世界の果てのショート・ウォーカー③『エレンスデビル』


 木漏れ日のなか、ヨキはのんびりと山道をくだっていた。となりでは、シュカが鉱物を空にかざしながら歩いている。そして時折、「ぐへへ」と変な声をもらしているのだった。


「先輩、いつまでやってるんですか」


「いつまでだろうね。全然あきないんだな、これが」


 今回の調査目的は希少鉱物の採取なのだが、その目的はすでに達成されている。山奥にあるうち捨てられた坑道に入り、トロッコに乗り、ちょっとした冒険をして最深部にたどりつき、珍しい鉱物を採取した。そして今、二人は街におりるため、山の小道を歩いている。

 シュカが手のなかで遊んでいるのは、さっき手に入れた鉱物サンプルだ。


「すごいよ、ほら。今度は赤くなった」


 鉱物サンプルというと味気ないが、いってしまえば宝石である。

 ヤハトライトと呼ばれるその宝石は、研磨せずとも透明度が高く、見る角度や光のあたり具合で輝きが変化した。木陰にあるのにスカイブルー、陽光に照らされたときにエメラルドグリーン、下からのぞきこむとサンライトイエロー。まるで万華鏡のように色を変える。


「先輩も女の子だったんですね、宝石にときめくなんて」


「うん、飴細工みたいで、とっても美味しそう」


 他愛のない会話をしていたときのことである。

 山道のわきに、少女が座り込んでいた。黒い服に白いエプロン姿。どこかの屋敷の使用人のようだ。山に似つかわしくない格好に、ヨキは違和感をおぼえ、不審に思う。けれど、シュカはためらいなく話しかけた。


「こんなところでどうしたの? 道に迷った、というふうにはみえないけど」


 声をかけられ、少女が顔をはねあげる。目には警戒の色が浮かんでいた。彼女もまた、こんな山中に突然あらわれたヨキとシュカに驚き、怪しく思っているのだろう。


「こわがらないで。私たちは旅の採掘師なんだ。ほら、この石を採ってきたんだよ」


 シュカがヤハトライトをみせる。いいでしょ、と少し自慢げだ。右に倒したり左に倒したりして光彩を変化させる。それをみて、少女の表情は明るくなった。


「それで、どうしてここにいるの?」


 シュカがふたたびたずねると、少女は目をふせ、


「お屋敷に帰れないの」


 という。

 じつはこの山はいわくつきで、一度入ったら二度と出られない。歩けども歩けども出口にたどりつかず、通り過ぎたはずの道に戻っていたり、くだっていたはずがいつの間にかのぼっているなど、不思議な現象が次々と起こる。少女もまた山にとらわれてしまった一人で、本当はもうすでに――。

 などと、ヨキはとりとめのない想像をしたが、事実はちがっていた。


「旦那様にお使いを頼まれたのですけど、そのお金をなくしてしまって」


 手ぶらで帰るわけにもいかず、ここで途方に暮れていたというのだ。

 どこでなくしたのかもわからないという。


「ふもとの街にゆこうと山道を歩いていたんです。すると後ろから、足音がずっとついてくることに気がつきました。でも、何度振り返っても誰もいないんです。それで、まさかエレンスデビルなんじゃないかって思って、不安になって持ち物を確認したら、金貨が全てなくなっていたんです。それで、金貨を探して山の奥まできてしまいました」


「エレンスデビル?」


 シュカが聞き返し、少女が説明する。


「この辺りに棲む悪い妖精です。山や街道を歩いている人から、気づかぬうちに、金目のものや食べ物をとっていくんです。厩舎から馬がいなくなったりするのも、エレンスデビルのしわざだといわれています」


「なくなったものはみつからないのかい?」


 ただの泥棒ではと思い、ヨキがたずねる。


「馬であればみつかることもありますが、死んでいることが多いです。私も一度みたことがあるのですけど、肉が切り取られていて。断面が異様に赤かったことをおぼえています」


