第七回 夏の夜の惨劇

 戦さから三年がたった。


 師のもとで修行を続けていた三人の技量は更に進み、門下に並ぶ者のない剣の遣い手となっていた。幻軒門下の『三斎』などと呼ばれたのは、この頃のことだ。


 世の戦乱はますます激しくなり、そこかしこで戦さが行われていた。しかし、あれ以来、葉賀の一族郎党から戦さに赴いた者は一人もいなかった。その夜も、葉賀の山里は平穏のうちに微睡んでいた。梅雨の最中、蒸し暑い夜のことだ。


 我は、夜更けまで続けていた仁斎との稽古をようやく終え、井戸端でひとり水を浴びていた。


 ――ここで学ぶことは、なくなったな。


 このころになると、『三斎』が幻軒の元で学べることは少なくなってきていた。


 ――回国修行を願い出よう。


 我はそう思い定めるようになっていた。葉賀の山里ではいかにも世間が狭い。広い世の中に、他流の武芸を実見しなければ、我の剣技のさらなる飛躍はあり得なかった。


 星明かりの中、ひとしきり水を浴びた後で、手拭いを使っていると遠くで鳥の鳴き交わす声が聞こえた。それがいっこうに収まらない。それどころか鳥たちのざわめきは、山々に広がっていくかのようだった。


 兵書に『深更、鳥の鳴き交わすは、夜討ちのしるし』とあることは知っていたが、まさかこのような山里に兵を向ける勢力があるはずがないと考えていた。しかし、里の境に松明の明かりをいくつも見るに及んで思い知らざるを得なかった。


 ――葉賀の里が、夜襲を受けている。


 ざあっと、雨のように火矢が射かけられ、幻軒の屋敷に屋根といわず、壁といわず突き立った。たちまち屋敷は紅蓮の炎に包まれた。そこだけではなかった、里のあちこちで同様に火矢を射かけられた家が燃え始めた。


 その炎に赤々と照らし出されるのは、甲冑や胴丸を身に付けた襲撃者たち。野盗、山賊の類ではない、武装した軍勢だった。


 嵐のような襲撃であった。


 夜更けのことであり、予期せぬ襲撃でもあったため、葉賀の里は襲撃者に蹂躙されるがままとなった。


 葉賀氏は土豪とはいえ武家ではない。武芸の心得がある者は、幻軒の門下、数十名程度でこうした襲撃にはまったくの無防備であったのだ。


「兄! 仁兄!」


 我は、大声で兄たちや他の門下に急を報せつつも、野太刀をとって襲撃者に立ち向かったよ。


 斬って、走って。

 走って、斬った。


 我は『強か』った――。この三年で確かに『強く』なっていた。襲撃者たちは、次々と我の刀の下に斃れていった。


 ひとり、ふたり、三人……。やがて刀の帽子が折れ、血糊のために切れなくなっても野太刀を振るい続けた。それも暫くすると、鍔元からぼきりと折れてしまい。代わりの刀を持たなかった我は逃げ出した。


 何人斃したか覚えておらぬが、襲撃者は炎の向こうから次から次へと現れてきりがない。多勢に無勢。我は逃げ出すしかなかったのだ。


 その後、里の過半を焼き払い、襲撃者は去った。


 大勢の者が亡くなった。その中には、師の幻軒も含まれていた。師は最後まで刀を取り替え取り替えして襲撃者たちを退け続けた。その姿は、刀を振るい続けるうちに、屋敷が吐く炎と煙に巻かれて見えなくなってしまったという。


 あとで分かったことだが、襲撃してきた軍勢は隣国の大名、山名氏に連なる竹本某という武将の配下で、四、五百騎の兵力だった。それは三年前、我をはじめとした『三斎』が加わった戦で、我らが散々に打ち破った軍勢の主力を担った部隊であったのだ。


 そう。襲撃は、三年前の意趣返しであったのだ。あのとき、我ら三人が得意顔で手柄を吹聴して回ったツケが、葉賀の里の人々のところへ回ってきたのだ! 女や子供、老人まで、罪もない大勢の里人が死んだ。くだらぬ、本当にくだらぬ我の功名心のために!


 師には、このことが分かっていたのかも知れぬ。此の期に及んで、陣触れに応じず、我らの武功も黙殺した師の真意がようやく知れた。


 我らは若く、浅はかで愚かだった!


 四、五百騎――。一万を超える軍勢と共に戦ったことのある我には、わずか四、五百騎と思えたが、この軍勢に我はまったく太刀打ちできなかった。


 我の『強さ』は、このとき馬脚を現したのだ。「わずか」としか思えぬ軍勢にすら我の剣は届かず、罪もない人々をあまた死に至らしめてしまった。


 そうだ。我は、まったく――。まったく『強く』などなかったのだ!





 我と同様、襲撃を生きのびた刀柳斎、仁斎も共に、その事実に気づかされ、打ちのめされていた。


 我ら三人は、師の葬儀が済むと逃げるようにして、葉賀の里を離れた。それは竹下勢の襲撃が、三年前の意趣返しであることはすでに知られていて、他の門人たちや里の者の我らを見る目が冷たかったからだ。


 目、目、目。その目は我らに告げていた。――お前たちさえ、あのとき戦さに出なければ、こんなことにはならなかったのだ。葉賀の里をこんな風にしたのは、お前たちだ――と。


 まったく、そのとおりだ。

 葉賀の里に我らの居場所はなかった。


 我ら三人――刀柳斎、仁斎、無二斎が葉賀の里を見下ろす峠で別れたのは、雨の降りつのる午後のことだった。笠の縁を伝う雨の雫が、次から次へと流れ落ちるような激しい雨だった。


 そのとき兄が――。刀柳斎が言った。


「守るべきものが守れなかった――儂は、剣をおく」

「おれは、おれたちに何が足りなかったのか。それを探しに行く」


 そう言ったのは仁斎だった。


 刀柳斎に鉄二はどうすると聞かれ、我は答えた。


「分からぬ。ただ、強いとはなんなのか、それを求め続ける」


 そして、我ら三人はそれぞれに答えを求めて、各々の道に別れた。以来、三人が揃って会うことは遂になかった。雨の激しい午後だった。我は、道を覆う水煙にその姿が見えなくなるまで二人の兄の背を見送り続けた。我らの背には、斉しく宿題が科せられていた。


 ――我らが求めた『強さ』とは一体なんだったのか。


 そして、

 ――本当の強さとは、なんなのか。

 という宿題を、だ。


 我が、遠ざかる兄たちに背を向けて歩みだす頃には、雨足はいよいよ激しくなり、辿る道を見透かせなくなっていた。轟く遠雷が夏の訪れを告げる午後のことだった。

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