漁り火を観ながら

 短い時間、イブを過ごしたけれど、高木梨奈と俺はというと、それまでとさほど変わらない。

 俺はまだ高木さんと呼んでるし、彼女も陽平くんと呼ぶ。

 「いい加減下の名前で呼びなさいよ」と優里にからかわれているけれどね。


 言い慣れた呼び方を変えるのって難しい。

 照れくさいっていうのもあるけれど、呼び方を変えると関係が変わりそうでさ。「親密さが増すんだからいいじゃない」と優里に言われてる。

 そうだろうけれど、ここのところ仕事ばかりだったから、変えるタイミングが掴めなくてなぁ。

 親の前で、昨日までと変えて急に梨奈って呼ぶのはなぁなんて細かいことも気にしてる。

 優里の言う通り、これじゃいかんとは思うから、近いうちに頑張ろう。


 あ、優里の忠告に従って電話は毎日するようになった。しつこくないようにとも言われたから、彼女が寝る前の時間に他愛ない話をちょっとだけして、おやすみと伝える程度だけど。


 あれ? 考えてみると優里に世話になってばかりだ。

 あいつの誕生日にでも、何かプレゼントしてお礼を言おう。


 とにかく仕事が忙しくて、彼女との時間を作りたくても、その時間と体力が足りない。

 彼女も時間の許す限りバイトに入ってくれているから、毎日かなり疲れただろう。


 バイトと違い、簡単に休みを貰えるわけではなく、高木梨奈が休みでもどこかへ遊びに行くこともできずにいた。イブのあの時が唯一の二人きりの時間で、家業がイベントのある月は糞忙しい花屋で恨んだね。


 長沢優衣は、うちの近所の喫茶店でまだバイトしている。うちに来ることはなくなったが、たまに通りで見かける。目があうようなら声をかけようという気持ちはある。だけどそんな状況はなく、チクッとする胸の痛みを忘れないようにと仕事していた。


 正月を無事終えて、成人の日が過ぎると、やっと休みをとれるようになる。大晦日と正月は、彼女も我が家で過ごした。もうね、父さんも母さんも家族同然に接している。


 今年は、冬の花火を観にいこうということになり、俺と優里で調べて、高木梨奈も加えた家族の五名で湾内が一望できる温泉旅館を予約した。車は避けて電車で向かい、到着した旅館はネットで確認したより趣きがあった。俺と父さんは夕飯前の空き時間で温泉にたっぷり浸かり、母さん達は旅館の近場を観光気分で歩いていたようだ。


 全員で海鮮が多い夕食を楽しんだあと、俺は売店で缶ビールを二本買って、冬の漁り火を眺めるために、旅館の前に出た。

 旅館の正面は少しきつめの坂になっていて、暗い水平線に幾つも並ぶ漁り火がはっきり見えた。寒くて空気が透き通っているけれど、船の灯り回りがややぼやけている。でも、灯りの周囲に青や赤、そして黄色の細い輪があり、それが並んでいるのはとても綺麗だ。


「陽平くん、漁り火綺麗だね」


 背後から高木梨奈の声がした。振り向くと、青と白でデザインされた旅館の浴衣の上に白いファーのついた黒のダウンコートを羽織った彼女の姿があった。


「うん、綺麗だ、明日の花火も楽しみだな」


 ビールのプルトップを引っ張ると、プシュッとガスが抜ける音がする。グビッと流し込むと、喉を刺激する快感を感じた。


「たまにはビールもいいな」


 俺はお酒はあまり飲まない。美味しいと感じるけれど、酒に弱いから滅多に飲まない。


「こんなに寒いのにビールなんか飲んで……」


 苦笑する高木梨奈が、俺の横にしゃがんだ。


「この一口だけにしとくよ。残りは部屋に戻ってから飲むから」


 フウッと吐くと、白く変わった息が漂う。


「ねぇ、陽平くん」


 俺を見上げて彼女が訊いてくる。


「ん?」

「私のこと大好き?」

「うん、大好きだ」


 即座に言えた俺を褒めてあげたい。……成長したなぁ俺。


「そっか、良かった。私ももちろん大好きだよ」


 せっかく付き合い始めたってのに、甘い機会がまったく無かった俺は舞い上がってしまって、口を開けたビールを落しそうになる。

 周囲に誰も居ないかキョロキョロと何度も確認して落ち着かない俺は、他人からはキョドっているように見えるだろう。ドキドキしてきて、一口しか飲んでいないビールの酔いが急に回ったのかと感じていた。


