第5話 屋台のクレープ
喫茶店もよりのコンビニの駐車場で、ボケーっと窓の外を眺めていた。待ち合わせの時間は10時で、今はすでに11時。電話をしてもコール音が響くのみ。
「んー、とりあえず喫茶店行ってみるか」
とりあえず喫茶店に向かうと……いろいろ修羅場だった。
「きゃあああああああ」
水道が故障して水が止まらなくなっているようで、必死に蛇口を押さえているニノマエ店長。
「大丈夫ですか?」
「あ、ワタヌキさん。すいません!」
とりあえず水道管をたどって元栓を閉めた。
「あ、ありがとうございます……」
といつものふんわりした口調で言われ振り向き、即座に目をそらす。
お出かけ用の薄手のワンピースはずぶ濡れになり、張り付くわ透けるわでえらいことになっていた。
「え……あ、きゃあっ!?」
「すいません、ほとんど見てません!」
「こちらこそごめんなさい! ごめんなさい!」
てんやわんやだったが、店に予備で置いてあった服に着替えることで事なきを得た。とりあえず先ほどの光景は脳内の店長フォルダに保存し、ロックをかけた。
「本当にごめんなさい!」
ぺこぺこと頭を下げる姿にむしろこちらが罪悪感を刺激される。トラブルは仕方ないと思うしな。
「いえいえ、というか寒くないですか?」
「いえ、とりあえずシャワーも浴びましたし、大丈夫です」
「なら、いいんですが。風邪とかひかれたら困ります」
「え……? それって」
「店が休みだと、僕の癒し空間がなくなっちゃいますし」
「あは、ありがとうございます。あのお店を気に入ってくれて」
うん、貴女が心配だと言えない自分のヘタレ加減にちょっと悲しくなる。けどなんか距離が近くなった気がする。
雨降って地固まるってやつか。そういえば水道の修理ってどうなってるんだろう?
「あ、大丈夫です。つばめちゃんが何とかしてくれるそうで」
「へ? 彼女そんなスキルあるんですか?」
「ええ、いろいろ器用な子なんですよ。ただ……」
店長が沈鬱な表情で、つばめ嬢の唯一の欠点が料理をするとその器用さが反転するらしい。
料理を運んだり、コップに水をそそぐ分には問題ないし、丁寧な接客で彼女のファンも多い。だからやめてもらおうとかは考えていないそうだ。
「あの凛とした雰囲気は確かに素敵ですねえ」
「ふふ、ワタヌキさんの好みですか?」
「いや、僕はもう少しゆったりした雰囲気の女性がいいですねえ」
「というか、お休みの日に、良かったんですか? ご家族とか」
「いや、独り身ですのでお気遣いなく」
「あ、そうなんですか。よかったあ」
うん、それはどういう意味での「良かった」なんでしょうか。すげー聞きたい。けど聞くのが怖い。このあいまいな距離が心地よくて、けどそれだけでは不満に思う心もあり、複雑怪奇極まりない心境だ。
信号待ちの合間に隣を見ると、ニコニコとした表情で、ラジオから流れてくる曲をハミングしている。たまに音程が外れるが、なんか温かい雰囲気だった。
子守歌とか歌われたら10秒で熟睡できるな、とからちもないことを考えつつ車を走らせる。
国道をまっすぐ進み、県境をまたぐ。予定より出発が遅れてしまったので、順番を入れ替え先に食事にすることにした。
「何かリクエストはありますか?」
ちなみに、俺もこっちは通過したことしかない。スイーツ関連の店をネットで漁っていたらたまたまヒットしただけだ。
「そうですねえ。いつも甘いものなので、ラーメンとかいいですねえ」
「は、はあ。わかりました」
「うー、ワタヌキさんもそんな感じなんですね?」
「そんな感じとは?」
「わたしがラーメンとか食べるのっておかしいですか?」
「……いえ、そんなことは無いですよ?」
「うそつき。「えっ!?」って驚いてましたよ?」
