「おれら」

 気が狂っているのかもしれない。

 俺はマンションの前で呆然と立ち尽くしていた。

 そこには真っ赤な花を咲かせた子供は一人もいなかった。

 公園に戻り周り中を歩いて回ったが公園は思い出とは程遠い惨状だった。


「は、はは、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハはははははあははあはあはあはああははは!?」


 何故か笑えて来た。

 もう何かもが笑えて来た。

 

 何が現実で何が幻覚なのか分からなかった。

 さっきから起こっているのが現実なのか今立っているここが幻覚なのか、今の俺には判断が出来なかった。


 だから俺は病院に行く事にした。


 そうだもしかしたら知らない内に変な薬物でも摂取したのかもしれない。

 それでさっきから幻覚を見ているんだ。

 確か病院はすぐそこだ。

 それに市民病院だ。

 きっとまだ普通にやっている。

 廃墟になんてなっていない筈だ。

 そうだきっとそうだ。


 俺は意気揚々と市民病院へと向かって歩いて行く。

 こういう時はあの歌を歌いながら歩こう。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 パキンッというガラスの割れる音が聞こえて何が現実なのかを教えてくれた。

 ああそうだ、目の前の廃墟が現実なんだ。

 漸く俺は正気に戻れた。

 

 廃墟になった市民病院に入りどんどん奥へと入って行った。

 気付けば今まで来た事が無い場所まで入って行っていた。

 ここはどこだ?

 何やら人が集まれる大部屋がある、ならこことは患者が入院する病棟か?

 

 駄目だ、頭が上手く回らない。

 この団地に来てから現実と幻覚が交互に入り混じってどっちが現実なのか分からなくなる程、俺は追い詰められていた。

 今はどっちが現実なのか分かるが、クソ!駄目だ。

 頭が痛い。

 骨に覆われた頭の中、脳みそを直接痛めつけられている様なそんな激しい痛みに俺は襲われる。

 次第に視界がぐにゃりと曲り始めて俺は意識を手放した。

 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「大丈夫ですか?」

 

 声が聞こえた。

 頭はまだはっきりとしない。

 俺は……そうだ、急に激しい頭痛と眩暈に襲われて意識を失ったんだ。


 まだ頭ははっきりとしないが頭痛も眩暈も何も感じない、気分も楽になった。

 そして肌を優しく撫でる心地良い冷風……冷…風……。

 

 俺は立ち上がって周りを見渡すと荒れ果てていた病院はとても綺麗になっていた。

 清潔感を感じさせる白い壁、窓を覆う様に打ち付けられていた板は消え逆にガラス張りの開放的な廊下、行き交う看護師や入院患者、幼い頃に怪我をしたり風邪をひくと必ず来ていたあの頃の市民病院が俺の眼前に広がっていた。


 そして俺の隣には廊下で倒れていた俺を気遣う優しい笑みの看護師の女性がいた。

 優しく慈愛に満ちている筈の笑顔は奇妙な事に笑顔という仮面を張り付けた様な不気味さを纏っていた。


「大丈夫ですか?」


 その人は俺に近寄って来る。

 俺はその優しい笑顔が恐ろしく思えて後退る。


「大丈夫ですか?」


 ただ恐ろしかった。

 優しく機に掛ける様に笑っているのに俺には笑顔という塗料を粗雑に塗りたくられたマネキン人形にしか見えなかった。

 その笑顔がただ不気味だった。


「大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?」


 看護師の女性は急に壊れたビデオの様に延々と「大丈夫ですか?」と言い始め次第にそれは早送り再生の様な異様な早口に変わって行く。

 口は止めどなく動き続ける口元は残像が見え始めた頃、急に看護師の女性は止まる。

 俺を真っ直ぐ見てポケットから注射器を取り出す。


「それでは位置について」


 看護師の女性はそう言って自分の首元に注射器を刺す。

 緑色の液体が首から注入されそれは血管を緑色に染めながら頭の方へと昇って行く。

 そして看護師の女性の顔は水風船の様に触れ上がる。


「よーい―――」


 牛の様な声でそう言い切ったと同時に看護師の女性の頭は弾けた。

 その音は雷管ピストルの様なパーン!という音だった。


「ひっひっひっ―――」


 そこから先の言葉は出なかった。

 首からどんどん血が噴き出しているのに頭を失った看護師の女性はそれでも立ち続けている。

 異様で不気味で、何より位置についてとは?何が起こるって言うんだ!?


