第六話 予期せぬ事態
念のためもう一度確認してみるが、何度アクセスしても赤い文字は変わらない。
「悪天候のため×日××~東京間は運転を見合わせております」
「強風の影響により××線午後の運転見合わせ」
東京へ行く経路は完全に絶たれた。高速バス・電車以外の交通手段を必死に考えてみるが、見つからない。タクシーで行くのは狂気の沙汰だろう。
俺を嘲笑うかのように風が音を立てた。関東地方は冬の大嵐に見舞われている。発達した低気圧はまるで台風のような形相をみせた。大雨警報、強風警報が発令され、テレビ画面にはL字の情報欄が出ている。ワイドショーではレインコート姿のリポーターが風にあおられながら苦しそうに中継を行っている。
それにもかかわらず、なぜか授業は休講にならない。大学の休講情報の一覧に中古文学Bはなかった。これでは半分以上欠席だろうに、何を考えているのだあの教授は。
外は夜のように暗かった。打ち付ける雨と切り裂くような風のすさまじい音は、あたかも大洋を渡る船の中で聞こえる波音のようであった。窓を流れる雨粒は水しぶきを連想させた。
嗚呼、会えない! 今週は前川さんに会うことができない。俺は生きる希望を半分失った。以前は前川さんのいない世界でも生きられたが、今はすっかり彼女が心の支え、生きる目的となっていた。
もし今日彼女が出席するとしたら、空席を目の当たりにすることになる。たとえ全然俺のことを知らなかったとしても、いつもいる奴がいなくなっていたら必ず気づくものだ。万一サボったと思われたらどうしよう。いや、天候不良にかこつけてこれ幸いと欠席したと思われる可能性は十分にある。そういえば、おれば前回やらかしていたのだった。ただの不真面目なクズと思われたら……それは絶対に嫌だ。何とかしなければ。
もう一度高速バス、電車、大学の休講情報とホームページを次々見てみる。やはり変化はない。別のサイトを見ているときに変わっているかもしれないからと繰り返しアクセスしてみるが、変化があるはずもなく、風雨はますます強く音を立て、俺はだんだんイライラしてきた。右手は痛くなって、目は疲れが増していく。
エンドレスだったはずの巡回は突然打ち破られた。
音が鳴ってスマートフォンが震え、何かと思えば通知だった。しかもあの全然使っていないメッセージアプリからだ。心底驚いた。画面上部の表示を見そびれたのでアプリを開いて確認した。宣伝かと思ったら、違った。高校の同学年のグループチャットだった。
「××期生の皆さんこんにちは。毎度おなじみ安川俊樹です。卒業から三年。皆さんがどのような大学生になっているか興味深いところであります。皆さんも同じ気持ちですよね(笑)そこで、同窓会を企画しました。急な話ではありますが、二週間後の金曜日夜に××駅前集まれる方は連絡ください。詳細は参加人数によって調整したいと思います」
へえ、同窓会か。思いもよらない連絡だ。まさか高校の同級生に理由付けもせずに会える機会ができるとは。行ってみるのも面白いだろうと思った。たまには中野と飲むのも悪くない。奴はほとんど唯一付き合いが続いている同級生だが、近頃は全然会っていなかった。あれは性格上参加するに決まっている。確かに他の生徒とはあまり話したことがないのだが、それでも一年の頃は多少の交流があったから、行けば楽しい日になるだろう。なおかつうまい料理を食べられるかもしれない。
笛付き薬缶のような風の音で我に返った。そうだ。悪天候で大学に行けなくて困っていたのだった。
もう仕方がない。諦めよう。この天気では前川さんだって外出しまい。都内の交通機関も止まっているだろう。行かない方に賭けることにする。
俺はベッドを降りて机に向かい、大人しくレポートの参考文献を読み始めた。
木曜日。前川さんに会えない方のスクーリングに臨んだ。
通常通り動くバスに揺られながら、どうしてこちらが通学困難にならなかったのかとせせこましい考えを抱いた。このまま行けば、二年次後期のスクーリングは化学2が全部出席、中古文学Bが一回欠席になってしまう。面白くない。逆ならどんなに良かったか。
一週間ぶりに見る東京の街だったが、何も変わったところはなかった。俺の気も知らずに、コンクリートの匂いを漂わせながら慌ただしい日常を享受して、ためらいもなく俺を飲み込んだ。
授業には違和感があった。教授の板書をルーズリーフに写しながら、休んだ後で学校に来たときのあの気恥ずかしさ、いたたまれなさなさを味わった。全くそんな必要がないのにだ。シャーペンを動かしにくかったため、ところどころ変な字になった。
授業後、今更だが教室内に前川さんがいないか見回してみた。いたらなんとかなる気がした。しかしもちろんいなかった。中年の男女ばかりがいた。学部生がわざわざ通教生のための夜間授業をとるはずがない。
次の火曜日までは喪失感でいっぱいだった。何をしても欠席した授業のことが頭から離れなかった。罪悪感と不安と取り返しがつかない悲しみが絶えず胸の内を占めていた。諦めないで探せば行く方法が見つかったかもしれない。電車は一本くらい動いたかもしれない。俺は何より寂しかったのだ。自分が本当に一人きりなのだと痛感したのだ。
凍えるように固まって寂しさの底についたとき、俺は初めて自分の心の奥に足を進めた。じっくりと本当の気持ちを吟味する。自分の寂しさが前川さんの不在を嘆くものなのか、人間一般の温もりを欲するものなのか、混同してはならないのだ。前者を後者と錯覚するなら愚かなピエロだし、逆ならば不誠実だ。不誠実であれば前川さんに対してのみでなく、自分の人生を軽んじていることになるんだ。……しかしどうすれば区別出来るのかわからない。感じるのはどうしようもない孤独感であり欠乏であって、何に飢えているのか判別できるはずがない。他の人間と十分に接する機会があれば、もしかしたらもっと自然な恋愛が出来るのかもしれない。そこまで考えてぞっとした。
彼女と付き合うようになれば、こういった迷いもなくなるだろう、と俺は考えるのをやめた。
金曜日から日曜日まではなんとか我慢した。だが耐えきれなかった。明日になれば授業で会えるとわかっているが、それでも一目会いたくて大学へ行ってしまった。早く着けと急かすような思いでバスのフロントガラスを見つめていた。
今日は構内中彼女を探して歩くつもりだった。いつもの癖で図書館にたどり着いたが、ここにいる可能性は低いのだ。一応見回し、いないのを確認した。ここまでは順調であったが、ときどき発作的にためらう気持ちが足を止めさせた。そして階段を降りながら、とうとうその正体に気づいた。
適当な椅子に腰掛けて、俺はうつむいた。自分のしていることが恥ずかしくてたまらなかった。まるでストーカーではないか。話したこともないのに一方的に想いを寄せて、用もないのに学校へ来て探し回るなんて気持ち悪い。そんな奴は振られるに決まっている。何をしているのだ。思い出してみれば十月のあの日、図書館中歩き回っていたあの行為もストーカーじみていた。消したい過去だ。
こんなことはするべきではない。やめよう。俺は決意した。
図書館に戻って、やることを探した。本は借りられる上限の冊数まで借りてしまっている。しかしコピーすることなら出来た。今準備しているレポートに追加できる内容がないか探してみた。一応目的を達しないと決まりが悪いので、多めに十枚もコピーした。これはこれでよかったのではないか、と自分に言い訳しておいた。
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