▶︎ ナギ

EPー2 希望の旅人は円環を巡る

 広場には、既に大勢の人々が集まっていた。

 元々の住人に加えて、『火山の国』からやってきた人たち。合計すると優に百二十人を超えている。


 朽ちた噴水を背に、ナミと並んで立つ。僕が左で、ナミが右だ。

 ざわめきが収まった頃、ナミが先に口を開いた。


「みなさん、ごきげんよう」


 こちらに向けられた群衆の顔を、僕はさっと見渡す。みんな元気そうだ。


「ごきげんよう。集会を始めます」


 三年前におさが死んでから、実質的に僕たちがその役割を引き継いでいた。

 まずは作物の育成状況の共有をし、この先ひと月の農作業について確認をする。今は雨季の終わりで、ちょうど実りの時期だ。


「小麦がまたそろそろ収穫の頃だね。作付けを倍にした分ちょっと大変だったけど、問題なく育って良かった」


 急に人口が増えたわけだけど、あの小麦のおかげでみんな食うに困らず済みそうだ。今回もたったの二ヶ月で収穫できる状態にまで育っている。


「トワさんが持ってきてくれた新種の芋や豆の方も順調だから、あと少ししたら食べられるようになると思う。だんだん雨が減ってくる頃だから、水を絶やさないようにして、引き続きよろしくね」


 はい、と農業担当の人たちから返事がある。

 火星コロニーに根付かせるために開発された植物たちは、この『砂漠の国』の環境下でも問題なく栽培できた。これから株数を増やしていければ、食生活はもっと豊かになるはずだ。


 コロニーと言えば。


「ところで、滑走路の建設の状況はどうかな。材料は足りそう?」


 男衆の一人が立ち上がる。


「はい、旧時代の瓦礫を砕いていってますが、必要最低限の量はたぶん超えると思います」

「それなら良かった。どうにかこの後の乾季の間に完成させられるように頑張ろう。そうすれば、来年の乾季は楽に越せるようになるはずだ」


 月コロニーから使者がやってきたのは、ついひと月前の、ちょうど僕が前回の巡行から帰った直後のことだった。トワさんの左手の甲に埋め込まれたマイクロチップというものの電波を辿ってきたらしい。


——月と地球を行き来しやすいよう、駅を建設したい。


 その使者の人から伝えられた要望が、それだったのだ。地球から行ったきりのシャトルではなく、宇宙船スペースプレーンの駅を、と。


 小型のプレーンであれば、平らな場所が三百メートルもあれば離着陸できるらしい。だけど、もう少し大型の船となると最短でも千五百メートルの直線道路が必要なのだそうだ。

 主な目的は、月からの支援物資の輸送。そしてゆくゆくは、地球上で育てた農作物を月へと運ぶため。

 また、地球では対応できない病に罹った者をコロニーに運んで、治療を受けさせることも可能になる、という話もあった。


 正直、最初は訝しく思った。なぜ今さらそんなことを言ってくるのかと。

 しかし、新たに月コロニー管理府の首相に就任した人物は、トワさんの古い知り合いらしい。

 それであればと、滑走路の建設を請け負ったのだ。資材は、旧時代の瓦礫を砕いたものを再利用することにした。

 現在、管理府の担当者とは、月との通信が可能な機器を使って進捗状況などの報告を行なっている。


 連絡事項の確認が終わると、今度はナミの番だ。


「では、この先ひと月の吉凶を占いましょう」


 いつも通り古い絨毯を敷き、二人揃って腰を下ろす。

 ナミが懐から擦り切れたタロットカードを取り出し、慣れた手付きでぐるぐるとかき混ぜて一つの山にまとめる。そして一分間の瞑想の後、三枚のカードを並べ、順にめくっていった。


「節制の逆位置、恋人の正位置、運命の輪の正位置」


 左から、過去、現在、未来を表す。

 ナミは一瞬考える素振りを見せた後、にっこり微笑んでこう言った。


「これまでは病気や食料不足などで苦しい状況が続いて、なかなか前へ進むことが難しかったかもしれません。でも、恋人や家族など、大切な人と手を取り合うことでそれを乗り切り、だんだんと良い兆しが見えてきました。この先もきっと、私たちにとって幸せな出会いや素晴らしい変化が訪れることでしょう」




