無料のweb小説でこんな大作が読めてしまっていいのだろうか、というのが率直な感想です。あるいは逆に、部数や売り上げに左右されない趣味の領域であるからこそ、これだけのものを自由に書き続けることができたのかもしれませんが。
どちらにしても、完結までにかけた意欲と熱量の高さとには、敬服するしかありません。
星の彼方より現れ、銀河に人類社会を広めたとされる原始の民と、その意志を継ぐスタージアン。精神感応的に《繋がる》一方で、同じ星系から出ることができない彼らはどこから来たのか。そして、彼らが伝承して恐れるオーグとは何か。
異なる5つの時代を描きながら、徐々に謎の核心へと近づいていく一大未来叙事詩です。
コメントによると、初めて書かれた小説とのこと。自分のことは棚に上げてしまいますが、その観点に立つと、確かに文章的な固さや粗さはところどころに感じられます。なにぶんにもスケールの大きな話を書こうとされているため、その気負いや力みが滲み出てしまっている、とするのが、より適切でしょうか。
とはいえ、それを差し引いても全体の構成は巧みですし、時系列の入れ替えによる情報開示のずらしも効いています。過去編に登場した人物が未来では歴史的な偉人になっていたり、先に経歴だけさらりと語られた人物が、時代をさかのぼって肉づけされたりする自在さには、大河ドラマのようなうねりと魅力を感じます。
何よりも、ラストシーンの美しさは、この物語を読み続けた者だけに与えられる、珠玉のSF体験といえるのではないでしょうか。
公募での受賞を経て、書籍デビューも果たされたという作者さんの、原点に触れられるという意味でも、一読してみる価値はあるかと思います。今後、商業でもこうした大作を手がけられることに期待も込めて。
スペースオペラにもいろいろある。
およそフィクションのジャンルというものは、先駆者となる偉大な作家が開拓し、その影響を受けた後続のフォロワーたちが継承・発展させてゆくものと相場は決まっている。
大分類としてはSFのサブジャンルに数えられることの多いスペースオペラも、例外ではない。
古今東西のスペースオペラをそれなりの数読み漁っている人であれば、作者がプロであれアマであれ、新しい作品を読んだときに「これは田中芳樹の『銀河英雄伝説』を意識しているな」とか、「こっちはダン・シモンズの『ハイペリオン』シリーズに影響を受けているな」とかいった、いわば隠然たる文芸的血脈とでも呼ぶべき系譜を感じ取れた経験があるだろう。(あるよね?)
その謂でいくと、本作『星の彼方 絆の果て』は巨匠アイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズの直系である、と言える。
むろん、これは作者と何ら交流もない私が勝手に感じたことであるから、確認された客観的事実などではないことを断っておかねばならない。実際にアシモフリスペクトを念頭に置いて本作が書かれたかどうか――といった楽屋裏の事情はまったく知らぬし、もしかしたら私のパターン認識能力が妙な誤作動を起こしているだけかもしれない。劇中のアレやソレに第二ファウンデーションの影を見て取るのは私だけかもしれないのだ。(もっともタグに「銀河連邦興亡史」とあるのは、『ファウンデーション』シリーズの別名『銀河帝国興亡史』を意識したものに思えるが……)
ただ一介のSF読者として、作品と一対一で向かい合って抱いた印象は、「ああ、これはこんにち珍しいアシモフ流のスぺオペに出会ってしまったぞ」という、どこか懐かしい感慨であった。とりあえずは、それだけの話としておく。
ところで私はSF初心者に「入門におすすめの作品は?」と訊かれたとき、あえて古い世代の作品から推すことにしている。
古い世代とはこの場合、作家でいえばジュール・ヴェルヌやE・E・スミス、そしていわゆるビッグスリー(アシモフ、クラーク、ハインライン)あたりを指す。なにも「SFは昔の方がよかった」などと懐古主義者を気取るつもりはない。ただ単純に、複雑な先端科学の知見やジャンル固有の文脈を山と積み上げた後世の作品よりも、SF初心者がとっつきやすいであろうと踏んでの選書である。
いまや古典の世代に属するアシモフの衣鉢を継ぐ(と思われる)本作についても、同じことが言える。