「なんとなく、その妖精が食べたって感じがするね」


「昔は子供をさらったりしていたそうですけど、今は金貨のように輝くものを好んで盗むといわれています。まさか、旦那様からあずかった金貨を盗られてしまうなんて」


 少女はどうしようどうしようと、うろたえている。怒られるならまだしも、肉体的な懲罰を受けることを恐れているようだった。


「わかった」


 シュカがいう。


「私が屋敷についていってあげる。それで、話をつけてあげるよ」


 それを聞いて、少女は落ち着きを取り戻す。誰かと一緒なら、心強いと思ったのだろう。


「ありがとうございます。けれど、どうやって旦那様に許しを乞うのですか?」


「簡単だよ。約束するのさ。私たちがエレンスデビルをつかまえて金貨をとりかえす、ってね」


 シュカがそういったところで、「先輩、ちょっと」とヨキはシュカの腕をひっぱった。

 今回の調査はすでに終わっており、早々に空中都市セントラルに帰還しなければならない。

 調査期間は限られている。しかしシュカは、まあいいじゃないかと、意に介さない。


「ちょっと寄り道するようなものだよ」


「経費もかかるし、始末書だって書かされますよ」


「でも、ヨキだって気になるでしょ」


「まあ、そういわれるとそうですけど」


 ヨキは苦い顔をしながらも、うなずいてしまうのだった。


   ◇


 少女の名はエリーゼといった。

 彼女について山道をそれてゆくと、森がひらけ、街があった。

 石畳の道を、幌のついた馬車で通り過ぎてゆく人がいる。身なりがいい。一方で、重そうな荷車をひいている人もいる。貴族と庶民がはっきりと分かれた、封建的な社会が形成されているようだ。

 エレンスロッドという名の街で、エリーゼに案内されたのは領主館だった。

 客間に通され、光沢のある木製の椅子に座って待たされる。しばらくすると、白髪の紳士がエリーゼを従え、ステッキをつき、足をひきずりながら入ってきた。

 彼がエリーゼの主人であり、この街の領主だった。


「可愛い使用人を責めないであげて欲しいな」


 開口一番、シュカがいう。

 はっきりとした物言いに、ヨキは内心はらはらする。しかし領主に気にした様子はなく、エリーゼが金貨を失くしたことを咎める気はないという。


「エレンスデビルの仕業であれば仕方がない」


「ずいぶんと話がはやいね。そんなに、よくあることなのかな」


「わたしたちにとっては季節の雷や、台風のようなものだ」


 森に入るときは何も持っていないふりをする。

 この街の人々は幼いころからそう教えられると、老紳士はいう。


「エレンスデビルは光るものが好きでね。金貨や指輪がよく狙われる。森を歩いているうちに、いつのまにかとられているのさ。知らぬうちに指輪を抜き取るのだからたいしたものだ。人間のわざではない。猟師が山で仕留めた鹿を持ってかえる途中、気づいたら頭より下がなくなっていたという話もよくある」


「いたずら好きの妖精が人を化かしているといった感じですね」


 ヨキがいうと、昔はもっと恐ろしい怪異の存在だったと領主はいう。


「かつては子供がさらわれた。遊んでいるうちに、いつのまにか一人だけ消えているんだ。私も何度か経験した。夕暮れどき、そろそろ家に帰ろうとしたとき、友人が一人消えていることにみなが気づく。あの空恐ろしい瞬間を、今でも時折思い出す。妙に風の音が大きく聞こえてね。木々の暗闇がこわくなって、走って逃げる。その友人がかえってくることはない。親たちは、消えた子供のことは忘れろという。まあ、いずれにせよ私が小さいころの話だ。今はそんなことは起こらない」


「エレンスデビルは街に入ってこないんですか?」


 ヨキがたずねると、「入ってくることもある」と領主はこたえる。


「子供がさらわれることはなくなった。しかし、知らないうちに移動していることがある。家にいたはずが、いつの間にか離れたところにいるんだ。幼い子供が、山頂にいたりしてね」