「「「わー!!」」」


 陽気な声と共に病室から一斉に患者が現れて俺に向かて走って来る。

 何が起こっているのか分からなった。

 それでも俺は本能的に走り出していた。

 逃げなければ!


「前方若い男!全力で疾走!」

「走りまして明日へと!我々走り出したので明日へ!」

「脂肪燃焼式蒸気機関私は貴婦人!貴婦人は脂肪燃焼式!」


 後ろからは口々に訳の分からない事を叫ぶ精神に異常を来した者達が俺を追い掛けて、一心不乱という言葉ですらその走り方の異様さを言い表すには足りない程の、恐ろしい走りで俺を目掛けて走って来る!

 何なんだ!一体何だんだ!俺の気が狂っているのか?違う!俺は正常だ、あいつ等が狂っているんだ!


「大和魂はただ前進!銃剣突撃だいざゆかん!」


 俺はただ走り続ける、この狂気から逃げ出す為にひたすら走る続ける。

 永遠に思えた通路を俺は勢いよく曲った。

 付き過ぎた勢いで俺は躓き統べる様に右へと曲る。


「前進前進前進!転進は後進!大和男やまとおのこならただ前ぶ―――」

 

 酷い音がした。

 壁に重量のある柔らかいモノと硬いモノが衝突した音が聞こえた。

 後ろを振り返ると腕がシュールレアリスムの様に変形し体の正面が潰れた何かが倒れていた。

 後ろから次々と患者が走って来て同じ様な音を立てながら次々と何かに変わり果てて行く。


「……あああああ!!」


 俺は悲鳴を上げて走った、さっきから曲がり切れずに壁に衝突して行く異常な光景に俺の精神は悲鳴を上げ始め、分けも分からず悲鳴を上げながら走った。

 後ろからは曲がりきれた患者達が俺を目掛けて追いかけて来る。

 目の前には一面がガラス張りの通路。

 この速度では曲がり切れない。

 後ろからは狂気という言葉すら適温に冷まされた白湯の様に生温いとしか言えない表情の患者達。

 

 速度を落とせば、追い付かれる。

 俺はギリギリを狙った。

 逃げ切れる曲がり切れるタイミングを見計らって速度を緩め、足を滑らせる事なく曲がれた。

 そして後ろからはガラスが割れる音が響く。

 それでも曲がり切って俺を追い掛けて来る患者達。


「我が相対性理論の発露!今日の運勢は明けの明星!!」

「カレー味のポテトチップに背徳を注ぎ目指せ社会復帰の福音書!」

「僕達私達俺達あたし達ワシ達コンベンサーのコンクリートハンマー!」

「幻のムー大陸は麻生三番地の路地裏に咲く花としてムッソリーニが感涙でヒトラー!」


 何なんだ!畜生!

 俺は正常だ!

 こんな幻覚を見る筈がない!


 死に物狂いで走り続け俺は気付く。

 俺は手術室へ続く一本道を必死に走っている事に気が付いた。

 しまった必死に走り過ぎて自分がどこに向かって走っているか分からなくなっていた。

 引き返す、そう思ったが後ろからは入院患者達が迫っていた。

 このまま手術室に逃げ込もう、そう思った瞬間だった。

 手術室から医者と看護師が現れた。


「おめでとうございます!貴方は当病院の1万人目の!」

「危険な試験薬のモルモットです!」


 そう言ってあの看護師の女性が自分の首に注射した同じ色の液体が充填された注射器を医者は取り出した。

 俺は立ち止まる。

 逃げなければ殺される。

 後退ると何かぶつかり振り向くと入院患者が後ろにいた。


「おめでとうございます!祝1万人目の死亡例!」

「誰よりも早くこの世からの退院!」

「弾ける脳漿は甘酸っぱい青春の味!」


 訳の分からない事を言いながら俺の体中を入院患者は掴む、振り解こうにも常軌を逸した力で俺は身動き一つできない。

 

「クソ!離せ!離しやがれ!俺は、俺は!」

「では逝きますぞ」


 眼前に医者がいた。

 愉快そうに心の底から愉快そうに笑いながら俺の首に注射器を刺してはっきりとまた言った。


「次、行ってみよう」


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