第八話 屈辱の同窓会
下りの電車に乗るのは何年ぶりだろうか。オレンジ色の懐かしい駅名がパネルに表示される。今日は地元の駅を反対向きに離れていった。日没後に下るのは初めてだった。高校時代は夕方上って帰ってきていたのだから。新鮮なような覚えがあるような不思議な感覚だった。
妙な焦燥感は期待によるものだろうか。座席から立ち上がって歩き回る衝動に駆られる。スマートフォンを確認した。誰かから何か連絡が入っているかもしれない。
予想に反して何もなかったが、今頃は皆集まっているのだろう。学年の四分の一程度が参加すると答えていた。だいたい五十人だ。今夜は仲間が五十人もいるのか。
辺りはすっかり暗くなっていた。指定された駅の前に着く。だが、それらしい人は誰一人いない。四方八方を隈無く見渡してみるが、二十歳か、二十一歳の若者の姿は見えない。もう集合時間の十五分前だというのに。
場所を間違えたのだろうかと思ってなんども連絡アプリを開いて確認したが、確かにこの駅だった。念のため反対の降り口も見てみるが、そちらは人の気配すらしなかった。
我慢してしばらく待った。ゲームがしたかった。しかしゲームに夢中になっていると集まった同級生に気づけないかもしれない。そう思うとできなかった。駅の周辺は明るかったが、少し離れると、暗くて人の顔が見えない。ロータリーに沿ってヘッドライトが通過していくのを黙って見ていた。
集合時間の五分ほど前になって、ようやく同級生が現れた。二人組の女性だ。彼らだけやたらきらびやかに見える。俺を見るとこちらへ寄ってきた。どういうわけか顔を見て大笑いされた。
「えっと、相田君だよね」
「相沢です」
「あ、そうだ。相沢君だ。ごめん間違えた」
「超失礼じゃんなにやってんの利恵」
そう言い合ってまた大笑いする女性二人。本当に失礼だ。間違われる方の身にもなってみろ。
二人組は談笑を再開したが、相手は女性である上にそもそも全然話したことがない人たちだったので、それに加わるわけにはいかなかった。ただ場所と時間を間違えていなかったのには安堵した。
次に一人の男性がやってきた。この状況なので、てっきり俺と話をするのかと思ったら、彼は女性二人を相手に話し始めた。三対一の構図ができあがった。
面白くない。早く俺と親しい奴が来ないだろうか。
それから少しずつ人が集まりだしたが、話ができそうな相手はなかった。それぞれが既に盛り上がってしまっていて、割って入る気になれなかった。
再会を喜ぶ同級生達を端から眺めていたら、幹事が店へ行こうと合図した。
通された席は座敷で、大きなテーブルが2つ予約されていた。皆の後をとぼとぼと付いていって、最後に腰を下ろした。このときだけ注目を浴びた。俺が座るのを全員が待っていたのだ。
明るい室内に入って、ようやく皆の顔がわかるようになった。見覚えのある顔は一つ残らず変化していた。卒業から三年の間にずいぶん薄汚れた俗物になるものだ。
やがてビールが来て、幹事が挨拶を始めた。同級生のはずなのに、どこか違和感があった。確かに知っている奴であった。一度くらいは話もしたことがあると思う。だが全然自分と雰囲気が違うのだ。あのような立派な口上を大勢の前で披露することは俺には出来ない。差がついている。皆が成長しているのに俺だけ高校生の時と変わらない。何だか知らない飲み会に居合わせてしまったかのような感じがした。
「……ということで、今回は忘年会として楽しんでいただけたら……」忘年会!? そうだ。忘れていたがもう年末じゃないか。恐ろしい予感がしてスマートフォンのカレンダーを取り出した。来週はもう年末年始の休暇に入ってしまう。ということは授業もなくて火曜日にもかかわらず前川さんに会えないではないか。迂闊にも、週が変われば自動的に彼女と会えるものだと思い込んでたが、もう授業も残り少なく、あと二回か三回で終わるのであった。
