世界の果てのショート・ウォーカー

世界の果てのショート・ウォーカー①『どういたしまして』


 腰の高さほどの、立方体だった。

 断面には青と黒の顔料で、呪文のような文字が書かれている。その物体はシーラザットと呼ばれており、現地の言葉で“真理の石”という意味だ。

 ヨキは足をかけ、目の前にあるシーラザットにのぼった。


「どう? なにかみえる?」


 シュカが下から声をかける。


「特に変わりありませんね。『地平の彼方』という、超常の景色はみえません」


 とはいえ、目のまえに広がる景色も、なかなかに幻想的だった。

 夕日が沈もうとする地平線にむかって、すいこまれるように細く長い雲がたなびいている。

 地上には見渡すかぎり、四角の石が等間隔にならんでいた。そのすべてに青と黒の文字が書きつけられ、うっすらと発光している。

 大平原に広がる巨石群。

 広大で、整然とした墓地のようにも思える。


「スケールの大きさに圧倒されるね。意識がとびそうだよ」


 シュカが、となりの石にのぼっていう。


「なにせ、言い伝えが本当であれば、世界に存在する人の数だけ、このシーラザットがあるというのだからさ」


   ◇


 ヨキとシュカはセントラルという名の空中都市に所属している。他の文明に比べ著しく進歩した文明レベルにあるのだが、そんなセントラルの知識をもってしても、いまだ解明できない謎が地上には数多く存在している。

 シーラザットの遺跡群もそのひとつだった。

 大平原に存在する、立方体にカットされた大量の石。その断面をみるかぎり、何ものかの手による加工がほどこされたことに疑いはない。しかし、いつ、誰が、何の目的でつくったものなのか、詳細は不明だ。

 調査官であるヨキとシュカがこの地を訪れたのは、当然のごとく、この遺跡を調査するためである。


   ◇


 夜、ヨキとシュカは、動物の骨と皮で組まれたテントのなかで、老人とむかいあって座っていた。


おのれの石を探すのであれば心してかからなければいけない」


 老人がキセルをふかしながらいう。

 彼の部族は、表向きは牛や羊とともに暮らす遊牧民なのだが、先祖から受け継ぐ真の使命は、シーラザットの遺跡群を守ることにある。もし石を壊そうとするもの、悪用しようとするものがあらわれれば、命を賭して戦う。老人はそんな部族の長だった。


「己の石にのぼれば『地平の彼方』を見渡すことができる。地平の彼方は、お前が望むものを与えてくれるだろう。しかしそれは最初にのぼったときの、一度だけ。それが終わればただの石になる。人生で唯一の瞬間。そのとき何を望むのか、よく考えておいたほうがいい」


「地平の彼方にはこの世界のありとあらゆる知識があり、自分のシーラザットをみつけることができれば、望む知識をひとつ知ることができる。そう聞いて、ここにきました」


 ヨキはいう。

 平原の周辺の街には、多くの学者や発明家がいる。新しい定理や法則、火薬の製法などを発見したのだが、彼らはそれらを地平の彼方にみたと語っているのだ。


「知識だけではない。地平の彼方には、過去、現在、未来、生者、死者、すべてがある。わたしは己の石をみつけ、幼いころの自分と語り合った。彼はわたしを認識し、わたしは彼を認識した」


 しかし己の石をみつけるのは容易ではない、と老人はいう。


「誰かが死ねば、石は消滅する。誰かが生まれれば、石もまた生まれる。世界に存在する人の数と同じ石のなかから、たった一つの石をみつける。わたしは五十年かかった。それでも幸運だった。ここを訪れるもののほとんどが、みつけることなく帰る。探しつづけ、そのまま老いて死ぬものもいる」


