2-2 『アルナイルの自己複製機』 ― 上司を守るのは部下の仕事だ
◇
「少し休んでから、泉を調査しましょうか」
ラシャはいう。
「あなた、
「そんなはずはない。
ヨキはその場に
息を整えているあいだ、ラシャにアルナイルの手記をみせてもらった。
「ずっと
ラシャが立ち上がる。
「自己複製の理論よ」
「セントラルにもあるのでしょう、自己複製の理論」
「ある。
調査官はありとあらゆる分野の調査を行うため、
「動物が子供をつくることも、冷たい言い方になるけれど、自己複製と呼べる。同じ種類のものが増えるわけだから。それを科学的に検証し、応用を試みたのが自己複製の理論だ。ある機械があったとする。その機械に自分自身の設計図を
セントラルでは実現可能な理論として語られるよりも、小説の題材にされることの方が多い。自己複製を
「父は自己複製の理論に可能性を
ラシャはいう。
「
「遺伝子、DNA、つまりは生命の設計図だ。親と子供が似るのは同じ設計図だから」
「二重
「知っていたのかい」
「父の手記で学んだわ」
泉の中心に近づいていく。
「生命だけじゃない。父はありとあらゆるものに複製因子があると考えた。そしてそれを
「自己複製機、それがあればたしかに可能だね」
木が一本あれば、二本にできる。鉄が
ヨキは想像する。
「グレートインゴットは自己複製機によって創られた。そして自己複製機は今も都市のために使われている。ここ、天空の泉でね。その仮説を今から証明するわ」
ラシャがしゃがみこみ、泉の底に手をいれる。体の半分まで水に
水色のクリスタルだった。ひし形で、大きさは手のひらに余るくらい。
内側に
「これね」
ラシャがもう片方の手を器用に使い、アルナイルの手記を開く。自己複製の理論が
「なるほど」
ヨキは手記の数式と、クリスタルのなかを見比べ、
「これが自己複製機ね。って、あれ?」
ラシャは足元をみながら首をひねる。底にある穴からはまだ水が
「装置を取り外したら水がとまると思ったんだけど。これ、自己複製機じゃないのかな?」
「いや、正解だよ。それは同じものをつくりだす夢のような機械だ。そして機能した」
ラシャは自分の左手が重くなっていることに気づく。
傷と
アルナイルの手記が二冊になっていた。
◇
ヨキは宿に
青いクリスタルの
アルナイルの自己複製機。
それはセントラルの技術力さえ
ヨキは光学ディスプレイを操作し、セントラルのサーバにアクセスする。学者たちが使う論文システム、そこに『自己複製』と入力する。
アルフレッド・アルナイル。
自己複製理論を提唱し、セントラルから姿を消した科学者だ。これこそが、今回、ヨキがシュカに
グレートインゴットに興味を持ち、調査の許可
部屋にはシュカよりもはるかに役職の高い人間がいて、アルフレッド・アルナイル博士についての説明がなされた。かつてセントラルの研究機関に所属していたこと、研究成果を持ちだして姿を消したこと、そしてヨキが提出したグレートインゴットの事前資料に目を通したところ、アルナイル博士が
都市の調査と
セントラルは時として、地上の人間やセントラルを裏切ったものにたいして
ヨキはシュカに知らせず、全てを一人でやることにした。シュカはこういうことを許せない、人を大切にするタイプだ。もし知らせたら、上層部と
グレートインゴットに
アルフレッド・アルナイルに
この命令には、セントラルの暗い側面が前面に
アルナイル博士はセントラルを去るとき、セントラルのサーバ上にある研究データに生体
生体
ヨキはラターシャ・アルナイルの存在を
しかし、送信することはできなかった。
「明日からこの自己複製機を検証してみましょう。
ヨキはため息をつく。自分がこんなにも情に弱いとは思いもよらないことだった。
セントラルは完成されたシステムだ。命令から
◇
数日間、ヨキはグレートインゴットに
「なぜ君のお父さんは自己複製機を二つ作ったんだろう。一つでも水量は足りているように思えるけど」
「自己複製機を複製できるようにしたのかもしれないし、予備として作ったのかも」
「じゃあ、それを泉の底に
「これだけの装置だもの。考えなしに使われたら大変よ」
「なるほどね」
「私たちはちゃんと考えながら使いましょうね」
様々なものを複製した。木や石、服、食べ物もだ。クリスタルは全体的にぼんやりと青く発光している。そのなかでも数式の
「セントラルでも黄金って価値がある?」
「あるね。希少だし、利用価値の高い金属だ」
「これ、売れるよね」
