第6章:友人(2)

 不思議な夢を見ていた。

 白いライオンが出てきたのは、ヘミングウェイを読んでいたからか。いくらか時間をおいて、ロシア文学好きのかえるくんが現れたのは、村上春樹の短編集を読みさしてブランケットをかぶったせいだったか――気づけば、枕元、南向きの窓辺にぬいぐるみの小さなくまが立っていて、ぼくが起きあがり、座りなおすのを待ってくれていた。

「とつぜん、起こしちゃってごめん」とくまはいった。「ううん」とぼくはいった。ぼくの家にはテディベアや西武百貨店のおかいものクマさんが何人もいて、家を空けているあいだに舞踏会を開いたりしているから、そのうちのひとりが夏の未明にどういう具合でかぼくと話そうという気持ちになってくれたとしても不思議なことではなかった。

「相談ごとがある」とくまはいった。

「証言を集めてほしい。事情があって、ぼくたちの力ではできないことなんだ」それはそうだろうとぼくは思った。

 ひところより増えたとはいえ、明け方に話しかけてくるぬいぐるみのくまと連れのねこの存在に理解を示すひとの数はまだ多いとはいえない。

 それにどういうわけかぼくには目の前にぽつりと立っているくまがこれから話そうとする内容について漠然とした予感があった。ぼくはポットからお湯をそそいでうすめた緑茶とミルク紅茶と、冷蔵庫から前の日に買ったささみをちぎって出し、話の先をうながした。

 くまは話をはじめた。

「ぼくの友だちに血液内科医の先生がいる。その人は、インターネットで知り合った、白血病にかかった男の子との関係で取り返しのつかないミスを少なくとも3つやってしまったと思い込んで、気に病んでいる。もちろんこうしてお願いをしているからには、話は少し違っているとぼくたちは思っていて、何よりその先生のことが心配なわけだけれど。

 そこで、それぞれ先方にはぼくたちくま世界のネットワークを使って話が通じるようにしておくから、関係者に会って、話を聞いて、ほんとうのところを確かめてきてほしい。

 3つというのは、まずひとつ、その先生は、男の子が病院からでも少しは外の空気を吸えるようにと友だちが開設したレンタル掲示板に足を踏み入れて、顰蹙をかったということ。

 2つめは、いまとちょうど同じころ、夏の暑い時期に、男の子が入院先からその先生に『会いたい』って伝えたら、せっかく会いにきてくれたんだけれど、約束の時間に間に合わなかったこと。

 最後の3つめは、男の子が亡くなったあと、通夜の席にやってきて、とても場違いな振る舞いや、発言を残して帰っていったらしい、ということ」

 ぼくはメモをとり、タべの残りの黒霧島でのどをしめらせながら要点を頭のなかで整理した。さきほど、おそらくこの話だろうと思った予感は当たっていて、ぼくの頭には質問がふたつ浮かんでいた。

「その役がどうしてぼくなのだろう。君のいうのが≪あの出来事≫のことなら、ぼくよりも適任者がいると思うのだけれど。それから、仮に引き受けたとして、ぼくは調べた結果をどうやって君たちに報告すればいいのかな。寝る前に手にした小説の順番が君たちに会うための儀式だとしたら、申し訳ないけれどもう覚えていないんだ」

 くまは整然と答えてくれた。

「相談をもちかけたことはこれまでにも何度かある。でも、ここまで話が通じたのは今日がはじめて。たいていは途中で話が通じなくなって、そうなると、ぼくたちは夢から醒めて引き揚げるほかになくなっちゃう。だから、聞いてくれた以上は引き受けてほしいんだ。ぼくたちだって、もうずいぶん待ったんだよ。

 それから、報告のことなら心配はいらない。見ていればわかるからね」

 ぼくは少し考えて、そういわれたら質問があとひとつ残されているだけであることを発見した。ぼくは訊いた。

「まずだれから会いにいこうか」

 くまはこの一連の話し合いのなかではじめて表情を崩し、ねこは尻尾を振ったように見えた。やはり、くま仲間のところが入りやすいかなとくまはいった。「君が途中まで集めた資料の11ページ、7行目にその人の連絡先が記してあったはずだよ」

 二度寝から目覚めると、ぼくはプログラミングを施されたもののようにくまから教えられたページをめくった。果たしてそれはそこに書いてあった。文面を推敲し、湯のみと紅茶ポットとささみの小皿を片付けてからメールを送る。明くる日の朝には返事が届いていた。かつて血液内科医に診てもらい、寛解に至ったというその人に、ぼくは早速、会って話をうかがう約束をとりつけた。

 白血病に代表される血液疾患の場合、ふつう治癒や完治とはいわない。数年間の経過観察において骨髄の造血機能が健常時の状態に回復したことが裏付けられ、並行して日常生活の質(QOL: Quality of Life)も発症前の水準を取り戻したという意味を込めて、寛解という表現が好んで用いられる。

