2-1 『アルナイルの自己複製機』 ― ここは七日でできた街。やってくる人間は限られている


 わたす限り砂しかない。ばくだ。空から降りそそぐざしが地面の砂を熱している。

 陽炎かげろうにゆらめく視界。そんなかんきようでも、ヨキとシュカはすずしい顔をしている。頭からかぶったフードのなかは快適な気温に保たれていた。

 二人はばくの真ん中で、砂をっている。

 調査官が地上におもむくとき、まずは飛行機で調査地の上空までゆく。そして人のいない地点にむかって、調査官がりこんだポッドを射出する。飛行機が着陸できない地点に調査官を降ろすことができるし、射出したポッドはゆうどうビーコンを使って回収するから、空から人がやってきたこんせきも残らない。

 しかし今回は着地点がばくだったものだから、砂の上にポッドのあとが残ってしまった。風がけば消えるだろうが、念のため、砂をってこんせきを消しているのであった。


「こんなもんでいいでしょう。いきましょうか」


 二人は歩きだす。しかし空と砂しかなく、景色が変わらない。ずっと同じ場所にいるようで、ヨキは何度も後ろをふりかえり、つづくあしあとをみて前に進んでいることをたしかめた。


「座標、ちがったんじゃない?」


 シュカがまぶしそうに目を細め、辺りを見回しながらいう。


「ここ、無生物地帯でもおかしくないよ」


「いえ、あってますよ。もう少しでみえてくるはずです」


 ヨキはかたからかけたカバンを開き、忘れ物がないか最終チェックをする。セントラルとの通信機、現地の通貨、アナログなナイフ。マニュアル通りのけいこう品だ。


「ナイフなんていらないよ」


 シュカがいう。


「この地域に人をおそうような危険な生物はいないんだしさ」


「人はときに危険です」


「根暗な発言するなあ。人間ぎらいだと友だちできないぞ」


「友だちできないのは困りますね。でも、ぼくには友だちより必要な人がいます」


「わかった、こいびとだ」


「真面目な上司ですよ」


「砂がけてけつしよう化しているよ。きれーだねー」


 シュカがけだしていく。ごういんに話題を終わらせるところからすると、どうやら自分が不真面目な上司という自覚はあるようだ。しかし反省する様子もなく砂で遊んでいる。放っておくとどこにいくかわからないので、ヨキは「こっちですよ」とゆうどうする。

 目的地をめざして歩くが、砂に足をとられて思うように進めない。そうこうしているうちにすなあらしがやってきて、やりすごすため二人は地面にせる。視界が砂に染まり、半歩先もみえない。みるみるうちに降りつもり、あらしがおさまったときには砂にもれていた。

 ヨキとシュカは、もぐらのように頭を出す。クリアになった視界。遠くに都市がみえた。きゆうりようせんとうが建っている。そこを中心に緑と街が広がっていた。


「なるほど、あれか」


 シュカはいいながら、光学ディスプレイを起動する。空中に資料が表示されるが、それらはすべて、ヨキが事前に準備したものだ。


「どれどれ。都市のめいしようはグレートインゴット。人口は中規模都市と同水準。宗教都市で教会が絶大な権力をにぎっている。技術水準は活版印刷が発明されたところ、と。なんか、つうの都市だね。服はかわいいけど」


 シュカはマントの下に着たドレスシャツをいじり、満足そうな顔をする。


「今回の調査対象は都市そのものなんでしょ? 選定ミスじゃない? ありふれているよ。しいものでも食べて、ゆっくりするしかないな」


せんぱいはホント人の話を聞きませんね。何度も説明しましたよ」


 ヨキは砂を拾いあげる。


せんぱいが言った通りですよ。ここは砂がけつしよう化するほどの、あと一歩で無生物地帯というかんきようです。それがあの都市、あの場所にだけは、緑がしげって人が住んでいる」


ばくにもオアシスくらいあるでしょ」


「規模が大きすぎますよ。それにですね、あの街では至るところに鉄が使われています。けれどそんな資源、この辺り一帯どこを探してもないんです。簡単にいいましょう。本来であればここは空白地帯です。しかし都市が存在し、そこには人や食料、資源もある」


「ふうん」


 シュカはつまらなさそうな顔をする。地理的な要因だとか、資源だとか、そういった話題は好みではないのだ。シュカは、きよだい生物のような、わかりやすいロマンを求めている。


