第8話

「派閥の新入りを、目通りに。エル・ジェレフ、挨拶あいさつを」

 イェズラムがうながすと、ジェレフはぎょっとしたのか、血の気のひいた蒼白の顔になった。

 まさか族長と直に話すことになると、想像していなかったのか、ジェレフは舌を忘れてきたように、いっとき口ごもった。

「お目通りがかない、光栄です。ジェレフと申します、閣下かっか

 それでもジェレフはやがて、しつけの行き届いた口のきき方で挨拶あいさつをした。

「初めて見る顔か。俺は共に戦った英雄たちは、全て憶えているつもりなのだが。お前の初陣ういじんはまだか、エル・ジェレフ」

「はい」

 微笑して話してくるリューズに、ジェレフは平伏へいふくして答えた。たぶんそうやって、顔を合わせないでいるほうが、話しやすかったのだろう。

 その姿を見て、リューズがこっそりと苦笑をイェズラムに向けてきた。この餓鬼がきは誰だと、その金色の眼はたずねていた。

「そいつは治癒者ちゆしゃだ。なんでも相当そうとうに使うらしい。新入りの餓鬼がきのくせに、部屋サロンではいつも、デンのすぐ目の前に座っていて、俺に挨拶あいさつもしない、糞生意気くそなまいき野郎やろうだ」

 リューズをはすに振り返り見て、シャロームが教えてやっていた。リューズはそれに、面白そうに微笑を強めただけだったが、言われたジェレフはぎょっとしていた。

「治癒者か」

 納得したふうに、リューズはうなずきながら言った。

 それは問いかけだったので、ジェレフはなんとか、素知らぬ顔のシャロームから目を戻し、族長に、はいと答えた。その声はどことなく上の空だった。

「エル・ジェレフ。俺は治癒者が嫌いだ。それがなぜか、お前は知っているか」

 聞き違えようもない、あからさまな拒否を、リューズに笑いながら言われて、ジェレフは衝撃の顔をした。それはそうだろう、有り難く拝んだ相手から、お前が嫌いだと通告されては、こいつも困るだろう。

「存じません……なにか失礼を、いたしましたでしょうか」

 ジェレフは立っていたら、よろめいていただろうと思えるような、落胆の声で答えていた。リューズは治癒者全般が嫌いだと言ったのだが、ジェレフにはそれが、自分自身への嫌悪と思えたのだろう。それはそれで、自意識の強いことだった。

「いいや、お前のことは今の今まで知らなかった。だからお前のことは嫌いではない。俺が治癒者を嫌うのは、先代の族長だった父に仕えた腹心ふくしんの魔法戦士が、治癒者だったせいだ。不戦ふせんのシェラジムだ。お前も同じ治癒者なら、それくらいは、知っているだろう」

 リューズに説明されて、ジェレフはうなずき、かすかな小声で、はいと答えた。

 治癒者であればシェラジムの名は、知らぬわけがない。治癒者でなくても、リューズが即位する以前の宮廷を見知っている者であれば、シェラジムのことは、その不戦という悪名あくめいとともに、印象深く記憶しているはずだ。

 イェズラムにとっては、シェラジムは赤の他人ではなかった。彼は先代の射手いてで、リューズの父デールを即位させ、戴冠たいかんさせた人物だったが、その星の死を追って殉死じゅんしした。そういう、今ではもう、この宮廷にいない男だ。

 彼の死を看取みとり、死後に頭の中にある竜の涙を、慣例かんれいに従って取り出してやったのは、イェズラムだった。

 それは、自決する前のシェラジム本人に介錯かいしゃくを頼まれたからだったが、断れば、他には誰もそれを引き受ける者がいなかったシェラジムのことで、石を取り出す役目は最終的に、族長に引き渡されることとなる。つまり即位したてのリューズがやる運びだった。

 しかしリューズは、父親を麻薬アスラ漬けにした張本人として、シェラジムのことを嫌っていた。

 介錯かいしゃくするのは普通、親しく付き合いのあった、えんのある者だ。そういう習わしである上に、リューズは族長になったとはいえ、まだ即位したての十七歳で、たとえそれが族長冠にともなうう義務とはいっても、憎む相手の介錯かいしゃくをするというのは、心の乱れるものだろうと、イェズラムは哀れに思った。あるいは本来、敬意をもって行うべき介錯かいしゃくを、リューズが復讐のために行うのではという想像が、不快だったからかもしれない。

 それでシェラジムに頼まれるまま、自分が引き受けたのだ。

 先代は治世において、シェラジムの傀儡かいらいであるとうわさされていた。実際、朝儀ちょうぎの席では、シェラジムは玉座の隣に椅子を置かせ、いつもそこに座っていた。

 そして一事が万事、先代は、シェラジムはどう思うか、どう思うかと、人目もはばからず、腹心ふくしんの者の意見をその場で求めた。それにシェラジムはただ、御意ぎょいのままにとしか答えなかったように思うが、その言い方や仕草しぐさなどに、許諾きょだく拒絶きょぜつを示す、何らかの暗号符牒ふちょうがあるのだと、まことしやかなうわさが流れていた。

 リューズはそんな父親を、屈辱くつじょくだと感じていたようだ。

 主体性に欠ける暗君あんくんとしての父も情けなければ、その横に陣取じんどる治癒者も憎かった。そしてそれをデンとして掲げ、玉座の間ダロワージでいつも、尊大そんだいな我が物顔でいる治癒者たちの群れも、リューズにはまわしかったのだろう。

