第7話

 エル・ジェレフは猛烈に緊張していた。

 族長の居室の前に突っ立っている礼服の中の体は、石でできている。そういう雰囲気のする立ち姿だ。

 それを脇に従え、イェズラムは控えの間に引っ込んだ侍従が、族長に取り次いで戻ってくるのを、内心ぼんやりして待っていた。

 ここには二度と来ないと思ったが、ふと気が変わった。

 ジェレフの問題を思い出したからだった。

 出陣する前に、この際まとめて色々やっつけておこうかと思ったのだ。

 エル・ジェレフは明らかにシャロームを敵視していた。同じ派閥内に内輪もめがあるのは、別に珍しいことではなかったが、大枠として団結していなければ、いざという時に困る。

 それに、年長者という点を別にしても、自分より現実に功のある相手のことを、自分のほうが優れていると見くびるような、性根の腐った若いのを、それがいくら優秀な治癒者だからといって、派閥の一員として抱えておく気にはなれないのだ。

 デンとしての信条に反する。

 年功序列を鵜呑うのみにしろとか、喧嘩けんかひとつなく仲良くやれとは言わないが、人に対する敬意は必要だ。それが自分の派閥の部屋サロンする者が、骨身ほねみにしみて理解しておくべき、必要最低限のおきてだと、イェズラムは考えていた。

 シャロームが日頃、派閥の部屋サロンに顔を出しもせず、一体なにをやっているか、ジェレフにじかに見させるのがよかろうと思った。

 やつらが相変わらず馬鹿なことをやっていて、見たまま馬鹿だと思うなら、それはそれで仕方ない。運がなかったのだと思おう。

 それにジェレフの、リューズとの相性も見たかった。近侍きんじとして差し向けるなら、多少なりと面白みを感じる相手でなければ、リューズはそばに寄せ付けないだろう。

 侍従がひょいと姿を現し、族長が謁見えっけんをお許しになりましたと伝えた。

 それでジェレフがさらに硬質こうしつ緊迫きんぱくした。こいつは一体、どこまで固くなれるのかと、イェズラムは思った。さっきまでが大理石としたら、今は金剛石ダイヤモンドくらいか。まさかこの上はないだろうから。

「控えの間を抜けて族長の居室に入ったら、まず戸口で三跪九拝さんききゅうはいだ。それから声をかけられるか、もっと近寄るようにうながされたら、中に進んで、そこでもう一度叩頭こうとうしろ」

 念のため教えてやると、ジェレフはどことなくすがり付くような目でこちらを見返し、ただ黙ってうなずいた。

 他の者がいれば、デンに返事をしろと怒鳴どなられるところだろうが、今は言っても無理だった。目には見えない緊張の指が、ジェレフののどめ上げていて、たぶんぐうの音も出ない。

 族長に謁見えっけんするというのは、そこまで緊張するものだったろうか。イェズラムにはもう、分からなかった。リューズに会うのに、いろんな意味で身構えるのはしょっちゅうだったが、緊張したことはない。

 今さらするわけがなかった。リューズが襁褓むつきをつけて部屋をい回っていた頃から知っており、面倒を見てきた間柄あいだがらだ。見ていてはらはらすることはあっても、ジェレフのように、高貴な血筋に気圧けおされるということはまれだった。

 だからきっと、いくらうやまうような姿勢を取って見せても、見ている者たちには、茶番ちゃばんだと思われるのだろう。結局不遜ふそんな内心が、けて見えていて。

 ジェレフをかして、イェズラムは扉をくぐった。

 やってきた族長の乳兄弟ちきょうだいを、侍従たちはお辞儀じぎして迎えた。今はもう、以前のような、もうもうたる煙の匂いはしていなかった。

 部屋に入ると、リューズは例の三人を従えていた。

 居間いま上座かみざには、普段着姿でリューズがし、それの両脇と向かいの席に、三人の魔法戦士たちがはべっていた。

 戸口に自分たちより序列の高いイェズラムが現れたのを見て、彼らはしたままこちらに体を向け、床に手をつきこうべれて、答礼とうれいの姿勢をとった。

 薄い笑みでこちらを見る族長リューズの視線に触れ、ジェレフはさらに硬度こうどを上げた。まだ先があったのかと、イェズラムは感心したが、それでひざまずくことができるのか、危ういところだった。