「まあ、売れるね」
「貴金属を増やすのはやめておきましょう。よくないことが起こりそうよ。
理性が勝った。あのときの二人の決断は
不明なことは多い。自己複製機が
青いクリスタルは未知の技術で、それを解き明かすための実験を
自分も、地上の人間を何とも思わないタイプの人間だったらよかったのに、とヨキは思う。
シュカはその間、ずっと遊んでいた。今回の調査は資料読解が中心になるから、それをするあいだ、
ヨキはそんなシュカを横目に、この
ある夜、研究室の
「まったく同じ個体といえるわね」
「みたいだね」
「自己複製理論の原点でもある生命の
ラシャが二
「さらに何
「そうだね。同じ
「一
「つがいにして、その子供について調べるのもいい」
ヨキは二
「ところでさ、君とシュカさんって、どういう関係?」
ラシャが静かに聞いてくる。ヨキは当然の答えを返す。
「部下と上司」
「ふうん」
ラシャは目を閉じる。シュカの顔を
「部下と上司というわりに、年は近そうにみえるけれど」
「あの人と
調査官はヨキのように試験を受けて採用されるだけでなく、別の国家機関から転属となる場合もある。たいてい前の職場での功績が認められて、幹部職として配置されることがほとんどで、シュカはそのパターンだった。
シュカの前の職場について
「軍人にはみえないね」
「
風が
シュカは深く
「
シュカの
「私はシュカさんのことはわからない。けれど、君があの人を守ろうとしていることはわかる。明るい顔をしていて
「暗い話題?」
「父はセントラルの人間だった」
「すべて書かれていたわ。父が重要な機密を持ちだしてセントラルから逃げだしたことも。そしていつか追手がくることも。あなたは父を
研究室が静まり返る。
空白の時間。
「そうだよ」
ヨキは
「
「乱暴な方法で?」
「場合によっては」
「でも、父はすでに
ヨキは考える。ラシャはどこまで知っているのだろう。こうやって聞いてくるということは、手記に生体
「後は情報の回収といったところかな。セントラルは地上に情報が出回ることをよしとしないから。手記は
「わかったわ。けれどもう少しだけ待ってちょうだい。色々と
ヨキはうなずいた。
自身のなかにある
「よかったら教えて
「ひどいいわれようだ」
「好きなんじゃないの」
ゴシップ好きという感じはなく、あくまで観察者のように、コーヒーが好きなんじゃないの、とたずねるような
ヨキは少し考えてから、首を横にふった。
「上司を守るのは部下の仕事だ」
◇
数日のあいだ、ヨキは街を
散歩道を歩いたり、カフェと呼べるような店のテラス席で本を読んだりした。実際に生活してみると、細部まで気を使って設計された都市であることがわかった。街の表面を冷やしている水路と下水は別れているし、どの場所も日当たりがよく、市民が住む場所と工場が建ち並ぶ場所もきちんと分けられている。物資に不足もない。
インゴットとは金属の延べ棒のことで、この街では「素材」という意味で使われている。
ヨキは思う。セントラルは全てが管理されていて、息の
そんなことを考えながら、日々を送った。もちろん今回の件の落としどころも探していた。
けれど
そのことを告げたのは、なにも知らないはずのシュカだった。
◇
「どうするの?」
シュカがたずねる。
「どうするって、なにをですか」
「自己複製機とか、アルフレッド・アルナイルとか、一連のこと」
シュカは口をもぐもぐさせながら、ごく自然にいう。ヨキは思わず
「知ってたんですか」
「まあ、上司だしね」
最初から知ってたとか、あえてヨキを放っておいたとか、余計な種明かしはしない。ヨキは思う。この人は大人なんだ。大人だから子供になったり大人になったりできる。子供は大人になるか、子供のままでいるかを選ぶしかない。
「ラシャをどこかに
「どうしてですか」
「図書館で会った老人がいたでしょ。あれ、多分だけど、
調査局内で不正や規則
「
「とりあえず、こんな命令を出した上層部に
「そうして
「ありがとう。だからその好意に
「心強いですね」
「でも時間は待ってくれないよ」
シュカが机の上に街の新聞を置く。最近実用化された活版印刷で作られたものだ。そこには昨夜、ラシャが
「論文を提出したんだって。この街は五人の職能集団が創った可能性が高く、神の
「どうしてそんなことを」
「気づいてたんじゃないかな。自分がこのままだとセントラルに収容されること」
そうだろうな、とヨキは思う。ラシャほどの頭のよさがあれば、そのくらいは当然予想するだろう。セントラルから
