第6話見えないものは分からない。『女生徒』

 梅雨は湿度が高いせいで髪の毛が絡まりやすく、私は嫌いだ。


 しかも、夏に向けて気温がどんどん高くなるから私のストレス値が上がりやすくなるのは必然だろう。


 今日も、昨日に引き続き気温が高く、真夏日だった。その暑さは夜になって風が吹いて多少はマシになったが、依然として暑いままだ。25度以上で熱帯夜と呼ばれるが、きっと今日は6月にしてそうだと思う。

 まだ暑さに慣れない6月の身体で朝から夜まで暑いとさすがに気が滅入ってしまう。



 織田急おだきゅう線の電車は実に様々な行楽地こうらくちに連れて行ってくれる。


 例えば最も有名なのは新宿だ。そこから小田原線で小田原、箱根湯本まで行くことが出来る。

 それに片瀬江ノ島もある。

 

 しかし、私が向かうのはそんな行楽地ではない。高校の最寄り駅だ。高校へ向かう電車たちの行き先表示を見るたびになんだか鬱積するモノがあるのだ。


(こんな暑い日は江ノ島の海岸で片瀬江ノ島駅の前にあるコンビニでアイスでも買ってのんびりしたいなぁー)


 そんなことを毎朝、隣駅へ向かう2~3分ので思うのだ。


 けれど学校へたどり着くと私のそんな考えはすぐに消え去る。というかどうでも良くなってしまうのだ。


 担任の河原かわはらHRホームルームの為に教室に入ってきた。今日もアロハシャツのような柄の入ったビシっとしないシャツを着ている。

 近くで見てやっとこれがアヒル柄であることがわかる。


「今日はみんなが楽しみに楽しみしていた1学期期末テストでーす」


 高らかに宣言する担任、河原は満面の笑顔だった。だが、誰も楽しみにしている人はこの教室にはいないと思う。その証拠に誰もその冗談に笑っている生徒はいない。


というか見てすらいない。


 机の上に乗せた教科書やらプリントやらノートを見て最後の悪あがきの時間を一秒でも無駄にはできないように机の上に釘付けだった。

 それでも落ち込まない河原先生のメンタル面は尊敬に値するものがある。

 しかし、少しは傷ついたのか黒板に今日のテスト科目と時間を書くとさっさと出て行ってしまった。


 いつも私の机に駆け寄ってくるはずの夏海なつみが今日はまだ、駆け寄ってこないので夏海の机がある後方を見ようと思った。しかし今日はテストのため机が出席番号順になっていた。


 36人クラスで一列6人に並んだ座席で出席番号7番の私は2列目の先頭。桜ヶ丘は出席番号14番で前に張ってある座席表によると、三列目の前から2番目のようだ。ここだけは先頭で良かったと思う。


 座席表によると夏海はすぐ斜め後方だった。座席表を見るより一度振り向いた方が早かったくらいだ。振り向こうと思った矢先、別の方向から声をかけられた出席番号一番で一列目先頭の青木だった。


「あ、岡本さん。ノート見せて貰えない?」


 彼は、見た目に気を遣っているのか髪をワックスで固めていつも髪の毛先をいじっている。私はこういうタイプの男子が苦手だ。


 どうしてか、と聞かれると答えづらいが見た目に気を遣う暇があるなら他にすべきことがあるのではないかと思うのだ。


 鞄にしまっていたノートを青木に渡すとそのまま夏海と話がしたかった私に対して、青木はまだまだ会話を楽しみたい様子がひしひしと伝わってきた。


 だが、私は察しの悪い女のように「ありがとう」と何か言っている青木から、身体を後ろにいる夏海の方へ無理矢理変えた。


「いいの、青木くん放っておいて?」

「良いの。だってアイツは私が何を考えているのか知らないんだから。」


 私はこの言葉を嫌みで言ったのだが、ある短編に登場する台詞のオマージュである。なぜ、その短編の台詞を思い出したかというと、朝から厭世えんせい的な気分になったことが関係している。

 テスト初日の朝に、江ノ島という魅力的なワードを見ればそうなっても仕方ないだろう。



 『厭世的』という言葉を知ったのはあの本だった。

 その本は第二次世界大戦前に出たモノだが、近年の出版社業界の不況により様々な取組がなされた。この本に取られた取組はジャケットを有名イラストレーターに依頼することで新規、若年層を狙った商法だった。


 私はその商法にまんまと嵌りはまり、購入したのだ。こんなにも可愛らしいイラストが描かれた本が難しいはずがないと思ったのだ。



 明日がテストである数学に備えて、復習用のプリントをやってみたが解けない問題があって目がどんどん冴えてきてしまったのだ。


 昼間から頭の片隅に残っていた本を本棚から取り出した。実は私はこの本を読んでいないのだ。

 あの台詞も、あの単語もすべて本の裏表紙で読んだ。だから私はあの台詞が真に意味することを知らない。


 この本を買ったのは中学3年の時だったからもう3年も私の家の本棚で眠っていたのだ。どうしてこの本を読んでいなかったかは、簡単な理由だった。


「女生徒/ろまん灯籠」という本のタイトルから分かる通り、短編が二作入っているのは分かっていた。しかし、この本の出版年、作者を認識した結果である。


 1939年初出、しかもかの有名な太宰治とくればなんだか気軽に読む雰囲気でなくなってしまったのだ。多分、中学で太宰治が書いた「走れメロス」をやったせいで同じ作者が書いた物語なのだから同じように学問らしい内容だと思ったのかもしれない。


 しかし、今はこの本がどんな内容か気になっていたのだ。

「女生徒」は70ページと少し程だった。しかも文字が大きく、読みやすいと感じた。前に新潮文庫のシェイクスピアを読んだせいもあるだろう。



 女生徒という題名からも分かっていた通り、主人公は女生徒であり、厭世的な考えをしてしまうお年頃だ。


 そんな考え、お年頃の女の子が学校で先生の絵のデッサンモデルを引き受けてしまった時の心情が青木への嫌みになった台詞の元になったものだった。

 

 主人公の女生徒が身につけている下着についた薔薇の刺繍が物語のキーだった。傍目からは分からないが可愛らしい、綺麗な薔薇が美しい女の子の心情の表れかもしれない。


 結果的には青木に言った嫌みと女生徒の台詞は同じような意味合いだったかもしれない。


 この女生徒という物語はある少女から太宰治に送られた日記を元に書かれたものらしい。

 どこからどこまでが日記に書かれていたのか、この時代の女性は日記にどのようなことを書いたのだろうかと、思いを寄せても分かることはそう多くはない。


 それでも私は、この少女と同じ考えだと思う。

「叶うならば、少女のまま、何も知らずに死にたい」

 これは厭世的な考えだろうか、それともただ小説に感化されただけだろうか。


 梅雨が明け、暑くなる夜。

 私は風邪を引かぬよう窓を閉めた。


 この空間は誰も知らない、私だけの空間である。

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