これだけの文章力・構成力があれば、おそらくもっと複雑な、現代風の書き方もできたであろう。やろうと思えばゴリゴリに専門用語を満載したニュー・スペースオペラ風味にもできたであろう。しかし本作は、そういう書き方を“あえて”封じて産み出されたものだ、と私には思える。
訓練されたSF者にしか解読できないジャーゴンだの内輪ネタだの、そうした“不親切な間テクスト性”は注意深く除去されている。頭字語やルビの氾濫を避け、ともすれば平易すぎて捻りがないと言われそうな文章で、かくも壮大な未来史の世界を織り上げている。
これがどれほどの難事かは、自分でも一度は長編SFを書いてみなければ、中々に実感しがたい。ターゲットを(いわばSF作家の“仲間”である)SFオタクに絞ってハイコンテクストな文章を書く方が、いったいどれほど楽なことか。
技倆の不足で“平坦になってしまった”文章と、確かな筆力に裏打ちされた“なめらかな”文章とは天地ほどの差がある。そのくせ読者の側からは往々にして判別しがたく、頑張って言葉を選び推敲を重ねても、評価には直結しない下拵えの努力に終わることがほとんど。
だが、そうした“面倒で目立たない”工程を疎かにせず、丹念に己のテクストを磨き上げる作家だけが辿り着く境地もある。
その境地に足を踏み入れたからこそ、本作はSF初心者を弾くことなく受け容れるに足る大器となり得た。――とまで言い切ってしまうのは、いち読者の感想としては不遜だろうか。
主観と妄想だらけの要点を得ないレビューになってしまった。
ともあれ『星の彼方 絆の果て』が、「とっつきにくいSFの、さらにとっつきにくいサブジャンル」としてスペースオペラを敬遠していた一般読者諸氏にも、安心して薦められる作品であることは、あらためて述べておきたい。
時の大河を行きつ戻りつ、遥かな未来へと人類の行く末を辿る世代間群像劇。
SFの素人玄人を問わず、web小説という媒体で、かくも骨太のスペースオペラに出会える時代を生きていること――これ自体が、ジャンル読者の一人として望外の歓びである。
前置き:この物語は群像劇である。
レビューを書くにあたり、第一部の主人公を便宜上主人公と記載しています。
第二部 魔女 ~星暦六九九年~ 第一章 覚醒 第一話 祖霊祭(3)まで読了時点でのレビューです。
【物語は】
ある二人の会話から展開されていく。今までどのようなルートを経て、現在地に辿り着いたのか。ここまでにかかった期間など。ここでは男女の会話に対する期待の違いや、差が見えて面白い。(多様性はあるとは思うが)
彼らの目的地はスタージアという惑星。主人公にとっては、長年憧れの場所だったようだ。彼は研修生という立場であり、幼馴染みたちと共に博物院にて講義をうけることになる。読者も彼ら同様、講義などで学ぶように世界観を理解していくことになるだろう。
【補足:作品の理解度をあげるために、個人的に調べた内容】
*ジャンルの説明について
『スペースオペラ』とは、宇宙を舞台にした冒険活劇である。 個人的な冒険ばかりでなく、戦争のような大規模なものも含む。 現在ではやや解釈を広げて、宇宙を舞台とするSFのうち、科学考証よりも娯楽性を優先した作品を指す。(ピクシブ百科事典調べ、引用)
『冒険活劇』とは、主人公の冒険を主題として全体を活劇仕立てにした物語であり、主にアクションを含む。(wiki調べ・引用)
【主人公について】
主人公は、この地で学ぶことを楽しみにしていた研修生。というのも、惑星スタージアは人類の始まりの地であり、原始の民が降り立った星でもあるからだ。主人公はここでなら、自分の知りたかったことを知ることや、学ぶことが出来ると思っていた。ところが実際、蓋を開けてみたら知りたかったことを講義で学ぶことが出来ず落胆してしまう。しかし、それにはちゃんとした理由があったのだ。
現実にも古代の文明の中には、解明されていないものは存在する。どうやって栄えたのか、どうやって作り上げたのか、未だ謎に包まれているものもある。そういったことを踏まえても、現在の技術では解明できない高度な文明が、この物語の中でも存在することは不思議ではない。
この物語の世界の中では、スタージアにおいて”現在の技術では、到底なし得ない”とされているものが存在する。だからこそミステリアスに感じ、知りたいという欲求を刺激するのだろう。読者が主人公と共に、好奇心を刺激される物語だといえよう。
【主人公に影響を与えるもの】