全てをわかりながら、ヨキを責めなかったラシャ。
ヨキは許しを
「どうする? ラシャがいなくなると困るんでしょ」
「正確にいうなら、困るのは
「国家への帰属意識が低い発言だね。でもラシャのことを報告すれば、命だけは助かるよ。きっとセントラルは
「たしかにそうですね。しかし生きていられるとはいえ、それがいいことにも思えません」
セントラルに連れていかれたら、生体
「
「まあ、そうだね。でもセントラルに収容しないなら、
ヨキはそれについて何もいえない。八方ふさがりといえる
「さっきもいった通り、判断はヨキに委ねるよ」
「ええ。
「わかってるって。ヨキの努力を
「はい。
シュカとの旅が楽しいから、
◇
夜、ヨキは
「衛兵と
「脳の血流低下による一過性の意識消失
「技術力があれば何でも可能なのね」
「そうでもないさ」
ヨキは暗がりから出て、まぶたの
「セントラルの調査官がずいぶんと古典的な方法を取ったものね」
ラシャが
「
とはいえ、本当に
ラシャの
「すまない」
ヨキはしぼりだすようにいった。
「君が
ラシャは落ち着いている。
「父の手記を読んだときからこういう日がくることは
「
ヨキは
「君が私を
「
「調査官の行動を
老人は
「二人の調査官は忠実に職務を全うした。私はそのように報告するつもりだよ。しかし不運にも、対象であるラターシャ・アルナイルは
「
「調査局内だけならいいが、本件には別の機関も
「そういうこと」
ラシャはいう。あまりに晴れやかな顔で、ヨキも
「君に
「わかった」
ヨキは長い時間をかけ、ラシャに感謝の言葉を述べた。
「
「ありがとう。セントラルの調査官
ラシャは最後まで平静だった。それが
ヨキは宿に
アルフレッド・アルナイル死亡。
送信画面で手をとめ、そのまま朝を待った。
窓から
やがて昼になり、窓の外から勝利の
ヨキは報告書を送信した。
◇
一人の天才科学者が七日で創った都市に別れを告げる。
ヨキは街の入口まできたところで立ち止まり、
「アルナイル博士の望んだとおりの街になってるんでしょうかね」
ヨキがいい、シュカが答える。
「どうだろうね。長い目でみれば、まだまだ
調査官は物事の始まりから終わりまでを見届けられるわけではない。その
「さあ、いこう。感傷に
シュカは歩きだす。
その通りだな、とヨキは思う。都市が創られた
「街を出るなら
「ありがたいけど、私たちに先導は必要ないよ。風のむくまま気のむくまま、好きなところに歩いていきたいんだ。決められた方向に進むのは好きじゃないよ」
シュカはそういい、しっかりと決められたセントラルの回収ポイントにむかって歩きだした。
ヨキもその後を追おうとする。しかし、集団のなかにいた
「あなた、
「そうですけど」
「気のむくまま旅をしているとお連れの方がいっていましたが、目的地はないんですか?」
「ええ。特にあの人は、本当に風の
ヨキはシュカの背をみながらいう。
「それなら」
「どんなところですか?」
「
病の
ヨキは考える。
神様になるとはなにかの
「やはりあなたは研究者なのですね。顔つきが変わりましたよ。先ほどまでは、なにをやっても
「そんな顔にもなりますよ。いつでも望む通りの結果が得られるわけではありませんからね。まあ、そんなことができるとしたら──」
ヨキは
「ラターシャ・アルナイル、あなたくらいのものだ」
フードのなかから小さな顔がのぞく。ラシャは
「まさか自分自身を複製するなんて」
ヨキは
寸分たがわぬ複製をつくるアルナイルの自己複製機。それを使ってラシャは二人目の自分をつくったのだ。そして教会とセントラルを
「すべてあなたのシナリオ通りだったわけだ」
「そうね。君がセントラルに私が死亡したと報告していてくれたなら」
「したよ。そしてセントラルはラターシャ・アルナイルの遺体を
「わかっていてそうしてくれるんだから、君は
「気づいたのは報告書を書き終えてからだけどね」
調査官は観察者の立場にいるため、しばしば自分が
「まったく、今回の
「君が私に気を使ってくれたおかげだよ。ありがとう」
「礼はけっこう。
シュカの背がどんどん小さくなってゆく。早く出発しなければ追いつけなくなってしまう。
ヨキは最後の質問をする。
「今、
ヨキの考えでは、生物を複製した場合、それまでの
ヨキは質問に対する答えを待つ。
ラシャは
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