2-2 『アルナイルの自己複製機』 ― 上司を守るのは部下の仕事だ


   ◇


 せん階段の頂上にたどりつく。石造りの泉からは夜になってもこんこんと水がきつづけていて、中心の水面が少しふくらんでいる。底に穴がみえるが、地下水がいているというわけではない。こんな高い所までみあげる合理的な理由はないし、そもそも、この地域に地下水脈はない。それはセントラルの観測技術が保証している。


「少し休んでから、泉を調査しましょうか」


 ラシャはいう。


「あなた、つかれているみたいだし。足がふるえているわよ」


「そんなはずはない。ぼくは世界各地の調査にいって、あしこしきたえている。全然平気だ。けれど質の高い調査をするために、少し時間をおいて集中力を高めるという考えも悪くない」


 ヨキはその場にすわりこんだ。

 息を整えているあいだ、ラシャにアルナイルの手記をみせてもらった。わたしてはくれず、かのじよがめくるページを横からのぞく。黄ばんだ紙に書かれている数式や理論は、グレートインゴットの水準からすれば、はるかにオーバースペックなものばかりだった。


「ずっときつづける天空の泉。七日でできた街。この手記にはそれらを同時に実現できる理論が書かれていて、そしてそこに多くのページがさかれている」


 ラシャが立ち上がる。


「自己複製の理論よ」


 くつぐとそのまま泉に入ってゆく。スカートのすそれるのも意にかいさない。ヨキも仕方なく立ちあがり、くつくつしたぎ、ズボンのすそをまくりあげる。


「セントラルにもあるのでしょう、自己複製の理論」


「ある。ぼくは専門家じゃないから難解な部分は理解していないけれど」


 調査官はありとあらゆる分野の調査を行うため、はばひろい学識が求められる。そのため、ヨキも多くの学問をさわっており、自己複製の理論もおおざつには知っていた。


「動物が子供をつくることも、冷たい言い方になるけれど、自己複製と呼べる。同じ種類のものが増えるわけだから。それを科学的に検証し、応用を試みたのが自己複製の理論だ。ある機械があったとする。その機械に自分自身の設計図をわたす。機械はそれを使って自己複製を始める。どんどん増えて、できる仕事量も多くなる。まるで無から有ができるような夢の理論だ」


 セントラルでは実現可能な理論として語られるよりも、小説の題材にされることの方が多い。自己複製をしゆんうながす装置を開発し、それを使って一つしかないものを二つにする。どろぼうが宝石を複製しておおもうけしたり、きようの科学者が太陽を二つにしたりするような物語だ。数は多くないが、けんさくすればいくつかはヒットする。


「父は自己複製の理論に可能性をいだしていた」


 ラシャはいう。


かれはまず複製因子というものを考えた。自己複製するためにはそれがいる。私たち人間が子供をつくれるのも、その複製因子があるからだと」


「遺伝子、DNA、つまりは生命の設計図だ。親と子供が似るのは同じ設計図だから」


「二重せんの塩基配列でしょ」


「知っていたのかい」


「父の手記で学んだわ」


 泉の中心に近づいていく。


「生命だけじゃない。父はありとあらゆるものに複製因子があると考えた。そしてそれをしゆんぞうしよくさせ、同じものを生みだす装置をつくろうとしていた。手記を読み解いていたとき、その記述をみつけてグレートインゴットがどうやって創られたのか、なんとなくわかったわ」


「自己複製機、それがあればたしかに可能だね」


 木が一本あれば、二本にできる。鉄がひとにぎりあれば、それを増やすことができる。家を一けんつくれば、それを複製して二けんにすればいい。すごい速さで、なにもない場所に都市を創造することも可能だろう。

 ヨキは想像する。ひとにぎりの資源と自己複製機を手に持ち、ばくの真ん中にたたずむアルフレッド・アルナイル。


「グレートインゴットは自己複製機によって創られた。そして自己複製機は今も都市のために使われている。ここ、天空の泉でね。その仮説を今から証明するわ」


 ラシャがしゃがみこみ、泉の底に手をいれる。体の半分まで水にかる。底にあいた穴は、それほど深くはなかった。立ちあがりながら、ラシャは水の底にあったものを引きあげる。

