第2話 コーヒーの隠し味(前)

 カラコロンと涼やかなドアベルが鳴る。俺は喫茶店に足を踏み入れた。


「あ、いらっしゃいませーってタヌキさん、こんちわー」


「ワタヌキだ。人を勝手に動物にするんじゃない」


「えー、だってそのごつい図体って警察署の前にあるオブジェっぽくて」


 最寄りの警察署には、なぜか信楽焼のオブジェがある。どんな意図があるのかは不明だ。


「とりあえず抹茶ね。あと今日のお勧めは?」


「んー、そですねー、いい茶葉が入ったんで紅茶風味のシフォンケーキとか」


「へえ、いいね、んじゃティーセットで頼みます」


「はーい、んじゃお茶も紅茶にしますね。お好みあります?」


「リプ〇ンで」


「おい」


 この騒がしいのは二宮こころ。ウェイトレス兼、パン職人だ。製菓専門学校に通いながらここでバイトをしていたが、卒業して就職予定の大手パン屋に疑問を抱き、ここのバイトを続けているらしい。


「工場の大量生産には愛が足りない!」


「別にいいんだけど、全部ハンドメイドだと作れる数にも限界はある。工場生産品ってのもある意味ニーズはあるんだぜ」


 とツッコミを入れて以来、なんか目の敵にされている。ちょっと小柄で丸っこいフォルムだが、子犬っぽい愛嬌がある。家に帰ると猫たちが出迎えてくれるらしい。




 オーダーしたものが来るまで手持ち無沙汰になり、ふと店内を見渡す。学生の集団がキャーキャーと騒いでいるが、いつも通りの平和な風景だ。


 静かなときはものすごく静かで、それはそれで居心地がいい。騒がしい時も活気があると感じてしまうのは、この喫茶店の雰囲気、ひいては店長の腕なんだろう。




「なにー、タヌキさん店長さがしてる?」


「ん? いや、そそそそそんなことはないぞおおおおおおお」


「うん。動揺した振りを棒読みで言うことであたしをおちょくってるんですね」


「すげえ、よくわかったなこころん」


「ええい、一文字増やすな!」


「だったら俺の名前にも一文字付けろ!」


「わかりました古ダヌキさん」


「漢字で増やすなあああああ!」


 といったあたりでもう一人の店員がトレーをもって近寄ってきた。


「あ、ワタヌキさん、いつもありがとうございますー」


 こちらの子は三条つばめさん。お嬢様風の整った顔立ちをしている。和装になぜかポニーテールだが、凛とした雰囲気が引き立っていた。


 なんか弓とか薙刀を持たせてみたい気がする。


「お待たせしました。今日のおすすめケーキセットです」


 先日のアイスパンと飲み物のセットは非常に売れ行きがいいらしい。テイクアウトのアイスパンは1日に100個近くの売れ行きを記録し、二人の時給も少し上がったとドヤ顔で言われた。


 ドヤ顔で報告してきたのはこころの方だったけどね。




 紅茶風味のシフォンケーキ、ほんのりルビーのような色がついており、甘い香りがする。砂糖はこだわった製品を仕入れているそうで、上品な甘さだ。


 一口分を切り分け、フォークで口に運ぶ。ふわっとした食感で口の中でほろほろと崩れてゆく。ふんわりと茶葉の香りが鼻に抜け、さわやかな気分になる。


 きっちりきめ細かくメレンゲを作ったのだろう。実に丁寧な仕事だ。あのぞんざいな口調からは想像もつかない職人ぶりである。




 ちょいちょいとこころに手招きをする。


「んー、なにー?」


 わしわしっと頭を撫でてやる。


「うきゃああ! なにすんの!?」


「いい仕事してるな! うまいぞ!」


「むう、当たり前じゃない! あたしプロだし!」


「そうだな。こんなうまいケーキはなかなかないぞ!」


「ふん、都会もんはこれだから」


「こっちもそれなりだろ。東京とかと比べるからいかん」


 むーっとこちらを睨むこころをあしらいながら冷えた紅茶を口に含む。ほんのりとしたレモンの味が砂糖の味を洗い流す。同時に夏の炎天下を歩いてきた身体を潤してゆく。


 冷やされているからか香りはそれほど立っていない、むしろケーキのほうで十分に香りを楽しんでいるので、すっと喉を通ってゆく紅茶の冷たさが互いを引き立たせていくようだった。


 再びケーキを食べる。紅茶をひとくち。うまい! うまい! 疲れた体に甘味が染みわたり、ささくれだった神経を癒してくれているようにさえ感じた。




「ごちそう様!」


「はい、お粗末様。どうだったって聞くまでもないわね」


「とてもおいしゅうございました」


 テーブルに手をついてお辞儀する。うまいものを食わせてくれた相手には相応の感謝をしないとな。




 というあたりでドアベルが鳴る。一(にのまえ)店長だ。


「あら、ワタヌキさん。いつもありがとうございます」


「もうあれですね。食べないと落ち着かないですね」


「それはそれは。けど外食ばかりじゃいけませんよ?」


「ですねえ、わかっちゃいるんですが」


「でもさー、うちの食材っていいものを厳選して揃えてるし」


「あら、こころちゃん。お客様の前では丁寧な言葉で話しましょうね」


「はーい」




 お姉さんっぽく諭す店長を見て和む。癒される。


「タヌキさん、顔がきもいんですけどー」


「うるさい、俺の幸せを邪魔するなー」


「店長狙い?」


「狙うだなんておこがましい。ただあの笑顔を見ているだけで俺は幸せなのだ」


「へたれー」


「わるいかー」


「けど、確かに店長美人だからねえ。あれで彼氏いないの信じられませんわ」


「え? いないの?」


 意外な情報に動揺を隠せない。


「そもそもいない歴人生じゃなかったっけ? あたしの先輩なんだよね」


「こころくん。とりあえず、コーヒーを頼めるかね」


「はいはい、まいどー。豆挽くからちょいと待ってねー」


「ああ、そうそう、今度ダッチコーヒー試してみないか?」


「え? 何それ、面白そう!」


 こころが食らいついてくる。目がキラキラしていた。


 ダッチコーヒーとはいわゆる水出しコーヒーだ。前に住んでいたところで最寄り駅の喫茶店でやっていた。


 引っ越しのときに挨拶に行くと、老マスターが引退という話を聞き、水出しコーヒーを淹れる道具一式を譲り受けていたのだ。


 一人分のコーヒーを飲むにはいささか大掛かりに過ぎ、手入れも大変なので連休の時くらいしか活用していなかったので、次の休みに持ってくることを約束した。




 勝手に話を通すわけには行かないので、これ幸いと店長に話しかける。




「店長、実はこういった事情で水出しコーヒーの道具があるんですが、良かったら試してみませんか?」


「水出しコーヒーって美味しいですよね。こころちゃんも興味あるみたいだし、お願いできますか?」


「ええ、この店が繁盛すると自分も嬉しいので」


「うふふ、ありがとうございます」


 店長の笑顔に見とれている俺はさぞかし間抜け面を晒していたのだろう。しかし店長はそういう反応すら慣れているのか、にっこりとほほ笑んでいる。




 こころが淹れてくれたコーヒーを味わう。うまいんだが、あの日飲んだコーヒーにはどこか及ばない気がする。その味の違いが何なのか、何となくわかっちゃいるんだけど、それを認める踏ん切りが今一つつかなかった。やはり俺はヘタレなんだろう。

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