「仕方がないですね」


 ヨキは光学ディスプレイの画像をスライドさせ、いくつもの静止画像を順にみせていく。

 最初はなにもないばく。次に地面がりゆうし、がんばんがせりだしてくる。そこに木々が生える。家も建ち並んでいく。そして現在、目の前にある都市と変わらない光景ができあがる。この場所の変化を時系列にならべた映像記録だ。それ自体におどろきはない。地面がりゆうしてがんばんがでてくることも、そこに草が生えて街ができることも、あり得ないことではない。しかし。


さつえいされた日付に注目してください」


「どれどれ」


 シュカがめんどうくさそうにのぞきこむ。そして首をかしげる。


「日付、ちがってない?」


ぼくも最初はそう思いました。でもこれはセントラルがさつえいした映像で、何度かくにんしても正しいんです。そして、グレートインゴットは、周辺から『せきの街』と呼ばれています」


 さつえいの日付が正しければ──。

 今から二十年前、この場所でたしかにせきが起きたことになる。一夜にして地面がりゆうし、一夜にして草木が生え、数度の夜を経るうちに無数の建物ができあがった。


せきの街ですから、遠くからのじゆんれい者も絶えないようです。ばくえられず命を落とす人もいるみたいですけど」


「七日で都市がつくられたわけだ。創世神話みたいだね。しんこうの対象になるのもわかる」


 シュカがほおをゆるめる。


「なかなかおもしろそうじゃないか」



   ◇


 ばくの都市は雑然としていることが多い。みちはばせまく、曲がりくねっていて、自分がどこにいるかわからない。そこかしこにてんがあり、あやしい店主に呼び止められるうちに迷子になる。

 グレートインゴットは、そんなイメージからははなれた都市だった。区画整理がきちんとされていて、熱吸収をおさえるため白い色をした建物が整然とならんでいる。みちはばは広く、こうたくのある石のタイルがめられている。すなつぶ一つ落ちていない。いたるところに浅い水路があり、陽光をうけてかがやいていた。


ばくの街っていうより、水上都市って感じだね。冷たっ」


 シュカが水路につけた手をひっこめる。


「なるほど。この冷たい水が都市全体にいきわたることで気温がコントロールされているわけだ。人も住めるし植物も育つ。うん、飲んでもおいしい」


「おなかこわしても知りませんよ」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ。食べ過ぎ以外でおなか痛くなったことないから」


 まぶしいしと水の流れる音。すれちがう人はみなおだやかな顔をしていた。

 ヨキとシュカは立派な門の前で立ち止まる。おくにみえる建物は、民家のそれよりも格段に大きい。門柱には鉄製の札があり、現地の言葉で、の集積とられていた。


「何だと思う?」


「図書館でしょうね」


「本かあ」


 セントラルに暮らす二人にとって、紙に印刷されたばいたいはデッドメディアだ。情報や記録は全てデジタル化されている。その方が場所もとらないし、経年でれつすることもない。


「でも私、結構好きなんだよね」


せんぱい、古いものは何でも好きですよね」


「うん。でっかいせきとかいいね。だれが建てたかわからない、トラップがいっぱいあるようなせき。次はそういうとこにいこうよ」


「どうでしょうね。そういうところは、もっと実績のある調査官がけんされますから。ぼくたちみたいな素行不良調査官がしんせいを出してもきやつされるんじゃないですかね。上から命令される指示案件はテキトーに片づけて、自分たちでみつけてきた希望案件だけ真面目にやる。局内ではそう評価されているみたいですよ。しかもそれが真実だから耳が痛いですよね」


「聞こえないなぁ!」


 話しながら建物に入ってゆく。予想通り、木製のしよがならんでいた。入口に古びた机とがあり、老人がすわっている。どうやら受付のようだ。絹のシャツを着ていることからも、この都市が、服に気をつかえるほどゆうふくなことがわかる。


「都市の歴史についてのぶんけんはありますか?」


 ヨキがたずねると、老人は人なつっこいがおかべた。


「外からきた研究者かね?」


「えっと」


 今回、ヨキとシュカはせきの街をおとずれたじゆんれい者という設定だ。しかし答えるよりも先に、「言わなくてもわかるさ」と、老人は話しはじめる。


「ここは七日でできた街。やってくる人間は限られている。移住を希望するものか、せきを信じていのりにくるものか、なにが起きたか調べようとする研究者だ。そして歴史や地理をたずねるものはみな研究者だよ」


