第十話 悪夢二
入院初日の夜、電気の消された病室で、俺は寝ようとした。ようやく過ぎ去った一日を思い起こしながら。ところがうまく思い出せなかった。何度も何度も中断した。最初は理由がわからなかった。
あるとき気づいてみると、隣のベッドで寝ている患者が何事かつぶやいているのだ、途切れることなくずっと。その小さな声が耳に入って眠ることに集中できないのだった。
驚いた。独り言を延々と続ける人間を初めて目の当たりにした。いつまでその状態だったかわからなかった。話し声の中でいつの間にか俺は眠っていた。夢を見る直前まで隣の声が耳に入ってきていたのを覚えている。
しかし、まさかずっと毎日そんな状態だとは思わなかった。そこまでの苦痛は想像の範囲外であった。にもかかわらず想定外の事態こそが現実だった。隣の患者は静かになるとすぐに泣くような調子で独り言を始めた。俺は本能的な恐怖を覚えた。夜だけなのだろうと思っていたら、まもなく昼間も同じことが始まった。ほとんど肉体的な恐ろしさに俺は震える思いであった。それは、叱られているときの気まずさとどこか似ていた。
最初は驚きであった。やがて恐怖に変わった。またしても予想外だったのは、慣れてくると、これが少しずつ苛立ち、怒りに変わってくることであった。
はっきりとしゃべらないから独り言の内容は聞き取れなかった。だが単語から察するに同じ話を繰り返しているのであった。しつこいと感じた。毎日毎日同じ内容の独り言ばかり聞かされているのだ。その度思考は中断され、彼の方へ意識が持って行かれる。幾ばくかの恐怖を覚える。疎ましかった。聞き覚えのある単語が出てくる度に頭に血が上った。他の二人が全く気にしていないのが不思議でならなかった。
布団を被ってベッドに潜っていてもなぜか耳に入ってくる。うめくように泣くように彼は声を発する。いつ何時始まるかわからない。始まると長時間終わらない。終わったと思ったらまた始まる。
二週間耐え続けた。だが限界だった。独り言が三十分続いたとき、とうとう我慢出来なくなった俺は、立ち上がってスリッパを足に引っかけた。殴ってやろうと思った。殴れば静かになるだろう。何とかしてあの声をやめさせたかった。
ところが、一歩踏み出し、二歩歩いたその瞬間、俺の心に疑問符が浮上した。俺は病人を殴るのか? 入院して病気の発作に苦しむ患者に、ただうるさいからという理由で暴力を振るうのか?
できなかった。俺は引き下がった。何事もなかったかのように独り言は続いていた。
悔しさのあまり、思わずティッシュボックスを、食事の際に使うミニテーブルにたたきつけた。箱が潰れる鈍い音がした。すると、独り言が止んだのだ。
これは発見だった。誰しも、驚いているその瞬間だけは、正気に戻らざるを得ないのだ。
以後、俺は我慢できなくなるとティッシュボックスをミニテーブルに落とすようになった。毎回というわけではないが、結構な頻度で実行した。そうしなければこちらの頭がおかしくなってしまいそうだった。
入院も残すところ三日というところになって、俺のところに主治医がやってきた。別室で話をすることになった。
パジャマとスリッパで面談室に座るのが入院患者らしくて嫌だった。いくらかの緊張も薄い衣服のせいで――俺はとにかくあの格好を、一刻も早くやめたかった――消散していくようであった。
てっきり、あと三日で退院だから支度をしておきなさいくらいに言われるのかと思っていたら、違ったのだ。主治医は妙に優しい声で話し出した。
「相沢さんねえ、一ヶ月で退院ってことになってたけど、どうも最近怒りの感情が表れてきているみたいなんだ。おそらく休んでいる間に身体の中に溜まった怒りが表に出てきたんだろう。その状態で退院しても、日常生活に支障を来す可能性が考えられる。あと二週間くらい入院してみる?」
「俺は平気です。退院させてください」
「確かに嫌かもしれないけどね、一度退院して、もしまたすぐ入院ってことになったら、手続きも大変だし、ベッドが埋まってて入院自体できなくなるかもしれない。そうなったら困るよね? 今、入院する人多いんだよ」
嫌です退院させてください! 俺は溜まった怒りなんて表してません! 正気です! ここから出してください! 今すぐに!
医者の両肩をつかんで揺らしながら懇願したかった。しかしできなかった。それこそ狂気だろうと判断したのだ。
力なく、わかりました、と答えた。
暗い病室に戻ってきて、俺は隣のカーテンをこれでもかと睨み付けた。カーテンの中からはたわいのない寝息が聞こえていた。
延長された二週間は置物になった気持ちで耐えた。今度こそ気が狂いそうだった。それでも俺は退院したかった。俺の悪夢は一ヶ月と二週間で過ぎ去った。
退院後はまともな食事が非常に幸せに感じられて、しばらく目一杯おかわりする日が続いた。小食に慣れていたから毎食のように腹を壊した。それでも食事は素晴らしいと気づけた。風呂に毎日入るとずいぶん身体は清潔に保てるのだということを初めて知った。一度失ってみなければ有難みなどわからない。その頃は両親もいつになく俺を丁重に扱った。親戚が会いに来たりもした。
入院したのは高三の夏だった。当然受験勉強などしていなかった。退院後しばらくたってから勉強を再開しようとしたら、シャーペンをうまく持てなくて少し字を書くと手が痛くなった。ずっと鉛筆を握る動きをしないでいたから、手の筋力が衰えていたのだろう。そんな痛みはついぞ体験したことがなかった。小学校に入って以来、字を書かない生活が続いたことはなかったはずなのに。ひどく情けない気持ちになった。まずは手の運動から始めなければならなかった。
こんな状態であったから、現役でどこかの大学へ入るのは絶望的だった。学校へは十月に復帰したが、迷う余地もなく浪人した。今ですら働くことを禁止されているのに、当時就職など医師に認められるはずがなかった。専門学校へは行きたくなかった。だから大学へ行くために浪人するか、もしくはずっと無職でいるしかなかったのだ。そもそも高校を三年で卒業できたことが奇跡的に思われた。
だが、一年浪人しても、勉強は思うとおり進まず、受験しても悉く落ちた。驚くべきことに、見事に一つも引っかからなかった。体力のことを考えて受験校を少なくしたのが裏目に出た。
途方に暮れていた頃に、父が通信制の大学の情報を得てきた。入試は作文を提出するだけだった。こうして俺は今の大学へ入った。
***
あれから三、四年経つ。あの独り言男は今頃どうしているだろう。ことによると、まだあの病室で泣いているかもしれない。
俺は結局あのときも壊れることはできなかった。追い詰められて真っ暗闇から出られなかったあのときですら、いくらか寄り道して、日常生活に戻ってきてしまった。今は大学の課題をこなせるくらいに回復している。精神疾患的な症状はほとんど消えた。思い返すだけで涙が出るような道のりだった。
壊れることも逃げることもできない。このまま生きるしかないのだ、不幸でも。他に行き先はない。もしまた臆病さと怠惰さを示したとしても、行き着く先はせいぜいあの病室だ。
「あんなところへ戻るくらいなら今のほうがずっとましだな」
声に出してつぶやいた。吐き気がする。締め付けられるように頭が痛い。スマートフォンを放り出して、俺はベッドに倒れ込んだ。意識はよろめきながら去っていった。
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