第六回 無二斎の独白

 刀柳斎は我の三つ年上で、仁斎は一つ上。葉賀幻軒にはたくさんの弟子がいたが、年の近い我らは、特に仲が良かった。


 師の幻軒が「本当の兄弟よりも兄弟らしい」と言ったことがあるように、我らも互いに義兄弟のように思っていた。長兄が刀柳斎、次兄が仁斎、そして末弟は無二斎、即ち我というわけだ。我は、普段から二人のことを、それぞれ「あに」、「仁兄じんあに」と読んでいたくらいだ。兄達は、我のことを「鉄二」と親の付けた名で読んでいた。


 普段は物静かで騒ぎ立てることのない刀柳斎が足音も高くやってきて「鉄二、鉄二」と興奮した様子で呼ばわったのは、かれこれ三十年ほど前のちょうど今頃のことだった。濡れ縁越しに、稽古場脇の大欅が真っ赤に色づいていたことをよく覚えている。


 陣触れがあったらしい――。


 仁斎を合わせて、三人が頭を揃えたところで今度は声をひそめるようにして刀柳斎は切り出した。


 一族から幻軒を出した葉賀氏は、古くからこの辺りに根を張る土豪であるが、その葉賀の主家に「戦さに合力してほしい」という早馬があったというのだ。


「こんな山里にまで陣触れするなど、そんなことがあるものか」と仁斎は、軽忽けいこつな性格に似合わぬ慎重な言葉を吐いたが、刀柳斎は「それだけの大戦おおいくさということよ」と真剣な顔であった。そして、幻軒は戦さには大して乗り気でないこと、逆に年かさの弟子たちの中には、陣触れに応じようという動きがあることを教えてくれた。そして刀柳斎も――。


 わしは参陣しようようと思う。どうだ、お前達も一緒に行かないか――というのが、長兄の話だった。


 我と仁斎は一も二もなく賛成した。


 いま思うと、若気の至りとしか考えられぬが、そのときの我らは修行に膿んでおった。


 来る日も来る日も師の元で剣を振る修行の日々は、確かに得るものがある。己の技量が高まるのを感じもする。しかし、毎日同じことを繰り返すのは退屈であるし、技量が高まったのなら、それを実際に確かめたくなるものだ。


 我らが学んでいたのは、戦さ働きの技術だ。戦さ場に臨んで、打ち負かされず、逆に敵を打ち負かすための技を磨いてきたはずだった。それなのに師の幻軒は、もたらされた陣触れに応じようとしない――。


「参陣に及ばす」


 我らの感じた歯がゆさが、わかってもらえるだろうか。こうしたときのために体を鍛え、技を練ってきたのではなかったか。


 もちろん身につけた武芸に対する自負もあった。葉賀幻軒門下で武芸を修めた我らが、他家の侍たちに遅れを取るわけがないと。むしろ無尽流の名を高らしめる好機ではないか、我らはそう考えていた。


 その夜、我ら三人は示し合わせて幻軒の屋敷を出、戦さに加わるべく南へ疾った。そのときの我の年は――、ちょうどいまのお主くらいであったよ。






 似ておるのう、何やら。師の元を飛び出したことといい、その年頃といい。いまのお主とな。


 師の武芸を離れ、自分の技を模索しようと師とは別の道を歩き始める。二十歳前後というのは、丁度、そうしたことに差し掛かる年頃なのかもしれぬ。






 その頃の我は、空の狭い山里に生まれ育った山猿のような若者でな。城といえば山城、田といえば谷川に沿う棚田しか見たことのないような世間知らずであった。うねりゆく大河、広大で肥沃な田畑、天を衝くようにそびえる天守――、村を出て、初めて見る景色に心奪われたものだ。


 城下には、幾千幾万もの侍、足軽が集まっていた。それらが槍を手に走ったり、声を合わせて荷車を引く様子は、いかにも喧しかったが、騒々しい戦さ仕度には我らの心を奮い立たせる活気が満ちていた。


 広くどこまでも続く青い空を見上げていると、そこにこれからはじまる戦さでの武勲や、いずれ城持ち大名になりたいという夢を思い描くことができた。この大空の下、我ら無尽流の武威を敵味方双方に知らしめるのだと。


 ――我ら三人は本当に若かった。無邪気といってよいくらいに。


 戦さについて詳しいことは聞かなかった。士分でなく、一介の雑兵であった我らが気にすることでもなかった。ただ命じられるまま戦場に赴き、陣を築き、駆け、戦ったまでのことだ。


 この戦さは、幸いにも長陣にはならなかった。戦場までの行程を含めても十日ほどで戦は終わり、結果は味方の大勝利であったよ。


 戦さでの我らは、めざましい働きを示した。


 十日間、都合三度の合戦で、刀柳斎は三つ、仁斎も三つ、我は五つもの兜首をあげた。野太刀一振りを頼んでの足軽働きであげたこの手柄は、大勢の味方の中でも出色の戦功であった。


 葉賀幻軒の無尽流は、戦さ働きで無類の強さを見せたのだ。中でも我の働きは陣中でも評判になるほどであった。


「鉄二には、戦さ神でも憑いているのか」


 二人の義兄は、呆れたようにそう言ったものだが、三人揃って侍大将から金子とお褒めの言葉を頂戴し、我らは無尽流の面目を大いに施したと得意満面であった。


 師の屋敷に戻るまではな――。






 師の幻軒は、我らの手柄をまったく喜ばなかった。それどころか「そうか」と言ったきり、苦虫でも噛み潰したかのような顔つきで、三人の顔を順に睨みつけるだけであった。


 本心を言うと、我はそうした師の様子が不満でならなかった。腹立たしかったよ。


 ――なぜよくやったと、一言、褒めてくだされないのだ。


 我らは師の教えの確かさと、その戦さ場における「強さ」を実地に証明して見せたではないか。なぜそのことを認めてくれぬと。






 そう。お主が本当の「強さ」を求め、強くなりたいと考えて仁斎の下を飛び出したのと同じように、我らも自身の「強さ」を確かめたくて、師の意思に逆らってまで戦さに加わったのだ。そして、自身の「強さ」を確かめることができた――とそのときは、思っていたよ。


 後になって考えると、このときの我らは、師の本意を汲み取れずにいた。後に身に染みて分かったよ。我らは、とんだ考え違いをしていたのだ。

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