 あの当事を生きた魔法戦士の中には、治癒術をあえててる者もいた。シェラジムを筆頭ひっとうとする治癒者の派閥と、一線をかくす目的でのことだ。愛とか道義とか、そういった生ぬるい話ではない。敗北に甘んじ続ける暗君あんくんと、その寵臣ちょうしんにおもねるか、名君となるべき新星を待望たいぼうし、別の理想に身を投じるかという、信条のあらわれだったのだ。

 イェズラムは自らの治癒術をてはしなかったが、それを宮廷で教える治癒者の先輩株デンから習うのではなく、戦場で治癒者が無視した仲間をいやすことで、実地にきたえることになった。

 別に見捨ててもよかった。火炎術士として働くことで、英雄譚ダージが得られるのだから、治癒術は無駄な脇道だった。

 しかし放っておけば死ぬものを、見捨てていくにしては、自分はまだまだ、やわだったのだ。

 炎の蛇は隠れ治癒者と、古くから派閥いる者たちは、皆知っている。それを恩義に思って、いまだに裏切らぬ者たちも、少なくはない。

 だがもう、そんな、治癒者がどこでもはばをきかせ、隠れて癒す者が英雄性を帯びるような、そんな時代ではなかろう。先代はぼっし、不戦のシェラジムも死んだ。その後の闇夜には新しい星が昇り、暗い時代は、終わりを告げた。

「シェラジムはな、今にして思えば、そう悪いやつではなかったのだ。悪かったのは恐らく、俺の父のほうだろう」

 困り切って聞いているジェレフを、リューズは面白そうに笑って見ていた。

「父上は決断するのが苦手なお方だったらしくてな、些細ささいな命令ひとつご自分ではくだせず、いちいちシェラジムを頼ったのだ。シェラジムはそれに、御意のままにとしか答えていなかったらしい。つまりな、エル・ジェレフ、あいつは父上に、そんなことは自分で決めてくれと、いつも答えていたんだよ」

 リューズが教えている話は、伝聞だった。シェラジムが御意のままにと答えることは、イェズラムが教えた。リューズは兄アズレルに締め出され、玉座の間ダロワージに席を与えられていなかったせいで、そこでの出来事はすべて、イェズラムが話してやっていた。

 しかし最後にジェレフに話した解釈かいしゃくについては、リューズ独自のものだった。そんな話は、イェズラムはしていない。

「シェラジムはおそらく、父上があまりに気弱なので、心配でたまらず、隣に座していたのだろう。励ますためにだな。そうでないと、父上は、玉座に座っていることもできなかったのだろう。そういう気分は、俺にも分かる。玉座から見下ろす広間ダロワージは、案外恐ろしいところでな、俺も右隣に、イェズラムがいると、それだけで心強いのだ」

 そう言って、リューズはイェズラムにまた、苦笑を見せた。こちらがその話に、とがめるような渋い顔をしてみせたせいだろう。ほかの三名はともかく、ジェレフに軽々しくそんな話をすべきでないと思ったのだ。

 だがリューズは全くこちらの無言の制止に頓着とんちゃくしなかった。

「だがな、お前たちのデンは、シェラジムのように優しい男ではない。俺が頼ろうとして目をやると、知らん顔をするのだ。目も合わせようとしないぞ。薄情なこと、この上ない」

 リューズが目を覆って大仰おおぎょうに嘆いてみせるのに、近侍の三名が笑った。ジェレフはその有様ありさまを、青い顔で眺めていた。

「そのお陰で俺は今のところ、少なくとも暗君あんくんではあるまい、エル・ジェレフ。お前もその男の言うことをよく聞いて、愚か者にはなるな」

 にこやかにうなずいて、リューズがジェレフに説教をしていた。

 ジェレフは恐縮して、の鳴くような声で返事をした。そして項垂うなだれ、どうしていいやらという様子だった。

 リューズ、お前は、他人に説教をできるような立場かと、イェズラムは内心思った。それが顔に出ていたらしく、こちらに目を向けたリューズが、ふざけているのか、おびえたような顔で目を閉じ、顔をそむけていた。

「怖いなあ、シャローム。イェズラムが俺をにらんでいるぞ」

「俺に話を振らないでくれ。とばっちりでにらまれたら、俺までちびりそうだから」

 降りかかる火の粉を払うように、シャロームは顔の前で手をぶんぶん振ってみせていた。リューズはそれに、楽しげな笑い声をあげた。

双六すごろくの途中だったのだ。エル・ジェレフ。せっかく来たのだから、お前もこっちに混ざって遊んでゆけ」

 まだやっていたのかお前らは。イェズラムはあきれ果てて、車座くるまざに座っている四人のジョットたちを見た。確かに彼らの座る中央には、いつぞや目にした、手書きの名君双六めいくんすごろくかれていた。

 呼ばれたジェレフが、行くべきなのかどうかという戸惑う顔で、こちらを見た。

 もちろん行くべきだろう。族長が呼び寄せているのを、わざわざ戸口で拒む理由もない。

「イェズラム、お前も忙しいのだろうが、たまには付き合ってゆけよ。一緒に双六すごろくをしたぐらいで、シェラジムの二の舞にはなるまい。それとも戸口が好きなのか」

 ねだる口調のリューズに、イェズラムは苦笑して、首を横に振った。戸口が好きなわけではない。

 あきらめて立ち上がり、ジェレフをうながして、イェズラムは居間にいる者たちのほうへ行った。

 シャロームはリューズの右隣をイェズラムにゆずり、足りない円座えんざを侍従に持ってくるよう言いつけた。そして、お前は末席まっせきだとわざわざ言い渡して、ジェレフを自分たちの間に座らせたが、結局のところ車座くるまざだったので、戸口に一番近いとはいっても、そこは族長の向かいの席だった。

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