 老人はおだやかに話す。かれは遠くの街の出身で、ここに移住してきたらしい。だから外の人間が興味を持つ理由もよくわかるという。


「しかし残念ながら歴史書はない。それをつくるほどの時間がっていないからね。まだ二世代目といったところだよ」


「そうですか」


 ヨキはとくにらくたんしたりはしない。もともと歴史書があったとしても参考程度だ。自分で調べてなつとくできるもの以外は報告書にさいしない。


せんにいってみてはどうかね」老人がいう。


せん?」


「街の中心に高いとうがあるだろ」


「あのせんとうですか。教会建築のようですが」


 老人の話によると、あそこは礼拝堂でもあるが、学術せつでもあるらしい。教会所属の研究者が大勢いて、日夜、研究にはげんでいるという。


「ちょうど今、一人きている。あのむすめだよ。おそらく、一番ゆうしゆうな研究者だ。名をラターシャ。みな、ラシャと呼んでいる」


 おくしよで分厚いかわ張りの本を手に取っていた女性がこちらをむく。若い。おそらくヨキよりもずっと年下だろう。それでゆうしゆうと評価されるのだからたいしたものだ。ほおにかかるくらいの短いかみかつしよくはだ。理知的な顔つきで、落ち着いたふんをしている。


「ラシャならこの街ができたことについて、何らかの見解を持っているだろう。話を聞くといい。まあ、かのじよは少し難しいじようきようにいるのだけどね」


「どういうことですか?」ヨキはたずねる。


「えてして、ゆうしゆうな科学者は、教会の教義と対立してしまうものなのだよ」


 老人はそこで話をやめる。ラシャがしよの方からこちらにやってきたのだ。

 ラシャのたたずまいは、上品なくろねこのようだった。

 老人が、ヨキとシュカをしようかいする。


「この街の創設について調べているそうだ。資料を探しにきたそうなんだが」


「けれどこの街に歴史書はない」ラシャがいう。「だからかわりにせんを案内してやってしい。そんなところかしら」


「おまえさんの研究室には非公式の資料があるんじゃないのかね」


 老人は茶目っ気のある口調でいう。しかしラシャは、「どうかしら」とへいたんだ。年のわりにどこか達観している。


「でも私が教会のせつを案内していいのかしら」


 ラシャはちよう的なトーンでいう。


「もうすぐたんしんもんにかけられるというのに」



   ◇


 道すがら、ヨキは自己しようかいをした。もちろん、本当のことは話さない。事前に調べたことを思いだしながら、そつきようで設定を作った。遠くにある街の名をあげ、そこの学術せつからけんされた研究者だと説明した。ラシャは「そう」と、うなずくだけだった。個人の属性に興味はないのかもしれない。


「この水はすべてあのせんとうから流れてきているのよ」


 ラシャが水路をみながらいう。


「街全体にわたるほどの水量が一カ所から何十年もきつづけている。それも一つのせきだと思わない?」


「地下水がいているのかな」


 ヨキはありきたりな推測を口にしてみる。事前調査の段階で、この地域に地下水脈がないことはかくにんしている。つまり、大量の水がこんきよもなく発生しているのだ。それはラシャのいうとおり現在進行形のせきであり、ヨキがこの都市に目をつけ、調査希望をしんせいした理由の一つでもあった。


「地下水、ね。可能性はゼロではないかもしれないけれど。いずれにせよ、せんにいって水がいているところをみてから考えればいいと思う」


 それにしても、とラシャはいう。


「あなた、これっぽっちも地下水だなんて思っていない顔で『地下水がいているのかな』なんていうのね」

 ヨキはごまかすようにかたをすくめてみせた。


 せんとうはグレートインゴットの中心、きゆうりようの一番高いところにあった。青い空を背景にそびえている。ばくからみえるほどのきよだい建造物であるから、高く、建物内も広かった。一階が聖堂になっていて、それより上の階層には様々なせつや部屋があるという。


そうごんだねえ」


 シュカがいう。

 せんとうの中心はけになっていた。そこに大理石の白い円柱があり、とうの上までびている。そして、同じく白い大理石を使って、その柱に巻きつくようにせん階段がつくられていた。


