第8章:くまとねこの酒場

かくして、主だった証言は出そろったわけである。

ぼくがよほどのへまをしていないかぎり、あの日、姿を現した、不思議なくまとねこがぼくに投げかけていったテーマのかなりの部分は、この時点で、とにもかくにもどうにか形になっているはずだった。

問題は残りの部分だった。肝心のピースが、ぼくの力ではどうにも埋まりそうにないのである。血液内科医、その人の分だった。

「この期に及んで、まだそんなことを――」

しばらく振りにぼくの前に姿を見せてくれたくまはいった。

「察しの悪さは、聞き書きをする仕事には向いていないかもね」そんなことまでいって、くすくす笑っている。

となりでは、ねこがやれやれ、あきれた、といわんばかりの大あくびをひとつ奏でた。

「みゃあ」

ぼくは正直に教えを請うことにした。

とはいっても、くまやねこをどのように饗応すればつつがなく低姿勢を伝えられるかというノウハウがまだなかったから、ぼくはとりあえず前回とはちがうジャスミン茶と、コーンフレークを少しだけまぜた温かいミルクと、それからねこにはシャポーで買ってあった上等のささみを出すことにした。かれらが美食家らしいということは、これまでの付き合いからおぼろげながら想像できた。

効果はあったようである。

「ついてきてごらんよ」と、くまはいった。「いいものを見せてあげる」ねこはわれ関せずといったそぶりで、ささみの跡地を丹念になめている。

ぼくはかれらのいいなりに新幹線の切符を手配し、ふたたび西へ向かい、京都駅でおりた。京都駅からはタクシーを拾って西陣の街並みを折れ、あるお寺の前で停まった。

くまとねこは先回りをしていたらしい。ぼくの姿を見つけると、ねこがこっち、とでもいうように尾をひとふりした。長い尾の先に顔を向けると、お花と、その前に供えられた缶コーラの赤いシルエットが目に入った。

コーラはよよん君の大の好物である。

いったいだれが、と思い、謎かけの答えに思い当たって、ねこの尾があった位置に目を戻したときには、かれらの姿は見えなくなっていた。かれらはもたもたしているぼくを待ちきれずに、さっさとどこかほかの場所に遊びにいったに違いなかった。


とはいえ、いくらぼくでも、このお供えもののコーラの話をそのまま血液内科医にしたわけではない。集めてきた話をそのまましたのでもなかった。血液内科医がその身を、ときに焼き焦がし、ときに凍らせてきたものは、そんなことをして落ち着きを取り戻すような代物ではない。それくらいのことはぼくにもわかっていた。そこで、稚拙ながら、ある針をかけることにした。

比喩が直接的にすぎると思わないでもなかったが、ほかに持ち合わせがなかったので、その点は致しかたない。

ぼくが東京に戻り、待ち合わせの喫茶店にきてくれた血液内科医に披露したのは、女優と野球選手にまつわるひとつのエピソードである。

――ノーマ・ジーンという多感で恋多き女性の二番目の配偶者になったある野球選手は、不幸にも彼女とわかれることになったそのあとも、一途な愛情を失わなかった。かつての妻が別の男性と結婚し精神の安定をうしなったときには献身的な支えになった。

その死にさいしては葬儀をとりしきり、それから30年の長きにわたって墓前には定期的にアメリカン・ビューティ、真紅の薔薇がささげられることになった。野球選手はスターではあったけれど自分の行いを誇らない人柄だったので、ファンから広く愛される存在だった。もちろん薔薇のことは自分ではけっして語らず、触れようともせず、新聞記者が水を向けたときには、ただかつての妻のことを称え、静かにほほえむばかりであったという。