「んー、そうですねえ。僕もちょっと身構えてたのかもしれません。おしゃれな店のランチとか想定してたので」
「嫌いじゃないですよ? そういうのも。けどなんだろ、ワタヌキさんとなら気取らなくていいのかなーって」
うん、考えようによっては守備範囲外だからどうでもいいってセリフにも聞こえるんですが。ただ、にっこりとほほ笑んで死刑宣告をするタイプじゃないってことはわかってる。
ひとまず都合のいいように解釈することにした。俺に親しみを持ってもらって居うるということで。
「光栄にございます姫様」
「うー、そういうのやめてくれません?」
ちょっとほっぺたを膨らます店長は可愛い。普段はほんわかした空気の中に、芯のようなものを持っている感じだった。けど今はその芯も引っこ抜いて脱力している感じがする。
「ははは、すいません。ちょっとおどけてみたかったんです」
「ふふ、ワタヌキさんも意外にお茶目ですね」
「そうですか? というかどういうふうに見られてたんですか!?」
「んー、真面目な方で、ちょっとお堅い感じ?」
「ま、半ば仕事モードでいることも多かったですけどね。今は完全プライベートです」
ふと考えた。これ完全にデートじゃね? というか、さっきの服装も精いっぱいおしゃれしてた感じがする。今は普段着っぽいけど。それでも休みの日に待ち合わせしてお出かけとか。今更ながら顔が熱い。
一度思考を停止して、ナビを確認した。評価が高いラーメン屋を見つけたのでそこに入ってみる。変わった名前の店で、なぜかキャンピングカーがどーんと駐車場に置いてある。
店内に入ると、店舗を構える前はキャンピングカーで屋台をしていたと書かれていた。
味噌ラーメンをオーダーする。ついでにご飯にトッピングは無料のランチタイムサービスがあったので、こちらもついでに頼む。
軽くゆでたもやしはしゃきっとしていて、固めにゆでられた太麺に合う。スープは魚介の出汁に何種類か味噌を調合しているようだった。
「おいしい!」
ニノマエ店長が一心不乱にラーメンを食べる。何だろう、ジャンクな食べ物なのに彼女が食べる所作はとてもきれいで、まるで茶室にでもいるような気分だ。ただゆったりとした空気で、とても落ち着く時間でもあった。
鶏そぼろのトッピングご飯を食べる。ウズラの半熟卵を真ん中にのせ、出汁がかかっていた。これも非常に美味しく、また来ようと思える味だった。
「また来ましょう!」
ニノマエ店長は非常に上機嫌だった。
ラーメン屋を出て国道を走り、目的の店につく。といってもスイーツの店ではない。いろんなジャンルを取りそろえた中古ショップだ。本、衣類、家電、ゲーム機などを取り扱っており、買い取り、購入、どちらもできる。
そして、真の目的はこの店の駐車場で営業するクレープの屋台だ。
「ふわああああああああぁ」
メニューを見て目を輝かせる。生クリームにチョコとベーシックなものから、季節のフルーツのトッピングもできる。
ほか、総菜クレープのようなものもあり、空腹時にはたまらないだろう。
人気の店らしく、屋台の前には行列がついていた。
「何にします?」
「うー、選べません。どれもおいしそうです」
「ですねえ。今の腹具合だと1個かなあ」
「ですよねえ。んー、チョコバナナは定番ですよねえ」
「基本ですね。あ、チーズケーキだと!?」
「えー、あれ絶対に美味しいです!」
「うん、そう思う! 絶対おいしい!」
などなどキャッキャウフフしている間に列は進む。もうこうなったらインスピレーションに任せることにした。
「いらっしゃいませー、お待たせしました。ご注文は何にしますか?」
「ブルーベリーチーズケーキで」
「わたしはチョコバナナ!」
「はい、畏まりました。ではあちらでお待ちください」