 集会が終われば、もう旅立ちの時だ。

 出発に相応しい、よく晴れた日だった。強い陽射しの一方で、空気はまだ少しじとりと湿っている。だが、間もなく雨季も終わる。

 瓦礫の街の外れ。僕たちは、巡行へ持っていくための荷物をワゴンに積み込む作業をしていた。

 エンジンルームの点検をし終えたコウが、荷台を覗いてくる。


「荷物はこれで全部か?」

「うん、そうだよ。小麦はこの時期なかなか乾燥できないから、粉にして持っていけるのは次回かなぁ」


 後ろのドアを閉めて助手席に乗り込もうとしたところで、誰かの足音が近づいてくることに気付いた。


「あ、あのっ……」


 小さな声が聞こえると同時に、僕は振り返った。

 そこに立っていたのは、一人の小柄な少女——サクだった。走ってきたのか息が上がっており、頬はやや紅潮している。


「サク、どうしたの?」

「あの、これ……新しく作った、蚊除けスプレーなんですけど」


 そう言って、サクは手提げ袋を差し出してくる。受け取って中を確認すると、十本ほどの瓶が入っていた。

 爽やかな香りが、鼻腔を掠めていく。


「あ、ひょっとして今も付けてる? すごくいい匂いがした」

「あっ……はい」

「ありがとう、巡行先に持っていくよ。きっとみんな喜ぶと思う」

「はいっ……」


 サクははにかみながら軽く俯き、両手でスカートをきゅっと握っている。よく見ると、背中には大きな荷物。


「あれ、そのリュックもそう? たくさん作ってきたんだね」

「えっと……その……」


 サクはなぜかもじもじしている。その返事より先に、コウから僕へ声が掛かる。


「ナギ、悪い。少し忘れ物をしてしまったようだ。取ってくるよ」

「うん、分かった」


 コウはすれ違いざまにぽんと僕の肩を叩き、耳元でぽつりと呟いた。


「恋人の正位置」

「え?」


 遠ざかっていく長身の後ろ姿を眺めながら、ぱちぱちとまばたきをする。

 正面に視線を戻すと、サクが先ほどよりももっと真っ赤になった顔で僕を見上げていた。


「あ、あの……ナギさん……」

「う、うん……何?」


 黒目がちの大きな瞳が潤んでいる。

 この状況は、もしや。急なことに、僕は思い掛けず動揺し始める。

 こうして改めて見ると、やはりサクは可愛い。とても可愛い。最近は明るい表情が増えてきて、街の少年たちの間でも噂になっている。

 だけど、まだ子供だ。それに僕はこんな中途半端な身体だし——


 薄紅色の唇が、そっと開かれる。


「ナギさん、あたし……」


 ごくりと、唾を飲み込む。


「あたしを、巡行に連れてってください!」

「……へっ?」


 間抜けな声が出た。


「あっ……巡行ね、そっかそっか、巡行に……ん? え? えぇっ?!」

「……駄目ですか?」

「いや、駄目っていうか……」


 背負っている荷物はどうやら旅支度だったらしい。


「トワさんたちは何て言ってるの? というか、そんなこと言ったらトワさんまた泣いちゃうんじゃない?」

「うん、泣いてました」

「えー……」

「父なら大丈夫です、母がいるから」

「仲良いもんね、あの二人」

「良すぎるくらいです。おかげで最近、ちょっと家に居づらくって」

「あぁ……」


 確かに、トワさんとミカさんは傍目から見ても密着度が高い。夫婦というより恋人同士のようだ。サクの気持ちはよく分かる。


「両親とちゃんと話をしました。二人とも、あたしの思う通りにやってみたらいいって言ってくれました。もちろん、ナギさんたちがご迷惑でなければですけど」

「そっか……でも、本当に大丈夫? 何日も水浴びできなかったり、ひもじい思いをしたりするかもよ?」

「我慢できます」

「車の中や知らないベッドで寝られる?」

「大丈夫です。いつも寝付きはいいから」

「うーん、サクは女の子だしなぁ」


 僕は半陰陽とは言え、男二人と一緒に旅をするのは、サクにとって辛くないだろうか。