女優はいわずと知れたマリリン・モンロー。野球選手は名門ヤンキースの黄金時代を支えたジョー・ディマジオである――

「いい話だと思いませんか」

集めてきた話のあらましに続いてこの話をした。そして、ぼくとしてはさりげないふりを装って探りを入れてみた。

「これによく似た話を、さいきん、西のほうのどこかで聞いた気がするんです」

すると、血液内科医はぼくの手を握った。清潔な野球選手と同じようにことばは発しなかったけれど、かわりに大粒の涙をぽろぽろとこぼした。

「ひとつ、お聞きしたいことがあるんです」涙が引くのを待って、ぼくは思い切って尋ねてみた。

「どうして、なのでしょうか。なぜよよん君がこんなにも血液グループなる人物のことを必要としていた、好きだった、特別だと思っていたことをお認めにならないのでしょう」

「――」

「問い詰めようとしているのではないんです。仮説を、立ててみたんです。1、寛解に導くことができなかったから。2、いくつかのミスを犯したから。3、『あのスレッドは、自分のための場所だった』から。4、それ以外」

「よく調べて、考えてくれたんですね」

「はい。ずっと、1かな、2かな、3かなと思っていました。1は、消えやすい。主治医は井上先生ですから。2は、もっともらしい。3は、もうちょっと、もっともらしい。でも、どうもピンとこないんです。きっと、2でも3でもない。そのことが長いあいだ、ぼくはわからなかった。それに」

「それに?」

「調べを進めていく中で、血液グループ先生は、どうも無意識のうちに、あえて負けにいっているようにぼくの目には見えました。負けということばが適切でなければ、顰蹙をかうことをわかっていらして、そのように行動していた節がある。ある面では、それはまるで手塚治虫の描く、気弱なシラノ・ド・ベルジュラックみたいだ。どうしてなのだろう。やっぱり、長いあいだ、わかりませんでした」

「......お続けになってください」

「はい。実在する関係者のほとんど全員が口にしていることばのなかで、あなたが自分では決しておっしゃらないことばがある。そしてそのひとことを、よよん君にだけ発してほしかった。匿名の血液内科医という仮面の内に隠れながら、あえて、だめな自分をよよん君には見つけてもらい、そのひとことで救われることが、あなたの望む関係に近かった」

「......」

「だれもが知っている、その関係をいいあらわす比較的適切なことばが日本語にはある。しかし、それをよよん君以外の口からいうこと、聞くことはできない......すみません、なんだか歯切れのよくない説明で」

ぼくがそういうと血液内科医は顔をあげて笑い、それから聞き取れないような声でいった。「ありがとう」

そうして、血液内科医は、ようやく、寛解を迎えることができたのだという話をしてくれた。

寛解とは、白血病と講和条約を結び日常生活に復帰することだけをいうのではなく、うつ病と折り合い、手を携えて上手に生きていく術を覚えたときにも使われることばだった。ぼくはもちろんそのことを知らずにいた。血液内科医も、うかつにも忘れていたのだといった。

それは一連の出来事のあいだに血液内科医を襲ったいくつかの誤算のなかで、最大のものであったといえるかもしれない。

「まさか、寛解するのが自分だ、なんて」

そういって血液内科医はまた涙を落としたのだった。

その晩、宵待ちの月があたりを照らしだす中、くまとねこの二人組がぼくの家を、みたび忽然と、軽やかなステップを踏みながら訪れてくれた。

ぼくは待っていましたとばかりに、昼間の出来事をかれらに話した。すると予想に反してぼくはしこたま叱責されたのである。

かれらがやってきてくれる予感があったから、ぼくとしては目一杯のごちそうを用意しておいた。にもかかわらず、なのだった。

「泣かせるようなまねをして」「みゃあ」「無芸にもほどがある」「みゃあ」

くまにはくまの、ねこにはねこの言い分があるようだった。たしかに、泣かせてしまったことはわるかった。無芸といわれたら、返すことばがない。

それでも、ひとしきり後に雨嵐が止むと、くまとねこは、防戦一方のぼくに満足したのか、どこかうれしそうな表情を浮かべて去っていった。以来、かれらには会っていない。

だから、というわけではないが、かれらが再びぼくの前にやってきてびょんびょんと飛び跳ねる前に、隙を狙って、いささか教訓めいた内容ではあるが記しておきたいことがある。