「自分で歩ける距離ではないんですね」


「そうなんだ。かくいう私も先日やられてしまってね」


 領主は椅子にたてかけたステッキを持ち上げる。それがないとうまく歩けないという。


「夜、屋敷のなかで寝ていたんだ。そして、なんだか苦しくなって目を覚ましたら、暗闇にいくつもの目が浮かび上がっていた。姿はみえない。光る瞳だけ。高さからすると子供くらいの身長だった。闇に浮かぶ無数の瞳というのは、凄まじく不気味なものだったよ」


 そして意識を失い、気づいたときには平民街の路地裏にいて、足を骨折していたという。


「意外と恐ろしいやつらなのさ」


 ヨキとシュカは黙っている。考えを整理していたのだが、二人が難しい顔をしていたため、話を信じていないと思ったのだろう。


「嘘だと思うなら、たしかめていくといい。部屋を貸そう。しばらく滞在していれば、事件のひとつくらいは起きるだろう。エレンスデビルに出会えるか、やってみるといい」


 願ってもない申し出だった。

 翌日から、二人は領主館を拠点に活動を開始した。

 そして、まず、ある逸話にゆきあたった。

 それによると、エレンスデビルは人が変異してできた化け物であるという。


   ◇


 ヨキが最初にやったことは、古い伝承を集めることだった。そして年老いた人たちから、エレンスデビルの誕生にまつわる話を聞くことができた。


「口伝なんですけど、みな話す内容は一致しています」


 夜、領主館の一室で、ヨキはシュカに報告する。


「エレンスデビルは人間だったそうですよ」


 三世代前のある夜、農業をいとなむセレスト家で事件は起こった。

 夫人は十三番目の子供を生もうとしていたのだが、ひどい難産だった。あまりの苦しみに、この子は悪魔ではないのかと口走った。するとにわかに外が嵐となり、雷が鳴った。そして生まれ落ちた赤ん坊は産婆の手のなかでみるみる肌が黒くなり、口は裂けて三日月状になった。そして背中から翼が生え、窓を突き破って飛び去ったという。


「妖精というわりにデビルという名がついているのは出自によるものだったわけだ」


「ええ。十三番目の子供が生まれてすぐ、様々な不幸にみまわれてセレスト家は断絶します。そして時期を同じくしてエレンスロッドで、子供が神隠しにあう現象が多発します」


「最後までみつからないんだね」


「ええ。死体もみつかりません。忽然と消えるんです。しかし、そういった神隠しはだんだんと鳴りをひそめ、光るものが盗まれるという話に変わってゆきます。それにともなって悪魔という印象が薄れ、悪戯好きの妖精になっていったんでしょう」


「セレスト家の伝承が真実なら、人の変異したものが森に潜んでいるわけか。仲間をつくるために子供をさらっていたなんて想像もできるけど、あまり意味はないね。実物をみてみないことには」


「姿は謎に包まれています。ただ、闇夜に光る瞳と、三日月のように笑う口元の目撃談は多くあります」


 それからしばらくのあいだ、ヨキとシュカはエレンスデビルの観測につとめた。これみよがしに金貨をもって森を歩く。しかしエリーゼの身に起こったような現象に遭遇することはない。ヨキのかばんに入れていた塩漬けの熟成肉が減っていたことがあったが、後ろを歩くシュカの頬がふくらんでおり、妖精のしわざとはとても思えなかった。

 エレンスデビルを捕まえるどころか、一目みることすらかなわない。

 しかし街ではいくつか事件が起きていた。

 領主館にいる、エリーゼ以外の使用人たちが被害にあったのだ。山ふもとの街にお使いにいった帰り道で、買ってきたパイプやお菓子がいつの間にかなくなっていたという。他の屋敷でも似たようなことが数件あった。

 いずれも小さな出来事だったが、結婚を控えた貴族の娘が失踪したときは大騒ぎになった。

 婚約者を先頭に住民総出の捜索となり、ヨキとシュカも参加したがみつからなかった。しかし三日経ち、いよいよダメかと思われたとき、娘は森のなかでみつかった。行方不明の間の記憶はないという。

