アイツはゴダールをみる女

 アイツはゴダールを見る女。

そう。つまり、あいつは、ゴダールを見るような女だ。それ以上でもそれ以下でもない。

大学の映研の二度目の会合。新入り同士で持ってきた映画を見る。新入生は三人居て、俺、もう一人、そして例の女。確か俺はその時、バートン版『バットマン』を持っていったはずだ。

どんなサークルでもそうだが、大抵こういう場面では女が優先される。誰もそれに疑いを持たない。無論、俺も持たなかった。しかしそれ以降、俺はこうした天然自然な人間の諸動作に疑問を覚えるようになった。

そう、つまり。

あいつが持ってきたのは、ゴダールの『気狂いピエロ』であった。

俺は人生を適当に生きてきて、適当に映画を見続けてきたわけだが、ゴダールは一本も見たことがなかった。そして、俺にとってのゴダール映画のイメージはこいつによって策定された……これは恐らく、一人の映画監督と出会うには最悪の形式であっただろう。

退屈な映像が百十分間流されて、終わった頃には三人のうち一人は船を漕ぎ始めていた。俺は溜め息を我慢するので精一杯だった。

あの女はいけしゃあしゃあとこう言って述べた。

「やっぱりゴダールって天才なんだよね」

 続く言葉はこうなった。

「今度はみんなで『勝手にしやがれ』を見ようよ」

 奇しくも俺のその時の感情はあの女の言い出したゴダールの映画そのままであった。

つまり、こう……「勝手にしやがれ」!


* * *


 あの女は退屈な映画が好きだ。それも、うんざりする程退屈な映画を好む。ゴダールがその筆頭にして最巨悪とも言うべき立場にあり、次に出てくる映画監督と言えばやれパゾリーニだタルコフスキーだと言ったような者共で、名作としてオーソン・ウェルズ『市民ケーン』や黒澤明、D・W・グリフィスなんぞを見たことはあるにはあるが『市民ケーン』は内容がポップ過ぎるといい、グリフィスに至っては「退屈だ」などという妄言を吐く始末であった。俺からすればゴダールの方が余程退屈であったし、とは言え俺も、グリフィスの映画を面白いと思ったこと一度もないという事実がそこにはあった。


* * *


 あの女に対する最初の印象がそうであったように、俺とあの女とは根本的なところで趣味が合わなかった。

俺がティム・バートン『バットマン』を持ち出した時には、開幕早々

「『ダークナイト』の方が面白いじゃん」

 と言ってのけ、そこに居た先輩を含む複数人のシネフィル野郎共に戦慄を覚えさせた。

『バットマン』と『ダークナイト』のどちらが良いか、というのは映画好きの永久のテーマであり、これの話だけで酒の場は一晩、完全に消費され尽くすであろう。

つまり、なんだ。

たった一口で言い切れる問題ではないのだ。『バットマン』と『ダークナイト』のどちらの方が面白いかと言うものは!

結局『バットマン』が終わった時に、あの女は一言

「なんか暗いよね、ティム・バートンの映画って」

 と、これまた実に雑な言い切り調でもって感想を述べたので、俺は思わず言ってしまったわけだ、そう。つまり

「君はさ。『エド・ウッド』を見た上でそれを言っているわけか?」

 すると、女はこう言った。

「エド・ウッド作品を好き好んで見るような奴が映画を語るべきじゃないんじゃないの」

 ほほう。

成る程、成る程。

そういうことか!

エド・ウッドとは史上最悪の映画監督であり、故にエド・ウッドとそれに関連したトークは展開する価値のないものであるという認識があの女の中にあるわけだ。そして、エド・ウッドを好き好んで語りたがる、その筆頭としてあの女の中にはティム・バートンが存在していたのである。


* * *


 俺の映画の趣味はわりとシンプルだ。殴った蹴った撃った爆発。次に筋肉ムキムキマッチョマンが画面に現れて、戦車や航空機が出てくればゴキゲンであり、アーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスター・スタローンを同じ映像の中に収めたという一点だけでも『エクスペンダブルズ』には語るだけの価値があるというのが俺の考え方だ。

