第5話 常夜
地上は闇に包まれていた。
もう朝だというのに天に日輪はなく、わずかに白い輪郭だけが、暗い空に残像のように浮かんでいる。
館の外に出て、
「月読さま、これはどういう……。日が蝕まれてしまっては、作物が。里芋も瓜も、よく育っておりましたのに」
泣きそうな声をあげる
「姉上はもういない。吾が、天を治める。そなたのことも、誰にも指図させない」
肩と膝の後ろに手を回して抱き上げる。その重さや匂いや感触こそが、この世でただひとつの確かなものに思えた。
「もう無理をして新しい作物を産まずともよい。ゆっくり休んでいいのだ。これからは、暦を読み、ともに作物を育てていこう」
抱き上げたまま館へ入り、褥に横たえると、月読は
頭の中が真っ白になったまま目を閉じると、月読はそのまま深い眠りに落ちていった。
女のえずく声で目が覚めた。
苦しげなうめき声。いつも身を切られるような思いで聞いていた、
「もう、作物を産まずともよいのだぞ。ゆるりと……」
隣で寝ているはずの女へと手を伸ばしたが、ぬくもりが褥に残っているだけで、彼女はいない。目を開けて頭をもたげると、床に座り込んでいる
「どうした、気分でも」
起きあがって肩を抱こうとして、月読は息を呑んだ。
「なぜだ!」
月読は血塗れた手から剣を奪い、放り出した。自分が佩いていた剣だ。
いくら神とはいえ、こんな状態では死んでしまう。うろたえながら、
「なぜだ。もう、そなたを苛むものはいないのに」
涙が、彼女の頬に落ちた。目を剥いていた
「吾を、切り刻んでくださいませ」
床に投げ捨てた剣が目に入る。血を吸って、赤くてらてらと光っている。
「吾の体からは、新たな作物がとれます。細かく切り刻めば、たくさんの種となりましょう」
「そんなことをせずとも」
「太陽が隠れてしまっては、作物は育ちません。
力の抜けていく彼女の手を、月読は握りしめた。
「……
力が抜けて垂れ下がる
確かに息の根を止めたと思ったが、姉はまだ生きているのだろうか。空にある太陽は、月の陰に隠されてはいるが、消え入りそうに細い輪郭を残している。
うめき声をあげ、また
「苦しゅうございます。どのみち吾は助かりますまい。早く楽にしてくださいませ」
裂けた腹から、ごぼりと音がして血が流れた。
「いやだ。そなたのいない世など、生きる価値も守る意味もない」
眉根を寄せたまま、
「あなたさまは、天を統べる貴神なのですよ。……作物が――吾の分身がよく育つよう、民に暦を教えてくださいませ。月神である、月読さまにしかできません」
「
冷たくなっていく手をかたく握る。少しでも彼女を留めておくために。
「ああ、そのときこそ」
かすかに微笑むと、
ぬくもりの失われていく体を抱きしめて、月読は泣き続けた。暗い昼が終わって夜が来ても、月は空に昇らなかった。
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