 住民たちは娘が無事だったことに胸をなでおろしつつ、エレンスデビルの悪戯と結論付けた。その表情はどこか明るく、ヨキは引っかかりをおぼえた。誘拐などの犯罪に巻き込まれるよりは妖精に化かされるほうがいいという気持ちはわからないでもない。しかし、超常の存在をすんなりと受け入れすぎではないだろうか。


「わかった」


 貴族の娘が怪我一つせず戻ってきた姿をみて、シュカがいった。


「もしかして、エレンスデビルの正体ですか?」


「うん」


 どうやらシュカは全てを察したようだ。ヨキは少しのあいだ考えてからいう。


「では、シュカさんの推理を聞きましょう」


「オッケー。じゃあ、順を追って百年前、嵐の夜からいこう」



   ◇


 壁一面に革張りの本がならぶ部屋、中央にテーブルセットが置かれている。

 蝋燭の灯りがゆれる、領事館の資料室。

 ヨキとシュカは椅子に腰かけ、向かい合う。机上にはエレンスロッドの住民記録や、街の歴史に関する資料が積み重なっていた。


「さて、この住民の氏名や家系図を記した台帳をみれば、伝承があながち嘘でないことがわかる」


 シュカは変色したページの、ある一行を指し示す。

 リリー・セレストという名が記載されていた。

 雷の鳴る夜、最初の悪魔を生み落としたセレスト家の夫人だ。


「へえ、本当に十二人も子供を生んでいたんですね。そして十三人目が悪魔になった」


「それはどうかな」


 シュカが今度は別の本を開く。街の出来事が年表になった資料だ。


「その年、エレンスロッドは大飢饉だった。冷夏で、麦もとうもろこしも育たなかった。そういうとき、人は何をするかな?」


「口減らし、でしょうね」


「誰を減らす?」


「この街の文明の水準からすると、子供でしょう」


 未成熟な社会では労働力になる人間を残し、そうでない人間を排除して食糧を節約する。

 赤ん坊を間引いたり、子供を売り飛ばしたりするのだ。


「なるほど。悪魔になったのは十三番目の子供ではなく、リリー・セレスト夫人だったんですね」


「食糧不足のときに十三人目は苦しいからね。そしてセレスト夫人をきっかけに、街の人たちが口減らしをやったのさ。生き残るために子供を消した。悪魔のせいにしてね」


「馬が消えたのも食用というわけですか」


「そのとおり。馬を食べて、悪魔のせいにしたんだろう。近年、エレンスデビルが子供をさらわなくなったのは食糧問題が解決したからさ」


「では現代のエレンスデビルは?」


 悪魔のせいにするという当初の発想が受け継がれているのさと、シュカはいう。


「行方をくらましていた貴族の娘さん、遠くの街に平民の恋人がいたらしいよ」


「親に決められた相手に嫁ぐまえに、その人に会いにいったというところですか」


「足を折ったあの領主もそうさ」


 噂によると、領主は平民街の路地裏にある家に、愛人を囲っているという。


「おおかた女のところに通っているときに転んだんだろう。それで、深夜屋敷を抜け出していたことの言い訳にエレンスデビルを使ったのさ。奥さんにむかって、浮気をしにいったら転んで骨が折れたなんていえないよ」


「エレンスデビルは街の人たちにとって、都合の良い、言い訳のシステムなんですね」


「暗黙のね」


 エレンスデビルにやられたといえば、否定はできない。特に当初の人間は、それにかこつけて子供を消していたのだ。もしエレンスデビルの存在を否定すれば、自分たちの罪を認めることになる。だから嘘だとわかっていても、それを糾弾したりはしない。自分が使ったことがあり、また使うかもしれないから、そういう習慣として根付いていった。