しかし、同時に。

俺は多少凝った映画も見ることができると自負している。俺はキューブリックだって好きだし、オールタイム・ベストは何かと問われれば『アマデウス』や『時計じかけのオレンジ』や『市民ケーン』を外すことはできないと考える。そういう男だ。

だから。

だから俺は、あの女ともきっとどこかで分かりあえる一点が存在すると思っていた。そう思い込みたがった。何せ、異性と映画の話が出来る可能性があったわけで、それは男子にとってはそれなりに重大な事項であった。例えあの女がゴダールを好き好んで見るようないけすかない奴であったとして、それのみをもって会話を放棄出来るほど、俺も他の男子も枯れ果ててはいなかったのである。

撃沈する奴も居た。新入り三人のうちの一人。映研で見る映画に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を持ってきてしまうような、哀れにして実直な彼。きっと悪い奴じゃない。ただ人間の淀みみたいなものに対する一種の観察眼が足りなかったというだけのことである。言ってしまえば悪いのは、ゴダールを見るあの女とか……或いは、俺みたいなシネフィル野郎であり、彼には罪がない。

しかし。

だからと言って、背伸びは良くない。無理をしてゴダール映画を見始めた彼は傍から見てて分かりやすくあのタチの悪い女に惚れていた。

あの女がゴダールを好むのは繰り返し、繰り返し述べたことではあるが、例えばあの女が『未来世紀ブラジル』を好きだと言えばそれを見たし、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督作品『豚小屋』を面白いと言えば、無理してTSUTAYAでビデオを借りてきた。そうした実直な人間性が滲み出る真っ直ぐな努力は果たしてあの女には全く通ずることがなく、彼はあの女に告白し、見事に撃沈し、ショックのあまり楽単を幾つも落っことす羽目になる。


* * *


 何故俺がくどくどくどとあのゴダールを見る女について語るのかと言われれば、何か嫌なことがあったり、或いは夜中に眠りにつけずぼんやりと部屋の暗闇を見つめている時などに、あの女から受けた様々な形での苦痛が徐々に蘇ってきて、その度に俺は何か取り返しのつかない損害を受けたような気持ちがして、さらに気分を悪くするといった事態に陥るからである。

一つ一つ、あの女の行動によって被った損害を数えていく。一つ数える毎に俺が一円を貰える立場であったなら、今頃俺はロマン・アブラモヴィッチ並の大富豪になっていたはずだ。

大体。

大体だ。考えてもみてくれ。

ゴダールが好きな女と俺に、どのような接点があると言うのか。

映画という如何にも範囲の広い娯楽をとってみれば確かに俺とあの女には共通点があった。しかしそれは、言ってしまえば『袖すり合うも他生の縁』というものに近く、その程度の繋がりで異性との会話が薔薇色に広がるというのであれば今頃には中東で長く続く紛争も終わり、国境なき世界が訪れ、ジョン・レノンが言うような想像力の行使抜きに世界は一つになったかもしれないのだが、現実として、そうではない。

あれは打ち上げの時。あの女に告白した彼は哀れ自主的退部によって縁遠い人となってしまい、そうしたあの女の悪逆無道について一つ一つ思い出しながら烏龍茶をズズズと啜っていた瞬間である。

言ってしまえばあの女は、見てくれだけは良い。小柄で、ハッキリとした色を持ったフレームの眼鏡をかけていて、セミロングほどの長さの髪を日によって適度にラフかつ可愛げにアレンジしていて、外に出れば露出の多くない何やらふんわりとした小洒落た服を着て来て、そんなもんだからこの女に内心入れ込むような奴が何人も居た。

それでも。

あの女に告白しようと考える奴があまり居なかったのは、例の新入生の一件があったということもあったし、ホモソーシャル的な野郎共の関係性に積極的に水を差したいと思わないというような一種の紳士協定もそこにはあったのであろう。というか恐らく、あの女の言い回しから察すれば、あの女を積極的に嫌っているのはどうやら俺ぐらいなものだったらしいことがこの間判明した。