どうしよう。俺はうなだれた。きっと、もう仲良くなるチャンスなどないのだ。時間が経ちすぎてしまった。会えただけで満足して無為に過ごしてしまった。そもそも最近は会うことすら出来ていないが。
胸が詰まるように苦しかった。それでも作り笑顔で乾杯をしなければならなかった。周囲の笑顔が沈んでいく心を余計に際立たせた。
気がつけば俺は一人だけ黙っていた。隣は両方逆を向いて話を始めていた。焦って会話に加わろうとしたが、大して親しくない相手なので何を話したらいいかわからなかった。うろたえている間に会場は盛り上がり始めた。
ひとまずビールを飲んで平穏を装う。なんだか変な味だ。飲んだことがないメーカーのようで、口に合わない。
場の空気を壊すのが嫌なので、誰かと話をしたいのだが見つからない。
野崎を探してみた。修学旅行で仲良くなったあの男を。だがいなかった。そういえば彼が参加するかどうか確認していなかった。
大木はいるはずだ。皆大人しく座っているのをやめて入り乱れてきた。俺も立って大木のところまで行こう。そして何か話をしよう。
そうはいっても立ち上がるのは気恥ずかしい行為だった。両隣が俺を一瞥した。アルコールの入った身体はバランスがややおかしい。座った同級生にも荷物にも当たらないように間をすり抜ける。結構危うい道のりだった。
大木の近くに辿り着く。話が中断するのを待って、肩をたたいてみた。
「おお相沢ちゃん! 元気か?」
「元気だぜ。大木は?」
そう尋ねると彼は両手を一度叩いてから親指を立てた。
「もちろん元気。で、どうしたの?」
「えっ」
「どうしたの。相沢。どうした?」
「話をしようかなと思って」
「イエーイ! ほら聞け! こいつが面白い話をするぜ」
大木は周囲に呼びかけた。もしかして俺が一人で話をしなければならないのか?
「調理実習の時さあ」
「うん」
「オムレツ焦がしたよな」
「うんうん……ってオチないのかよ。オチをつけろよ」
「あ、ごめん」
「いや、いい、いい」
すると誰かが
「なあ吉田先輩後で来るってよ」
と言った。すると大木とその周囲の人間は俺を取り残してその話題に移ってしまった。さては同じ部活の奴らで一緒にいるんだな。
いつまでもそこにいてはおかしいので、俺はそうっと席に戻った。
もう話が出来そうな相手はいなかった。中野がいればなあと俺は嘆いた。嘆きながらひたすら食事をした。ゲソ揚げをつまみにビールを飲んで、サラダを噛んだ。没頭しているとそれはそれでうまい食事だった。周りがうるさいのは難点だが、普段こんなに酒を飲める機会はない。一応満足をしているつもりだった。現実逃避をしなければ耐えられなかった。
だが逃げられない現実が俺を襲った。
何だか静かになったと思いながら、相変わらず咀嚼をしていたら、聞こえてきたのだ。
「はい。チーズ」
聞き取れたときにはもう遅かった。シャッターは押されていてポーズを取る暇がなかった。
アプリに送っとくねと写真を撮った女子が言う。俄然盛り上がる周囲。完全に俺だけ忘れられていた。輪の外にはみ出ていた。
酔っ払った男女がめいめい顔を赤くして騒いでいる。あちらでもこちらでもグラスが逆さまになって中身が口に注がれる。何人かが店員を呼んで追加注文する。理性を失った笑い声。店のBGM。食器がぶつかり合う音。拍手。酒と揚げ物の臭い。食べかす。残されたパセリ。口元の泡。
沸々と衝動が沸き起こってきた。身体がねじれる。奥歯が潰れそうになる。目に圧力がかかる。右手に持った箸をテーブルに突き刺しそうになる。
こいつらは俺が真っ暗な中に宙ぶらりんだったときも、こうやって笑いながら、当たり前のように全ての欲しいものを手にしていたんだ! 俺のことなんか気にもとめずに!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます