第13話夏の終わりはどこか寂し気だ。『あらし(The Tempest)』
夏の終わりはどこか寂し気だ。
それは物語が終わってしまう時と似ている気がする。いつか終わるのは知っていたが、いざ終わりが来ると到底受け入れられない。
もう、幾ばくもない夏休みの残り日数を認識してしまった瞬間、夏休みは終わるのだ。しかし、どうしてもそれをいつかは認識してしまうのだ。
アニメやドラマ、漫画だと昔通りの8月31日まで夏休みがあることが多いけど、最近はそこまである方が珍しい。
私の通う高校では文科省のお達しのせいか一昨年から8月28日に学校が始まるようになってしまった。世間と現実の剥離が私たち学生を苦しめるのだ。
世間ではやっと昔の夏らしい気温になってきた。こないだまでの猛暑のせいでもう秋が来てしまったかのように錯覚してしまう。そう考えると思ってしまうのだ。
(ああ、もう夏休みが終わるのだ)
そう考えると夏休みを振り返りたくもなる。
私はこの夏に何を成し、何を成さなかったのだろう。
明日の始業式の為に久々にクローゼットから通学用の鞄を引っ張り出す。そのついでに終わって机の上に放置された宿題を鞄へと詰めていく。
その中にあった国語の宿題が目についた。
本棚にある本をランダムに読ませて感想文を提出させるアレだ。
そのとき考えたのが、読んだ本には読んだ時の自分だけの思い出がある。きっと本を見ればその時のことも思い出せるはずだ。
私は自分の本棚を真正面に捉え、最近読んだ本たちを目で見て回る。
太宰治の『女生徒』を見つけ、期末試験のお泊まりや大変だった勉強期間を思い出した。
黒い表紙が印象的な『虐殺器官』を見て、辛い夏風邪に苦しんだ平日の昼
風邪をひいた翌週に図書室で出会った『晴れた日は図書館へいこう』で先輩の後輩を想う気持ちに出会った
『夜は短し歩けよ乙女』を見て、お父さんがくれたアイスの引換券で何でもない夜が少し特別になった
憂鬱な気分を少し晴らしてくれた『月曜日の水玉模様』
暑い夏をさらにホットにしてくれた『生存者ゼロ』
社会の厳しさと初めてを与えてくれた『RDGシリーズ』
夏休みだけでも多くの本を読んだことを改めて感じた。それら一冊ずつにやはり多くの思い出がある。そして、これから読む本たちにもそうやって思い出が積もっていくのだろう。
本棚を見たついでに一通り、並びも整理した。
準備や掃除をして少し汗ばむ額を半袖の袖で拭おうと片腕を挙げ、肩と額をこすり合わせながら涼しいリビングへと移動する。誰もいないが、クーラーは動かしたままだった。
夏休みが終わればすぐに9月だ。毎年のことだけど、9月になると関東地方に来る台風の数が増える。
付け放しになっているTVで流れている天気予報ではハリケーンからモンスーンに変わった台風が話題になっていた。場所によって名前が変わるらしい。
(そういえば、私の本棚にも名前の似た本があったなぁ)
本棚を整理したばかりだからすぐにその本の名前を思い出すことが出来た。
それは新潮文庫のあのなんとも言えない色で過度な装飾がない表紙と茶色のしおりになる紐が特徴の文庫本だ。
題名は『夏の夜の夢・あらし』というシェイクスピアの戯曲だ。
日本名だと「あらし」という題名だけど、実際は「テンペスト」というらしい。私はテンペストという題名の方が格好いい気がする。「あらし」だとなんだか、児童文学の題名な感じがしてしまう。
私は前半の夏の夜の夢を飛ばしてあらしのページを開いた。そうすると残りページ数は少ない。だから初めて読む人にも比較的読みやすいと思う。
シェイクスピアの作品で有名なのは4大悲劇が挙げられると思う。『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』だ。名前くらいは聞いたことがあっても読んだことがある人は少ないと思う。
実際、私は同年代でこれらを読んだ人にあった事がない。
(ちなみに私がシェイクスピアを初めて読んだのはマクベスだった)
だから、私はシェイクスピアを読んだ事がない人にオススメしたいのは『ロミオとジュリエット』だ。これは名前が売れすぎてシェイクスピアだという意識の方が薄い気がする。
そのおかげで堅苦しい思いをしないで入れるだろう、という算段だ。
自分が思っていたロミジュリと微妙に違う言い回しや一人歩きしてしまっている名言の真の意味が分かると、さらに面白いのだ。
今、手元で開かれている「あらし」へと意識を移す。
私は他に戯曲をもとにした本を読まないから分からないが、古い小説には大抵、登場人物が軽く纏められたページがある。
物語は、嵐によって沈没しそうな船の上から始まる。
主人公は魔法使いであり、ミラノ公であるプロスペロー。娘のミランダと醜いキャリバンと孤島で生活していた。
難破しそうな船には、プロスペローが憎む、弟アントーニオーと手を組むアロンゾーらが乗っていてプロスペローの魔術によって引き起こされた嵐だったのだ。
プロスペローは魔術の鍛錬に没頭している間にアントーニオーとアロンゾーによってミラノから追い出されたことを根に持っていたのだ。
この嵐によって一度沈められた船の乗客を妖精の力を借りて、孤島へと連れて行ってしまう。
なんとか島にたどり着いた一行は島でバラバラに散ってしまっていた。
アロンゾーたちは息子、ファーディナンドは死んだと思い悲しみつつもナポリ王であるアロンゾーの暗殺を考えるが、失敗。妖精が用意した宴で今までの罪が暴かれてしまう。
一方、ファーディナンド父、アロンゾーは死んだと思い悲しむが、島にいたミランダと出会い、恋をする。
また、船に乗っていた道化どうけや賄まかないは島にいる魔女の子で醜いとされるキャリバンと出会いプロスペローの殺害を目論む。しかも、キャリバンに飲ませた酒を天の飲み物だと勘違いして賄いのことを神様と勘違いしているのだ。
シェイクスピアの作品のすごいところはこうやって複数人がそれぞれの思惑で同時に動いて行く様だ。劇なのだからそうなのだが、詰め込まれ方が尋常じゃない。
そしてこの話は悲劇ではなくて喜劇として有名だ。『ハムレット』と同じ復讐劇でありながらラストは真反対なくらい違う。
国を追われ、命も狙われもするが、すべてを許し迎え入れるプロスペローの懐の深さには驚かされる。
ミランダが初めて見る大勢の人間たちに驚き、その多様さに美しいという台詞は有名だ。ちなみにこのミランダ(Miranda)とは「不思議、驚き」(wonder)の意味ががあるらしい。ミラクルとかそれだ。
世界の多様性に驚くミランダにふさわしい名前だと思った。
私が一番、好きなシーンは最後にプロスペローが一人、観客に語りかけるエピローグだ。
魔法の力を失い、解放される自分を観客に許しを請うのだが、この物語がシェイクスピア最後の戯曲だと思うとさらに感慨深い。
このお話の主題は赦しと解放だ。
物語はいつか終わる、それは必然だろう。だって夏休みだっていつか終わるのだから物語だけが永遠に続くのは不公平だ。
『余興はもうおしまいだ。今の役者たちはみな精霊だ。空気、薄い空気の中に溶け去ってしまった。
吾らは夢と同じ糸で織られているのだ、ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる……』
そっと目を閉じれば私達は現実から目を背け物語へと入り込むことが出来る。
夏休みが終わる。それが現実だと受け入れられないなら少し寝てみるのもいいかもしれない。たまには本を開き没入するのも良い。
いつかこの夏休みが良い思い出になる日が来るまで……
眠れない夜に本を読む 冬山 七 @10yama7
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