あの女は。

先輩含む野郎連が何やら映画の話で沸騰したように盛り上がるのを尻目に、一言小さく俺に対し言ったのだ。

「ねえ、結局君ってどんな映画が好きなの?」


* * *


 たった、その一言。

そんな何でもない日常的な、常識的な範囲に収まるその文言が俺にとっては青天の霹靂であった。

言ってしまえば俺は、彼女を積極的に邪険に扱うようなことはしなかった。それは紳士的な男性である以上、わざわざ女子に対して悪印象を積極的に植え付ける必要性を感じなかったからでもあり、そもそもが映研の人気者である彼女に対してそのような態度を取れば、俺の立場の方が余程怪しくなるためである。

だが。

もし仮に俺が映画の登場人物であったなら、彼女を好んでいないことが分かる程度のいわば"演技"をしていたつもりではあり、そうなれば彼女の方から俺に向かって話しかける必要性はどこにもないであろうことは、少なくとも彼女には理解できたはずだ、と思う。

動揺のためにほんの少しだけ間が空いた。だが俺は、言葉を発した。

つまり、このように。

「最近は、黒澤明をみたよ」

 彼女は笑ってこたえた。

「へぇ、黒澤明。いいよね、面白いよね。私も好きだよ『隠し砦の三悪人』!」

 これだ。

「『乱』は面白かったよ」

 すると、彼女は不機嫌そうになった。

「あれ、なんか暗くない?」

「それがいいんだよ」

「やっぱさぁ、黒澤明はヒューマニズムだって私、思うんだ。そう考えたらさあ、『乱』って露悪的って言うか、そういう感じがしちゃうんだよねえ」

「そうか」

 俺が言うと、彼女は笑った。この女がゴダールを見るような奴だと知っていなければ、恐らく惚れたであろう。そう確信させられる笑みであった。

「うん、そうなの」


* * *


 また……ある時の出来事だ。俺は新宿にあるディスクユニオンに行って映画を探していた。ここではハイソな映画や珍しい映画のDVDが中古で並ぶことがあり、俺はそれを狙ったわけである。

そこに、あの女が、居た。

あの女は俺を見て手を振った。笑みを浮かべていた。何が嬉しくて笑う必要があるんだ。その顔を見れば可愛げなのが余計にむかっ腹が立つのだ。

「君もなんか洋楽とか聴くの?」

 自然に、彼女は俺のそばに寄って、そう質問をした。

俺は答えた。

「そりゃあ、聴きはするさ」

「へえ。例えばどんな?」

「ワイルド・フラワーズとかソフト・マシーンとか、キャラヴァンとかだよ」

「なにそれ~」

「カンタベリー・ロックの代表だよ」

 俺が言うと、彼女は言った。

「そんなさぁ、難しくて気取ったものばっかり聴いてると、早くボケが来るんだよ。知ってた?」

 知るか馬鹿野郎。

「さてさて。そんな頭が硬いキミに向けて私が一つお勧めを出してしんぜよう……じゃん、ザ・ビートルズでペイパーバック・ライター。私、ビートルズ大好きなんだ」

 言って彼女は俺にビートルズのCDを押し付けてきた。

「んじゃ、また。映研で~」

 そうして彼女はディスクユニオンから去っていった。そこに一人取り残された俺は一言、こう呟いた。

そう、つまり。

「俺は……ビートルズが大嫌いなんだよ」


* * *


 あの女。

ミセス・ゴダール。退屈な映画を愛する女。シネフィルを煮込んで作ったママレード・ジャム。

何故かあの女と俺には、妙な接点が生ずることが度々あった。

例えば、俺が何の気なしに取った比較文化学の講義に、何故かアイツも潜り込んでいたという事実がある。嫌な話だ。俺が道楽で受ける講義をアイツも取っているということはつまり、アイツと俺は似た趣味を持っているのだということになる。アイツの学科は俺の所属する学科よりも非実学的なものではあったが、その上でこの比較文化学の講義があの女にとって必要不可欠な単位であったとはとても思えず、実際に講義を受けている間のあの女の態度と言えば、とてもじゃないが褒められたもんじゃなかった。

講義が展開されていく中、あいつは欠伸を噛み締めたり、ケータイを弄ったり、しまいには酒を飲み始めた。

見れば誰でも分かる、ブラックニッカのポケットサイズ。

あの女の隣の席に座っていた俺は、思わず肩を小突いて、言った。

「講義中に何やってんだ」

 短く、そう言うとアイツは俺の顔を見、ニヘラと笑みを浮かべ、こう応えた。

「映研の君じゃないか。こんなところで偶然だねえ」

「全く、そうだろう。でもなあ、お前それはどうなんだよ」

「それ? ……ああ、『これ』ね。君も飲む?」

「飲まない。大体俺はウィスキーはあまり良くないんだよ。頭痛を起こす」

「私は赤ワインでそうなるな~」

 良い赤ワインを飲んだことがあるか、と聞きそうになっていたのを堪える。そこまで物事が合わないことがあるのか、と俺は少し驚いていた。

「大体。そもそも……」

 普通の話し言葉でも講義中は目立つだろう。俺は彼女に身を寄せて、小声で話をする。しようとする……ん、何だ? こいつ……良い匂いがする。講義中にウィスキーをストレートで飲む女から漂う、何か言い表しにくい、こう、木のような、何か柔和な匂いがする。

ふざけるな。

何故俺がこの女に、何か、ドキドキとした感情を抱かなければならないのか! 理不尽だ。不条理だ。その事実を直視するだけで、俺の脳内ではソフト・マシーンの名盤『Third』の入りの部分の、あのどんよりとした音楽が流れ出す――ような、気がする。気のせいかもしれない。なんであれ、不必要なぐらいに心が動かされてしまったのだ。

そんな俺を外からみて、あいつは何かを察したのか、一言。

「そもそも……なあに?」

 と質問してきた。

俺は答える。答えなければならなかった。そうしなければ俺は、何かおかしくなってしまうような気がしたからだ。

俺は言った。酒が回っているのか、仄かに赤い色の差した彼女の頬に目を向けながら。

「講義中に酒を飲む馬鹿がいるか」

 彼女は答える。

「あら、意外と真面目なんですねえ。こりゃ参った。偉いねぇキミも、案外……」

 とろけた目つき。度数恐らく四十%ぐらいはあるであろうウィスキーのがようやく頭に回り始めたらしい。

「言わんこっちゃない。ウィスキー飲めば誰だってそうなるに決まっているだろうが」

「普段はそんなことないんだ。でも何か今日は……良くない酔い方をしている」

「知ったことかよ」

 不思議なもので、このようにしたたかに酔っている彼女の姿を見ていると、俺は……少しぐらいであれば、この女に優しく接してやっても良いのではないか? という気持ちが浮かばないことも、なかった。

女は言う。

「あのさ、君……この後、暇?」

 どきりとした。何故って、この時の彼女は何か妖艶な気配を漂わせていて、それでいて、なおかつ先程の『匂い』の記憶が鮮烈に残っている今、俺は何か間違いを犯すような……いや、犯しても良いような、そんな気持ちに。

「この後の授業サボって、アップリンク行こうよ」

 前言撤回。

前言撤回だ。

「アップリンクなんか行って何見るって言うんだよ……マジで何見るつもりで言ってるんだよ」

 アップリンク。お上品で何かアーティスティックな映画ばかりを上映する劇場系列。新宿辺りの劇場でよくある豪華な建物や音響設備も人だかりもない癖に、上映時間になるとほぼ満席になる――あの劇場!

「別にいいじゃん、何見たって。面白い映画ばっかりなんだから」

 ほら、こう来た。こう来るよな……こう来るに決まっている。

「冷静に考えろよ。ウチの大学近くには名画座もある。それじゃいかんのか?」

「だってあそこ今クリント・イーストウッド特集やってるじゃん。何が楽しいの?」

 この女はそう言って、俺が崇拝する映画監督の一人を軽い調子で罵倒して見せた。

しかし今日の俺は優しかった。もう少し歩み寄りを見せてやろう。そういう、殊勝な気持ちで胸が一杯……いや、胸の内の二割ぐらいに、そうしたハートフルな感情が詰まっていた。

俺は提案する。

「新宿じゃ駄目なのか。新しい映画がいくらでも上映されているだろう」

 そうした俺の献身的な努力の形跡を見ても尚、彼女の態度は変化しなかった。

「じゃ、この話ナシね」

 彼女がそう言った直後、ちょうどその授業は終わった。俺の優しさの貯金も、そこで尽き果てたのであった。


* * *


 つまり、あの女。

そう、ゴダールを見る女。そいつの話を俺はせざるを得ないのだ。映画の棚に恥ずかしげもなく『アルファビル』を置く女。ピエル・パオロ・パゾリーニのことを"ぱぞぱぞ"と呼ぶ女……信じられないかもしれないが、この女が実際にそう呼んでいた。あの、自身の政治信条に反する勢力によって鏖殺された悲劇の映画監督、ピエル・パオロ・パゾリーニが何やらサンリオキャラクターじみた可愛いマスコットのようになってしまい、芸術映画に通じる者が聞けば泣き出してしまいそうなその呼び名……。

残念ながら、俺は異性の経験に欠ける。中学まで女子にあまり興味を持たなかったし、高校時代は映画に夢中でそれどころではなかった。何とかして映画を撮ってやろうと模索し、文化祭の出し物で一人芝居をやってみたり、演劇部に参加してみたりもしたが、目に映るのは映画だけで、部活動に女が居ても興味の湧きようがなかった。

その根本は今も変化していない。

俺は、映画を撮りたい。世の中のいわゆる映画監督と呼ばれる生き物がどのように生まれるのか。その業態はどのようにして成り立っているのかという現実的な装置の話抜きに、俺は映画を撮りたいと思っていた。

そういうわけで俺は、映研にいる何人かの人間を事実上引き抜くような形で、映画を撮り始めた。

映画を撮るという目標にして前提、そして命題を前にして俺は――発奮した。

具体的な手段はともかく、映画を撮ることができる。何と素晴らしいことだろう。その前の労苦全てを想像することなしに、ただただ俺は映画を撮るということそれ自体に興奮した。当時の俺にはそれが可能であった。

舞台は大学キャンパスを軸に、近くの公園や図書館の入り口にキャメラ――そう言ってみたかったのだ!――を回してゲリラ撮影――あゝ何と美しい響き!――をした。許可なんて取るはずもない。検挙者を出したっていいと俺はそう思っていた。実際に検挙されるとすればそれは俺であろうということを考えぬまま、ただただ俺は映像を撮って撮って撮りまくった。

そんな時期の出来事だった。

幾らかの有望な人間を映研から引き抜いて映画撮影を実行し、映研の活動日をすっぽかしているにも関わらず、OB含む先輩方は俺に好意的だった。彼らは純粋に、自分たちの後輩が映画を撮るというその事実のみに注視し、俺を含む映画撮影の中心的な人物らを高らかに褒め称えた……その映画の映像編集を行う監督兼沢山の肩書(使ってみたかった肩書がとにかく沢山あったのだ。アートディレクターとかコンセプトデザイナーとか、そういう、よくある奴!)を持つ俺が映像編集の最中、撮影行為という魔術的な陶酔の中から冷め、もしやこれはエド・ウッドを超えてしまったのではないか? という後ろめたい感情との対比、そのアンビバレントたるや!

俺はOB含む幾人もの先輩方に囲まれて、彼らの奢りで酒を飲んだ。不思議なことにその場には例の女も常に付き纏っていて、常に席の端っこの方で、普段の華やかさとは真反対に地味さを気取るように、ウィスキーをロックで飲み干していた。

OB連はその後も飲み屋を梯子し、梯子し、店が四つ目に至る頃にはOB一人、俺、例の女の三人だけになっていた。

どうやらこの先輩は社会で上手くやれていないらしく、愚痴る相手が欲しかったのだと言う。そんなこともあるだろう、しかし俺は今現に駄作を生み出して、負の権威がエド・ウッドを超えんとしているところでは、俺の優しさも出力不足に陥っていた。先輩が叫び倒し、俺も叫びたいのは十分であったがそれをこらえ、ぐいぐいぐいと焼酎を飲み干し、そのOBが財布の中身を一挙に叩きつけて退店した頃には、既に終電はなかった。そこまでは覚えている。覚えている、のだが……。


* * *


 気付いた時には、俺は見知らぬ部屋に居た。濃紅色のカーペットが敷き詰められたその部屋で、俺は例の女と裸で……裸で?

「嘘だろぉ!」

 俺は叫んだ。

何故俺が例の女と、つまりここはラブホテルじゃないか。何ということだ。というか――どういうことだ? どういうことなんだ、一体!