 メールの返事をくれた人の名前は智子さんという。

 インタビューに応じてもらった当時、二十代半ばで看護婦――そのころは確かまだそう呼ぶことができたはずだ――をしていた。「先生はわたしにとって、二度目の命を授けてくれた人。もしわたしの話がだれかの役に立つのなら何を話してもいい。だれにどんなふうに話してくれてもかまわない。でも」と、もらったメールには記してあった。

「わたしの答えは決まっている。先生が何か間違いを起こしたのなら、それはきっと先生にしかわからない事情があってのこと。よよん君とのことは『2ちゃんねる』もほかのところも、あらましは先生からも聞いているのでたいてい知っている」

 その上で、それとは違う話をできればしたいのだと彼女はいった。起きてしまったことに対するとめどのない解釈は立場の違いしか生まないから、そうではない、まだだれにも話していない、「先生」が思い出せばきっと自分のなかでつらい気持ちをやわらげてくれるかもしれない話を、書き留めておいてほしいのだといった。

 そうして、次のような話をしてくれた。世紀があらたまる5年ほど前、彼女がまだ高校生だったころの出来事である。急性リンパ性白血病という、よよん君と同じ病気にかかって入院し、そこでそのころはまだ元気に働いていた「先生」と、彼女は出会ったのだった。


 くまが入り口のドアをノックして部屋に入ってきた瞬間の、息詰まる攻防戦のことを、智子はいまでもはっきりとおぼえている。

 智子もまた、くまの装いをしていたからである。

「……」

 一瞬、たじろいだのは入ってきたくまのほうだった。

「やあ」

 右手を軽くあげ、声をかけたのは、ベッドから上半身を起こしたほうのくまだった。

「やあ」

 入り口でかたまっていたくまは、何かを察したようだった。まるで、かつて氷河から温暖な地帯に生き物たちが運ばれてきた太古の記憶がよみがえるように、体温が全身にじわじわといきわたっていくときの動きをみせた。そしてその気配は、見舞い客用に置かれた、縦長のチェアをはさんだところに座って、このあとの展開をわくわくしながら待ち構えている、もうひとりのくまのほうにも伝わってきた。

 入ってきたほうのくまは、静かにドアを閉めると、いつもの自分のペースをとりもどして、用件を伝えはじめた。


 智子が、そのくまの姿をはじめて目にしたのは、2週間ほどまえのタ方のことである。気晴らしに立った散歩の途中で何の気なしに通りかかった部屋は、ドアが半開きのままになっていて、窓から西陽が差し込んでいた。廊下側からみると、くまの丸い頭の部分がまばゆいシルエットを描いている。くまは何かを話しているらしい。

 小児病棟だから、イベントでもあって、あるいは入院している子の誕生日や記念日で、家族が催しものでも開いたのかと思い、そのときはそのままにして過ぎた。自分がふだん暮らしている病棟とはちがうところをむやみにうろついているように見られるのは、あまりほめられたことではない。

 二度めにくまを見たのは、それから3日ほどあとである。場所はやはり、小児病棟だった。

 小児病棟は智子にとって、病院のなかでも比較的、居心地のいい場所といえた。

 病棟には、それぞれ固有の匂いや雰囲気というようなものがある。いかに誠実に、紳士的に、患者も医師も病に向き合ったとしても、そこには結局、生身の命を「切った貼った」しているとしかいいようのない、野戦さながらの現実が顔を出す瞬間がある。そのことを、智子は短いとはいえない入院生活で十分すぎるほどに感じとっていた。

 そうした現実を、適切に処理するのはなかなかむずかしい。大半の病棟では、それは澱のようにたまり、もつれあって、発酵し、開閉するドアの隙間から外にこぼれ出てくる。病院外の世界では、たとえば世間や文化という呼び名がつけられたりする、得体の知れないものをめぐる事情は、病院内だからといって大きく変わることはない。

 ふと、その息苦しさから逃れたくなったときに、智子がいつしか覚え、無意識の習慣のようにしていたことがあった。

 小児病棟への散歩である。

「暖をとりにいくようなもの」

 智子はそんなふうに表現する。廊下から、くまの話に聞き耳をたてた日も、あるいはそんな気分だったのかもしれない。

 通りかかったとき、くまは部屋に入って間もない様子だった。明日で退院だね、退院ですね、と、幼い子どもと母親らしい女性にかわるがわるにことばをかえて話す声が聞こえてきた。おかげさまで、ありがとうございます、ママ、このくまちゃんどうしたの、ママが呼んだの、すごい、という声が聞こえる。

 智子は立ち止まり、壁際に身をよせた。

「……ぼくはゆうちゃんの先生から、あした、ゆうちゃんがさびしくて泣かないように、たのまれてやってきました。

 いまから手紙を読むね。

『ゆうちゃん、むずかしいびょうきに負けないで、よくがんばったね。熱がさがらなかったり、ごはんがじょうずに食べられなかったりしたときは心配もしたけれど、ほんとうによくがんばったと先生は思います。