「浮気は絶対にしないで、私以外の女の子に触るのも嫌って言ったでしょ?」

「うん、俺も約束した」

「啓太も浮気はしないって言った。でもあんな感じで……」


 それは相手が悪かった。

 あの鈴木絵里香の厳しい監視の目をすり抜けて、他の女の子とも遊んでいるらしいと大学の友人から聞いている。俺に言わせるなら、啓太の女好きは病気だ。女の子泣かせて楽しむサディストなんじゃないかとすら思うこともある。そう考えると、鈴木絵里香も可哀想なのかもしれない。


 しゃがんだまま漁り火に視線を向けている彼女。

 俺は彼女と同じ目線までしゃがんで漁り火を眺める。


「俺は、啓太とは違う」

「うん、陽平くんを信用したい」

 

 俺を見て、信用したいと言った彼女の目にはまだ少し不安がある。

 そりゃそうだよな。付き合ってると言っても、ここのところ仕事ばかりで、俺の気持ちをもっと判って貰えるようなこと何もしていない。

 

 この不安そうな目には見覚えがある。

 フラれるかもしれないと告白すら怖がっていたころの俺の目だ。傷つくことが怖くて、自分に正直になれなかった俺がこの目をしていた。


 彼女もまた、俺とは違う種類の恋愛コンプレックスを抱えているのかもしれない。

 彼女が俺の気持ちを抱き留めてくれたおかげで、恋愛コンプレックスから脱出するための自信を手に入れられた。それはこれから生きていく上で必要なポジティブな気持ちに繋がっている気がする。

 だからこれからは、信頼する勇気を取り戻してもらえるよう、俺は彼女だけを見てずっと傍に居よう。


「ねぇ? 聞いても良い?」

「何かな?」

「陽平くんが私のことずっと好きで居られたのはどうして?」


 彼女を好きになってから付き合うまで二年半近く。

 そのことを言っているんだろう。


「それ、今ここで話さなきゃ駄目?」

「んー、今聞きたいけど、そうだね、寒いし、今度でいいよ」


 口調はちょっと不満そうだけど納得してくれて良かった。


 クリッとした大きな瞳が可愛らしくて好きだ。

 キュッと引き締まった口元が好きだ。

 柔らかい笑顔と浅いエクボが好きだ。

 目元にある小さなほくろが色っぽくて好きだ。

 仕事をしているときの真剣な表情が魅力的だ。

 少し高めの綺麗で優しい声に惹きこまれる。

 シャキッと歩く姿に愛らしさと格好良さが同居していて好きだ。

 細かいところにも気がつくのが素敵だ。

 気が強いところもあるけれど誰にでも優しいのが良い。

 勉強も仕事も一生懸命なところを尊敬してる。

 さほど大きくない手にスリムな指が綺麗で触りたくなる。

 俺が淹れたコーヒーをいつも美味しそうに飲んでくれるのが嬉しい。


 などなどと、彼女を好きなところが毎月のように増えた。

 その一つ一つの感覚や理由を説明するのは、この場では避けたい。この場が寒いからじゃない。どれほど彼女が好きかゆっくり話したいから。


 俺の気持ちを話したら、喜んでくれるだろうか?

 

 とにかく伝えたいって思う。

 はち切れんばかりに溜まった、俺の気持ちを伝えたい。

 自信を取り戻した俺の気持ちを……彼女への感謝を……全て伝えたい。


 そして、ずうっと君だけを見ているよって伝えるんだ。

 だからこれからも増えるよって言うんだ。

 二人で過ごすたびに、一つ一つ話していこう。そしていつか、彼女の目からも不安が消える日がきっと来ると信じる。……俺が消してみせる。


「じゃあ、部屋に戻ろうか?」


 俺は立ち上がり、うんと言って彼女も続く。

 漁り火を背に旅館の玄関に歩き出すと、俺の手を彼女が繋いだ。

 この温かい手を絶対に離さない……と、キュッとその手を握りしめた。





 ―― fin ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陽平くんの薔薇 湯煙 @jackassbark

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