第4章:友人(1)
――「医者ってさ」いうスレッドのタイトルが内容にあっていないから。ふさわしくないから。誰かがそんなことをいって、「無菌の国のナディア」に変えましたよね。
よよんも腹かかえて笑ったって、「2ちゃんねる」の人たちはずいぶん喜んでいたみたいだけど、あれ、僕らにいわせたら話が少しちがうんです。
そもそも「医者ってさ」いうのだって、少しは、入院先の無作法な研修医のことを文句いいたい気持ちがあったかもしれない。でもだからといってただ単に自分の感想や愚痴を書きたいのではなかったと、僕は思う。証拠に、不満めいた書き込みは長続きしていないでしょう。
もとから、他人の悪口なんてことはいわないんです。僕の知っているよよんは、憎んだり嫌ったりするところとはずっと無縁で生きていました。
それなら、あそこで何を話したかったのかと、いわれても困るのですけど、いってみればあれは、よよんの、誰かに声をかけるときの癖みたいなものとちゃうかなあと思います。あるいは、「2ちゃんねる」だからというので、他の書き込みを見て、「入り方」「それらしいタイトルの付け方」を自分なりに精一杯、真似をしたとか。
あいつにとってお題、スレッドのタイトルは、どちらかというとどうでもいいこと。周りが楽しければ自分も楽しい、そういうタイプではなかったかと、僕はそう思っています。よよんには、僕も仲間もずいぶん楽しませてもらいました。
あんなええやつは、どこにでもいそうでいて、滅多にいません。あれからも、ずっと、そう思っています。そしてその、滅多におらんのですけど、どこにでもいそうと思わせるのが、芸の細かいところ。しかもあれで天然ですからね。話してみると、けっこう口わるいし。
そんなふうに、ちょっと変わったところのあるよよんのことが、僕たちはみんな、好きだったんですよ――
そんな、谷沢さんにとって、よよん君の残してくれた、忘れることのできない思い出がある。二人が机を並べたコンピュータ関連の専門学校の入学初日のことだ。
谷沢さんはそのとき三十歳を迎えていた。その年齢になって専門学校に入ってものごとを学ぶ。というのには、それなりの事情と、そこから派生している、当人にしてみれば屈折した思いがある。
谷沢さんは10代の後半と20代の大半を音楽のために費やしてきた。チェロという楽器である。一時はプロになることを本気で考えもした。結果的に、得るものと失うものの秤を読みちがえたのは、若さと、道のりの険しさに酔ったせいだったかもしれない。
入学式を終え、クラスに配属され、あてがわれた席につくと、谷沢さんの胸には演奏会でも味わったことのない緊張がこみ上げてきていた。
ひとまわり、ちがうのである。同級生も、久しぶりで手にした教材も、教室の雰囲気も、かつて自分が通っていたころの「学校」とは別世界のようだった。そうまでして手に職をつけなければならない事情をかれらに説明したところで、はたしてわかってもらえるか、どうか。説明したところで、引かれるのは目に見えている。それでも、これから同級生になるかれらとうまくやっていくためには、少しは気の利いたことをしゃべらなければならない。
谷沢さんは話が得意なほうではなかった。何かを話そうとすればぶっきらぼうになりがちなタイプだ。楽器を選んだ理由のひとつにはそのことがあった。
自己紹介の順番は着々と近づいてきている。
――どないしたらええねん。
そのとき、背中をつつかれた。
振り向くと、男の子が笑っていた。
「あのさ、楽器やるの」と、男の子はいった。「なんでわかったん」「Tシャツにそう書いてあるから」「ああ、これな」「ええなあ」「なんでや」「話すことがあってええなあ、思うて。格好ええやん」「そうかあ?」。男の子はうんうんと頷き、目をおおきく見ひらいて笑った。
谷沢さんのスピーチが終わると、男の子は大きな拍手で迎え、自分の番をそつなくこなすと席に戻っていった。「こんど聞かせて」
谷沢さんは照れて、思わず苦笑いをした。「下手やで。いい歳してこんなところに来てるくらいやから」