それは、一連の出来事の初めから、おそらく、すべてをわかっていた人がいる、ということだ。

ひとりは、ともきち、こと、智子さんのことである。

彼女は寛解をむかえ、病院から卒業するときに、くまを通じて大好きな主治医に手渡した手紙のなかで次のような一文を記している。

「手を引かれているようで、後ろからそっと支えている、そんな関係でいたいものです」

飾りを必要としない、いいことばだと思う。

彼女こそは、白血病に代表される難しい病気にかかった自分たち患者だけにではなく、手傷をおった医療従事者にも、実はセカンド・オピニオンが必要なのかもしれないということを、早くから見てとり、自覚し、実践し、いまもその暖かい手の感触をわすれていないひとりであると、ぼくは思っている。


もちろん、よよん君も、そのひとりにほかならないだろう。

20世紀の終わり近く、村田マリと同じ年の秋の日にこの世に生をうけたかれは、その23年の生涯で数々の魔法を使い、身近なひとびとにいくつもの幸せな贈りものをした。

身近なひとびとに対して、だけではない。

2002年の早春のある日、かれは突如としてインターネットの世界に姿を現した。そこでかれが唱えた不思議な呪文は、見ず知らずの、通りすがりの冒険者たちに勇気と希望を与えた――と、いいたくなるところだが、しかし、そのような解説めいたことは、当人としてはまったく意図しないところだった。

「2ちゃんねる」だからといって、いつもと変わるところがなかったからである。おそらく、変わりようがなかったのだろう。かれはひとりの23歳の男の子だった。

よよん君は、普段からそうしているように、集まってくる人たちの話に耳を傾け、みずからも笑い、話し、ときに悩み、愚痴をこぼし、できるかぎりの技と工夫を凝らして病気から逃げようと、身をかわそうとしたのである。ただそれだけだった。

そんなかれの生き方をどう形容するかは、外野の都合にすぎない。


形容ではないのだ。かれの口から紡ぎ出されたことばがあたかも魔法の呪文のように響き、機能し、そのひとつひとつの余韻がひとびとを励ましたことは、酒場の記録と記憶にはっきりと残っている。

「にげる」「がんばらない」「みんなと、もっと話をしていたい」――

酒場は、うわさを聞きつけ、ひとことでもいい、かれと声を交わしたいという冒険者たちでいつも満席になった。

注文されたのはもっぱらコーラである。

よよん君はたまにしか姿を見せることができなかったから、酒場には、せめてかれがやってきたときには好きなコーラを好きなだけ奢って、よろしく伝えてほしいという伝言で満ち溢れた。中には酒を飲ませてしまえという猛者もいて、それをたしなめるのもまた、かれらの楽しみのひとつだった。

酒場には傷ついたものも、ふだんは傷を癒すことを生業としているものも等しく訪れた。そこにいた誰もに共通していたのは、よよん君のひとことひとことに笑い、何ごとかを思い出し、しんみりとし、打ちひしがれ、しかしそうすることによって清められ、背中を押されて、力を得たかのように自分の持ち場に戻っていくときの、満足したような、心を残したような後姿である。

秋の日がやってきた。

訃報が伝えられると、冒険者たちはわれさきにと酒場に集った。

かれらは、おのおの、ひとしきりメッセージボードを眺め、嘘やわるい冗談ではないことを確かめると、大切な友だちを失ったときにしばしばそうするように、ほかにどうしようもないといった表情を湛えて、肩を落としながら帰途についた。

道すがら、銘々の流義に則り、東に住む者は西の空に、西に住む者は東の空に向かって淡い祈りを捧げている。その日ばかりは、酒や煙草を絶った人もいると聞いた。

やがて宵が立ち込め、それやこれやを押し流してくれる夜の帳が下り、酒場と辺り一面を覆い尽くす、その中を、冒険者たちはひとり、またひとりと踊りおえていった。後ろを振り返り振り返りし、ことばにならないつぶやきを夜に溶かしながら、コンクリートの壁の合間に煙が吸い込まれていったのは、その日、ずいぶん遅くなってからのことだった。


おしまいに、ぼくの口から記しておくことがある。

血液内科医は、現在、都下の個人病院で雇われ院長をしている。そこそこ元気に、のんびりとやっているようだと、風の噂で聞いた。

「2ちゃんねる」医療板には、かれこれ、もう長いこと、足を踏み入れていない。

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