 儀礼ぎれいを思い出させるため、イェズラムが先にひざをつくと、ジェレフははじかれたようにびくりと震えて、自分もあわててひざまずいた。そこから先は、宮廷で育った者であれば、子供のころから仕込まれた自然な流れだ。

 アンフィバロウの継承者である族長に対し、叩頭礼こうとうれいを行うのは、宮廷での儀礼ぎれいの基本中の基本だった。王宮で育てられた者は、寝ぼけていても、三跪九拝さんききゅうはいできる。ましてジェレフは、族長になんの含みもなく、そうすることに一切の疑問がないだろう。

 自分もかつて、元服げんぷくを終え、玉座の間ダロワージ末席まっせきはべることを許されて、遠目とおめに玉座を拝んだ時には、そこに座る族長冠をかぶった顔に、三跪九拝さんききゅうはいすることに、なんの疑問も覚えなかった。

 しかし、やがてその顔が、暗君あんくんの顔だと気づいた時の落胆は、ずいぶん激しかった。星だと思って振り仰いでいたものが、実はがらくただったとは。一度そう思えば、ひざまずくのもつらく、朝儀ちょうぎでの度々たびたびの号令で三跪九拝さんききゅうはいさせられるのは、なにかの拷問ごうもんかと感じられた。

 だが今にして思えば、そうしろと命じていた側も、実はつらかっただろう。その有様ありさまを玉座から見下ろし、嫌々いやいや叩頭こうとうする者たちの無数の顔を、ただじっとながめるほかはなかった立場の者の心も、もしかすると、苦しかったかもしれない。

 先日リューズは、もしも必勝のさくを思いつかなかったらと言って震え、もうもうたる麻薬アスラの煙の中にいた。あの時の姿は、かつて暗い玉座に見た先代の顔と、どことなく似てはいなかっただろうか。

 あの姿を、決して当代の玉座にさらしてはならない。広間ダロワージの一同が、望んでひざまずき、玉座に座るリューズに叩頭こうとうするおのれを、誇りに思うような治世でなければ、折角せっかく良くなったようなこの時代も、おそらくは簡単にまたあの頃の、暗く狂ったような煙の立ちこめる、暗君の時代に逆戻りするだろう。

 それをはばむために、自分には一体何ができるのか。星を見守る射手いてとして。

 あるいは、弟を守る兄として。

 そう考えて見やった上座のリューズは、今日は先日とは打って変わり、静かな微笑をたたえ、こちらの叩頭礼こうとうれいをおとなしく受けていた。

 その姿は、族長の居室の壁の暗い赤を背景にして、まるで墓所の玄室げんしつにある太祖たいその絵のようだった。リューズは顔立ちもその血筋をよく現していたし、肌の色も人並みより白く、壁画の太祖たいそが一人だけ白く描かれるのに似て、人と群れていても、彼一人だけが異質に見えた。

 それが玉座に座っていると、その姿形は、まさしくアンフィバロウの再臨さいりんと見えた。

 そんな有様ありさまを、そのまま素直に、有り難いと覚える者も、王宮にはいるようだ。

 ジェレフもそういう手合いかもしれなかった。

 三跪九拝さんききゅうはいし終えて、ぼけっと上座を見る少年の目は、どことなく、目映まばゆいものを見る目つきだった。イェズラムはそれに、安堵あんどを覚えた。いつかは皆がこのような目で、玉座を振り仰ぐ日が、来るように思えた。きっといつか、そう遠からず。できれば自分が、まだ生きていて、この目が見えているうちに。

足繁あししげ三跪九拝さんききゅうはいしに来たな、エル・イェズラム。珍しいことだ、お前が俺の命令を、大人しく聞くとは。今日はいったい何の用だ」

 心持ちに落ち着きのあるらしい、ゆったり響く声で、リューズが微かにからかうように、言葉をかけてきた。

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