第3話 コーヒーの隠し味(後)
シフト休なので平日が休みになる。水曜日は喫茶店が定休日なので、こう言う日に休みがかぶると非常に憂鬱である。
しかし今日はコーヒーの機材を届けるため、大手を振って店に行けるのだ。
カランコロンといつものドアベルは……鳴らせない。従業員用の入り口から招き入れられる。
「どうも、ワタヌキさん。お休みのところ申し訳ありません」
「いえいえ。道具も使った方がいいと思いますし」
「あ、これ!? スゲー、本格的だ!」
こころが機材をいじくりまわす。と言っても雑に扱うのではなく、宝物を手に取るように手突きは非常に丁寧だった。
料理に関わる者の端くれとして、道具は丁寧に扱うという基本は押さえているらしい。
さて、ダッチコーヒーという呼び名を使ったが、今時はコールドブリューと言うらしい。いわゆる低音抽出だ。
俺が持ち込んだ機材は点滴のように水を落とし、ゆっくりと抽出するタイプだ。あとはアイスで飲むもよし、湯煎で温めてホットも良い。
コーヒー豆に熱湯を注ぐと細かい泡が出るが、あれ、実はアクなのだ。だからアクが出ない低音抽出の方が雑味も出にくく、より本来の味が楽しめる。
よく以前は豆を買ってきて飲んでいたもんだ。次は自前のミルを用意して豆を挽き始めた。あとは自家製ブレンドとかで、適当に混ぜてたな。
ごくまれにすごくおいしいコーヒーが出来たりもしたが、素人の悲しさ、再現できない幻の一杯となってしまっていた。ブレンド比率とか豆の挽き方とかいろいろ試行錯誤したんだけどな。
「豆はアイスコーヒー用にブレンドしていただいたものがありますので、これでやってみましょう」
店長も心なしかテンションが上がってるようだ。本当に料理が好きなんだなあ。
フィルターにコーヒー豆をセットし、水が落ちるように設定する。ぽた、ぽたと水滴がコーヒー豆の上に落下し、じわっとしみ込んでゆく。
最初はそのままだったが徐々に全体に水がいきわたり、ろ紙の先端から真っ黒い液体がポタ、ポタと落下していった。
「うー、時間かかるね」
「まあ、それは仕方ない。その時間も含めて楽しみに待つんだよ。待った分だけうまいコーヒーが飲めるってわけだ」
「んー、たしかにわかる気がする。パン生地も熟成させるしね」
「時間を置くってだけでうまいもんができるとかすごいよなあ」
などと心と話していた。ふと店長の方を見ると……笑みを浮かべて滴下するコーヒーの雫を眺めていた。口元がわずかに動いている。耳をそばだて、彼女の言葉を聞いた瞬間、いろんな感情が溢れそうになった。
「おいしくなあれ、おいしくなあれ」
もちろんその言葉でコーヒーの味が変わるわけじゃない。科学的に言えば成分も変わらないだろう。
けど、コーヒーを淹れるってこともある意味調理だ。素材に手を加えるってことで。人の手が加わる際に、口にする人を想って調理することで、目に見えない調味料が加わっているんじゃないかって考えるのは、いささかセンチに過ぎるだろうか?