 ゆうちゃんのかかった病気は、前にもお話ししたように、はっけつびょうという、かかる人のあまりいない、でも最近はちょっと増えている、すこしだけむずかしい病気です。

 むずかしいのは、どうやら治ったみたい、と、もう大丈夫、治りました、の間に5年くらいかかるからです。どうやら治ったみたい、を寛解、かんかい、といいます。ゆうちゃんは、この寛解です。よかったね。この寛解が、5年たっても続いていれば、«かんぜんかんかい»といって、もう大丈夫です。

 5年間ずっと心配だ、といっているのではないよ。

 健康なひとも、ごはんをきちんと食べたり、運動をしたりすることは大切でしょう?

 それと同じで、ゆうちゃんも、お父さんお母さんのいうことをよく聞いて、まいにちきそく正しい生活をすることが大切。それをつづけていれば、心配はいらないからね。

 ただ、先生もさびしいから、ときどき顔を見せにきて、そのときはゆうちゃんの体を流れている血液が、元気にがんばっていることを一緒に確かめさせてね。

 そうやって、5年後、小学校高学年のおねえさんになったゆうちゃんが、いつか話してくれた、バレーかスケートの選手になってかつやくしている姿を見るのが、先生のいちばんの楽しみです。

 だから、明日は泣かないで、元気にばいばいしようね。ゆうちゃんと友だちになれて、くまちゃんもとってもうれしかったそうです』」

 わかったかな、はい、という返事に、つられて智子は「うん」と頷いた。そうしてくまに姿を見られないように足早に自分の病室に戻り、チェアに身体を横たえると、腕組みをして考えごとを始めた。

 ここで、繰り返し記せば、智子の病名は急性リンパ性白血病である。寛解状態といわれ、目下、経過をみているところだ。

「17歳の誕生日に何かほしいものはある?」と、先日、主治医の先生からいわれたのは、あれはやはり、わかりやすい伏線だった。「別にないです」と答えながら、思わず顔がほころび、診察室からスキップしてこの部屋に戻ってきた。

 伏線を張られたのは、いいとしよう。

 くやしいのは、あのときからすでにくまのことが先生の頭にはあって、ということはつまり、自分の知らないところでくまと内通していたということだ。

 智子は書き溜めた便箋の束を、袖机の引き出しからとりだしてみた。自分は泣くにちがいなかった。手紙を書いているそばから涙がこぼれてくるのだから、そのときがきたらまた泣くにちがいない。

 くまはきっとやってくるだろう。そしてクールにいうのだ。

「お嬢さん、泣いてはいけませんよ。今日は先生の代わりにやってきました。誕生日おめでとう」

 シナリオでは、泣かせるのは自分の役のはずだった。その場面がきたときに、手紙がはたしてこちら側の防波堤の役割をしてくれるか、心許ない。智子には、たねも仕掛けも知ったうえで、舞台装置が大きいほど感受性が振れてしまうところがある。そのことは自分でもよくわかっていた。

 しかし、そうであればこそ、である。無防備に泣いてしまうのでは、まるで小学生と同じか、頭でっかちな分だけ小学生以下、ではないか。

「吉井さん、回診の時間ですよ」

 ノックの音とともに、いつもの看護婦の声がした。気づかれないように背中で引き出しを押ししめると、智子はベッドに身を収めた。

 その日は一日中、くまのかぶりものを手に入れる算段を立てることで頭がいっぱいだった。作戦が決まると智子はようやく落ち着いて深い眠りについたのだった。


 ふたりのくまが友だちとして親しくつきあうようになったのはこのときがきっかけである。「2ちゃんねる」のあのスレッドで血液内科医が「かつてのワシの患者さんがよよん君に会いたいといってきかない」と、大切な手紙を引用しているのは、このくまのことである。

 その、人間の世界では「ともきち」というニックネームで呼ばれているくまは、最後までよよん君に会いたいと願い、でもそれはかれが寛解を迎えてからの楽しみにとっておこう、その日がきたら先生とふたりでくまのぬいぐるみをかぶってよよん君のことをくま同盟に勧誘するのだと自分にいいきかせ、インターネットでときおり交わされるふたりの会話に目を配りながら、色とりどりの、かわいい鶴を折っていた。

 秋の日、ついに願いのかなわなかったことを知った智子は、くまの姿に身をかえ、缶コーラを握り締めると、部屋いっぱいに、二千トンの雨を降らせた。

 ひとしきりの雨が止むと、くまは思い立って受話器を持ち上げた。

 いまごろ、大丈夫かしら。先生のことだから、すっかり、気落ちしているのでは――

 もうひとりのくまのことが、頭に浮かんだのである。話すこと、話したいことはたくさんあった。

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