 シーラザットについての話が終わり、ヨキとシュカは族長のテントを出た。

 夜空は澄み渡っていた。星々が空からこぼれ落ちそうだ。

 すいこんだ空気は胸のなかでもその冷たさをたもっている。耳を澄ませば、どこかで焚火の音がきこえてきた。


「土の香りのする夜ですね。セントラルではこうはいかない」


 ヨキはいう。


「僕はもう少し、自分のシーラザットを探してから眠ることにします」


「そう。じゃあ、私は先にテントに戻って休ませてもらうよ」


 シュカは体調がすぐれない様子で、顔色がわるい。


「先輩、大丈夫ですか? そういえば夕食残してましたよね」


「そうなのさ。牛の一頭でも食べてやろうと思ってたのに。悔しいよ」


「そこは悔しがらなくていいんじゃないですかね」


 シュカは肩をすくめてみせる。そして話題を変えた。


「それで、ヨキは何を願いながら己の石を探すの?」


 質問され、とっさにヨキの頭に浮かんだのは、人類の起源や世界の終わりという言葉だった。人がなぜ発生したのか、進化論は正しいのか、世界はどうやって終わりをむかえるのか。そういった事柄は、いつもヨキの心を惹きつける。


「いずれにせよ、学術的な興味でしょうね。まあ、ものは試しです」


 シーラザットにのぼれば超常の景色がみえる。そもそも、その話が本当かどうかもわからない。それに、もしその話が本当だったとしても、無数にあるシーラザットのなかから、たった一つの自分の石をみつけるのは天文学的な確率だ。


「それでもロマンがあって、私は好きだけどね」


 シュカはいう。


「まあ、がんばりたまえ」


「ええ。寝る間を惜しんで石にのぼりますよ。世界の謎を解き明かしたい。その衝動が、僕の足を前に進めるんです」


 ヨキは背をむけ、大平原へとむかう。

 シーラザットは腰くらいの高さがあるから、一つのぼるだけでもちょっとした労働だ。石をニ十個のぼったところで、足の筋肉が悲鳴をあげる。

 結局、ヨキは早々にテントにひきあげ、横になった。


「世界の謎を解き明かしたい衝動が……僕の足を前に進める……」


 となりで毛布にくるまり丸くなっているシュカが、寝言のようにつぶやいた。


   ◇


 翌日から、ヨキは足が痛くなるのをこらえ、石にのぼりつづけた。

 地平の彼方をみることはできるのか。その検証期間は限られている。

 足をかけ、石にのぼる。みえる景色はかわらない。石からおりてまた次の石にのぼる。

 荒涼とした平原に規則正しくならぶ石。

 寝泊まりしているテントを出発点とし、順につぶしていく。

 周りには、同じようなことをしている人たちがいた。旅装のものや学者風のもの、髪と髭が伸びきった修行者のようなものまでいた。みな、それぞれ何かしらの思いをもって、石にのぼっている。

 一方、シュカは休んでいることが多かった。それは普段の彼女からすれば想像もできないことだった。地平の彼方にロマンを感じていることはあきらかで、ヨキなんかよりもよっぽど自分のシーラザットを探すことに夢中になっていいはずだ。みつかる確率が低いからといって、あきらめる性格ではない。がぜんやる気をだすタイプだ。


「先輩、どうしちゃったんですか」


 青空の下、倒木に腰かけながらヨキはたずねる。

 昼食を食べているときのことだ。前日、小麦粉を練って丸めたものを、焚火のなかにいれておいた。灰のなかからそれをとりだし、外の皮を捨て、香辛料をまぶして食べる。

 シュカは牛や羊をながめながら「カワイイねえ」とつぶやくばかりで、いっこうに口に入れようとしない。ゲテモノだって平気なのに。


「このところ、ずっと体調が悪いんだ」


 シュカがいう。


「健康診断、受けてます?」


「このあいだ受けたところだよ。特に異常はなかったんだけど。まあ、たまにはこういうときもあるさ。今回はヨキに任せるよ」


「そうですね。先輩はゆっくり休んでいてください。食事の量が減るなんて、尋常じゃないですよ。書類仕事をサボるためにお腹が痛いと仮病を使うときですら、お菓子をぼりぼり食べながらなのに。僕は本当に心配です」


「なんだか腹の立ついいかただなあ!」


 ひとしきりふざけたのち、シュカは少し真面目な顔になる。

 地平の彼方が望むものを教えてくれる、みせてくれるという現象について、仮説を考えてみたという。


「自分の石にのぼって何かを知るっていうのはさ、超常現象じゃなくて、個人の精神活動によるものなんじゃないかな」


「個人の精神活動?」


「ひらめき、思考の洗練ってこと。この地域の学者たちはシーラザットにのぼって定理や法則をみつけたというけど、逆なんじゃないかな。定理や法則をみつけたときに、たまたま石にのぼっていた」