その日、オリエンテーションを終えると、ふたりはほかの仲間たちと一緒に専門学校のある長岡京駅から電車にのって帰途についた。道中、よよん君と谷沢さんは互いの最寄駅がそう離れていないことを発見した。そしてよよん君の駅には「餃子の王将」があったから、その日はそこでタ食をとることにした。
よよん君と谷沢さんはこうして友だちになった。――「それは少しちがいます。あいつが、僕の友だちになってくれたんですよ」
ふたりの関係は、よよん君が白血病を発症してからもかわらなかった。かといって逆に、親密の度を深めた、わけでもなかった。
たとえば、こんな具合である。
よよん君はゲームとマンガが大好きだった。それは5歳はなれた兄の影響によるところが大きかっただろう。幼いころから家には最新のゲーム機器とコンピュータとソフトがあった。マンガ本も人気のものは全巻揃えであった。手をのばせば届くところにそれらはあるのだから、そのわけへだてのない性格もあってよよん君はいつどこでもクラスの人気者になった。谷沢さんもその「おこぼれ」にあずかったひとりである。
「手ぶらはさすがに悪いと思って、よよんの好きやったコーラと、何や知らん、買うてきていうから風変わりなグミキャンディを袋に提げて、遊びにいくんです。そうしたらまず心行くまでゲームをやります。黙々と。
よよんは『ツインビー』がお気に入りで、腕前は、それはもう天才的というほど見事なものでした。弾をよけるのがべらぼうにうまい。見ていてほれぼれするくらい。
僕は苦手なほうです。だから、お決まりは、だいたいあいつが『ツインビー』を一度か二度、クリアして――まあ、僕が足を引っ張ってちょうどいいバランスになるのやけれど――そのあとがマンガ、『美味しんぼ』をふたりして繰り返し読む、いうパターンでした。
やっぱり、黙々と。
そうして、ゲームもマンガもやって、同じ部屋で何を話すでもなく過ごしていると、よよんのおばちゃんが声をかけてくれはるんです。
『谷沢さん、せっかくやからタ飯を上がっていかはったらどうです』
よくできた家やで、いうたら怒られるけど――食費を入れなあかんかな、いうくらいに焼肉をご馳走になりました。ほんまに、頭が上がりません。
よよんがゲームの天才なら、おばちゃんは料理の名人やと思います。そうして家ぜんたいの居心地がいいから、つい長居してしまうんですね。よよんが、入院中にあれほど家に帰りたがっていた理由が、わかる気がします」
ゲームとマンガの山は、入院先の病室にも事情の許すかぎり再現された。むずかしい病気にかかってからも、友だちはひっきりなしに訪れた。かれの人柄を考えれば当然のことだったかもしれない。
「ほんまに毎日通いました。専門学校の帰り。バイトの帰り。買い物の前。後。
それで何を話すわけでもないんです。主治医の先生に見つからんようにこっそりコーラを飲んで、ふたりして黙々とマンガを読みたいだけ読んで『ほな、よよん、時間がきたから帰るで。また明日』いうと、あいつはあいつで『うん。来てくれておおきにね』。
あるとき『病院の門の前のバス停で、おれは今日、何をしに来とったんやろう、思うことがある』というたことがあります。そしたら、よよんから『それはこっちの科白や。谷沢さん、わざわざマンガを読むためによう足を運んでくれはるなあ、いうて、母さんといつも笑ってる』みたいに返されて――あれには、参りましたね。本当のことやからね」
そうしたよよん君と谷沢さんの関係にしてなお、果たしえなかった約束がある。
「結果的に、チャンスはあるようでありませんでした。親しい友だちほどそんなもんとちがいますか。もったいぶらずに早うに聞かせてやればよかったのかもしれません。けど」
よよん君と知り合いになる5年前、阪神大震災の年のこと、谷沢さんは二十代の後半に差しかかっていた。そのころの谷沢さんは、自分の音楽の目指す方向を見出せないでいた。
もやもやとした日常を、地震が破った。当時は京都市の外れで暮らしていた。被害の全体状況が明らかになり、かろうじて人々の暮らしが落ち着きを見せ始めたのは、3ヶ月も経った春先のころだったろうか。