 水色のクリスタルだった。ひし形で、大きさは手のひらに余るくらい。

 内側にがくようがあり、うっすらと発光している。


「これね」


 ラシャがもう片方の手を器用に使い、アルナイルの手記を開く。自己複製の理論がさいされているページに、たくさんの数式が書きこまれている。


「なるほど」


 ヨキは手記の数式と、クリスタルのなかを見比べ、なつとくする。クリスタルのなかにあるがくようは、よくみてみれば、手記に書かれた数式の集合だった。


「これが自己複製機ね。って、あれ?」


 ラシャは足元をみながら首をひねる。底にある穴からはまだ水がきつづけていた。


「装置を取り外したら水がとまると思ったんだけど。これ、自己複製機じゃないのかな?」


「いや、正解だよ。それは同じものをつくりだす夢のような機械だ。そして機能した」


 ラシャは自分の左手が重くなっていることに気づく。

 傷とよごれがついたかわ張りの手帳。

 アルナイルの手記が二冊になっていた。


   ◇


 ヨキは宿にもどり、たんまつを起動する。

 青いクリスタルのせんれつな印象が脳のおくに残っている。あの後、手記だけでなく、ヨキが持っていたカバンやナイフも複製した。できあがったものは本物と見分けがつかず、同じといっていいものだった。

 アルナイルの自己複製機。

 それはセントラルの技術力さえりようしたしろものだ。しかし、それがグレートインゴットで発見されたことにおどろきはない。

 ヨキは光学ディスプレイを操作し、セントラルのサーバにアクセスする。学者たちが使う論文システム、そこに『自己複製』と入力する。

 るいけいで一番読まれている論文が上にあがってくる。その論文の発表者名のらんには、つい最近聞いた名前がさいされている。

 アルフレッド・アルナイル。

 自己複製理論を提唱し、セントラルから姿を消した科学者だ。これこそが、今回、ヨキがシュカにだまって行動する理由だった。

 グレートインゴットに興味を持ち、調査の許可しんせいを出したとき、中央調査局の上層部から呼びだされた。シュカが有給きゆうで不在にしていたため、代わりにヨキがいった。

 部屋にはシュカよりもはるかに役職の高い人間がいて、アルフレッド・アルナイル博士についての説明がなされた。かつてセントラルの研究機関に所属していたこと、研究成果を持ちだして姿を消したこと、そしてヨキが提出したグレートインゴットの事前資料に目を通したところ、アルナイル博士がせんぷくしている可能性がじようしたこと。

 都市の調査とへいこうして、アルナイル博士のゆくついせきする。それがヨキに下された命令だった。もしアルナイル博士の所在が判明した場合、すみやかに報告する。その後どうなるかは教えてもらえなかったが、別の機関の人間が収容しにいくことは明らかだった。そしてそれはアルナイル博士にとって不幸なことだともわかっていた。

 セントラルは時として、地上の人間やセントラルを裏切ったものにたいしてれいこくになる。

 ヨキはシュカに知らせず、全てを一人でやることにした。シュカはこういうことを許せない、人を大切にするタイプだ。もし知らせたら、上層部とけんして、中央調査局を去るような気がした。それはヨキにとってけたいことだった。

 グレートインゴットにとうちやくし、アルフレッド・アルナイルがすでくなっていると知ったときは心の底からほっとした。これでいやな仕事をせずに済むと。しかしろうれいのアルナイルがすでくなっている可能性など上層部はこうりよの上で、もう一つの指令をヨキに出していた。

 アルフレッド・アルナイルにけつえん者がいた場合もすみやかに報告すること。

 この命令には、セントラルの暗い側面が前面にしだされている。

 アルナイル博士はセントラルを去るとき、セントラルのサーバ上にある研究データに生体にんしようによるロックをかけた。つまりアルナイル博士本人しか解除できなくした。そこには国家機密もふくまれており、上層部としては何としてもロックを解除して情報を確保したい。そこで本人が死んでいた場合、けつえん者を確保しようと考えたのだ。

