「かれら」

 俺の記憶の中に確かな実感として自分が死んだ感覚が延々と木霊している。

 最初は食い殺された。

 2回目はチェーンソーで真っ二つにされた。

 3回目は頭が弾け飛んだ。


 それらは全て幻覚だった、何故なら俺は今生きているのだからそれらは全て幻覚という事だ。

 じゃあこの確かな実感として残る死の感覚は何だって言うんだ!

 これも幻覚だと言うのか!

 目の前の廃墟と化した病院がほんの一瞬前までは懐かしい記憶の中と同じ、あの頃の病院の姿だったのは幻覚だったという事か!?夢幻だったという事なのか!確かな実感を感じていたあの時間は全て幻覚だッという事か!


 俺は正気なのか?それとも既に正気を失って狂気の中にいるのか?

 誰か教えてくれ、俺はただ父と母に会いに来ただけだ。

 両親を捨てる様にこの団地から去ったのがそんなに悪い事だったのか?

 異常な新興宗教に傾倒した両親を疎ましく思うのは悪い事なのか?

 俺の人生に足枷になるから切り捨てるのが悪い事なのか?

 だから俺はこんなにも苦しんでいるのか、そんな馬鹿な事がある筈がない。

 俺は何一つ後ろめいた事なんてしていない、子は親から巣立つんだ!俺はただ、そう正気の世界ではなく狂気の世界に生きようとしていた両親から巣立って、正気の陽だまりの世界で生きようとしていただけだ。

 悪いのは社会に適合しようとしなかった両親だ!俺は何一つ悪くない。


 帰ろう。

 あんな、あんな変な新興宗教にのめり込んだ正気の世界から自発的に去った連中なんてもう俺の両親なんかじゃない!俺は、俺は正気だ!何が狂気なのか理解しているのだから正気なんだ!正気だ、正気だ正気なんだ!

 星の叡智とか言う訳の分かんらない宗教なんて崇拝してない!

 

 俺は目についた適当な長さの棒を握り締めて廃墟と化した市民病院の入り口に飾られている、両親が信仰していた星の叡智が神として信仰している黒い男の像を何度も何度も棒で叩く、叩いて、叩き続けて、叩き壊してもなお叩いて、像を原形がなくなるまで叩いてようやく俺は正気を取り戻せた。


 俺は馬鹿だ。

 何でこんな事をしたんだろうか、もうどうでもいい。

 両親の事もこの団地の事も幻覚の事も、もうどうでもいい。

 蜩の鳴き声の様に俺の中で木霊している恐ろしく現実味を帯びた幻覚の事などもうどうでもいい。

 そう言えばさっきから蜩が鳴いている。

 外を見れば夕方になっていた。

 帰ろう。

 さっさと帰って日常に戻ろう。


 俺は廃墟になった市民病院を後にしてただ真っ直ぐ団地の外を目指して歩き始める。

 そしてひび割れた道路を歩きながら俺はこの団地の異常性にようやく気付けた。

 道祖神の様に置かれている黒い男の像、電柱や掲示板には星の叡智が主催するセミナーのポスター、板が打ち付けられた家々には変な文様が描かれ何より妙な気配を感じた。


 ああ、もうあの頃の団地は存在しないのだ。

 遠くに去って行った友人達と走り抜けた幼い日々はただ記憶の彼方に存在するだけとなった。

 それももう朧気で耳から侵入して来る蜩の鳴き声が心の中で木霊する懐かしい記憶を打ち消してただ目の前に広がる確かな現実を知らしめて来る、もうこの団地は正常な世界との繋がりが断たれた狂気が潜む世界なんだ。

 今日一日で俺はそれを知った。

 

