第2話お酒の味は魅力的らしい。『四畳半神話大系』
お酒の味は魅惑的らしい。
私は未成年だからまだ飲んだことがない。前に遠い親戚のお葬式に参列した時に通夜振る舞いに献杯として日本酒が置かれていたけどそれすらも口にはしなかった。
私は昔から真面目らしいのだ。
自分では普通だと思っていても人によっては全然違う反応が返ってくるものだ。でも、確かにその真面目さは表へ出てしまっているようだ。
だからこそ学級委員とか仕事を任せられることが多いのだろう。それに一度も学校をサボったこともない面白みのない人生を送っている。
なぜ、私がこんな自分語りをしているかと言うと、お酒でも飲んで忘れたいほどの出来事があった。そしてそれを布団の中で思い出して眠れなくなってしまったからだ。
今日は、まだ5月だというのに空は澄み渡り、太陽が元気に顔を出していた。そのおかげで気温が30度近くまで上がってしまった。
先週までは15度くらいの日があったというのに、その急な天気の変わりように身体が驚いたくらいだ。まだ、衣替えには早く、長袖Yシャツにリボンをして登校しなければならないのが億劫になる。
そういう訳でやる気がでない一日の始まりだった。
やる気が出ないせいか朝、着替えるのがいつもよりゆっくりになってしまい、家を出る時間が遅れてしまった。
学校まで電車で通学するので少しでも遅れると電車は10分こない。いつも早めに学校に着く時間に家を出ているとはいえ、遅れたくなくて駅まで少し小走りで向かった。
だが、勉強は出来る方だが、運動神経はとても良いとはいえない。遅れて焦っている上、運動も苦手とくれば結果は見えていたと言える。
駅前商店街のアーチをくぐり、角を曲がると駅が見える。電車がまだ来ていないことが確認出来た私は少し安堵して横断歩道を渡ろうとしていた。
朝の駅前とだけあって交通量はそこそこある。しかし、横断歩道で私が待っているのが見えたのか片側の車が止まると反対車線の車も止まってくれた。わざわざ止まってくれたのだから、礼をして急いで渡ろうとしたそのとき――――
道路の歪みに躓つまづいて盛大にこけた。
(痛っ!)
制服のプリーツスカートでは膝を守ってくれるような分厚さはない。そもそも膝までの長さはなく、膝が真っ赤になってしまった。その上、駅のすぐ横にある踏切は鳴り出し、電車がも間もなくやってくるのが分かった。
一本乗り過ごすことが確定してしまった瞬間だった。
学校には電車とバスで通学している。しかし、電車を一本乗り損ねるとバスとの接続がなくなってしまう。だからといって怪我をしていない脚でも歩くのは避けたいくらいの距離だ。
いつも乗るバスは高校前にバス停がある経路だ。しかし本数が少ないせいか待ち時間が長い。
今日は、本数が多い変わりにバス停が高校から少し離れた経路のバスに乗ることにした。経路上に企業が多いせいか、始発の時点でいつもより乗客が多く、座席には座れなかった。
(ついてないなぁ)
学校に着いたら着いたで、1時間目の数学で黒板に解答を書くよう当てられてしまった。私が黒板の前に立つと教卓部分が一段高くなっているせいで膝がみんなから見えてしまう。
「岡本さん、脚どうしたんだろう?」
「なぁ、おまえ聞いてみろよ」
「はっ?おまえが聞けば良いだろ」
問題は至極簡単なものだったが、保健室で手当してもらった痕がクラスの視線を引くのが嫌だった。
一度、不運なことに見舞われると続くものだと今日一日で学んだ気がする。しかし、元をたどれば私が億劫で家を出るのが遅れたのがいけない。それでも、なんだか心は晴れないのだ。
そんな気持ちを晴らしてくれるような本はないだろうかと、布団から出て電気をつけると、私は本棚をまた見ていた。
大体が文庫本だから大きさも形も一緒なものが多い。しかし、その中に少し違う分厚さだったりすると目立つのだ。私は他より少し分厚い文庫本を手に取った。
それは『四畳半神話体系』という本だった。初版本とだけあって表紙は年季が入っている。
特に収集家という訳ではないけど、古本屋であるのであれば初版本を手に取ってしまい古びた本が多くなってしまっている。
私の本棚の一角を占めているのがこの本を始め、数多くの不運に遭遇する男子大学生について無駄なのでは、と思えるくらい分量多めに書いてある
なんでそんな本を選んだかというと、自分より不幸の連続にも、まっすぐに正直に生きる人が見たくなったのだ。
『四畳半神話体系』は4つのパラレルワールドが4話で構成されていて、ところどころコピペかな、と思えるようなところがあるのが面白い。選択を変えても結果は往々にして一緒だったりする。
そして、1話が100ページくらいだから一気に読みやすいのも理由だ。長いと最後まで読まないと満足できなくなってしまう。
基本的には、4つのパラレルワールドでも主人公が悪友である
全話、4つのパラレルワールドが繰り広げられ、主人公が大学一年生の時にどのサークルや委員会、はたまた弟子入りするか選択する所がスタートだ。
私は、初めてこの本を読んだとき、大学生の一人暮らしがこんなにも自由なものかと驚いたものだ。
なによりも、この小説の面白いのは最終話である。しかし、これは1話から順に読むことでさらに面白さが倍増する。
ストーリーもさることながら作中に登場する彼らは珍妙な「猫ラーメン」をおいしそうに食べ、べろんべろんになるまで酒を飲むのだ。実に自由な人達でそういった生活が眩しい。
物語の彼は選択を一つ変えた事によって多くの出来事が少しずつ変わっていく。でも、彼に取り巻く環境は何も変わらない。不運なことがあっても仲間と楽しそうに鍋を囲む。
私は、今朝の出来事を思い出していた。もう少し早く家を出ていれば声をかけてくれたあの人達と出会うことがなかったと、思うと「まあ悪くないかな」とも思えるのだ。
転んだ時、一緒に歩道を渡りだしたおばあちゃんが心配してくれた。
バスでも私が膝をケガしているのが見えたサラリーマンのおじさんが席を譲ってくれた。
保健室では先生が過保護すぎるくらい丁寧に手当してくれたのだ。
そう考えると四畳半で一人寂しく布団を抱きしめていた男子大学生よりは十二分に幸せだったのだ。私の悩みなど、悩みだと言うのもおこがましい小さなものだった。
悩みが小さくなった私が眠りにつくのはあっという間の事だった。
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