきものを大声で叫んだ。それは呼びつけたのではなく、隣の部屋に話しているのだった。
「人払いをしろ。聞こえたか。聞こえたら返事をしてくれ」
はい、族長、かしこまりましたと答える大声が、隣室から聞こえた。イェズラムはそのやりとりに呆れた。まさか、侍従を呼ぶのが面倒くさいので、こうして大声で申しつけているというのか。
「おおい。もう誰もいないか。いないなら、いないと言え」
リューズは真面目にそう呼びかけたが、今度は誰も答えなかった。それにくすくす笑い、リューズはまた、イェズラムを見た。
「今なら誰も聞いていないようだぞ、イェズ。言いたいことがあるなら、さっさと言え」
戸口で話せということか。イェズラムは腹が立つのを通り越して、唖然とした。
随分、馬鹿にされた話だった。イェズラムには宮廷序列の中で、族長と向き合って話すに足る身分があった。
それを無視されると、情けなかった。
寵臣のごとく扱えとは言わないが、序列に応じた待遇をしてもらいたいところだ。
「俺の友たちをどこへやったんだ、イェズラム。誰も帰ってこないんだ」
こちらが話さないでいると、リューズは恨みがましい口調で、そう尋ねてきた。どうも、
リューズが問うているのは、シャロームたち三名のことだろう。彼らが戻ってこないのが、イェズラムのせいだと思っているらしい。実際そうだが、リューズがそれへの仕返しとして、自分を戸口に留めているのだと分かって、イェズラムは益々情けなかった。
「英雄たちにも、それぞれの私用がございます、族長」
腹が立つので、イェズラムはいかにも
するとリューズは露骨に嫌な顔をした。
「俺にも用がございます。双六の途中だったのに、あいつらどこへ行ったんだ。お前のところには、シャロームが行っただろう。あいつはちゃんと、お前の顔に墨を塗ったか」
苛立ったような早口で、リューズが尋ねてきた。
「シャロームはちゃんとお前の命に従った」
そう答えておかねば、リューズがどういう態度に出るか危うかった。まさかお気に入りのシャロームに、逆臣呼ばわりはないだろうと思いたいが、リューズは時折、些細なことで激怒した。
「それで怒って来たわけか、エル・イェズラム」
満足げな薄笑いをして、リューズはこちらを見もしなかった。
「
いざ当人を目の前にすると、なぜか怒鳴る気もせず、イェズラムはただ静かにそれだけ教えた。それで悟って、大人しくしてくれればという願いもあった。
「もっと早く来るかと思ったよ。墨のついた顔で走ってくるかと思って、楽しみにしてたんだがなあ。まさか顔を洗って、着替えてくるとは。お前はつまらんやつだよ」
はあ、とため息をついて、リューズは赤い絨毯に尻をつき、模型のそばに座り込んだ。
リューズが見下ろすその地形には、イェズラムも見覚えがあった。考えておくよう言ってあった、苦戦している敵の防衛線だ。狭い谷間の出口に敵の
リューズはそれを、じっと険しい顔で眺めていた。
居室の床には、シャロームが言っていたものだろう、手製の双六らしい大きな紙が、無造作に拡げられており、そこには軍議に用いるための兵を模した駒が乗っていた。
おそらく、シャロームと、ヤーナーン、ビスカリスの名のついた魔法戦士の駒だろう。そして中には族長を表す、ひときわ立派な、錦と黄金の駒もあるのだろう。その駒は今、『イェズラムに怒られる』の上で止まっている。
「こっちへ来いよ、イェズラム。話が遠いだろ。俺は煙の吸い過ぎで、喉が痛いんだ。でかい声で話させないでくれ」
さっきは自分で二度も叫んでいたくせに、リューズは咎めるように、そんなことを言った。
しかし、そんな支離滅裂を、いちいち咎めていたら、リューズとは話にならない。幼髪をしていた頃から、いったんごねはじめると、大抵こんなもんだった。ころころ話を
おそらく言いたいことなどなくて、こちらを翻弄するのが目的なのだろう。
イェズラムを怒らせようとして、それをやっている時もあれば、どこまでやってもこちらが怒らないでいるか、試しているときもあった。
イェズラムは呼ばれるまま立ち上がり、模型のそばに行った。
そして遠からず近からず、適切と思われるところに座ったが、
「案外、死なないもんなんだな」
難しい顔で模型を見たまま、リューズがぽつりと言ってきた。
なんの話か、まったく脈絡が見えなかった。
「誰がだ」
「俺がだよ」
仕方なく尋ねると、リューズは端的に答え、赤い煙管で、床の上にのたくっている双六の紙を指し示した。
床の上には、女官の服やら、楽器やら、なんだか訳の分からないものが沢山散らばっていた。女官の服の中身が、服もないままどこへ行ったか、深く考えると、またひどく頭痛がしそうだったので、イェズラムは考えないことにした。
「この双六はな、死ぬように作ってあるんだよ、イェズラム。
「別にかまわんだろう。それだけ悪運が強いということではないのか」
イェズラムはそう答えておいた。
シャロームが
「でも、あがりにも着かない。永遠にぐるぐる回ってるだけで」
もう燃え尽きているらしい煙管を、リューズは執念深く
それは悪い兆候だった。リューズは機嫌がよくて、意気が高ければ、まさに太祖の末裔としてふさわしい覇気があった。しかしいったん沈み始めると、どこまでも深く沈んだ。泥のような、暗い闇の中へ。
リューズが見つめた、あがり、と書かれた枡目の中を、イェズラムも見た。そこには、『名君の死』と書いてあった。
その意味を考えて、イェズラムはますます、渋面になった。
「リューズ、死ぬために戦っているのではない。勝つためだ」
「そうだ。勝つためだ。どうやって勝つかだ、イェズラム」
立てた膝に、リューズは肘を乗せ、煙管を持ったままの手のひらで、族長冠をした額を支えて、目を伏せていた。そうやって座っていると、リューズは白磁でできた変な置物のようだった。苦悩しているようだったが、どことなく滑稽だった。
「考えているところに悪いが、どうしてそんな服を着ているんだ」
イェズラムはぼんやりと気になって、それを尋ねた。リューズは典医の服を羽織っていた。
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