第9話
ジェレフは与えられた席に、石像のようになって座っていた。
それはそれで良かった。そこまで緊張していれば、目の前にある名君双六の
「シャローム以外は、みんなあがったのだ。こいつは本当に運のないやつだなあ、イェズラム。もう皆飽きて、いちいち命令を実行していると進まないので、とにかく『戦死する』に当たらなければ可ということにしてあるんだが、それでも中々あがってくれないんだ」
「だったら、もう、やめたらどうなんだ」
あきれ果てて、イェズラムはリューズに提案した。一体何日ぐらい、この馬鹿げた双六で遊び続けているのだ、お前らは。
「やめちゃだめなんだそうですよ、
煙管に火を入れながら、ヤーナーンが教えてきた。裸で走るはずだった男は、ふうっと長い息に乗せて、煙を人のいないほうへ吐き出し、それからその煙管を、
「
「煙を吸った程度で、俺の不運が尽きるものかね」
合わせた両手の中で、
「死ぬな、シャローム」
たぶんもう、内心では飽きているのだろう。リューズはそういう時の癖で、自分の耳飾りの房を
後はもう、執念だけで、『名君の死』まで全員を連れて行こうという事なのだ。
しかし、それは無理だ。リューズ。この場にいる誰一人、それに付き合える者はいない。いちばん年若いジェレフでさえ無理だ。お前がどんなに汚い手を使って、ごねてみせても、死の天使の翼に逆らえる者はいない。
イェズラムはそう思いながら、
象牙で作られた大振りな
「ぐわっ、治癒者が俺の運命を変えやがった!」
シャロームは逆上したふうに言ったが、ジェレフの横で見ていたビスカリスが、出目を確認して、盤上のシャロームを動かし始めていた。
「これなる新参者の
エル・シャロームの名を金で象眼された魔法戦士の
「おおお、無難な
驚いたように、シャロームが言った。それが無難なのかどうか、イェズラムは顔をしかめた。無難というなら、せめて棒でなく手で叩け。
ジェレフはすでに、呆然としていた。
「治癒者だけに、死の一歩手前でシャロームを救ったか」
リューズはどこかしら意地悪い口調で言い、次の
「俺様が腐れ治癒者に救われるとは、一生の
「時代は変わったのだ、シャローム。お前も俺も、考えを改めるべき時かもしれんぞ。いつまでも暗い時代の怨念を、引きずって生きていく訳にもいかないものなあ」
そう言うリューズの話を振り払うように、シャロームは煙管を
「数を見てこい、新参者」
投げすぎた
それにジェレフは、一瞬渋い顔をしかけたが、にこにこ見ているリューズに気づいて、それを隠した。さすがの反発した小僧も、族長の目前で、序列を無視してシャロームとやりあうつもりはないようだ。
立ち上がって
「いかさまじゃねえだろうな、ジェレフ」
「そんなことはしません。やって何の得があるんですか、俺に」
不正をしたかと言われたのが、よほど悔しかったのか、ジェレフは噛みつくように、シャロームに答えた。
「何の得もなくても、ずるして気にくわねえ奴をとっちめるのが、お前ら治癒者のやり口さ。同じ軍の戦友を見殺しにして、平気で王都にご帰還よ。力及ばずご免なさいで、誰も文句の言い
むっとして、ジェレフは
「お前らは
シャロームは煙管を指にとり、振り返って背後に煙を吐いた。それには強い
「違います。死ぬはずだった者を助けるのが、治癒術です。それによって戦局が変わることもあるはずです。直接に戦うことはできませんが、治癒者もそうして、戦っているのです」
ジェレフはシャロームにではなく、
本人も先程、治癒者を嫌いだと言い、同じく治癒者を毛嫌いしているシャロームの話を、日々こうして聞かされているらしい族長リューズが、治癒者は卑怯な役立たずだと思うのではないかと、ジェレフは耐え難く思い、そうではないと話したいのだ。
「シャロームは本当のことを言っているのだぞ、エル・ジェレフ。こいつは実際、そういう目に
「そうだ。時には、あのまま死んでたほうが、楽だったかと思うほどだぞ」
本気なのか、それとも葉っぱに酔わされたのか、シャロームはけろりとそう言った。そこまで言うなら、こちらもわざわざ、石を肥やしてまで助けてやらねば良かったかと、イェズラムは悔やんだ。
「それに引き替え、お前の話は空想の段階だろう。初陣もまだなのだ。戦ったことがない者が、なぜ戦場における物事の理屈をこねられるのだ」
頬杖をついて、
それはそれで無体なことだった。なぜだと問われて、ジェレフは言葉を失っていた。
「それは……そう思うからです。自分の信条を話したまでです」
恥じ入る気配で、ジェレフは膝を掴み、低く答えた。自分にはまだ、その話をするに必要な
悔しそうな様子の少年を、リューズは何とはなしに苦笑したような顔で見つめて言った。
「これは俺の経験からの忠告だがな、エル・ジェレフ。経験というのは、なにものにも代え難い。経験のある者の話は、
「エル・イェズラムの説教以外は」
にこにこと愛想よく、ビスカリスが合いの手を入れた。それにリューズは心持ち
「くだらん指摘で俺を
しっしっと追い払うように、リューズは手を振って、ビスカリスに双六の
先程ジェレフが読んできた数字のぶんだけ、ビスカリスはシャロームの
その事実に、ジェレフは、そら見ろというように暗くシャロームを
「また俺が夜光虫を食っている」
「何匹目だシャローム。お前はよっぽど夜光虫が好きだな。病気になるぞ」
リューズは変人を見るような目でシャロームをなじったが、よくもそんなことが言えるものだった。
「好きで止まってるんじゃないって。運命の
情けなそうに言って、シャロームはまた
「また死んだ!」
「死にすぎだ
「いいかげんにしてください、エル・シャローム」
顔を覆って叫んだシャロームに、ヤーナーンとビスカリスが文句を言った。そうやって他人をなじっていられるのだから、残る二人は確かにもう名君の死を見たらしい。
「シャローム、面倒くさいから、今のはなかったことにして、もう一度やってみろ」
やれやれと言うリューズに、シャロームは苦笑して、煙管をくゆらせ、やる気のない手で
同じ数字だった。
指をのばしてきて、リューズが
つややかな象牙の
それはまた、さっきと同じ数字だった。
シャロームはそれを、目を瞬いて、じっと見下ろしていた。
「凄いな。なんというか、もの凄い強運というか、不運というか。同じ出目が三回連続で出る確率はどれくらいだ」
計算していない顔で言って、シャロームは
「もう止めようや、リューズ。俺には『戦死する』があがりだよ。『名君の死』まで付き合いたいが、どうも俺には運がなさ過ぎる」
リューズは自分の左隣で、双六を止める許しを求めたシャロームを、じっと見つめて真顔で言った。
「この、不忠者めが」
シャロームはそれと向き合い、苦笑いをした。
「誠に申し訳ございません」
芝居がかって答えるシャロームの声は、ふざけた笑いを含み、軽快に響いた。リューズはそれを、かすかに不機嫌そうに聞いたが、それでも、まだ続けろと命じはしなかった。
「かくして、英雄シャロームは死せり」
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