第五話 休日

 何はともあれ休日だ。全てのしがらみから解放される、水曜日という素晴らしき日。

 着替えてから、とりあえずベッドに腰掛けてゲームを行った。一度にプレイできる回数の上限にあっさりと到達してしまう。十五分は何も出来ないから、ニュースサイトを覗いてみる。来る日も来る日も凄惨な事件がトップ画面を埋め尽くす。最近興味があるのは経済の記事だから、画面を移動しよう。急成長した企業が大規模な新事業を立ち上げるのは、端から見ていても不思議と心地よいものだ。どういう種類の快感なのか自分でもわからないけれど。

 もう十五分経ったろうかと確認すれば、まだあと八分以上残っていた。毎回思うが待っているときほど暇な時間はない。反射的に他のアプリを開いていく。

 

 昼食は冷凍唐揚げと白米を食べる。昼前はゲームをやって終わってしまった。頭がぼやっとする。静かな家だ。時折窓辺に影が差すのは雲が動いているせいだ。遠くの方で「バックします」というトラックの音声が聞こえた。なぜだか食卓が夕飯の時よりも薄暗く見えた。

 昨日のことを思い出す。疲れのせいでずいぶん絶望的に感じられたが、よく考えれば些細なことだ。あのような不手際は学校で毎日のように展開される。中学校時代などもっと悲惨な場面をいくつも見てきた。

 前川さんがもし俺のことを知らなければ、例の失態はもうとっくに記憶から消えているだろう。もしまだ覚えているならそれだけ俺に関心があるということだろう。どちらに転んでも悪いことはない。何も悩む必要はなかった。

 二階の自室に戻ってきて、伸びをしてからベッドに倒れ込んだ。柔軟剤の匂いがする。顔にシーツの生地が触れる。休日の風通しの良さは何にも代えがたい。普段とは別の人間になったような気分だ。

 食後に甘い物が欲しくなる。コーラが飲みたい。家には無かった。


 自主的に外出したのは何ヶ月ぶりだろう。外の寒さはどこか凛としている。

 十分歩けば最寄りのコンビニに着く。店の前で作業服姿の若者がたばこを吸っている。薄まった煙が俺の鼻にも入ってくる。急に他人を見て、ほんのわずかだが確実に緊張した。情けない。まるで引きこもりではないか。

 中に入れば凝縮された文字と色が目に押し寄せる。BGMが独特の慌ただしい雰囲気を醸し出している。加えて接客する店員の声とレジ打ちの音がひっきりなしに聞こえてくる。情報がいきなり大挙して頭になだれ込んでくるのだ。

 みんなこんなに忙しない世界に生きているのか、とため息をつきたくなった。

 冷気を浴びながらコーラを一本取り出し、冷蔵コーナーの重い扉を閉めると、吊り下げられたプリペイドカードが目に入った。目に入ったからには買わないわけにいかないのだ。一枚取ってコーラと一緒にレジに出す。

 いるんだよな、この男が。こちらを一瞥したのは戸村という同級生。俺が高校を卒業する前からこのコンビニでアルバイトをしているようだ。たまに来るといつもレジを打っている。

 この茶髪の男とそんなに話したことはない。小学校のとき一度だけクラスが同じで、そのときはそれなりに遊んだりしたが、クラス替えの後はぱったり話さなくなったし、中学校は同じだったはずだが廊下で見かけた記憶すらない。それでも戸村光樹という名前は覚えているし向こうもたぶん俺を覚えている。

 彼のことはうらやましく思っている。仕事のために週の何回かは決まってここに来るのだろうし、バイト仲間達から存在を認識されているはずだ。更に給料を自分の思うように使えるのだ。俺もそういう生活がしたい。

 先月主治医がアルバイトを認めてくれたら、ここで働いていた可能性が高い。誰にも明かしていないが候補の一つだった。


 ゲームの中毒性には驚かされる。こうしてコーラのキャップを開ける前に、ゲームに課金する作業を完了させていた。無事に数字が増えたのを確認してからやっと喉の渇きに気づいたのだった。