 だが、サクは相変わらず真剣な眼差しを僕に注いでいる。


「ナギさん……あたし、ずっと考えてたんです。あたしに何ができるのか。どうしたら、みんなの役に立てるのか」


 その瞳に宿った、強い意志の光。

 思わず息を飲んだ。

 同じだ。あの頃の僕と。

 何もできない自分が嫌で、ただがむしゃらにやれることを探していたあの頃——


「キャラバンについて行って、いろんな植物を採ったり、薬の使い方を広めたりしたいんです。自分のことは自分でします。ナギさんやコウさんに迷惑はかけません。携帯コンロも持ってきたから、簡単なごはんだって作れます。だから、あたしを連れてってください」


 前言撤回。僕よりずっとしっかりしている。

 ここまでやる気になっている若人を無下にすることなんてできない。大人としては。


「よし、分かった。じゃあ、一緒に行こう」

「あ……ありがとうございます!」


 ぱぁっと笑顔の花が咲いた。

 胸の中に、暖かな風が吹き込んできた気がした。



 コウが戻ってくるのを待って、キャラバンのワゴンは出発した。

 街の外れにある小麦畑は、今やすっかり黄金色に色付き、さわさわと心地の良い音を立てて揺れている。

 その波間で、たくさんの人々が収穫作業をしていた。コウの家族や、カグさまを始めとした『火山の国』の人たちの姿もある。みんなこちらに気付いて、大きく手を振ってくれている。


「あっ……」


 サクが小さく声を上げた。

 畑の端の辺りに、仲睦まじく寄り添う夫婦がいた。トワさんとミカさんだ。

 コウが二人の側でワゴンを停止させると、サクは窓を下げた。


「二人とも、見送りに来てくれたの?」

「もちろん。サクとこんなに長く離れるのって初めてだからね」

「ナギくん、コウさん、サクをよろしくお願いします」


 トワさんからそう言われ、僕とコウは会釈を返した。


「サク、気を付けてね。いってらっしゃい」

「いってらっしゃい。無事に帰ってくるのを待ってるからな」

「お父さん、お母さん……はい、いってきます!」


 家族が手を振り合って一時いっときの別れを告げる。

 夫婦の少し後ろ、黄金色に揺れる景色の中に、僕は見慣れた人影を認めた。


 ナミ。


 僕の片割れは、僕とよく似た相貌に微笑みを浮かべて、右手を胸に当てた。


——月のご加護を。


 僕も車の中からそれに応えて、左手を胸に当てる。


——太陽のご加護を。


 そうして僕はまた旅立つ。広い砂漠を巡って、再びこの場所に帰ってくるために。



 どこまでも続く白っぽい大地と、抜けるように青い空。その二色で上下きっぱり分かれる風景の中、銀色に輝く『希望の塔』に向かって、ワゴンは静かに駆けていく。


「巡行は一周でだいたいひと月。あの鉄塔の辺りが折り返し地点で、ぐるっと回って戻ってくる。結構あちこちに人が住んでるんだ。みんないい人たちだよ」

「はい、楽しみです」

「気分が悪くなったりしたら、遠慮せず早めに言うように」

「はい!」


 後部座席のサクの、華やいだ声。

 運転席のコウの、落ち着いた声。

 僕たちは三人になった。新しい旅の始まりは、胸の弾むような期待に満ちていた。


 ■


 何度も何度も巡り巡る、命の営みの。それは人々の想いを乗せて、運命の輪を廻し続ける。


 僕たちはみんな、永遠の迷い子だ。

 幾度となく道を見失い、時には足を止めてしまうことだってある。

 だけど、この身に魂がある限り。魂が、大切な何かと繋がっている限り。

 風が導く先へ、これからもずっと進んでいける。歩いていける。

 未来はきっと、明るい希望の光で満ち溢れている。


 しゃん、しゃん。鈴の音を響かせて、今日も明日へと向かっていく。

 僕の名前はナギ。『砂漠の国』のキャラバン、ジンの息子だ。



—めぐりの星の迷い子たち・了—

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