 許す、もしくは黙認するための芝居道具。


「さて、光るものが好きなエレンスデビルちゃんに挨拶しにいこう」


「そうですね」


 二人は椅子から立ち上がり、資料室を出た。

 むかったのは同じ屋敷内の、使用人たちの大部屋だ。

 廊下に立ち、ダークブラウンの扉をノックする。

 顔を出したのはエリーゼだった。


「他の使用人は?」シュカがたずねる。


「出払っていますけど」


「失礼するよ」


 戸惑うエリーゼをよそに、シュカは体をすべりこませて部屋に入ってゆく。左右に二段ベッドがあり、奥には机や椅子が置かれた生活スペースがあった。


「ここかな」


 部屋のなかをひとしきり歩き回ったのち、シュカが床を足で叩く。敷物を取りはらい、床板を手でさわっていると、その何枚かが簡単にはがれた。

 床下の空間には木箱が三つあり、そのなかには金貨や宝石が入っていた。


「エレンスデビルの戦利品だね」


 シュカがいうと、エリーゼは「どうか領主様にはいわないでください」と涙ぐむ。


「給金は家に送っています。それがないと父と母は生活できません。他の使用人たちも同じです。今のところ、屋敷にいる私たちは生きていけます。けれど成長すれば屋敷から出されてしまいます。そのとき、これらがなければ路頭に迷ってしまいます」


「大丈夫、私たちは告げ口なんてしないよ」


 シュカがいう。


「それに、したところで問題ないさ。領主も、他の貴族連中も、わかっていて見逃しているんだ。封建制を維持するには庶民の不満をうまく解消しないとね。革命を起こされて困るのは貴族なんだ。ちょっとくらいなら、金貨や宝石がなくなったっていいのさ」


 結局のところ、エレンスデビルは社会がうまくまわっていくためのデバイスで、その言い訳が許されている限りは暗黙の了解があるということなのだ。


「じゃあね、私たちは明日にでも街を去るよ」


 こうしてヨキとシュカの小さな調査は終わった。


 最後の夜、二人は領主館の部屋で、葡萄酒を飲みながら語り合っていた。


「妖精のいたずらに神隠し。山間部によくある話だったね」


 シュカはほろ酔いで、頬を赤らめている。ヨキはシュカのペースに合わせて飲んだため、はやくも気分が悪い。


「まあ、そうですね。そして人のしわざなんですよね。いいづらいことを、超常現象にしてしまう」


「今回こそは、って期待したんだけど」


「未知の存在ですか」


「そう。妖精とまではいわないけど、ちょっと特殊な動物とか」


「光るものが好きっていう話でしたから、突然変異のカラスなんてどうですか? 翼の先から人間の手がにょきっと生えていて、旅人のかばんをこっそり開けて金貨をとっていく。名づけて強化カラス」


