余(あまり)

待ち伏せ


 十一月に入り、急に風が冷たくなった。

 青く晴れ渡った空は高く、突き抜けるようだが、ちぎれ雲とびゅうびゅう吹きすさぶ冷たい風は、冬の気配だ。

 萬屋錦之丞は、制服のポケットに手を突っ込み、校門の前で彼女を待ち伏せしていた。

 授業は終わっている。部活には入っていないはずだし、いつもの行動パターンから、そろそろここを出てくるはず。あんまり寒いので、ポケットから赤いスマートフォンを出してGPSを起動し、確認してみる。間違いない、動いている。

 錦之丞は目を上げ、校門から吐き出されてくる生徒の群れに目を凝らす。

 彼女を見落とすはずがない。愛の力で、絶対見つける。

 ふっと出て来た女子生徒。彼女だ。冬服のセーラーに白いブレザー。初めてみる制服が新鮮だった。

 彼女は背の高い友達と並んで、なにごとか楽しそうにお喋りしながら、すっかりリラックスした様子で錦之丞の前を通り過ぎた。彼には気づきもしない。まあ、こんなところにいるとは思っていないのだろうから仕方ない。

「雷美さん!」

 大声をかける。あえて先生とは呼ばない。対等に話すつもりだから。

 思わず振り向いてしまった彼女は、錦之丞顔を見て、え?と大きな目を見開く。いつも思うが綺麗な目だ。

「錦之丞……。あんた、こんなところで何やってんのよ?」

 不機嫌そうに返された。さっきまでの笑顔は跡形もない。

 二、三歩先に行ってしまった背の高い友達が気づいて振り返り、怪訝な顔でもどってくる。

「だれ? しりあい?」

「うん、ちょっとね」

 彼女は言葉を濁す。

 変な雰囲気を察した背の高い友達は、錦之丞と彼女は交互に見比べて、状況をなんとなく理解してくれたらしい。小声で彼女に「じゃあ、ワン子、あたし先に行くね」と告げ、錦之丞に意味ありげな笑顔を向けて一礼すると、去っていった。

「雷美さ──」

「なにしにきたの!」

 きついお叱りを受けてしまった。

 が、これくらいでへこたれない。錦之丞はにっこり笑って答えた。

「迎えに来ました」

「は?」

 剣呑な雰囲気で睨んでくる。

 彼女の背後を何人もの生徒が流れてゆく。

「あの、ここじゃあ、なんだから、どこかお店かなんかに入りません?」

「入らないわよ。近くに無いし」

 むすっと答えたから、すこし冷静になったらしい。ぼそりと尋ねてきた。

「どうして、ここが分かったの?」

 錦之丞は微笑んだ。

「雷美さん、制服の胸に校章つけてましたね。そこに『星陵』って彫られてた。園長先生も、『星陵の生徒だって言ってた』って」錦之丞はにやにやと笑ってしまった。「あと、雷美さんのスマホのGPS情報。うちの学園のパソコンに残っていたので」

 彼女は、ああ……という落胆の表情で空を振り仰ぐ。

 してやったり。錦之丞は満悦の笑みを浮かべる。

「市川雷美って名前、偽名だったんですね。全然気づきませんでした。園長先生は最初から気づいていたみたいで、あとで思い出して笑ってましたが、ぼくは全く分かりませんでした。おかげで探すのに苦労しましたよ」

「嘘言うな。GPS情報があれば苦労しないでしょ」

「ええ。じつは聖林の事後処理に手間取りまして。あと、もしかしたら雷美さんの方から訪ねてきてくれるかなぁ?と思って待ってたんですが」

「いかないわよ。あたしの役目は終わったんだから」

「善鬼先生の道場が家の隣というのも、嘘でしたね。道場なんてなかった」

「いまの時代に、東京に道場もってる剣術家なんていないわよ」

 不機嫌に口を尖らせる彼女。

「家が隣なんじゃなくて、お孫さんなんですね」

 そう、彼女は鷹沢善鬼先生のお孫さんだった。本当の名前は……。

「あの……」錦之丞は彼女を見つめ、彼女が目を合わせてくるのを待った。「今も、雷美さんって呼んでもいいですか?」

 彼女は案外考えずに、ちいさくうなずく。

「じゃあ、雷美さん。どうして、みんなに何も言わずに行っちゃったんですか? あのあとも結構大変だったんですけど」

「いいじゃない」雷美は肩をすくめた。「どうせ、あたしは部外者よ。勝ったのは、あなたたち。あなたたち聖林学園の勝利だったわ」

「もどってきませんか?」

「は? どこに?」

「ぼくたちの学園に」

「もう不屍者はいないわ。纐血城高校も崩壊した。あたしがいる必要はないでしょ」

 錦之丞はちょっと口元を歪めた。

「必要だから、利用したというわけではないですよ」

「そうね、成り行きね」

 錦之丞は足元に置いてあった鞄から、大判の封筒を取り出した。二通ある。

 雷美に差し出すと、彼女は素直に受け取って、表と裏を返す。封筒には私立聖林学園高校のロゴが印刷されている。裏側には、園長先生直筆の署名。

「なにこれ?」

「書類です。転校の手続きの」錦之丞は封筒を指さす。「本名でも、偽名でもいいそうです。好きな方の名前で転校してきて構わないと、園長先生からの伝言です。是非、わが校に転入していただきたいと、これは園長先生と生徒全員の意志です。集めた署名もこっちに……」

