第二回 意外な申し出

 生家の館を出た隼人は、亡父の友人で武芸を生業とする八田仁斎に預けられた。預けられたと言えば体が良いが、事実は片桐家から追い出されたに等しい。


 仁斎は、武芸の指南役として諸侯各家を渡り歩き、特に剣術の達人として名声が高いが、特定の主家を持たず諸侯から客分として遇されている武芸者である。


 この男が一介の武芸者と異なるところは、常に身には錦をまとい、移動には馬もしくは籠を用いた上、数十人の門弟を引き連れて町から町へ練り歩いたところにある。仁斎が赴くところは、所々に「剣術名人仁斎」ののぼりを掲げさせる念の入れようであった。己の武を示し威勢を誇ることにかけては、決して人後に落ちることはなかった。


 ――あさましい。


 隼人は、師であり養い親でもある仁斎を嫌い抜いた。


 武芸者である以上、その本分は武芸の修練と門弟との稽古にあるべきと隼人は信じるのだが、仁斎はそのいずれにも熱心ではなかった。そうした武芸者としての本分に代ってこの男が熱心だったのは蓄財である。


 武芸者に似つかわしくない華美な服装や派手な行列は、「武芸者八田仁斎」を売り込むための一種の宣伝で、仁斎のもとには、一手教示願いたいという申し入れが引きも切らない。


「どうだ」


 申し入れがあると仁斎は必ずきく。相手を値踏みするのである。名の通った武家や、そうでなくとも金持ちであれば、一も二もなく承知する。高額の指南料が取れるからだ。


 他流試合に訪れた単なる武芸者であっても、すぐに追い返しはしない。その流儀や評判を徹底して調べさせる。「勝てる」と見切ってはじめていずれかの門弟に立ち会わせ、八田仁斎の評判をあげることに利用した。もちろん「負けるかもしれない」と見たときは、決して立ち会ってはならぬと厳命するのだ。


 こんな風に武芸者としては二流の仁斎ではあったが門弟は多かった。巧みな宣伝のおかげもあったが、何より仁斎は方々の土豪や地侍――隼人の生まれた片桐家もそのうちのひとつだ――の間に顔がきき、仕官の口を多くの抱えていたのだ。


 ――仁斎の門下にあれば、仕官の口には困らない。


 そうした評判が仁斎の下に腕に覚えのある若者を集めていた。






「隼人どの」


 仁斎に声をかけられたのは、屋敷の広い庭の片隅でひとり木刀の素振りをくりかえしているときだった。峻烈な空気が身を切る寒い朝のことだった。


 仁斎は殊の外隼人のことを可愛がってくれた。子供の頃は、その品があって可愛らしい容姿を、長じてはいよいよその天稟を現した剣の腕前を。


 師ではあるものの、生家の片桐家に遠慮して仁斎は養い子の隼人のことを「隼人どの」と呼ぶ。それも隼人にとっては自分に対する愛情というよりは、金や門地にいやらしい仁斎の心根の発露に思われて不愉快だった。


「更に進んだようですなあ」


 朝の空気に仁斎の息が白い。半刻ばかり木刀を振っていた隼人の体も火照って湯気を立てていた。


 同じ屋敷に寝起きしているとはいえ、仁斎と言葉を交わすことはほとんどない。月に一度の稽古日くらいであり、そうしたとき師である仁斎は決まって隼人の稽古を褒める。にこやかに曇りなく。


「ありがとうございます」


 隼人としては「進んだ」と言われてもまったく嬉しくない。自分の腕が進んだというなら具体的に進んだところ、まだ足りないところを挙げて評してほしかった。


 十五のときに仁斎の代理として他流との試合に立ち会い、無難にこれを退けて以来、一度として敗れたことはない。あれから数年、ますます自分の力に充実を感じる。己が「強く」なっていることは隼人自身が一番強く感じていた。


 ――むしろ師は、おれの進んだところがどこか示すことができぬのではないか。


 にこやかな笑み張り付いた師の顔を貫くような視線で見つめながら隼人はそう考える。


 普段の挙措を観察したところでは、仁斎の武芸は門弟の皆が思っているほどたいしたものではない。動きに無駄が多い。それは事に臨んで隙が大きいということに他ならない。屋敷の中で遠目に見かける仁斎を、何度空想の中で斬ったか知れない。


 ――おれの相手にはならぬ。


 隼人は仁斎をそう見切っていた。

 自分の強さは師を超えた自信があった。あとは実際に剣を交えてそのことを確認するだけだった。


「それに――。ほれぼれするような男ぶり。亡くなられた父御がごらんになられたなら、さぞ喜ばれたであろう」


 死んだ父親まで持ち出してしきりと誉めそやすのもいつものことだった。自分のどこに仁斎が気にいってくれる要素があるのかさっぱり分からない。師のことを嫌い抜いているため尚更、隼人はそう感じざるを得なかった。


「立派な若者になられた」


 仁斎はこれ以上ないくらいに上機嫌である。


「恐縮です」


 隼人にとっては居心地が悪く、すぐにもこの場から逃げ出したかった。


「ところで、上杉備前どのをご存知か」


 仁斎がにこやかに、しかし唐突に切り出した名に心当たりはなかった。それとも、知っていなければならなかった名であったろうか。


「……存じません」

「左様。遠く鎌倉将軍家にも連なる武家の名門でな。当代は坂田に御領地をお持ちである」

「はい」


 坂田の庄は、この国と隣国の境にある山深い土地だ。数人の門弟と共に代稽古に赴いたことがある。不便ではあるが地味豊かで民の暮らしは貧しくないと聞いた。確かに領主は上杉といったように思うが、鎌倉将軍云々については初耳だ。


「この前の稽古の際、話が隼人どののことに及んでな。求められるまま人となりをお伝えしたのだが、備前どのがいたく気に入られて。ぜひ、上杉家に隼人どのをという話なのだ」

「私がですか?」

「よい話と思うのだが」


 仁斎の下では、仕官の声がかりは少なくないとは聞いていたが、我が身に起こることとは考えもしなかった。


 いずれは主家を得るものと漠然と考えてはいたが、隼人はまだ十九である。仕官はまだ先、霧の向こうの曖昧な目標でしかなかった。


 幼い日の昔に「強くならねば」と思い定めたものの、自分がどう強くなったのか、そしてそれはどの程度のものなのか、隼人自身がまだ測りかねている。修行の中途に仕官するなど思いも寄らなかった。


「せっかくの仰せではありますが……」

「不服か」


 声が高くなり、目を見開いていかにも意外といった表情の仁斎。


「とんでもありません。勿体無いお話です」


 仕官先に不服があるわけではない。そんな贅沢が許される分際でもない。ただ時期が早いと思うだけである。


「先方から是非にもということだ。軽々に判断せず、よく考えてはいかがか」

「未だ修行途中の身。仕官はまだ先のことと考えております」

「……」


 仁斎はしばらく絶句した。


「ご容赦ください」

「いや、隼人どの」


 一歩二歩と歩み寄り、仁斎は木剣を垂れ、深々と頭を下げる隼人の手を取って言葉を継いだ。


「縁組だ」


 とっさのことで隼人には、言葉の意が汲めなかった。つと顔を上げて見ると、養い親でもある師は目を細めて満面の笑みである。


「これは仕官の話ではない。隼人どのを娘婿に迎えたいという縁組の話だ」

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