そこで、かれはある行動に出た。
「チェロを弾かせてくれませんか」
張り紙をし、友人や知り合いの楽器店に声をかけた。そうして呼ばれるままに、楽器を手に、地震の爪痕の残る街中をかけまわったのである。
被災を免れた、トラック運転手をしていた友だちに頼みこんで、ありあわせのできるだけの梱包をした楽器を載せ、がれきの間のわずかな平面を探し、場所を確保すると一心に音を奏でた。
ドヴォルザーク。ハイドン。シューマン。サン=サーンス。バッハ。カタロニア民謡。チャイコフスキー。そして、モーツアルトのレクイエム。
「邪魔だ」といわれれば即座にその場をどいた。気持ちを逆なでするような真似をと、殴られかけたこともある。だが弾くのはやめなかった。演奏を途中で切り上げたのは「片づけを手伝ってほしい」といわれたときである。どうしてそのような、見る人が見れば突飛ではた迷惑な行動に出たのかは自分でもよくわからない。だが、そのときは、自分にいまここでできるのはこれなのだと腹を括っていた、ような気がする。
そのときの話を、よよん君は武勇伝を聞くようにして耳を傾けてくれたのだという。
「いつか生で演奏を聞かせて」とせがまれることもあった。
しかし――「元気なうちはまだしも、白血病で入院しとる相手に向かってそれはありえへんでしょう。とりわけ、モーツアルト。曲名が曲名なだけに、どうしても、そのことを思ってしまう」
よよん君はあるときを期にぱたりと、見舞いにきた谷沢さんに「家に戻ったらチェロを聞かせてほしい」といわなくなった。
谷沢さんに弟はいない。
しかし、弟がいたらこんなふうだろうなと思わせるようによよん君は自分を慕ってくれた。自分にはみせない表情で、8歳ほど年のはなれた友人は入院中にきっと何ごとかを考えていたのだろうといまにして思う。その結果、心境が変化したのだとしたら――
「友だちがもうちょっとしっかりしていたら、よよん君は『2ちゃんねる』なんかには足を踏み入れなかったのではないですかって、そういわれたんです。
これには、思わずかちんときました。
口にしてええことと悪いことがあるのとちがいますか。それも通夜の席で、何や知らん、みんなからのメッセージです、寄せ書きですとかいうていきなり分厚い紙の束を持ち出して――そんなんいわれたりされたりしたら、僕らの立場がありません。僕ら他に、どうしようがあったというんですか。
たとえ友だちでも、胸にしまったまま、口に出せないことかて、ようあるんです。
よよんがええ先生いうんやから、たしかにええ先生なんでしょう。でも、やっぱり、僕らが『2ちゃんねる』とは関わりのないところで、仲間内だけでと思ってよよんのために確保した掲示板にまで顔を出して、食生活や、これまでにしてきた病気のことを根掘り葉掘りたずねるのは、さすがに度が過ぎていると、僕は感じました」
谷沢さんがつい、そう口にしてみたくなるのも、よよん君が残していったセピア色の記憶が、あまりに美しく見えるからなのだろう。2002年の秋の日に、渾身の力を振るってふしぎな踊りをおどり、奏でた、谷沢さんもそのひとりである。
「ただ、えらそうなことをいいましたが、いまはもう悪くは思っていません。いうたこともやったことも多少はズレてる思うけど、それも人一倍きつい仕事をこなしているから、どうしてもはみ出てしまうのでしょう。たしか、絵も描かれるんですよね。僕も端くれですけれども、芸術家肌のひとりとして、そのはみ出し加減みたいなものはわかるところがあるんです。
よよんのためにいろいろしてくれたことはおおきに思うてます。こっちに来る機会があったら『王将』で、よよんの思い出話をしながら飲みましょう。ただし、1回目は先生のおごり。あっちゃこっちゃ手を出して、僕らを驚かせた罰や」
そう伝えてください。
谷沢さんは笑って、すっかり冷えてしまった珈琲にゆっくりと口をつけた。
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