「なにそれ、愛情って言いたいの?」
「うっさい。こんなおっさんがって思うんだろうが?」
「タヌキさんはおっさんじゃないよ?」
「へえ、じゃあ何なんだ?」
「んー。面白い人……かな?」
「タヌキ呼ばわりなのに人かい」
苦笑が漏れる。こころはなんか憎めない。妹分って感じだ。
「んー、まあ頼りにはなるって思うよ?」
「ふふん、ならもう少し年長者に対する態度と言うものをだな」
「あー、説教オジサンになったー」
オジサンって、俺まだ28なんだが……しょぼーん。
とりあえず買い出しなどを手伝い、試作品の試食などを頼まれた。
というか、氷の買い出しとか初めてだが、この辺、繁華街も近くにあって、飲み屋とかでこだわっているところは氷屋から買うらしい。
んで、試食内容は……かき氷だった。
「うおお……」
「えっと、いかがでしょうか?」
「いや、このサイズはすごいですね」
ガラスの器にこれでもかと盛りつけられた氷はすごく細かく削りだされており、まるで淡雪のようだ。味付け前の氷を一口食べてみると……すーっと溶けて消えた。水にも風味がある。
「へえ……」
「少し山の方に行くと天然の岩清水があるんですよ。地元産の天然ミネラルウオーターです」
「はー、自然の恵みですね」
「そうなんです。で、このシロップを試してくれますか?」
透明なシロップは特に香りはしなかった。スプーンにつけて舐めてみると、ものすごく甘い。しかし、ただ甘いのではなく、複雑な旨味があり、サラッと後口は消えてゆく。
「えーっとですね、このミネラルウオーターにうちで使ってるお砂糖を溶かしまして、飽和させるんです」
「それだけだとこの複雑な味にはならないんじゃ?」
「はい、ワンパターンですけどこのお塩をひとつまみ……」
精製されているわけではない塩は粒が荒く色も真っ白ではない。一粒口に入れると天然のミネラルの味がする。非常に複雑な味だ。塩としての辛さが土台にあるが、苦み、甘味、酸味などが複雑に絡み合う。
というか、ほかの材料が下手なものだとこれ一つに負けるんじゃないかとすら思われた。
そして、逆にこの素材を受け止められるほどの素材ならば……。再びさっきの塩のイメージをもってシロップを舐めてみる。というか、ここでハタと気づいた。本来の用途に使えば絶対もっとうまい!
氷をスプーンでひとすくい、さっきの味のイメージから適量と思われるひとたらし。それをおもむろに口に入れた。
「……うまい」
絞り出すように出てきたのは飾り気の一つもない一言。
けど、店長の笑顔は俺の言いたいことを余さず受け取ってくれたのだろう。華が咲いたような笑顔だった。思わず顔が赤くなる。いい年こいてドキドキしてきている。
さっきのプレーンのシロップをベースに色々と試作品があるそうだ。
個人的に一番よかったのは、シソジュースをベースにした奴だ。イチゴと見間違えるが、色合いは若干暗い。酸味と甘味が絶妙にマッチして、更に塩分とクエン酸を補給できる。
体温も下がるしいいことずくめだ。
そしてかき氷を完食したころには、俺の身体は冷え切っていた。そこにことりと置かれるコーヒーカップ。
ほのかに立ち上る湯気と共に素晴らしい香気が俺を直撃する。
飲む前からわかる。これ絶対にうまい。
「さっきのコーヒーを湯煎で温めました。というかわたしもご相伴にあずかりますね」
向かいの席に店長が座った。同じテーブルを囲むというのはなんだか気恥ずかしいが、ニコニコと笑う店長が最高すぎて何も言えない。
「いただきます」
一口めは正直口が冷え切っていて味なんかよくわからなかった。けど、鼻に抜ける香りがとても素晴らしかった。
そして二口め。芳醇な香りと、苦みをベースにした複雑な味が口の中を駆け巡る。さらにもう一口飲むと、今度は酸味が感じられた。シソシロップのせいで酸味がマヒしていたらしい。
「おいしいですね!」
ちょっとテンション高めの笑顔でそう告げてくる店長に、言葉は無粋と、こちらは笑顔でコーヒーカップを目線に位置に掲げてそれを示した。
「タヌキさん、キザなしぐさ似合わないからやめた方がいいよ」
ちょっとへこんだ。
「ところで、コーヒー淹れるコツってなんかあります? 俺もいろいろ試したことあるんですが」
「そうですね、やっぱり、温度でしょうか。沸騰寸前のお湯だと香りが飛びますしアクも出やすいんですよね」
「え!? 熱いお湯で入れるのがいいんじゃないの?」
「紅茶はそれでいいんだけどね。コーヒーはまた変わるのよ」
こころと店長がコーヒーの淹れ方談義を始めた。店長が淹れるコーヒーは様々に心が配られており、結局その技術がわずかながらと言っても決定的な差となって、現れていたのである。
コーヒーの隠し味は豆でも水でもなく、単純な技術でした、というオチだった。
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