喫茶エイプリルフール
響恭也
第1話 暑い日にはアイスパン
「あっちい……」
その日の気温は殺人的な暑さだった。外回りの仕事を選んでしまった自分のうかつさを呪いながら見知らぬ街並みを歩く。
先日の辞令で転勤してきたばかりのこの街は、歩き回るたびに新鮮な驚きをもたらしてくれていた。古都と呼ばれる土地柄である。
「新規顧客ってどうしたもんかねえ」
俺の独り言は虚空に消える。すれ違う人々も誰も俺に注意を払わないし興味もないんだろう。
商店街を一人歩く。アポを取った店はすぐそこだ。職務に対する忠誠心は体温を超える気温の中に溶けて消えてゆくようだった。
手元のスマホの地図アプリから目的地に到着したことを知った。
ちょっと寂し気な雰囲気の喫茶店だ。
「こんにちはー」
「はーい」
浴衣っぽい服装の女性が出迎えてくれる。
「どうも、初めまして。ワタクシ東方警備保障の四月一日わたぬきと申します」
「あら、変わったお名前ですね?」
「ええ、エイプリルフールではありませんので、嘘は言いませんよ?」
自己紹介時の鉄板ネタを言うと、目の前の女性はころころと笑ってくれた。
「そうですか。よろしくお願いいたしますね」
「はい、それで、店長様、いらっしゃいますでしょうか?」
「ええ、私が店長の一にのまえと申します」
名刺を差し出され苗字が一文字であることと頓智が効いた呼び方にふと笑みをこぼす。
「ふふ、みなさん一瞬キョトンとされるんですよね」
「ああ、わかります。わたしもいつもそうで……」
つかみは良かった。最近物騒なことと、新幹線開通で観光客が増えていること。人の出入りが増えると必然的に治安は悪化する。
そのことを脅すわけではなく、オブラートにくるんで説明する。店長さんもそのあたりは理解したうえで、こちらの説明をしっかりと聞いてくれ、ポイントを押さえた質問が返され、中には想定外の内容もあったため、一度持ち帰って確認することを約束する羽目になった。法務と相談ってレベルだなこれ。
話の合間に出された抹茶を口にする。ほんのりと暖かく、炎天下を歩いてきた身にはちょっと厳しいかと思っていたが、意外におぃしく飲むことができた。
ふわっとした苦みに、ほんのりとした甘みがある。そして何か甘みを引き立たせる隠し味があるようだった。とはいえそれは砂糖というようなわかりやすいものではなく、かといって奇抜なものでもないことは何となくだがわかる。
さすがに食通というほどではなく、こう言った疑問をサラッと解決できるほどの知識があるわけでもない。
お茶を口にして少し首をかしげたことに気付いたのだろう、店の主力商品でもあるので、感想や反応は気になるのだろうか。
「どうかいたしました?」
こてんと首をかしげて聞いてくる。それが若い女性というよりも少女のような振る舞いで、少しおかしさを覚えた。
「いや、このお茶の甘さが気になってですね。砂糖というような味じゃないんですよね?」
「まあ、隠し味があるってわかった人、ほとんどいませんのよ?」
「いや、実家が京都で、よく抹茶を飲まされてたんですよ。母が茶道の師範でして」
「ああ、だから所作が綺麗だったんですね。お若いのにご立派だなと思っていましたの」
「いえいえ、それほどでも。それで、隠し味を教えていただくわけには……行きませんよねえ?」
「かまいませんよ?」
「ですよねえ……って、え!?」
「あのですね、ほんのすこーしだけ塩を入れるんですよ」
「なんとまあ……」
「塩はこだわって取り寄せた天日塩です。揚げ浜式でお塩を作ってるのって、もうそこだけみたいでして」
「へえ。そんなところがあるんですか」
「それとですね、ほら、例えば今日って暑いじゃないですか」
「ですね」
「汗をおかきになるでしょう? 塩を入れるのはそういう意味もあるんですよ。塩分が不足すると甘く感じられる方もいるみたいですねえ」
「ああ、季節に合わせたアレンジでしたか。何から何まで素晴らしいですね。古都のおもてなし、堪能させていただきました」
「あらあら、お上手ですねえ」
口元を袖で隠してころころと笑う店長。なるほど、若いが相応の能力で店長をやっているのだなと感じさせられた。
「そうそう、甘いものは大丈夫ですか?」
甘いものは……いける。むしろ大好物だ。
「よろこんで!」