 生体にんしようもうまくパターンやじようみやくにんしようで、本人でないと解除できない。しかし遺伝的に似た形質を持つけつえん者ならどうにかできる。セントラルの技術力を使って、生体組織をいじればいい。おそらくまともな生活を送れない体になるが、セントラルは地上で生まれた人間にたいしてそれほどのはいりよはしないだろう。

 ヨキはラターシャ・アルナイルの存在をさいした報告書を作成し、送信画面までいったところで手を止める。これを送信すればイレギュラーな仕事は終わりだ。まただんの楽しい調査にもどることができる。

 しかし、送信することはできなかった。


「明日からこの自己複製機を検証してみましょう。いつしよによ。だってこんな楽しいことをひとめするのはよくないでしょう」


 めずらしくがおになったラシャの顔がかぶ。

 ヨキはため息をつく。自分がこんなにも情に弱いとは思いもよらないことだった。

 セントラルは完成されたシステムだ。命令からのがれることはできない。それでもヨキは結論を先送りにせざるを得なかった。


   ◇


 数日間、ヨキはグレートインゴットにたいざいし、夜になるとラシャの研究室をおとずれ、自己複製の実験をする日々を送った。なぜ夜に実験するかというと、自己複製機を取り外すと水がきでる量が少なくなるからだ。自己複製機は二つかくされており、一つを取り外しても、水はきつづけた。


「なぜ君のお父さんは自己複製機を二つ作ったんだろう。一つでも水量は足りているように思えるけど」


「自己複製機を複製できるようにしたのかもしれないし、予備として作ったのかも」


「じゃあ、それを泉の底にかくして、真実をだれにもいわなかったのは?」


「これだけの装置だもの。考えなしに使われたら大変よ」


「なるほどね」


「私たちはちゃんと考えながら使いましょうね」


 様々なものを複製した。木や石、服、食べ物もだ。クリスタルは全体的にぼんやりと青く発光している。そのなかでも数式のれつだけが単一方向に強い光を放っており、その光をあてると、どんなものでも同じものが出現した。きんかいも複製した。しばらくっても砂になったりしないことをかくにんしたとき、二人のあいだにみような空気が流れた。


「セントラルでも黄金って価値がある?」


「あるね。希少だし、利用価値の高い金属だ」


「これ、売れるよね」


「まあ、売れるね」


「貴金属を増やすのはやめておきましょう。よくないことが起こりそうよ。りん的にね」


 理性が勝った。あのときの二人の決断はめられてしかるべきだろう。ちなみにそのときのきんかいはいまだたなの上に置かれている。未練があるわけではなく、時間がっても変化がないかを観察するためだ。

 不明なことは多い。自己複製機がばんぶつの複製因子、つまりは設計図を読み取るとしても、同じものができあがるくつがわからない。設計図があっても、材料がなければ複製はされないはずだ。現状では、無から有をつくっているようなものであり、複製されたものがいつ空気にけても不思議ではない。しかしそうはならないと、二人は確信していた。なぜならこの自己複製機で創られたであろうグレートインゴットが、いまだ消えずに存在しているからだ。どこから複製のための質量を生みだしているのかは難解ななぞだ。

 青いクリスタルは未知の技術で、それを解き明かすための実験をかえす。その時間が積み重なるほどにヨキの心は苦しくなっていった。ラシャのじゆんすいな研究への姿勢に尊敬の念さえいだいている。もしこの人をセントラルに差しだしたら、一生こうかいするのではないだろうか。

 自分も、地上の人間を何とも思わないタイプの人間だったらよかったのに、とヨキは思う。

 かつとうかかえたまま、日々は過ぎていく。

 シュカはその間、ずっと遊んでいた。今回の調査は資料読解が中心になるから、それをするあいだ、じやにならないようどこかで遊んでいてしいと伝えたのだ。シュカは水を得た魚のごとく遊びまわり、グレートインゴットの社交界でも、でも、その名を知らぬものはいなくなった。