 地平の彼方が望むものを教えてくれる。それを信じて、石にのぼりつづける。熱力学の方程式が知りたければ、それを心にとめながら自分の石を探す。それはつまり、ずっと熱力学について考えていることに他ならない。長いあいだ考えていれば、ひらめきが生まれることもあるだろう。それは自分の思考による結果なのだけれど、石の話が先にあるものだから、さも石のおかげのような形になる。

 自分の石をみつけられたものは、ひらめきがあったもの。逆に、みつけられなかったものは、ひらめきが訪れなかったもの。


「じゃあ、族長が幼いころの自分と語り合ったというのは?」


「忘我状態による幻覚症状といったところかな」


「神秘体験ですか。宗教のなかには、厳しい修行をすることで意図的に脳のトランス状態を誘発するものがありますね」


「一定のリズムで繰り返す、石の昇り降り。あの踏台昇降に似た運動が厳しい修行にあたるというわけさ」


 そして脳がトランス状態となり、みえるはずのないものがみえたり、普段はできないような思考や発想が可能になる。それが地平の彼方をみるということ。

 シュカはそういっているのだ。


「もちろん、これは科学的見地にたった仮説にすぎない。ヨキが石をみつけて、自分では絶対に知り得ないことを知ったとしたら、それが地平の彼方が存在するという反証になる。私としては、そっちの結末を望むね。面白いし」


「そうですね。僕もそっちがいいです。シーラザットに書かれたあの文字も、なんだか密教的なパワーを感じて好きなんですよ」


 ヨキは昼食を食べ終えると、また一人で平原へとむかった。

 ふりかえってみれば、シュカが顔に手をあてたあと、その手をずっとながめていた。

 鼻から血を流しているようだった。

 そういえば昨夜も、毛布にくるまりながら鼻のあたりをおさえていたような気がする。

 ヨキは不安を感じながらも、シュカならば大丈夫だと自分に言い聞かせた。もちろん、根拠などなかった。


   ◇


 石の昇り降りは苦行だった。

 ずっとつづけていれば、たしかに忘我状態におちいりそうだった。しかしヨキは疲れたら動きをとめてしまうので、その境地に至ることはない。汗をぬぐいながら、これが偉大な発見をするものと、そうでないものとの差かと、ため息をつく。

 そうして休んでいると、牛や羊を追う牧童の少年が声をかけてきた。


「僕はもう自分の石をみつけてしまったんだ」


 よく日焼けをしていて、大きな角笛を肩にさげている。


「すごいね」と、ヨキはいう。「こんなにたくさんの石があるのに」


「偶然かもしれないし、そうじゃないかもしれない。本当に必要とする人には石の導きがあるともいわれている。僕はどっちかわからないけど、なんとなくのぼった石がそうだったんだ」


「君は地平の彼方をみたのかい?」


「うん。母さんと会ったんだ。僕は母さんと話した」


 難産だったため、少年の母は、彼を生んですぐに亡くなったという。


「君がみたのは、本当にお母さんだったんだろうか」


「もちろんさ。顔も知らなかったけど、一目見てすぐにわかった。母さんは僕のことを心配していた。だから僕は一人でも大丈夫だよといったんだ。母さんは僕のことを愛してくれていた。すごく嬉しかったよ」


 少年はいう。


「本当はね、石にのぼるとき、牛や羊と会話する方法を知りたいって願っていたんだ。仕事が楽になるからね。けれど、心の奥底では母さんがいなくて寂しいと思っていて、シーラザットはそれを見抜いてたんだ。だから、母さんに会いたいっていうほうの願いが叶っちゃったみたい。旅人さんも気をつけたほうがいいよ。何かを知りたいと思っているのなら、強く願ったほうがいい。自分でも気づいていない大事なものがあって、そっちが勝っちゃうこと、けっこう多いらしいから」


「ありがとう、気をつけるよ」


 自分の石にのぼったとき、明日の朝ごはんは何だろう、などと考えていたのではもったいなさすぎる。少年のように、無意識が作用するケースにも注意しなければいけない。亡くなってしまったけれど、もう一度話をしたい。そんな相手はヨキにもいる。

 世界の謎を解き明かすような真理を、世界が隠している壮大な秘密を、ヨキは知りたいと願い、調査官をしている。地平の彼方にみるものは、それらに関することであって欲しい。

