第6話 通い路

 翌朝、館を出て日輪のない空を見上げた。

 日の光を浴びることのできない作物が、畑でしおれている。保食神うけもちのかみが手塩にかけて育てていたものだ。天を仰いで嘆く声が、そこここから聞こえる。

 わかりきっていたことだ。月光では、作物は育たない。


 館に戻った月読は、剣を取り、慟哭しながら、保食神うけもちのかみの亡骸を切り刻んだ。


 大量の種子を持って高天原に帰ると、八百万やおよろずの神が集っていた。

 素戔嗚尊すさのおのみことの乱暴で機織女はたおりめが死んだことに心を痛め、天照大御神あまてらすおおみかみが天の岩屋戸に閉じこもってしまったのだという。岩屋戸の前には八咫鏡やたのかがみが用意され、天宇受売命あめのうずめのみことが大神を誘い出すために胸乳をはだけて踊っていた。


 岩屋戸がわずかに開いた。きらきらしい光がこぼれ出る。

 やはり、姉は生きていた。凍てついた心のまま、そのあたたかな光を眺める。自分には決して発することのできない、命の源となる光。


 月読は、日輪を塞いでいた月をどけた。


 天手力男神あめのたぢからおのかみ天照大御神あまてらすおおみかみを引っ張り出し、世界は再び光に包まれた――ことになった。


 八百万の神に囲まれ、その復活を寿がれている姉の前に、月読は種を献上して平伏した。が、天照大御神あまてらすおおみかみは声を荒らげ、怒りをあらわにした。

いましの顔など見たくない! 二度と吾の前に姿を現すな!」


 席を立ってしまった天照大御神あまてらすおおみかみの態度に、事情を知らない他の神々が唖然として月読を見る。

「……姉上のお怒りも、もっともです。保食神うけもちのかみが口から食べ物を吐き出して吾に振る舞おうとしたので、不浄のものを食べさせようとしたと勘違いし、斬り殺してしまったのですから」

 立ちあがって八百万の神々に一礼する。

「これより吾は夜の世界に退き、姉上とは顔を合わせますまい」

 表情ひとつ変えず、台詞でも読むように告げて、月読は高天原を辞した。


 暗く冷たい夜空に蒼ざめた顔を出し、月読はその満ち欠けで民に暦を教えた。種蒔きや収穫の時期を知らせ、保食神うけもちのかみの体であった作物を増やし続けた。

 天照大御神あまてらすおおみかみは自分の子に治めさせるため、追放された素戔嗚尊すさのおのみことの子孫が繁栄させた葦原中国あしはらのなかつくにを半ば強引に譲らせた。その子とは、昔、素戔嗚尊すさのおのみこと天照大御神あまてらすおおみかみの勾玉を噛み砕いて吐き出す息から産まれた、とされる男神だった。


 男神の子、つまり天孫が天下りをして地上を治め、さらにその子孫が人々をまとめて国を作り、何百年という時が過ぎた。

 ある天皇が、伊勢の地に神殿を建てて、祖神おやがみである天照大御神あまてらすおおみかみを祀った。弟神ということで、月読もその近くに祀られることになった。神宮には常に、数多の作物が供えられた。


 丹波の国に、豊受大神とようけのおおかみという御饌神が生まれた。食物を司る女神は、約束通り再びこの世に顕れたのだ。

 天照大御神あまてらすおおみかみは「吾の食事を用意する神が欲しい」と、豊受大神を伊勢外宮に迎えた。


 外宮の近くにも、月読のための社、月夜見宮が建てられた。木々に囲まれた静かな社から外宮へとまっすぐ至る道は、神路通りと呼ばれている。


 日が沈んで夜になると、月読尊が白い馬に乗って、この道を通られる。闇に紛れて豊受大神のもとへ向かわれる麗しい男神は、とても満ち足りた幸せそうなお顔をされている、という。

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月読(つくよみ) 芦原瑞祥 @zuishou

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