web小説で「読者を選ばないSF」が読める、という一個の奇跡

スペースオペラにもいろいろある。

およそフィクションのジャンルというものは、先駆者となる偉大な作家が開拓し、その影響を受けた後続のフォロワーたちが継承・発展させてゆくものと相場は決まっている。
大分類としてはSFのサブジャンルに数えられることの多いスペースオペラも、例外ではない。
古今東西のスペースオペラをそれなりの数読み漁っている人であれば、作者がプロであれアマであれ、新しい作品を読んだときに「これは田中芳樹の『銀河英雄伝説』を意識しているな」とか、「こっちはダン・シモンズの『ハイペリオン』シリーズに影響を受けているな」とかいった、いわば隠然たる文芸的血脈とでも呼ぶべき系譜を感じ取れた経験があるだろう。(あるよね?)

その謂でいくと、本作『星の彼方 絆の果て』は巨匠アイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズの直系である、と言える。
むろん、これは作者と何ら交流もない私が勝手に感じたことであるから、確認された客観的事実などではないことを断っておかねばならない。実際にアシモフリスペクトを念頭に置いて本作が書かれたかどうか――といった楽屋裏の事情はまったく知らぬし、もしかしたら私のパターン認識能力が妙な誤作動を起こしているだけかもしれない。劇中のアレやソレに第二ファウンデーションの影を見て取るのは私だけかもしれないのだ。(もっともタグに「銀河連邦興亡史」とあるのは、『ファウンデーション』シリーズの別名『銀河帝国興亡史』を意識したものに思えるが……)
ただ一介のSF読者として、作品と一対一で向かい合って抱いた印象は、「ああ、これはこんにち珍しいアシモフ流のスぺオペに出会ってしまったぞ」という、どこか懐かしい感慨であった。とりあえずは、それだけの話としておく。

ところで私はSF初心者に「入門におすすめの作品は?」と訊かれたとき、あえて古い世代の作品から推すことにしている。
古い世代とはこの場合、作家でいえばジュール・ヴェルヌやE・E・スミス、そしていわゆるビッグスリー(アシモフ、クラーク、ハインライン)あたりを指す。なにも「SFは昔の方がよかった」などと懐古主義者を気取るつもりはない。ただ単純に、複雑な先端科学の知見やジャンル固有の文脈を山と積み上げた後世の作品よりも、SF初心者がとっつきやすいであろうと踏んでの選書である。

いまや古典の世代に属するアシモフの衣鉢を継ぐ(と思われる)本作についても、同じことが言える。
これだけの文章力・構成力があれば、おそらくもっと複雑な、現代風の書き方もできたであろう。やろうと思えばゴリゴリに専門用語を満載したニュー・スペースオペラ風味にもできたであろう。しかし本作は、そういう書き方を“あえて”封じて産み出されたものだ、と私には思える。
訓練されたSF者にしか解読できないジャーゴンだの内輪ネタだの、そうした“不親切な間テクスト性”は注意深く除去されている。頭字語やルビの氾濫を避け、ともすれば平易すぎて捻りがないと言われそうな文章で、かくも壮大な未来史の世界を織り上げている。
これがどれほどの難事かは、自分でも一度は長編SFを書いてみなければ、中々に実感しがたい。ターゲットを(いわばSF作家の“仲間”である)SFオタクに絞ってハイコンテクストな文章を書く方が、いったいどれほど楽なことか。

技倆の不足で“平坦になってしまった”文章と、確かな筆力に裏打ちされた“なめらかな”文章とは天地ほどの差がある。そのくせ読者の側からは往々にして判別しがたく、頑張って言葉を選び推敲を重ねても、評価には直結しない下拵えの努力に終わることがほとんど。
だが、そうした“面倒で目立たない”工程を疎かにせず、丹念に己のテクストを磨き上げる作家だけが辿り着く境地もある。
その境地に足を踏み入れたからこそ、本作はSF初心者を弾くことなく受け容れるに足る大器となり得た。――とまで言い切ってしまうのは、いち読者の感想としては不遜だろうか。

主観と妄想だらけの要点を得ないレビューになってしまった。
ともあれ『星の彼方 絆の果て』が、「とっつきにくいSFの、さらにとっつきにくいサブジャンル」としてスペースオペラを敬遠していた一般読者諸氏にも、安心して薦められる作品であることは、あらためて述べておきたい。
時の大河を行きつ戻りつ、遥かな未来へと人類の行く末を辿る世代間群像劇。
SFの素人玄人を問わず、web小説という媒体で、かくも骨太のスペースオペラに出会える時代を生きていること――これ自体が、ジャンル読者の一人として望外の歓びである。

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