「かわいくない想像をするなあ! ちょっと器用なムササビくらいでいいんだよ。木の上から滑空して、おにぎりをかっさらっていく感じのさ」


 ああでもない、こうでもないと二人は議論する。


「ところでさ、ちょっと腑に落ちないところもあるんだよね」


「何が腑に落ちないんです?」


「エリーゼと領主さ。どっちもエレンスデビルの正体を知っていた。なのに、私たちにエレンスデビルの正体を解き明かすよう促した。つじつまが合わない気がする」


「じゃあ、別の目的があったんでしょう」


「例えば?」


「そうですね、僕たちをここに留まらせるため、とか」


「何のために私たちを足止めするのさ」


 それについて考える前に、ヨキのまぶたは重くなる。もう起きていられない。


「しょうがないなあ」


 シュカにかつがれ、ベッドに寝かされる。そのまま泥酔してしまった。

 そして夜更けすぎ、周囲に異様な気配を感じ、突然に覚醒したのだった。


   ◇


 目覚めたとき、室内にいるはずなのに、いやにはっきりと、虫の音と木々のざわめきが聞こえてきた。

 窓から月明りが射している。

 ヨキの体は動かない。寝返りをうつことも、指を曲げることさえできないのだ。酔った影響とは思えないほど、それは強固なものだった。

 目だけを動かしてまわりをみる。自分を囲むようにたくさんの瞳が浮いていることに気づいた。暗闇になれてくると、人が立っているのだとわかる。

 エリーゼに他の使用人たち、領主、行方をくらました貴族の娘。

 みな、口元が細い三日月のように笑っている。

 あきらかに普通ではなく、不気味だ。

 ヨキはシュカを呼ぼうとするが、声を出すことができない。

 汗がこめかみを流れ落ちる。

 エレンスロッドの人々はベッドを囲んでみおろし、笑っているだけで何もしない。そんな異様な状況がつづく。

 やがて、エリーゼが枕もとに近づいてくる。手にはパンの生地を伸ばすための木の棒をもっている。

 頭に衝撃をうけ、ヨキは意識を失った。


   ◇


 木漏れ日のなか、葉っぱをかぶって寝ていた。

 少し離れたところにシュカもいて、やはり葉っぱの布団で眠っている。


「先輩、よだれ垂れてますよ」


 起きたシュカはあたりをみまわし、目をぱちくりとさせる。


「エレンスデビルにやられたのかな?」


「どうでしょうね。とりあえず街に戻りましょうか」


 森の奥から道に出る。ちょうど馬車が通りかかり、乗せてくれと頼むと、御者の男は快諾してくれた。藁がつまれた後ろの荷台に二人はあがる。シュカはすぐに寝っ転がった。空がきれいだなあ、などと呑気なものだ。


「あんたたち、どうしてこんなところにいるんだ?」


 御者にたずねられ、ヨキはこれまでに起きたことを説明する。エレンスデビルを探そうとしたこと。人のしわざと見破ったこと。しかしその夜、ベッドで寝ていたはずが、いつのまにか森のなかにいたこと。


「しっかり、やられたみたいだな」


「どういうことですか」


「エレンスデビルのことは皆が知っている。しかし、エレンスロッドなんて街は存在しないのさ。この山のなかに森の開けた場所なんてないし、人の住むところもない。貴族と平民なんて区別、とっくの昔になくなっている。何日も、葉っぱのうえで寝てたんじゃないのか?」


 エレンスデビルの伝承の舞台となった街は、山のふもとにあるという。十三番目の子供を産んだリリー・セレスト夫人の生家も残っているそうだ。


「これだけきれいに化かされたんだ。持ち物を確認したほうがいいぞ。きっと、なにかなくなっているはずだ」


「エレンスデビルは光るものが好きという話でしたね」


 ヨキは上着の内ポケットを確認する。支給された金貨はしっかりと残っていた。詳しい枚数までは数えていないが、減っているとも思えない。

 そのとき、となりでシュカが変な声をあげた。


「どうしたんですか。怪鳥のような声を出して」


「ないのさ、ヤハトライトが」


 みる角度や光のあたり具合で色が変わる宝石、ヤハトライト。本来の調査目的であった鉱物サンプルが消えたというのだ。

 ヨキは坑道から出て、山をくだっていたときのことを思い出す。


「先輩がみせびらかしながら歩いてたのがいけなかったんじゃないですか? エリーゼにも自慢げにみせてましたし。多分、あのときから狙われてたんですよ」


「私のヤハトライト……」


「いえ、あれは先輩のものじゃないですよ。持って帰って提出するものですからね」


「くっそー」


 藁に顔をうずめ、悔しがるシュカ。しかし、しばらくすると、「ぐへへ」と笑いはじめた。


「まだまだ鉱物サンプルはいっぱいあるもんねえ」


 さまざま色の石を手にもち、ながめて遊んでいる。ヤハトライトの他にも、たくさんの鉱物を採取していたのだ。


「ヤハトライトは惜しかったけれど、これだけあれば調査としては十分さ」


「そうですね。あの一個で、これだけ面白い体験ができたんですから、よしとしときましょう」


 二人は馬車のうしろでゆられながら、だらけはじめる。


「きれいだなあ」


 シュカはこりもせず、宝石を空にむかってかかげている。

 御者の口元が三日月に笑っていることには気づいていないのだった。

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