 出口に近付くにつれて後ろから感じる団地が発する異常な気配を俺ははっきりと感じた。

 さようならだ。

 本当の意味でさようならだ。

 もう俺は二度とこの団地には戻らない。

 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 バス停が見えた。

 やっとこの団地から去る事が出来る、そう思った瞬間だった。

 俺は絶句した。

 若い男女が4人、バス停にいた。

 また幻覚が始まったのか?と最初は思ったがどうやら違う様だ。

 大学生の様だ、背の高い男と中背の男、地味な顔立ちの女に派手な顔立ちの女。

 サークル活動だろうか、どうでもいいがこのまま団地に入らせれば俺の様に発狂しかける事になる。

 止めておくか。


「おい、そこのお前達!」

「はい?何ですか」

「早くここから離れろ」


 俺がそう言うと一人の青年は不思議そうな顔をして俺をまじまじと見る。


「それよりあんた、この団地に住んでる人?それとも俺等と同じ廃墟マニアの人?それならおすすめとかありますか?」

「いや違う、そうじゃないここは危険なんだ」

「危険って、プフっ」


 俺の訴えに4人組は笑い出す。

 何かがそんなにおかしいんだ?

 俺がこんなに必死に訴えているのにこいつ等はそれを嘲笑う。


「ああすんません、でもここってまだ人が住んでいる団地ですよ?そりゃあ殆どが廃墟化してますけど逃げないといけない程、危険ってわけじゃあないですよ?」

「そうですよもう、それとも何か変な新興宗教の拠点って言いたいんですか?」


 背の高い男と派手な顔立ちの女はそう言って腹を抱えて笑う。

 住人が住んでいる?残念だが誰一人として住んでいない。

 住んでいてもあの危険な新興宗教を信じている奴等だ。


「ちゅっっと何で黙るんですか?お兄さんもしかして、やってます?」


 地味な顔立ちの女はそう言って腕に注射をする動作をする。

 隣にいる中背の男は何かを吸う動作をして「こっちもかもよ」と言う。

 もうどうでもよくなった。

 最初は助けようと思ったがアホらしい、俺と同じ目にあいたいなら勝手に行けばいい。

 もう俺は疲れたんだ。

 このまま正気の世界に戻る。

 俺は踵を返して4人組から離れようとした時だ、派手な顔立ちの女が俺を呼び止める。


「お兄さん、それよりちょっとききたい事が―――」


 何だ一体、何でそんなに大きく目を見開いているんだ?

 口が裂けで顎が外れているとしか思えないくらいに口を開けて一体、何にそんなに驚いているんだ?

 本当にやめてくれ……この蒸し返る様な暑さとけたたましく泣き喚く蜩に実体験を伴う幻覚の所為で俺の頭はもうパンク寸前なんだ。

 今度は一体なんだ?俺は後ろを振り向いてそれが視界に入る。


 紙袋を被った巨漢がいた。

 右手には精肉店で使われていそうな大きな一振りで骨ごと肉を断ち切りそうな牛刀、左手には父と母の生首、そしてタンクトップの上から着けているエプロンは新鮮な赤色と酸化した黒で彩られていた。

 ああ、次はこれか。

 もういい、殺せ。

 逃げない。

 抵抗しない。

 拒絶もしない。

 ああ、もう早く殺せ!


 俺がそう強く思った瞬間だった。

 大男は父と母の首を投げ捨てドスン、ドスンという重量感のある音を立てながら恐ろしい勢いで走り始めた。

 ああ、この恐ろしい速さなら俺はきっと楽に死ねるだろう。

 そして早く目を覚まして一目散にここから逃げる。

 眼前に迫った大男は、その勢いに任せて、俺を―――。


「い、いやああばびゃげ―――」

 

 殺さず飛び越えて行った。

 後ろから女の悲鳴が響く。

 大男はまるで空中に見えない道でもあるのか空中を走りながら獲物へ向けて一直線に疾走する。 

 そして派手な顔立ちの女の落下する勢いを利用して髪を掴み地面に顔を叩きつけた。


「あびゃかげきゃさしげかごあえつがあわ!!???!?!?!」


 悲鳴かそれとも絶叫か、少なくとも人とは思えない声が響く。

 顔を潰された派手な顔立ちの女は解剖される蛙の様に手足をばたつかせる、まだ生きているみたいで必死に手足をばたつかせるが大男が力を篭めて地面にさらに押し付けると「びゅべ―――!?!?!」という声を上げ、続けてバキっ!という硬いモノが折れる音とグチャっ!という柔らかいモノが潰れる音を同時に立てて一瞬、激しく動いて動かなくなった。