なんかいろいろすっ飛ばして返事をしてしまった。
「あらあら、では、新商品の試食をお願いできますか?」
「はい、甘いものに目がないんですよ!」
「あら、なんだかセリフの順番がおかしいですね」
「あははははは」
笑ってごまかした。くすくすと笑われているが、特段不快な気分にはならなかった。不思議な魅力がある人だ。
「少々お待ちくださいね」
そう言い残して店の奥に消えた。手持無沙汰なのでテーブルに置いてあるメニューをめくる。和菓子やお茶に混じって、抹茶ミルクや洋菓子のアレンジしたケーキなどが書かれている。和風メニューが主力のようだ。
お品書きの次のページはファミレスで見るようなカラー写真がちりばめられた華やかなメニューだった。
オフィス街、商店街、さらに近隣には学校がいくつか点在している。
客層も様々で、制服を着た学生が行き来していたり、カートのようなものを押すお年寄りもいる。
スーツ姿のサラリーマンがカバンをもって電話越しにぺこぺこと頭を下げる姿はなかなかに身につまされる光景だった。などと道行く人々を眺めながら埒もない考えに浸っていると、ふわっと香ばしい香りが漂い始めた。チーンとベルの音が聞こえる。電子レンジ? いや、そんな雰囲気ではなかった。
その疑問は再び現れた店長の手に乗るトレーの上に鎮座する物体が解決してくれた。
「試作品で御口に合うかわかりませんが」
そう前置きしてトレーをテーブルに置いた。
円錐状のフォルムはコロネと呼ばれる形だ。パンは軽くトーストしていたのか、表面はパリッとしていた。そして一番俺の良く知るコロネと違う点は、コーンに見立てたような形でアイスクリームが乗っていることだった。パンに合わせたのか店の雰囲気に場違いなコーヒーも一緒に添えられている。
ソフトクリームをまず口にした。甘い。しかしただ甘いのではなく、ミルクのどっしりとした旨味がその甘さを支えていた。
そして先ほどの抹茶と同じような風味を感じる、ということは、これは塩バニラか。よく見ると黒い粒が見て取れるが、バニラビーンズだろう。粒をすくうと甘い香りが口の中から鼻に抜ける。
パンを食べると表面はパリッと、中身は解けたアイスがしみこんでしっとりとしている。表面を焼いたのはしみ込んだアイスが外にしみ出さないようにするためだろうか。
無我夢中というのはこういうことだろう。甘い、うまい、甘い、うまい。それだけが頭を支配しており、一気に食べてしまった。
「いかがでしたか?」
笑顔を浮かべて店長が訊いてくるが、食べっぷりからわかるだろうと言いたい気分だった。
こちらも笑顔を浮かべ、「最高でした」と答える。
改めて食後のコーヒーをすする。やや濃いめに淹れられたブラックコーヒーは口の中の甘みを洗い流し、すっきりとした後口にしてくれていた。
いい豆を使っているのだろう。香りも良く、その場で豆を挽いてくれたのではないかと思われる。
「このセット、おいくらですかね?」
「700円程度で考えています。学生さん向けにソフトドリンクも用意してって感じですね」
「大ヒット間違いなしだと思います」
「ああ、よかった! 四月一日さんみたいに味のわかる方にそう言っていただけると安心です!」
そのあと、店長から素材のうんちくを聞くことと相成った。地元の食材を使った地産地消がテーマらしい。パンもそちらから取り寄せたというから恐れ入る。
アイスだと思っていたが、ジェラートだそうだ。本場仕込みの店から回してもらったという。
塩は前述の揚げ浜式塩田の製品を使用した職人オリジナルだそうで、これでうまくなかったら嘘だ。
「採算、取れるんですか?」
「んー、何とかって感じですねえ。ある程度まとまった数が出るようになったら仕入れが下げられますし」
「また来ます。今度はこのアイスパンを食べに来ますので、メニューに載ったら教えていただけますか?」
その時の店長の笑顔がすごく印象に残った。だからというわけではないが、パンにかこつけて店長の連絡先を聞き出した。
今までこんなことをしたのは初めてだ。どうやら俺はガッツリ胃袋と、なにかを掴まれたらしい。ころころと笑う笑顔がやたら印象に残っていた。
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