 ヨキはそんなシュカを横目に、このじようきようを乗りきるみようあんはないかと考えつづけた。

 ある夜、研究室のとびらを開けると、ラシャが両手にネズミをのせて難しい顔をしていた。


「まったく同じ個体といえるわね」


「みたいだね」


「自己複製理論の原点でもある生命のはんしよく。それは出産というかたちで増えていく。二重せんの塩基構造、つまりは遺伝子で複製されるわけだけど、生まれてくるのは本当の意味では同一個体じゃない。親と子は別個体。でもこの自己複製機でつくられたネズミは本当に同一の個体のようにみえるわ」


 ラシャが二ひきのネズミをわたしてくる。ヨキも観察してみるが、たしかに、ひげのはね方や耳の形まで同じにみえた。


「さらに何びきか増やして、同じげきあたえて同じ反応をするかためしてみましょうか」


「そうだね。同じかんきようで、同一の成長をげるかもためす必要があるだろうね」


「一ぴきだけ別のかんきようにして、どうなるか観察してみるのもね」


「つがいにして、その子供について調べるのもいい」


 ヨキは二ひきのネズミをそれぞれ別のかごにいれる。一つには起源と書かれたメモがられていて、もう一つには複製と書かれたメモがられている。


「ところでさ、君とシュカさんって、どういう関係?」


 ラシャが静かに聞いてくる。ヨキは当然の答えを返す。


「部下と上司」


「ふうん」


 ラシャは目を閉じる。シュカの顔をおもかべているのかもしれない。


「部下と上司というわりに、年は近そうにみえるけれど」


「あの人とぼくの経歴は少しちがう」


 調査官はヨキのように試験を受けて採用されるだけでなく、別の国家機関から転属となる場合もある。たいてい前の職場での功績が認められて、幹部職として配置されることがほとんどで、シュカはそのパターンだった。

 シュカの前の職場についてくわしいことは何も知らない。話そうとしないからだ。ただ、一度だけ人事部に用事があって立ちよったとき、担当者のディスプレイが開きっぱなしになっていて、ぐうぜんシュカの人事データをみてしまったことがある。じっくりはみてないが、調査官になる前の経歴らんには軍属と表示されていた。


「軍人にはみえないね」


だんはね。でも時折、感じることはある」


 風がきすさぶ大平原、きよせきこしかけて休んでいるときなどだ。

 シュカは深くちんもくしながら、ずっと遠くをみている。そういうとき、シュカの横顔はどこか冷めていて、ひどく傷ついているようにみえる。


こうりようとした、なにもない場所がひどく似合っていて、ああ、この人は戦場にいたんだなって感じるんだ。そして、そういうしゆんかんのあの人からは、鉄としようえんかおりがする」


 シュカのだんの明るいいは、過去の裏返しなのかもしれない。


「私はシュカさんのことはわからない。けれど、君があの人を守ろうとしていることはわかる。明るい顔をしていてしい。傷つかないでしい。そう思っている。だから暗い話題をかくしたまま、こうして一人で、私のところにきているのでしょう」


「暗い話題?」


「父はセントラルの人間だった」


 せていたカードを表にするように、ラシャはいう。そして机の上にあるアルナイルの手記を、指でたたく。


「すべて書かれていたわ。父が重要な機密を持ちだしてセントラルから逃げだしたことも。そしていつか追手がくることも。あなたは父をつかまえにきた」


 研究室が静まり返る。

 空白の時間。かごの中でネズミが動き、実験器具がしんどうして音を立てる。


「そうだよ」


 ヨキはこうていする。


ぼくは調査官だからかんしようはしない。報告するだけだ。けれど、アルナイル博士の所在をぼくが報告したら、別の機関の人間が収容しにやってくるはずになっていた」


「乱暴な方法で?」


「場合によっては」


「でも、父はすでにくなっている。この場合、どうするの?」


 ヨキは考える。ラシャはどこまで知っているのだろう。こうやって聞いてくるということは、手記に生体にんしようのことは書かれていなかったのかもしれない。セントラルのついせきけつえん者にまでおよぶことを、アルナイル博士が想定していなかった可能性もある。では、ラシャが知らなかったとして、正直に教えるべきだろうか。それが誠実さというものなのだろう。しかしヨキはどうしても言いだすことができなかった。


「後は情報の回収といったところかな。セントラルは地上に情報が出回ることをよしとしないから。手記はわたしてしい」


「わかったわ。けれどもう少しだけ待ってちょうだい。色々とためしたいことがあるから。それくらいのがしてくれるでしょ?」


 ヨキはうなずいた。うそをつくことが悪手だとはわかっていた。本当のことを知ったとき、ラシャはうらむだろう。けれど問題を先延ばしにしてでも、別の道を探したかった。

 自身のなかにあるかつとうさとられないよう、ヨキは努めて平静をよそおいながら研究室を立ち去ろうとする。その背にむかってラシャが呼びかける。


「よかったら教えてしいんだけど、後ろ暗い仕事を一人で引き受けてまでシュカさんを大切にするのはどうして? とてもじゃないけど、博愛主義者にはみえないけれど」


「ひどいいわれようだ」


「好きなんじゃないの」


 ゴシップ好きという感じはなく、あくまで観察者のように、コーヒーが好きなんじゃないの、とたずねるようなへいたんな口調で、ラシャは質問する。

 ヨキは少し考えてから、首を横にふった。


「上司を守るのは部下の仕事だ」



   ◇


 数日のあいだ、ヨキは街をめぐって過ごした。ラシャの研究室には立ち寄らないようにした。そうすれば情がうすれると考えたのだ。もちろん、なことだった。

 散歩道を歩いたり、カフェと呼べるような店のテラス席で本を読んだりした。実際に生活してみると、細部まで気を使って設計された都市であることがわかった。街の表面を冷やしている水路と下水は別れているし、どの場所も日当たりがよく、市民が住む場所と工場が建ち並ぶ場所もきちんと分けられている。物資に不足もない。

 インゴットとは金属の延べ棒のことで、この街では「素材」という意味で使われている。

 ヨキは思う。セントラルは全てが管理されていて、息のまる場所ともいえる。もしかしたら、アルナイル博士はここに楽園を創ろうとしたのかもしれない。地上に楽園を現出するための、だいなる素材。周囲はえるのも難しいばくで、争いごとにきこまれることもない。

 そんなことを考えながら、日々を送った。もちろん今回の件の落としどころも探していた。

 けれどみようあんは思いつかない。いっそ、ラシャをどこか遠くにがそうかとも考えた。けれどそれはもう不可能な段階まできていた。

 そのことを告げたのは、なにも知らないはずのシュカだった。


   ◇



「どうするの?」


 シュカがたずねる。いつしよに朝ごはんを食べているときのことだ。


「どうするって、なにをですか」


「自己複製機とか、アルフレッド・アルナイルとか、一連のこと」


 シュカは口をもぐもぐさせながら、ごく自然にいう。ヨキは思わずかのじよぎようした。


「知ってたんですか」


「まあ、上司だしね」


 最初から知ってたとか、あえてヨキを放っておいたとか、余計な種明かしはしない。ヨキは思う。この人は大人なんだ。大人だから子供になったり大人になったりできる。子供は大人になるか、子供のままでいるかを選ぶしかない。


「ラシャをどこかにがそうと思っているのなら、やめたほうがいい」


「どうしてですか」


「図書館で会った老人がいたでしょ。あれ、多分だけど、かん部の人間だと思うな」


 調査局内で不正や規則はんが発生しないよう、調査官の行動をモニタリングする部署がある。それがかん部だ。つまり、今回の任務は規則はんが発生しやすい性質のものと判断されていて、最初からかんされていたということだ。


せんぱいならどうします?」


「とりあえず、こんな命令を出した上層部にき一発かな。バックドロップもいいね」


「そうしてしくないからぼくだまっていたわけですよ」


「ありがとう。だからその好意にあまえて、今回はぼうかん者でいさせてもらうよ。だいじよう、ヨキがラシャを差しだしても絶対に責めないし、ラシャをがしてしようになったら全力で守るから。好きにするといいよ」


「心強いですね」


「でも時間は待ってくれないよ」


 シュカが机の上に街の新聞を置く。最近実用化された活版印刷で作られたものだ。そこには昨夜、ラシャがこうそくされたという記事がっていた。明日にでもたんしんもんにかけられるという。もしたんにんていされれば、しよけいされてしまう。


「論文を提出したんだって。この街は五人の職能集団が創った可能性が高く、神のせきなんかじゃないってさ。自己複製機の存在はせられていたけど、それでも教会としてはだまっていられないよね」


「どうしてそんなことを」


「気づいてたんじゃないかな。自分がこのままだとセントラルに収容されること」


 そうだろうな、とヨキは思う。ラシャほどの頭のよさがあれば、そのくらいは当然予想するだろう。セントラルからげることはできない。その運命を受け入れないために、死ぬというせんたくはそれほどきよくたんなことではない。

 全てをわかりながら、ヨキを責めなかったラシャ。

 ヨキは許しをいたい気持ちになる。


「どうする? ラシャがいなくなると困るんでしょ」


「正確にいうなら、困るのはぼくじゃない。セントラルです」


「国家への帰属意識が低い発言だね。でもラシャのことを報告すれば、命だけは助かるよ。きっとセントラルはごういんろうを破ってでもラシャを収容するだろうから」


「たしかにそうですね。しかし生きていられるとはいえ、それがいいことにも思えません」


 セントラルに連れていかれたら、生体にんしようをクリアするため、体をいじられることはちがいない。親子とはいえ別個体なのだ。仮にそのままの体でにんしようをクリアできたとしても、情報のろうえいを防ぐため二度と地上にもどされることはない。父親がだつそう者であることも考えると、厳しいかんがつくだろう。


ぼくは不自由な生をこうていするのは気が進みません」


「まあ、そうだね。でもセントラルに収容しないなら、しよけいされることになるよ」


 ヨキはそれについて何もいえない。八方ふさがりといえるじようきようだった。


「さっきもいった通り、判断はヨキに委ねるよ」


「ええ。せんぱいは手を出さないでくださいね。文字通り。かん部の人間をぶっ飛ばしたりしたらちがいなくめんしよくですから」


「わかってるって。ヨキの努力をにはしないよ」


「はい。められると困るんですよ。上司はあつかいやすいほうがいいんですから」


 シュカとの旅が楽しいから、めてしくない。その本心をなおに伝えられないのだから、我ながらひねくれた性格だとヨキは思う。そんな部下の気持ちを知ってか知らずか、シュカはいつも通り、のん気に大量のデザートをたのむのだった。


   ◇


 夜、ヨキはせんとうの地下にあるろうしんにゆうした。いつしよに実験したことや、だん笑わないラシャが、新たな発見をしたときにだけみせてくれるがおを思いだすと、いてもたってもいられなくなったのだ。

 うすぐらてつごうのなかにラシャはいた。手足にかせがはめられている。


「衛兵とろうばんがいたはずだけれど」


「脳の血流低下による一過性の意識消失ほつ。つまりは気絶してもらっている」


「技術力があれば何でも可能なのね」


「そうでもないさ」


 ヨキは暗がりから出て、まぶたのれた顔をみせる。くちびるは切れ、情けないことに鼻からは血が出ていた。


「セントラルの調査官がずいぶんと古典的な方法を取ったものね」


 ラシャがしそうにいう。


ぼくはクラシックなのさ」


 とはいえ、本当にわんりよくだけで衛兵を制圧したわけではない。強化せんで織られた服や、鉄も紙のように切ることができるナイフのおかげだ。

 ラシャのひとみをまっすぐみつめる。言葉は、なかなか出てこなかった。


「すまない」


 ヨキはしぼりだすようにいった。


「君があやまることじゃないわ。君がなやんでいることには前から気づいていた。むしろ感謝しているのよ。時間をくれたでしょう」


 ラシャは落ち着いている。


「父の手記を読んだときからこういう日がくることはかくしていた。そしてどちらかを選ばなければいけないのなら、私はアルフレッド・アルナイルのむすめとして、こうして死ぬことを選ぶ。ただそれだけのことよ」


ぼくは君をどこか遠くへがそうと考えている」


 ヨキはろうばんからうばったかぎの束をみせる。しかしラシャは「冷静な判断とはいえないわね」と否定的だった。


「君が私をのがしても、また別のだれかが追ってくるでしょ。それに、この場をげることも難しいみたいよ。お仲間がいらっしゃったみたい」


 ろうの暗がりに老人が立っている。図書館の受付にいた老人だ。


ぼくの後をつけてきたんですね」


「調査官の行動をかんするのがかん官である私の仕事だからね。しかし、ラシャがアルナイル博士のむすめとは知りたくない事実だったよ。ざんこくなことだ」


 老人はかなしそうな目をしている。かれもまた、ヨキがアルナイル博士にまつわるこんせきをなに一つ発見することなく調査を終えるという、だれも不幸にならない結末を望んでいたのだろう。


「二人の調査官は忠実に職務を全うした。私はそのように報告するつもりだよ。しかし不運にも、対象であるラターシャ・アルナイルはしよけいされた、と」


ぼくたちで口裏を合わせてがすことはできないのですか?」


「調査局内だけならいいが、本件には別の機関もからんでいる。そう機関だよ。国家機密のろうえい事案だからね。君の調査は後から検証される。けないさ。残念だが、このむすめはこのまま死なせてやるのが幸せだ。消去法だがね」


「そういうこと」


 ラシャはいう。あまりに晴れやかな顔で、ヨキもかたの力がけてしまう。


「君にたのみがあるとしたら、父の発明を解明してしいということだけ。自己複製にはまだまだなぞがある。私の研究をいで、完成させてしい」


「わかった」


 ヨキは長い時間をかけ、ラシャに感謝の言葉を述べた。


ぼくは心からあなたを尊敬している」


「ありがとう。セントラルの調査官殿どのめていただけるとは光栄よ」


 ラシャは最後まで平静だった。それがかのじよという人なのだ。

 ヨキは宿にもどり、以前に作っていた報告書の内容をへんこうした。


 アルフレッド・アルナイル死亡。

 むすめのラターシャ・アルナイルも調査期間中にしよけいにより死亡。


 送信画面で手をとめ、そのまま朝を待った。いつすいもせず、なにも食べないしなにも飲まなかった。

 窓からあさが差しこんでも、ヨキは画面をずっとみていた。

 やがて昼になり、窓の外から勝利のがいこえてきた。たん者のしよけいを祝う歌だ。

 ヨキは報告書を送信した。


   ◇


 一人の天才科学者が七日で創った都市に別れを告げる。

 ヨキは街の入口まできたところで立ち止まり、かえる。せんとうと、白い民家と、陽光をうけてかがやく水路。ばくとつじよとしてあらわれた楽園だ。そして科学者の遺産は、今もせんとうの最上階で水を複製しつづけている。


「アルナイル博士の望んだとおりの街になってるんでしょうかね」


 ヨキがいい、シュカが答える。


「どうだろうね。長い目でみれば、まだまだれいめい期だよ。アルナイル博士の望んだ街になるかどうかは、もっと先にならないとわからないよ」


 調査官は物事の始まりから終わりまでを見届けられるわけではない。そのいつしゆんを切り取り、一つでも前向きな発見と事実を積み重ねていくだけだ。そして二人のグレートインゴットでの旅は明らかに終わらせるべき時期にあった。


「さあ、いこう。感傷にひたっていても仕方ないさ。アルナイルの手記は大きなしゆうかくだ。私たちは失ったものばかり数えがちだけど、手に入れたものをよくみたほうがいい」


 シュカは歩きだす。


 その通りだな、とヨキは思う。都市が創られたなぞを解明できたし、らしい科学者に出会うこともできた。それで十分かもしれない。天才科学者のいのりにも似たあのけつしよう、アルナイルの自己複製機。それを使って創られた街。そんなせんれつなことが、人々の織りなすせきのような出来事が、この広い世界では今もどこかで起きている。そう考えるだけで、世界の大きさにふるえることができる、人間の可能性を信じることができる。


