はじめまして。近くて遠い町。

RAY

はじめまして。近くて遠い町。


 電車を降りて最初に目に入ったのは、どこまでも広がる、真っ青な空。

 柔らかな陽射しがいっぱいに降り注ぎ、暖かい風がほおを撫でる。


 夏を象徴する、照りつける太陽やセミの鳴き声も不快な感じはしない。

 むしろ、全身を優しく包み込むような心地良ささえ感じる。


 平日の昼下がり。初めて降りた私鉄の駅は家から三十分ほどのところ。

 にもかかわらず、遠い異国の地を訪れたような新鮮な印象がある。


 漠然とした希望のようなものが湧き上がる。胸がおどっている。

 「はじめまして。近くて遠い町」。笑顔とともにそんな言葉が漏れた。



 ――いつもヨーロッパの気分を味わえる町――


 数年前、そんな触込みで売り出された、郊外の新興住宅地。

 電鉄会社が駅の新設と併せて開発しただけに、コンセプトはしっかりしている。

 

 改札を抜けた瞬間、キャッチコピーは誇大広告ではないと思った。


 明るいレンガ色で統一されたヨーロッパ調の街並み。

 ハイカラなデザインの駅舎から放射状に伸びる街路はパリの彷彿ほうふつさせる。


 整然と建ち並ぶ、おもむきのあるショップ。

 チェーン店のコンビニやレストランが別の店のように思える。


 背の高い街路樹が植えられた、石畳の歩道。

 歩行者用通路と言うより散歩道と言った形容がしっくりくる。


 コツコツという、無機質なヒールの音さえも心地良い。

 まるでドラマのヒロインにでもなったような気分。



 街角のオープンカフェには、わたしと同じアラサーの女性の姿。

 カップを持つ仕草が上品で落ちついた雰囲気をかもし出す。


 そんなプチセレブを後目に、わたしはバッグから一枚のメモを取り出す。

 書かれているのは、殴り書きで書かれた住所。


 雑多なメモと整然とした街並みを交互に見ながら通りを進む。

 すれ違うプチセレブがいぶかしい目で私を見ているような気がした。


 振り向いて様子を確認したい衝動に駆られた。

 でも、振り向かなかった。前を向いていればいいと思った。


 十分ほど歩いたところで足を止めた。


 目に映っているのは、つたの絡まる、瀟洒しょうしゃな白い建物。

 そして、見慣れた名前の書かれた表札。


 町の雰囲気に溶け込んで目立たないが、お洒落で落ち着いた雰囲気が漂う。

 都市銀行の支店長にもなれば、これぐらいの家に住むのは当たり前なのだろう。


 晴れ渡る空のもと、静かにたたずむ「あなたのお城」。

 それは絵に描いたような、素敵なマイホーム。


 街路樹の陰からしばらく様子を眺めていた。


★★


 金属のドアノッカーがついた、玄関の扉がゆっくりと開く。


 中から現れたのは、シックな花柄のワンピースに身を包んだ、小奇麗な女性。

 そして、大きな赤いリボンで髪をツインテールにした、小さな女の子。


 目に映るのは、二つの幸せそうな笑顔。

 聞えてくるのは、二つの楽しそうな声。


 二人を形容する言葉は、この町を訪れて何度も心で呟いた称賛のたぐい。

 同時に、喉に突き刺さった、魚の小骨のような違和感が感じられるもの。


 二人が私の横を通り過ぎていく。楽しそうに話をしながら。


「ママ、明日のお食事会、すごく楽しみ。パパも早く帰って来てくれるのね。明日は何の日なの?」

「パパとママの結婚記念日よ。パパ、お仕事が忙しいけれどちゃんと覚えていてくれたみたい。うれしいわ――」


 その瞬間、それまで感じていた心地良い何かが不快なものへと変わる。

 女性が勝ち誇ったような表情かおをしている気がした。


 わたしの中で、何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちるのを感じた。


★★★


明後日あさって、わたしの誕生日なの。いっしょにパーティしない?」

「……ごめん。その日は仕事が忙しい。夜中までかかる。で好きなものを買うといい。僕からのプレゼントだ」


 昨日の夜、「わたしのお城」でそんな会話を交わした。

 わたしはいつものように自分を納得させた。彼に迷惑を掛けないように。


 まばゆい、陽の光を浴びた、青空の下にたたずむ一軒家。

 きらびやかな、人工の光に彩られた、夜の都会を見下ろす高層マンション。


「あなたはどちらに安らぎを感じるの?」


 そんなこと、訊けるわけがない。

 でも、いつかは訊かなければいけないこと。


 陽の光が降り注ぐ場所はわたしには場違い。そんなことは百も承知。

 でも、そんな場所にやってきたのには理由がある。


 道に迷った女が、偶然辿り着いたわけじゃない。

 道に迷っていた女が、道を探すために必然的に辿り着いたの。


 今日は新たな発見がありそうだと思った。それは正しかった。

 でも、正確には「発見したくなかったこと」。


「いつか陽のあたる場所へ行ける」


 心のどこかで、ずっと思っていた。

 はかない幻想であることをわかっていながら。


 わたしは、夜が作り出す、真っ暗な空間でしか輝けない存在。

 陽の光で満たされた場所では存在が消えてしまう。


 ギラギラした、夏の太陽が照りつける。

 「早くこの町から出て行け」。そんな声が聞えてくるようだった。


 胸を焦がす想いは純粋なもの。自信を持って言える。

 だからと言って、何の免罪符にもならない。

 

 陽の光が容赦なく身体を焦がしていく。

 まるで、わたしの行為を断罪するかのように。


 心が灰になって消えてしまう気がした。

 太陽に焼かれるのは吸血鬼の専売特許ではなかった。


 もう二度と訪れることはないだろう。

 迷って偶然辿り着かない限り。


 「はじめまして。近くて遠い町――さようなら」



 RAY

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はじめまして。近くて遠い町。 RAY @MIDNIGHT_RAY

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