 鞄から取り出そう取ると「いいわよ」と雷美に止められた。

「なんであたしが、聖林に転校しなきゃならないのよ」

 口を尖らせる雷美。

「園長先生いわく、うちの高校はもっと武術に力を入れていくんだそうです。で、これはまだ構想なんですが、ゆくゆくは武道大学を設立して、日本の武術を広く世界に発信していたきたい、と。で、そのための未来の教授候補として、雷美先生を是非に、とのお言葉です」

「相変わらず、夢みたいなこと言ってるわね」書類をひっくり返しながら、雷美は肩をすくめる。「で、誰よ? この園長の『伊勢崎町 篠』ってのは!」

「ああ、先月入籍しまして」錦之丞は苦笑する。「すでにお腹に赤ちゃんがいて、もう三か月になるらしいです」

 雷美は「ん?」と空を見上げ、指を折る。「三か月? ……って、それ、籠城戦のときに?」

 錦之丞は腹をかかえて笑い出した。

 雷美はあきれ顔で彼のことを見つめる。

「もう! なにやってんのよ、あの二人。人が死に物狂いで戦ってる最中に!」

 雷美も思わず吹き出し、ちょっと場が和む。

「吹雪さん、撃たれたんだってね? だいじょうぶだった?」

「あの人、あれでずいぶん頑強ですから。それに防刃ベストを下に着ていましたし。弾はベストを貫通しちゃったんですが、傷は浅くて、いまはもう、ぴんぴんしてます。で、雷美さんを呼びに行くのは、自分がやるってきかなかったんですが、この役目は誰にも譲れませんでしたので、ぼくが来ました」

「そう」

 ちょっと安心したように雷美は微笑んだ。

「あの、転入の件、真剣に考えて下さい」錦之丞は真摯な瞳で、背の低い雷美を見下ろす。本当にこのちいさい少女が、百人の不屍者を斬り、そののち四人の剣魔をたおしたとは信じられなかった。

 が、雷美はすこし悲し気な表情で呟くように言う。

「市川雷美なんて、人間はいなかった。そんなやつ、この世には存在しなかったのよ」

 錦之丞はちいさく、否々と首を横に振る。

「いいえ、いました。あの時あの場所に、市川雷美は確実に存在した。そして、ぼくたちを、いえ、世界を救った。それは紛れもない事実です」

 雷美はうつむき、やがて、顔も上げずに二通の封書を錦之丞の胸に突き返した来た。

「これ、いらないわ」

 そしてそのまま、ものも言わずに踵を返すと、すたすたと去っていく。

 突っ返された封筒を放り出した錦之丞は、そのまま飛び出し、タックルする勢いで、後ろから雷美を抱きしめた。

 あっと小さく彼女が声を上げて、身体を固くする。

 錦之丞は雷美をきつく抱きしめる。ちいさい彼女を腕の中にとらえ、その柔らかい身体と甘い髪の匂いを自分のものにする。

「いかないでください」

 錦之丞が彼女の頭に声を伝える。

 身を固くした雷美は、ふっと全身の力を抜くと、彼の腕の中で身じろぎし、体を回す。雷美は錦之丞の胸に顔を埋めると、その手を彼の腰に回し……。

「だりゃぁぁぁぁ!」

「うっわぁーーー!」

 錦之丞の身体が、その場で横に大回転した。

 一瞬頭上をコンクリートの大地が通り過ぎ、さらに回って肩から地面に叩きつけられる。

 激しい衝撃と突然の驚愕に、茫然と顔をあげた錦之丞を、彼を投げ飛ばした雷美が上から自慢げに見下ろしている。

 腕組みし、足を肩幅に開いて、短いスカートの裾から、中が見えそうで、……見えない。

「柳生心眼流柔術だと、半回転させて頭から落とすんだけど、今日はそれは勘弁してあげて、四分の三回転で肩から落としてあげたわ。感謝しなさい」

 雷美は嬉しそうに笑う。その状態で、錦之丞と雷美はしばらく見つめ合っていた。

 二人のことを怪訝な表情で眺めて、生徒たちが流れてゆく。

 しばらくして、彼女のポケットのなかでスマートフォンが振動したようだ。

 雷美はポケットからスマホを取り出すと、耳に当てる。目は錦之丞から離さない。

「もしもし? お母さん? どうしたの? ……うん、うん、ムネ肉ね。え? 四百もいる? ……あ、そう……」

 雷美は地面の上から茫然と見上げる錦之丞を冷たい目で見下ろしながら、電話で話している。

「わかった、買ってく。うん。……、で、ごめん、あのね、あたし、お母さんに、お願いがあるんだけど」

 錦之丞を見下ろしながら、雷美は母にその言葉を告げた。



 ──あたし、転校しようと思うんだ。





                         <完>





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刀剣オカルトMØDE 雲江斬太 @zannta

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