 ヨキは強く念じながら、夜通し石にのぼりつづけた。疲れて眠りたかったが、やはり調査に悔いを残したくはなかった。早々にリタイアしてしまった昨夜のことは、なかったことにしておこう。

 明け方、朝日を浴びながらヨキはふらふらになっていた。一度眠ろう。そう思ったとき、少し離れたところにある石が目についた。不思議なことに、シーラザットに書かれた青と黒の文字が、他のものより強く輝いているようにみえる。最初に決めた順番を無視し、その石に歩み寄る。なぜだかわからないが、それが自分の石だという確信があった。

 人類の起源が知りたい。世界の果てがみたい。

 強く願いながら、シーラザットにのぼる。

 そして。

 ヨキは呆けた顔をしながら、しばらく立ち尽くしていた。遠くをみつめる目。いつのまにか、両の頬に涙が伝っている。

 どれくらいの時間が経過しただろうか。

 我に返ったところで、石をおり、走り出す。


「先輩、今すぐセントラルに帰りましょう」


 寝泊まりしていたテントに転がりこむ。勢いあまって、骨組みを壊してしまう。


「どうしたのさ」


 シュカは眠そうに目をこする。


「調査期間はまだ残っているよ」


「いいから支度をしてください。調査なんかどうでもいいんです。今回ばかりは、僕のいうことをきいてもらいますよ」



   ◇


 廊下を歩く。

 天井、壁、床、すべてが白い。人工的に清潔さが保たれた空間。つきあたりで、ヨキは足をとめる。端末が網膜パターンを認証し、扉がスライドして開く。

 窓際にベッドがあり、シュカが身を起こしていた。


「花はもってきませんでしたよ」


 ヨキはいう。


「食べ物のほうがいいでしょう」


 果物の入ったかごを、机のうえに置く。


「お菓子もいっぱい食べたいところだね」


「次くるときに持ってきますよ。しかし、食欲もどって良かったですね」


 セントラルの首都にある、総合中央病院でのことだ。

 ヨキは調査局での勤務を終え、その足で入院しているシュカの見舞いにきたのだった。


「どうでした?」


「手術は問題なく終了したよ」


 シュカがいう。


「医師がいうには、もう少し発見が遅れていたら、命の危険すらあったそうだ。しかし、医師は首をかしげていたよ。どうして専門外のヨキにみつけることができたのかって。まるで腫瘍があることを知っていたみたいだ、ってさ」


 シーラザット遺跡の調査から帰ってすぐ、ヨキはシュカを病院につれていった。そして精密検査の方法について横から細かく口を出した。すると、通常の検査ではみつかりづらい部位に腫瘍があることが判明した。今日、それを摘出する手術をおこなったのだ。


「まあ、細かいことはいいじゃないですか。健康が一番ですよ。退院したら、また一緒にどこかいきましょう」


「そうだね。しかしまあ、やっぱり、すまなかったよ」


 シュカは珍しく、しおらしい表情になっていう。


「つまらないことに使わせてしまったからさ」


「何のことですか?」


「シーラザットだよ。みつけたんでしょ、自分のやつ。たった一度の願いだったのに。ごめんね」


 細い眉が下がって、本当にすまなさそうな顔になる。

 ヨキは首を横にふる。


「何いってるんですか。あそこには世界に存在する人の数だけ石があるんですよ。そんな都合よく自分の石がみつかるわけありませんよ。それに、もしみつけたら、僕は遠慮なく自分の好奇心のために願いを使います。僕がどういう人間か、先輩も知っているでしょう」

 二人は視線を合わせたまま、少しのあいだ沈黙する。

 それはちょっとした、気持ちのやりとり。

 やがてシュカが表情を崩す。


「じゃあ、そういうことにしておこうか」


 見なれた笑顔のはずなのに、ヨキはなんだか気恥ずかしくなって顔をそらしてしまう。


「いずれにせよ、礼はいっておくよ」


 シュカが親指を立て、こぶしを突き出す。


「サンキュー、ヨキ」


 ヨキは明後日の方向をむいたまま、同じく親指を立てる。そして、シュカのこぶしと自分のこぶしを優しくぶつける。


「マイプレジャー」

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