まず彼のターニングポイントについて。それは”繋がる”ということにある。第一部は序章に過ぎず、世界観を理解するためのものだ。第一部を読み終えて感じるのは、これは友人と自分が道を違えるまでの経緯と発端であるということ。そしてその中で物語にとって重要な”N2B細胞”、”スタージアン、”オーグ”とは何かということが明かされていくのだ。
ここで主人公を含む四人はそれぞれ考え方が違い、この三つのワードに関しても向き合い方と目的が違っていた。しかし、ある日を境に関係も向き合い方も変わっていく。特に主人公の友人である女性二人は、一見違うように見えて目的が同じあることが分かる。
道を違えた友人は、元は主人公と同じ道を進もうと考えていたはずである。しかし、あることをきっかけにし、即決した主人公に対し友人は期間を置くという選択をする。何故のう選択したのか、第一部のラストに真意が明らかになる。
【第一部は序章に過ぎない】
主人公の目的が分かると、この第一部についての印象はガラリと変わる。
心理などが丁寧に描かれているものの、彼の真意が分かるわけではないということである。それが明確になるのは、道を違えた相手の言葉によってである。
第一部は三つのワードの意味とその真実、主人公の目的が明かされているに過ぎない。つまり物語は第二部からが本編なのではないかと感じた。
【物語の見どころ】
一番の見どころは、作り込まれた世界観だ。その世界観を伝えるために工夫がなされているように感じる。主人公は学生であり、学ぶためにこの地に降り立つ。読者は主人公と供に、講義や展示場などから学び、世界観に触れ、理解していくことになる。
第一部では、主人公がこの地でどんな経験をし、どう決断をしたのか?
その為に何をし、何を失ったのかが語られていく。しかしそれは物語においては序章に過ぎない。第一部の存在の意味を深く知るためには、第二部から語られていくであろう、物語を読み進める必要があるのではないかと感じた。実際に二部を少し読み進め、別の視点で語られていくことを確認。
この物語は群像。群像劇には色んなスタイルがあるが、この物語での主人公は登場人物ではなく”スタージアン”、もしくは星そのものなのではないだろうか? これはあくまでも個人の想像に過ぎないが。
あなたもお手に取られてみませんか?
主人公が魅了された、スタージアンの謎を一緒に解明してみませんか?
是非、読まれてみてくださいね。おすすめです。
数世代にわたる壮大なスケール、銀河の歴史を綴る一大大河ドラマと、この物語を飾る言葉はいくらでも浮かぶのですが、それはこの物語が一本、筋を通しているからだと感じました。
大河は途中で堰き止められていたのでは成り立たないし、歴史とは連続した大きな流れであるのだから、細くなって支流に分かれてしまうのでもダメですから。
その大きな筋に、私は題名にある「絆」を感じました。
作中、記憶や意識を共有するテクノロジーが出て来ますが、それに対する選択、懐く感情の機微に、作中に登場する人物が生きている気配があるように思いました。個々人の問題になりかねない要素を、これでもかと掘り下げ、ストーリーの根幹、歴史や世界に至る程、掘り下げた点に、この物語が嘗て流行ったセカイ系とは一線を画している、骨太な世界にしている骨子なのだ、と。
未来の世界を思わせる技術、政治と、今も変わらない人間らしい悩みなどの感情の動きの繋がりを感じ取れる物語…希有なSF作品です。
遥かな銀河系に渡る人類の歴史を、生身の人間の苦悩や葛藤を描くことで紐解く、壮大なスケールのSF作品です。
この物語で特徴的なのが、精神感応で《繋がる》人々の存在です。
星から星へと移住を繰り返す人類に与えられた能力。
思考、思想、感情をも他者と共有することで、大いなる意思の集合体に組み込まれます。
その一方、曖昧となる《個》としての自分。やがて、どこまでが自分でどこからが他者なのか分からなくなっていく——
人間の心理の動きに重きを置いた物語の展開で、思わず主人公たちに感情移入してしまいます。
未来のテクノロジーや複雑化した政治情勢など、整然とした巧みな文章で綴られる精緻な世界観が、お話に果てのない奥行きを与えています。
誰かと真の意味で繋がりたくとも、彼らを取り巻く状況がそれを許さない。
繋がっているはずの彼らの人生を追う中で、何度も心が千切れそうな想いがしました。
物語は現在第三部。
これまでも楽しく拝読してきましたが、私はこの第三部の登場人物たちが本当に好きです。
これからも、更新を楽しみにしています!