せんと呼ばれるえんよ。とう内を上下に移動するときは全てこの階段を使う。上の階層には大司教の部屋や、教会の資料室、研究者たちの部屋もあるわ。そして水源もね」


 ラシャがせん階段のわきを指さす。水路があり、水が流れている。階段とともに、柱にそってうずをまきながら流れてきているのだ。


「あの冷たい水はとうの上からきてるの? まさか空から落ちてきてるわけじゃないよね」


 シュカが柱を見上げていう。


「一番上にいけばわかるわ」と、ラシャが階段に近づいてゆく。


 ヨキは思わず、「ちょっと」と、声をかけた。


「あのさ、一番上って、かなり高いと思うんだけど。ここからだと頂上みえないし。ホントにのぼるの?」


「そうね。高いところは苦手?」


 ラシャはだんから使っているからか、まったくていこうがないようだ。ヨキは未練がましく自動のしようこう機を探す。しかし、そんな設備はない。


「わかりました。ぼくも男です。ゆきましょう」


 一定のリズムでひびくつおと。最近、デスクワークばかりで運動不足になっているヨキにとって、それはしゆぎようごうもんだった。終わりのない階段。あまりに長く、ちゆうからつかれすら感じなくなる。このままのぼりつづければ天国にゆけるのではないか。そんな気すらしてくる。


「へえ、れいだね」


 一番上にたどりつき、シュカがかんたんの声をあげる。

 円柱の頂上が丸くくりかれ、そこに水がたまっている。石造りの泉だ。ステンドグラスを通して色づいた陽光が、水面をいろどり、れている。まるで空中庭園、神の庭。そんな表現がふさわしい光景だ。


「なるほど。ここの水があふれだして、街全体にいきわたってるわけだ」


「天空の泉と呼ばれているわ」


 ラシャがいう。


「どういう原理なの?」シュカがたずねる。


「神の残したおんちようというのが教会の公式見解よ」


「このとうにいる研究者たちもそれを支持しているの?」


「支持しないとたんしんもんにかけられて、最悪の場合はしよけいされるしね」


「あなたはさっき、自分がたんしんもんにかけられるといっていたけど」


「教会はあくばらいをしているのだけど、それを否定する論文を発表したのよ。あれは精神の病で、もっと別のアプローチが必要だってね。それがすうきようげきりんにふれたみたい」


 ラシャはそうめいであり、そうなることは論文を書いた時点で容易に予想できたはずだ。ヨキがそれをてきすると、ラシャは認めた。


「それでも正しいと思ったら、発表せずにはいられなかった。多分、科学の正しさを信じているのでしょうね。私が幼いころはこんなに教会の勢力は強くなかった。それがじゆんれい者が増え、力を持つようになった。何でも神のせきにして、それ以外を認めない。このとうだって、今では宗教建築のようになってしまったけど、元はもっと簡素な内装だったのよ」


 科学はせきつぶされ、歴史は神話にえられた。それにより、グレートインゴットができた当時の記録も消されてしまった。今では神を信じる乙女おとめいのりで街ができたとか、そんなせきを賛美するいつばかりがあふれ、せきの検証はさらに難しくなったという。


「私の研究室に少しだけなら資料が残っているわ。あなたたちが求めている、この街の歴史に関わるものよ。とうの低層だけれど、いく?」


みたいね」


 シュカはそういって、ラシャといつしよに階段を下りていこうとする。

 ヨキはあわてて呼び止める。


「もう少しこの泉をながめてからいきませんか? こんなれいな光景、なかなかみれるものじゃないですよ。いえ、別につかれてません。むしろ元気です」



 ラシャの研究室はせまく、さらには本や実験器具が散乱しているため、足のみ場もなかった。

 ヨキは無造作に転がっている試験管を手に取ってながめる。試験管はどこにいっても、同じ形をしている。最適な形は限られているから最後は同じ形に収束するのだろう。


「どこにやったかな」


 ラシャが書類の山をかきわけ、資料を探す。セントラルで紙がデッドメディアとなった理由はこれだ。デジタルならけんさくに時間はかからない。


「グレートインゴットを作った人たちよ」


 やっとのことでラシャが見つけだしたのは一枚の写真だった。セピア色で、色あせている。五人の男が映っていた。


かれらは技術者集団で、街に必要な設備をつくった。工法はわからないけど、あのせんとうと円柱をつくったのもこの五人よ。決して神の聖遺物なんかじゃない」


 ラシャは長い時間をかけ、五人の来歴について説明した。シュカは「ふむふむ」とうなずきながら、意外とれいな字でメモを取っていた。


「なるほどね。それぞれに得意分野を持った職能集団だったわけだ。街の至るところにその技術は使われているだろうから、それを調べれば、七日で都市ができあがった秘密がわかるかもね。よし、明日からしいものでも食べながらゆっくり街を散策だな」