 タバコは吸わないし酒もたまにしか飲まない。夜遊びもしない。そんな俺だがスマートフォンのゲームには散財してしまう。人間は何かしらの道楽を持つものだ。課金した分、目が痛くなるまでプレイした。また時間制限がかかったとき、覚えたのは空しさだった。

 好きなだけゲームをするために休日を設けているような気さえしてくる。


 とっくに外は暗くなっていた。慌てて洗濯物を取り込みに行く。母が帰ってきたとき洗濯物が干しっぱなしではまずい。真っ暗な中に白いシャツやタオルが光って見えた。触ってみると、やや夜露でしめっている。洗濯ハンガーを持っていた手には乾いたプラスチックの匂いが残って疎ましかった。


 統一感のない皿に夕食が盛り付けられている。俺と両親の好物しかテーブルに並ばない。

 テレビでは野球中継が放送されている。シーズン中はほとんど毎日野球中継を観る。両親が好むためだ。俺は全然興味ないが。

 熱心に観ているのは母だ。片時もテレビ画面から目を離さない。一方父は冷静な態度を決め込んでいるらしく、コマーシャル中に俺に話しかけてきた。

「なんだ浮かない顔して。何かあったのか」

特に浮かない顔はしていないが。

「浮かない顔って何。他のやつは浮いてんの?」

「屁理屈を言うな。何かあったのかと聞いているんだ」

面倒だから適当な答えをあてがうことにする。

「失敗したんだ。学校の授業で」

「そんなことで落ち込んでいるのか」

「気にはしているかな」

「お前、失敗なんて今までの人生で何回してきたんだ? 一〇〇回か? 二〇〇回か? 二〇〇あるものが二〇一になったところで何か変わるか? 気にする必要なし」

そんな理屈があるか。

「でも俺は確実に何かを失ったんだ」

「人間毎日確実に何かを得て何かを失っているんだ。普通のことだ。気にする必要なし。日常茶飯事。ちゃめしごと」

いい加減なことばかり言う親父だ。返答に困らせてやりたくなった。

「金がない」

「それは、仕方ないな」

「ゲームに課金したら一五〇〇円消えた」

「割り切るしかない。ゲーム自体無駄なものなんだから、金と時間をドブに捨てるつもりでやらなきゃな。あんなくだらない遊びを真剣に考えるな」

半端な気持ちでゲームが出来るか馬鹿親父。人間生きているとどうしても連続でガチャ引かなきゃなんねえときがあんの。不可避なんだよ。

 などと口にはださなかった。

 コマーシャルはとっくに終わっている。

「あー。また打たれてる! ちょっとぉ! どうしよ負けちゃうよパパ」

「だから言っただろ、今日は負け試合だ。しょっぱなから打たれてて話の他。論外」

 俺は一生この話題の部外者であり続けようと思っている。無言で豚肉の生姜焼きを白米と一緒に頬張った。


 気づけば三十分以上パソコンに向かっている。動画を一つ見終えた後、ふと右下の時刻表示を確認して

「明日は駄目スクじゃん」

と思わずつぶやいた。自分でも驚いた。前川さんに会えないスクーリングを駄目スクと呼んだのは初めてだ。中学時代に吹奏楽部の女子が駄目金がどうだとか言っていたから、不思議に思ったので、なんのことか聞いてみるとコンクールの話であった。コンクールには金賞・銀賞・銅賞と成績がつき、金賞のうちの何校かは上のコンクールに進むことができる。反対に、進めなかった金賞は通称駄目金らしかった。だからといってどうして今ここでそれを真似したのかはわからない。化学の授業も俺にとっては大切なはずだ。つい気持ちが緩んでしまった。パソコンをシャットダウンした。何の音も聞こえなくなった。

 

 疲れと眠気は休日相応の弱さだった。果たして無事眠れるか不安だ。明日はこの時間まだ帰れないな。色とりどりの錠剤たちを一気に口に放り込む。

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