「現実のひとたち」。このワードだけで拍手喝采モノなのだけど、なんてことだろう、別にこの小説の中でこの言葉は格別に目立つというわけでは多分ない。意図的に目立つように書かれてはあるけれど、それはそうしなければいけない程度の言葉であることの裏返しでもあって、でも個人的に一番やられたワードはコレです。現実のひとたちの現実の風景、それは、とても強い。弱ってると本当にやられる。大事なのはわかるけど見るのがつらい。そういうリアリズムが感じられるのはなんていうかこう、面白いとかつまらないとかではなく、信が置ける、という感覚に近い。この小説ももう1つの本山川小説もそうだけれど、『現実のひとたち』のフィクションの裏で、じゃない人たちのリアリズムもたしかにある。わざわざ書かないとわからないけれど、わざわざ書く人は多くはない『そこ』の話。読みたかった話だなあと、そう思う。
爽やかでほろ苦い青春小説です。あまり健全ではないタイプの恋。開かれた青い夏空の底でぶくぶくと溺れているような。はたちの夏休みだというのに外に出ずに部屋の中でずぶずぶと溺れている。
夏が終わるころに、部屋を出て、ちゃんと別れを告げる。
ただそれだけの。
キャッチで引ている人はぜひ読んだ方がいい。直接的な描写もなく非常に淡々と、爽やかに、とある恋の帰結が描かれています。下品な話ではないので安心して読んでください。十六歳以上なら絶対大丈夫です。
で祭りが終わったころにもう一回読んで、レビューとか見直してみるとなお面白いかもしれないですね。
青の使い方が綺麗で印象的な作品です。
最後まで「あれ? 思ったより普通の話だな」と思ったのですけど、なんとなく引っかかりというか「澤子ちゃんがなんの仕掛けもない話を書くわけがない」という直感があり、何度も読み返して隠されたトリック的なものがないかウンウンと首をひねってしまいました。
で、私が飼い犬のカレドをトリミングしてもらった帰り道、ちょうど澤子ちゃんがスタバで豆乳ラテをズルズルすすりながら「もう仕事やめたい」と壁に向かって呟いていたので、世間話するついでに本作の内容について聞かせてもらったんです。
すると澤子ちゃんは手から鳩でも出すみたいにくるっくるっ手のひらを回して「ウフフ、実はね……」とグレイテストショーマンのヒュー・ジャックマンばりのドヤ顔で、作中に隠した『とある意図』について解説してくれました。
ネタバレになってしまうので具体的な言及は避けるのですが、澤子ちゃんが本作を書くにあたってなにを考えていたかというのを示すヒントみたいなものをレビューの末尾に添えておきます。
本作を読み解く助けになれば幸いです。最後まで解説を聞いたとき、私は「もしかしてこいつ、ちょっと頭がおかしいのかな」と思って怖くなりました。普段なに考えてんの。マジやべーやつじゃん。
【ヒント】
本作が投稿された自主企画のお題は【女性一人称縛り】です。
たとえば料理人同士による【カレー対決】に出場するとき、あなたはまず美味しいカレーを作ることを考えるでしょう。そして審査する側も、出されたものをカレーだと思って口にするでしょう。
しかしカレーはカレーであるという前提のもとでのみカレーであり、もし後日、なんらかの理由でその前提が崩れたらどうなるのでしょう。
あなたが食べたカレーはハッシュドビーフと呼ばれているかもしれませんし、あるいはまったく別の料理になっているかもしれません。
わたしたちはカレーはカレーであると規定しているからこそ、カレーはカレーとしてそこに存在しているのですから。