 シュカはじようげんで研究室を出ていく。

 ヨキはラシャと二人きりになる。そのいつしゆんの空白の時間だった。

 ラシャは無機質にいった。


「あなた、調査官でしょ。セントラルの」


 あってはならない質問。

 ヨキはちんもくし、相手の態度をうかがう。

 ラシャはきんちようしていない。とてもニュートラルで、そして確信に満ちている。


「少し話をしよう」



   ◇


 セントラルははるか上空にかぶ天空国家であり、地上からは観測できないよう様々なけがほどこされている。それゆえセントラルの存在自体がまず知られておらず、調査官がその身分を見破られることもない。


「それなりの技術がある地方では、なんとなくセントラルの存在に気づいているところもある。けれど基本的には観測されていないし、グレートインゴットの水準で、調査官の存在に気づけるはずがないんだ。あくまで基本的な話だけれど」


 ヨキは、前を歩くラシャにいう。

 深夜、二人は円柱の頂上にある天空の泉を目指し、せん階段をのぼっていた。

 昼間、研究室でラシャは取引を持ちかけた。ラシャはせきの正体に心当たりがあって、それをヨキに教えてくれる。その代わり、ヨキはセントラルのことを少しだけ教える。

 ヨキは、シュカには秘密にしておくことを条件に、それをしようだくした。シュカは規則はんにうるさいからと説明した。もちろん、そうではない。シュカの方が規則にゆるい。しかし、今回の任務にあたり、ヨキはどうしても単独行動を取りたい理由があった。

 深夜、ヨキはシュカにだまって宿を出た。そしてせんとうしんにゆうし、せん階段をのぼっている。せきを解き明かすかぎは天空の泉にある。それがラシャの見解だった。人目のないときに検証するため、夜を選んだ。


「どうしてぼくが調査官だと?」


 ヨキは無限に思える階段をのぼりながらたずねる。前をゆくラシャはかえらない。


「あなたは遠くの街の学術機関からけんされたといった。でも、そこからきた研究者たちが以前にいたのよ。かれらは帰路でくなった。あのばくはときおり、信じられないほど高温になる。不運な事故だった。遺体は収容されて、今もその街の人が引き取りにくるのを待っている」


「なるほど。ぼくがその人たちの消息をたずねないのは不自然だ」


「下調べがあまかったわね」


 ヨキはラシャの冷静な横顔をみて思う。おそらくこの人が調査官だったら、自分よりもゆうしゆうだったにちがいない。


ぼくにせものの研究者だとしても、調査官という結論には結びつかない。グレートインゴットは不思議な街だけれど、セントラルを感知できる水準にはないはずだ。セントラルというめいしようも、調査官という職業も知りようがない」


「そうね。この街の人はだれもセントラルのことは知らないはずよ。でも何事にも例外は存在する。昼にみせた写真を覚えている?」


 グレートインゴットの創始者とされる五人の写真。一番右のはしに、丸い眼鏡をかけ、ひげをたくわえた男がいた。


「名はアルフレッド・アルナイル。けんじんと呼ばれていて、多くの発見と発明をした。五人のなかでリーダーは別にいたけれど、実質的に全てをもたらしたのはかれよ。あまりおもてたいに立ちたがらない性格だったみたいだけれどね。そしてかれは、世界が広いことを知っていた。ばくのむこうに世界が広がっていることをわかっていたし、空に自分たちよりもはるかにすぐれた文明が存在することにも気づいていた」


 アルナイルについては不明なことが多く、くわしいことはわかっていない。かれは都市を創り、いくつもの発明をして住民の暮らしを豊かにし、そして、ひっそりと老いて死んでいった。なぜだかわからないが、かれは何一つ記録を残さなかった。さらに教会がかれの功績を教義でおおいつくしたため、グレートインゴットのれいめい期に存在した多くの技術が失われることになった。


「でもね、最近になってみつけたのよ。かれが残した小さなかわの手帳。アルナイルの手記よ」


 手記にはアルナイルが発見したこと、考えている最中の仮説が記されていて、そのなかにはセントラルの情報もあった。


「アルナイルはいつかここに調査官がやってくることを予見していた。自分の成したことが特別なことだとわかっていたから。遠くない未来に、セントラルから調査官という名のかん者がやってくると」