「やっと起きたよ」

 例の女はそう言って、起き上がり、裸のままで煙草をつける。

「君、マジで下手くそ」

 煙草を吸う女。小さな、非実用的な丸机にはわかばのケース。飲みさしのチューハイがあり、女は中身を飲み干したかと思えば、今度はそれを吸い殻代わりに使い始めた。

「あのさ。これ聞こうか悩んだんだけど」

 もしかして、君。

「童貞?」

 最悪だ。

最悪の事態が訪れた。

色々な感情がぐちゃぐちゃに入り交ざっていて、何から発すればいいか全く分からない。ただ一つ言えるのは、俺はこの女とこういう感じになることを望んでいて、そうしてそれが実現されてしまったことと、その情事の様相が全く記憶にないということへの強い悔恨の念を抱いているということだった。

彼女は俺の返答を待たずに一言、言い捨てた。

「本当、最悪」

「そりゃこっちの台詞だよ」

「じゃ、お互い様ってことで」

「もう、それでいいよ……」

 女が二本目の煙草に火を付ける頃に、もう一つ質問が飛んできた。

「あのさ……酔い、冷めた?」

「覚めてるよ」

「じゃ、ちょっと話付き合ってよ……あ、飲み物まだ冷蔵庫に売ってるよ。何か飲めば?」

 冷蔵庫に売っている、の意味が掴めなかった俺は結局、洗面からとった水を入れてきた。

女は話を始める。

「なんかさぁ、私。綺麗なものだけで人生を構成したかったんだよね。綺麗なもの……誰が見ても綺麗だって言えるようなもの。そういう奴にずっと憧れてて……でも世の中、生きてるだけで人って汚いんだよね。生きてると泥ばっかりついて、綺麗なままじゃいられないんだ……でもさ、映画ってそうじゃないじゃん。駄目な映画でも何でも、映したいものだけを映せるじゃん。それって、良いなって思うんだよね」

「……撮ってみたところで、撮った映像全部が駄目かもしれないんだぜ?」

「それは技術がないだけ」

 彼女はバッサリと言い捨てた。

「技術が追いついていないだけで、美しいものだけを映していることに変わりはないと思うよ。後はそれに追いつくだけの技術が身につけば良い話……」

「じゃあ、それなら……俺が映画を完成させたら、お前はさ」

「見に行くよ」

 見に行く。彼女は断言する。

「あ、もう始発の時間じゃん。今日の講義ふけちゃお」

 そう言って女は服を着始める。

「君は、どうするわけ?」

 そう問われ俺は、俺は……。

「映画を、撮るよ」

 そう答えた。きっと彼女が聞いてきたのはそういうことじゃない。けれども、その答えを聞いて彼女は可憐に――笑った。


* * *


 結局、エド・ウッドを超えよう! という一種の開き直りを得た俺は、沢山の時間と、そしてシネフィルとしての誇りと引き換えに、一本の映画を創り上げた。

その上映会の日、大学のホールの隅には、例の女。ゴダールを見る女の姿があった。

彼女は、笑っていた。目尻に涙を浮かべ、その馬鹿馬鹿しさを笑っていた。

上映会の後、帰り道で幾人かの罵倒を浴びながら、俺はあの女に声をかけた。

「映画、どうだった?」

「クソでした。まごうことなき、クソ映画!」

「そうだろうなぁ!」

 そう二人で言い合い、互いに、笑った。

彼女は質問する。

「で、映画はこれで終わりなわけ?」

「いや……俺、助監やることになったんだ」

「へえ、じゃあ卒業後も業界行くんだ」

「そうなる……お前は?」

「私? 私は就職。スッチーさんになるの」

「そうか」

「かくして私の映画は終わり、日常が始まるのであーる」

「何かの映画のパロディか?」

「違うよ。本当のこと……あのさ」

「なんだよ」

「もし君がまた映画を撮ったら、教えてね」

 そう言って女はその場を去る。

ここで追いかけようとするほど、俺も野暮ではなかった。

こうして俺と、ゴダールを見る女の話は終わる。彼女の日常は始まり、俺の映画はこれからも続いていく――の、だろう。

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短編集 文乃綴 @AkitaModame

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