第八回 戦さという名の妖怪

 かわらけに口をつけると、水はぬるんでいた。無二斎の語る昔話に聞き入るうちに随分と時がたったらしい。


「それで……無二斎どのは、宿題の答えを見つけられたのか」


 隼人の勢い込んだ質問に、無二斎は小さくかぶりを振った。蓬髪が揺れる。


「いや。いまだに分からぬ。――が、いまはじめて、兄たちの答えが分かったような気がする」

「それは、どういうことでしょう」

「それはな。お主だ、隼人どの」

「わたしが……」


 左様と言って、ぐいと無二斎が隼人の顔を睨め付けた。


「あの日、我と別れた後、刀柳斎は刀と共にこの名を捨て、郷里に戻って家名を継いだ。義兄の名乗りはこうだ――片桐兵庫亮基次かたぎりひょうごのすけもとつぐ


 それは、郷里を離れて以来、いっときも忘れることのなかった片桐の前当主、死んだ父の名だった。


 よくその意味が掴めず、呆然として自分の顔を見つめる隼人をよそに無二斎は続けた。


「刀柳斎改め、片桐兵庫は武芸の道を遠ざけ、妻帯して子を授かったと聞いた。男の子だ。名は知らぬが、聞かずとも分かる。

 いま我の目の前にいるお主がそうだ。片桐隼人――お主の目元は、義兄によく似ておる。そっくりだ」







『妻山の刀柳斎』を訪ねよとは、仁斎が隼人に託した暗号のようなものだったに違いない。隼人がこの名を告げただけで、言葉にされない多くの事柄が、無二斎へ無言のうちに伝わったのだから。


「刀柳斎の答えは、お主自身だ」


 無二斎は、謎かけのようにそう言った。答えというからには、若い頃の『三斎』に科せられた宿題の答えなのであろう。


「わたしは強くありません」


 否定したが、無二斎は続けた。


「そして、仁斎の答えもそうらしい」

「……」


 ますます、なぞなぞである。

 隼人が不審そうな顔つきでいると、無二斎はかわらけの水をぐいと飲み干して、隼人のそれをそっと取り、そばでかしこまっている辨助に、代わりの水を汲んでくるよう言いつけた。


 小屋から飛び出して行く辨助を見送る無二斎の目は、どこか優しげに見える。


「世の乱れは、このような山の中にも及んでおる」

「はい……」


 話の向きが変わったのかと、隼人はそのしゃがれた声に聞き耳を立てた。


「いま水汲みに走った辨助は、我の子ではない」


 意外なことを無二斎は話しはじめた。


「山で拾うた子だ」

「……」


 血の繋がった親子であろうと疑いもしなかった。年は離れているが、ぎょろりと大きな目と、秀でた額に意志の強さが表れているところが、二人はよく似ていたのだ。


「世の百姓は度重なる戦さに疲弊の極みにある。兵糧に米や麦を取られ、食っていけなくなった百姓は、口減らしのために山へ子を棄てるのだ。

 もうかれこれ五人は拾った。だが、育ったのはあの辨助ひとりだ。このようなことが、これからも続いていいわけがない」


 声は低く沈鬱でひどく聞き取りにくかった。無二斎の視線も木立の向こうに消えた辨助を見送るようでいて、宙をさまよっていた。


「戦さは、辨助のような子を次々に作ってなお、飽きることがない。人の業を喰らい続け、怒りと憎しみを生み落とす形のない魔物、妖怪のようなものだ」


 そのとおりだ。辨助とは身分や置かれた境遇が違うものの、隼人のこれまでの人生も戦さに翻弄されてきた。父母を失い、家を追われた。そんな隼人を突き動かしてきたものは『強さ』への渇望と、そして『怒り』だったように思う。自分にはどうしようもない、自分を振り回す運命に対する『怒り』だ。


「辨助を育てるうちに、我はあの子の内に巣食う、形容しがたい――絶望に似た怒りを感じずにはいられなくなった。まだ十になるやならずの子の内にだ」


 無二斎の声は静かで落ち着いていたが、その言葉は触れることのできぬ程の熱を孕んでいた。


「隼人どの――」

「はい」

「いくら剣の腕磨いたところで、個の力をもって衆を敵することは無謀でしかない。多衆の前に個人の強さは無力だ。

 戦さという巨大な魔物による暴力を、一個の人間がその武をもって制することはできない。本当の強さは、そこにはないのだ」


 本当の強さ。それは武芸では得られない? 隼人は無二斎の顔を凝視した。赤ら顔で垢じみたその顔は茫洋として捉えどころがなかった。


「片桐兵庫が刀をおき、家名を継いで良家の妻をめとったのはなぜか。それは、人が本能的にその統率者に対して、血統の裏付けを求めると気づいたからだ。


 八田仁斎が、なりふり構わず名家や富貴に擦り寄るのはなぜか。それは人を集め、束ねるには権威や金の力が必要と知ったからだ。

 隼人どの――。八田仁斎の弟子にして、片桐兵庫の一人息子よ。」


 すみやかに、ここを去れ――。そう無二斎は言う。


「そして、仁斎の申すとおり妻をめとり、源氏に連なるという武家の正嫡を継ぐがいい。そして、いまは散り散りとなっているこの地の武士たちを糾合する大義名分をその手に入れるのだ。


 そのときには、仁斎が二十年の歳月を重ねて築き上げた人脈が意味を持つ。剣術指南役として仕える素封家や、門下の武芸者を通じて繋がる各地の諸侯がその財力でお主を支えてくれるだろう。


 武家の名流という権威と各地にある素封家の財力の裏付けがあれば、この地に覇を唱え独立した勢力として立つことは可能なはずだ。もちろん――。お主に武家の棟梁たる資質が備わっていればの話だが」


 貧しい猟師のなりをした無二斎の語る話は、その姿に似合わぬ大仰な話だった。少なくとも、そのときの隼人はそう思った。


 ――武士たちを糾合

 ――独立勢力


 無二斎は、隼人をしてこの地方の武士たちを統率する一大勢力――武家の棟梁となることを目指せと唆しているのだ。


 そのために父は母を娶って隼人をもうけ。師は、武芸を通じて名家、財産家との人脈を築いたのだと。その目的とするところは――。


「守るべきものを守るため、戦さのない世を拓くため。この乱れた世にあって力とは、侍個々の力をいうのではない。衆に冠絶する、衆を纏める力を指していうのだ。これが兄たちが得た『答え』に違いない」


 途方もない話だ。

 戦さをなくす為、今はいがみ合い、争っている武家をひとつにまとめて争いをなくす――確かに理屈はそうだろう。しかし……。


「それが、わたしである理由はないと……思うのですが」

「もちろん――」


 戸惑う隼人に、変わらぬ平静な様子で無二斎は続けた。


「お主である理由はない。しかし、遅かれ早かれそうした者は現れる。言ったように、戦さ続きの世は疲弊の極みにあって、飢えた者が一滴の水を乞い願うように、世の人々は戦さのない世をもたらす何者かを待ち望んでいるのだ。


 お主である理由は確かにない。しかし、お主であってはならない理由もまたないのではないか」

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