かん者? ぼくたちは調査するだけでかんはしない」


 調査官は世界各地の情報を収集し、報告する。その情報をどう判断するかはセントラルのちゆうすうにゆだねられている。


「そうかしら。もし自分たちをおびやかすような生物や技術をみつけたとき、セントラルはそれを放っておくの? おそらく何らかの対策を取るはずよ。そういう意味では、調査官はセントラルの目であり耳であり、やはり私たちにとってはかん者なのよ」


 かつて未開の地へ調査におもむいたとき、不思議な力を行使するシャーマンに出会った。


『地上を管理する者』


 正体をかれ、そう呼ばれたことをヨキは思いだす。


かんしようしないなんて信じない。かいにゆうしないなんてありえない。私たちは地上を歩くしかできないけれど、なにも考えられないわけじゃない」


「そうだね」


 本来であればセントラル側の情報は開示しない。しかしヨキは、ある事件について話すことにする。セントラルのことを少しだけ教えるという約束もあったし、なにより、ラシャはしんらいに足る人物に思えた。


ぼくが調査官になってから、一度だけかいにゆうした事例をみたことがある。例外的なで、オフィスはそうぞうしかった」


 熟練の調査官が、技術水準の高い地域にけんされたときのことだ。調査目的はその地域にまれに出現するといわれる、金色のにじの観測だった。七色あるからにじなのであって、一色の帯はにじとは呼べないのだけれど、他に表現のしようがなかったので便べんじようそう呼ばれていた。結局、そのときの調査では金色のにじを観測することはできなかった。


ぐうぜんだった。その調査官は長いたいざいのあいだに、現地の人々があるせいぶつをつくりだそうとしていることを知った」


せいぶつをつくる?」


「遺伝子というがいねんがあるんだ。生命の設計図みたいなもので、それをいじって、人間に都合のいいように改良するんだ」


「生命をつくりえるなんて、まるで神様のようなことをするのね」


 その街では遺伝子え技術が実用化されていた。かれらはゴミ処理を加速させるため、分解能力にすぐれたせいぶつをつくりだそうとし、成功した。

 めいしようはオーレン・シエラレオネ。

 じようにシエラレオネを散布しそこにゴミをめると、一晩のうちに鉄をも分解するほどの効果がまれ、実用化の寸前までいった。


「でもね、重大な見落としがあったんだ。シエラレオネは強すぎた。じようにいる他のせいぶつを殺してしまうし、植物の根に入ればそのさいぼうかいする。しかも土をばいかいにして広がっていくから、世界中の陸生植物を根こそぎらしてしまう危険性があった」


 一度、散布されてしまえばとめられない。実用化する前に何とかする必要があり、セントラルはかいにゆうの判断をくだした。


「とても平和的なかいにゆうだったよ。いつのまにかシエラレオネのばいようそうに花が落ちていて、異常なれ方をしているんだ。それを見た現地の人は、そのせいぶつの危険性に気づく。厳重に管理されているはずのばいようそうになぜ花が落ちていたのか、少しの疑問は残るけれどね」


「なるほど。つまり、よほどの事態でない限りかんしようかいにゆうもしない。今回もそうなる、と」


「そうだね」


「それならいいわ。この先にある泉に使われている技術を、あなたが回収して持って帰るのではないかと心配していたのよ」


「安心していいよ。ぼくは報告書を作るだけだ」


 静まり返ったせんとうくらやみのなか、白いせん階段をのぼってゆく。昼間とは違って、天国への階段という印象はなく、禁じられたとびらを開けにいくような背徳感があった。


「口ぶりからすると、アルナイルの手記は他の人に公開されてないみたいだ」


「そうね」


「どうして?」


「教会は何でもせきということにしたい。もし手記の存在を知れば、きっとはらってしまうでしょうね」


「君は教会所属の研究者だ」


「ええ。けれど真実をいつわることに加担したくはないわ。それに、私は手記をみつけて決意したの。たん者として殺されることになったとしても、この街を創った人たちの記録を消したりしない。だってね──」


 前をゆくラシャがかえる。ステンドグラスを背景にヨキを見おろす。窓からしこむ月光がかのじよに降り注ぐ。


「私はラターシャ・アルナイル。アルフレッド・アルナイルのむすめよ」

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