 大男は派手な顔立ちの女が死んだのを確認すると次に背の高い男に視線を移した。

 背の高い男は大男に殴り掛かるがあっさりと腕を掴まれてしまう。


「クソてめぇえ゛はなごらぼぉっ!?」


 圧倒的な怪力の前に動けなくなった背の高い男の腹に牛刀が突き刺さる。

 それは大男の腕まで貫通しそうな勢いで背の高い男は珍妙は悲鳴を上げた。

 悲鳴は絶叫へと変わる。

 大男は突き刺した牛刀を上へと向けて力任せに動かし始めた。


「あがあおあぎゃあああああああああああ!??!」


 背の高い男は絶叫する。

 しかしその声は徐々に力を失っていき牛刀が胸に辺りに差し掛かると絶命したのかピクリとも動かなくなっていた。大男は急に牛刀を背の高い男から引き抜くと両腕を胸の辺りに差し込み力任せに牛刀で切り開かれた部分をさらに広げて行き。

 背の高い青年を腰から上の部分を引き裂いた。


「いやああああああああああああぼぉ―――」


 それを見て悲鳴を上げた地味な顔の女を大男は牛刀を拾って刃の腹の部分で地味な顔の女をニンニクを潰す様に、クッキーやクラッカーを粉砕する様に叩いて首から上を消してしまった。

 周囲には勢いよく脳漿、骨片、眼球、歯、下、人の顔や頭を構成する物が飛散する。

 その方向にいた中背の男は腰を抜かして声にならない声でただひたすら悲鳴を上げるか、命乞いをしている。


 俺は走りながら叫んだ。


「立て!立って逃げろ!!」

「え゛?あ、ああ、あああ、あ゛あ゛あ゛あ゛!?」


 俺の声にようやく我に返った中背の男は走り出した。

 団地から離れる雑草が生い茂る道路を俺と中背の男は必死に走る。

 大男は?走りながら後ろを振り向くがいなかった。

 しかしそんな走りながら不安定な態勢になったのが悪かったらしく俺は足が絡まり危うく転倒しそうになる。

 前を走る中背の男は全速力で走り過ぎたのか走り方が水の中で溺れている人の様になっている。


「しっかり走れ!追い付かれるぞ!!」


 俺は思わず叱責してしまった。

 あのままだとろくに受け身も取れずに転倒してしまう。

 

「だずげてぐれええぇ!ごろざないでぐれえぇ!」

 

 中背の男は俺の声が大男にでも思えたのか命乞いを走りながら始める。

 馬鹿!クソ、倒れたら見捨てる。

 俺はそう決心してふと思った。

 死に方が似ていた。

 派手な顔立ちの女は飛び降りた子供の死に方に似ていた。

 背の高い男はピエロにチェーンソーで腰から上を真っ二つにされた男と死に方が似ていた。

 地味な顔立ちの女は自分の首に注射を打って頭が首から上が弾け飛んだ看護師と死に方が似ていた。


 なら前を走る男は?

 俺と同じ死に方をするのか?

 だがあれがいるのは別方向の―――


「グルアアァ!」

「へごっ!?」


 一瞬の出来事だった。

 少し深く雑草が生い茂っている所を中背の男が通り過ぎた時、草藪から一頭の大きな犬が飛び出した。

 そして喉笛に噛み付く。

 それを合図に次々と草藪から犬が現れ一斉に中背の男に噛み付き食い千切り始めた。

 

「―――――!!!!!」

 

 喉を食い千切られ声は出せていないが確かに悲鳴を上げていている。

 俺は中背の男を助けようと駆け寄ったがあっと言う間に草藪の中に引き摺り込まれる。

 草藪の中では何かが暴れているのかザワザワという揺らいで止まった。

 

「……」


 俺は呆然としていた。

 立ち止まりただ中背の男が消えて行った草藪を見る。

 これは幻覚か?と疑問に思ったが最後に自分か誰かが死なない限りこの幻覚は終わらない。

 俺は後ろを振り向くとそこには大男が……いなかった。

 

「……」


 俺はただ歩いて団地から逃げた。

  

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