ベンチを指さされる。そちらに移動しようとすると、店長がもう一つオーダーを追加した。
「あ、この氷抹茶もお願いします」
「あ、んじゃ僕はコーヒーで」
「はい、ありがとうございまーす」
先に飲み物をもらってベンチでしばし待つ。
「あ、これ美味しい。抹茶ミルクですよー」
濃い目に作った飲み物を凍らせ、ミルクの中に入れている。徐々に氷が解けると味が変わっていくわけだ。
「へえ、コーヒーもちゃんと淹れてるな。美味しい」
「そうなんですか? あ、いい香り」
俺の手元のカップに顔を寄せるのでドキッとした。目の前に店長の頭が来ていてなんか良い匂いがする。
そうすると朝の場面がよみがえってきて少し落ち着かない気分になる。……実は少しじゃなく、かなり悶々とした。
「お待たせしましたー」
円錐状に巻いた紙に包まれたクレープが差し出される。持つとほんのり暖かい。生地は焼き立てのようで小麦粉の香ばしさがたまらない。
端っこの方を一口かじると……まず生地がふんわりとしていてほのかな甘さがある。スッと口の中でほどけて柔らかい甘さが残った。じっさい生地だけでも美味しい。
そして肝心の具だが、いいミルクを使っているんだろう。どっしりとしたチーズの味わいがすごい。ブルーベリーも新鮮で二つの酸味が引き立てあっていた。チーズの熟成された味とブルーベリーのフレッシュな味が相まって口の中にハーモニーを奏でる。
隣を見ると少しかじってはハムハムと咀嚼する店長の姿があった。口が動きながらコクコクと何か頷いている。
そしてほうっとため息をつく。顔は……うん、恍惚としてるな。
「美味しいですぅー、幸せー」
そのとき俺は何を考えていたのかわからない。反射的に自分のクレープを差し出していた。
「こっちも一口いかがですか?」
「わぁ! ありがとうございます!」
これも反射的だったんだろう、かぷっと一口食べる。
また幸せそうな顔をしてハムハムと口を動かすさまは見ていてとても和んだ。
「あ、じゃあお返しです。こっちもおいしいですよ!」
スッとクレープが差し出される。反射的にかじる。うん、うまい。ってあたりで回りからの視線に気づいた。
「ギギギ、リア充は爆発しろ」
「はあ……うらやましい」
ほか、微笑ましいものを見るような目線などなど様々だ。
顔色を変えてニノマエ店長が頭を下げてきた。
「えっと……美味しくて思考が飛んでましたけど、ごめんなさい! わたし、食べかけを差し出すって失礼なことを!」
いえ、むしろご褒美です。などとは思ってさすがに言えない。いや、いっそ言った方がいいのか?
「いえいえ、気にしてませんよ?」
そうじゃねえええ、これだとただの鈍感野郎だろ!
「うー、もう一つ買ってきますね……」
「待って! 僕はね、嬉しかったんです。あなたと少し仲良くなれた気がして」
「ふぇっ!?」
「少なくとも嫌じゃないですよ。というか、僕も食べかけを差し出したんだからお互い様です」
「は、はい……」
なんかお互い赤面して黙り込む羽目になった。間接キスで赤くなるとか小学生ですか。
車に乗り込んで、帰路につく。何となく照れくさくて言葉は少なかったけど、沈黙もなんか心地よかった。信号待ちで隣を見ると目があったりで、くすぐったいような感じだ。
その顔は赤かったように見えたが、それは西日のせいなのかも? ただ俺の頬は普段より火照っていた気がした。
来た道を戻り、店の前につく。
「えと、今日はありがとうございました」
「いえ、楽しかったです。またお誘いしても?」
「はい! 楽しみにしてます!」
ぺこりとお辞儀する店長に手を振り、車を走らせる。明日からも頑張ろう。唐突にそう思った。
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