「街を出るならいつしよにいかないか」


 ばくの入口で、男に声をかけられた。フードをぶかにかぶった集団がいる。じゆんれい者と隊商の集まりだ。どうやら男はばくの案内人のようだった。


「ありがたいけど、私たちに先導は必要ないよ。風のむくまま気のむくまま、好きなところに歩いていきたいんだ。決められた方向に進むのは好きじゃないよ」


 シュカはそういい、しっかりと決められたセントラルの回収ポイントにむかって歩きだした。

 ヨキもその後を追おうとする。しかし、集団のなかにいたじゆんれい者の一人に呼び止められた。フードで顔はかくされているが、声と体格から女だとわかる。


「あなた、せんに出入りしていた研究者でしょう?」


「そうですけど」


「気のむくまま旅をしているとお連れの方がいっていましたが、目的地はないんですか?」


「ええ。特にあの人は、本当に風のくむきでゆく場所を決める人です」


 ヨキはシュカの背をみながらいう。


「それなら」じゆんれい者はシュカのさらにむこうを指さす。「本当にあるかどうかは保証できませんが、ずっと先に、とても興味深い国があると聞いたことがあります」


「どんなところですか?」


きり深い森のおくにあって、子供が神様になる病気にかかるとか」


 病のくわしい内容はじゆんれい者も知らないという。

 ヨキは考える。

 神様になるとはなにかのだろう。しかしそうだったとしても、そんな大層な表現が使われるほどの病気があるのなら、観測してみる価値はあるかもしれない。


「やはりあなたは研究者なのですね。顔つきが変わりましたよ。先ほどまでは、なにをやってもくいかないという感じの、根暗な顔をしていたのに」


「そんな顔にもなりますよ。いつでも望む通りの結果が得られるわけではありませんからね。まあ、そんなことができるとしたら──」


 ヨキはじゆんれい者の女にむかっていう。


「ラターシャ・アルナイル、あなたくらいのものだ」


 フードのなかから小さな顔がのぞく。ラシャは悪戯いたずらっぽく笑っていた。


「まさか自分自身を複製するなんて」


 ヨキはたんそくしながらいう。

 寸分たがわぬ複製をつくるアルナイルの自己複製機。それを使ってラシャは二人目の自分をつくったのだ。そして教会とセントラルをなつとくさせるため、ラシャのしよけいという結末を自らつくりだした。全ては自由を得るために。


「すべてあなたのシナリオ通りだったわけだ」


「そうね。君がセントラルに私が死亡したと報告していてくれたなら」


「したよ。そしてセントラルはラターシャ・アルナイルの遺体をかくにんして、もうこの件をあきらめたはずだ」


「わかっていてそうしてくれるんだから、君はやさしいね」


「気づいたのは報告書を書き終えてからだけどね」


 調査官は観察者の立場にいるため、しばしば自分がばんのうだとかんちがいしやすい。しかし、地上にいる人間のほうがゆうしゆうな場合もあって当然だ。今回はその良い教訓だった。


「まったく、今回のぼくはまるで子供のような役回りだ。シュカせんぱいにはすべてをかれているし、あなたにはきやくほん通りにしばをさせられるし。それにしてもあなたは合理的というか、冷静というべきか」


「君が私に気を使ってくれたおかげだよ。ありがとう」


「礼はけっこう。ぼくは自分の仕事をしただけだから。ところで一つだけ聞きたいことがあるんだけど──」


 シュカの背がどんどん小さくなってゆく。早く出発しなければ追いつけなくなってしまう。

 ヨキは最後の質問をする。


「今、ぼくの目の前にいるのはオリジナルのラターシャ・アルナイルなのかな?」


 ヨキの考えでは、生物を複製した場合、それまでのおくも同一の個体が生みだされる。つまり、複製のラシャは自分がしよけいされるためにつくられたことを知っていたはずだ。オリジナルの自分が生きつづけるとはいえ、大人しくその運命を受け入れたのだろうか。

 ヨキは質問に対する答えを待つ。

 ラシャはうすく笑うだけだった。

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